重長は内治において優れた才を発揮し、対明貿易や商業の奨励を盛んに行なった。
温州みかんの栽培を日本で最初に行った人物といわれている。
また、蝋燭材料の木蝋(櫨蝋)の原料であるハゼノキを中国から根占に取り寄せ、日本で初めて栽培させたとされている[注釈 2]。ハゼノキ栽培と櫨蝋生産はのちに他の地域にも広がり、重要な輸出品目となった。
- 注釈
- ^ 「しげなが」と読む文献が多いが、史料上「重武」と充てるものもあるので、この読みは誤りと考えられる。なお名字表記も根占(禰占)と記される場合も多い(根占献一『東西ルネサンスの邂逅ー南蛮と禰寝氏の歴史的世界を求めて』と諸論考などによる)。
- ^ 櫨実は運上銀納入者に買い占めさせる旨の薩摩藩藩達が1637年~1639年(寛永14年~16年)にあることから、櫨栽培はそれ以前に始まっていたことが推測されている。
- 出典