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経量部 - Wikipedia

けいりょう(きょうりょうぶ、サンスクリット: Sautrāntika, サウトラーンティカパーリ: Suttavāda, スッタヴァーダおとうつしそう迦蘭ひさげ迦)は、仏教ぶっきょう一派いっぱである。せつ一切いっさいゆうから分派ぶんぱした。3世紀せいきすえクマーララータ中国語ちゅうごくごばん (Kumāralāta, ばと馱) によってひらかれ、4世紀せいきになってシュリーラータ (Śrīlāta, むろとし) によってさかんになった。

ナーランダーだい僧院そういん仏教ぶっきょう学的がくてき探求たんきゅうさかんになった時代じだい勢力せいりょくっていたため、どう時代じだいせつ一切いっさいゆうおよ大乗だいじょう仏教ぶっきょうちゅうかん唯識ゆいしきともに、「インド仏教ぶっきょう4大学だいがく」の1つにかぞえられたりもする[1]

せつ一切いっさいゆうろんアビダルマ)をおもんじたのにたいして、経典きょうてんおもんじて基準きじゅんりょう)としたため、「けいりょうばれた。

資料しりょう

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せつ一切いっさいゆうによるアビダルマろんしょ大量たいりょうかんやくされ現存げんそんしているが、けいりょうのアビダルマはのこっていない。ヴァスバンドゥVasubandhu)、ハリヴァルマンHarivarman)などのろんは、けいりょうにいくらかの期間きかん所属しょぞくしていたとかんがえられるが、かれらの著作ちょさく正当せいとうけいりょうきょうせつつたえているかは不明ふめいである。

教義きょうぎ

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せつ一切いっさいゆうのアビダルマせつ批判ひはん修正しゅうせいする。三世さんぜじつゆうせつたいしては、現在げんざいいてのみほうゆうみとめ、こころ所説しょせつたいしては、これを否定ひていし、基体きたいしん)と付随ふずい現象げんしょうしんしょ[2]区別くべつみとめず、たんにひとまとまりの「しん」としてとらえるべきだとする。

関係かんけい文献ぶんけん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 熊谷くまがいまこと慈. “えるモノはあるのか?―仏教ぶっきょう認識にんしきろんてき視点してんから” (PDF). 京都大学きょうとだいがくこころの未来みらい研究けんきゅうセンター. 2014ねん4がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ たとえのひとつとして、しんは「みず」、しんしょは「みずけた成分せいぶん」として説明せつめいされることもある。

関連かんれん項目こうもく

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