3世紀
3
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2 | |
200 250 |
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5e/Relief_of_Shapur_I_capturing_Valerian.jpg/280px-Relief_of_Shapur_I_capturing_Valerian.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/10_2023_-_Palazzo_Altemps%2C_Roma%2C_Lazio%2C_00186%2C_Italia_-_Sarcofago_Grande_Ludovisi_%28Grande_Ludovisi_sarcophagus%29_-_Arte_Romana_-_Photo_Paolo_Villa_FO232047_ombre_gimp_bis.jpg/280px-thumbnail.jpg)
できごと
日本 では弥生 時代 末期 から古墳 時代 初期 にあたる。樺太 南西 端 と北海道 北端 でオホーツク文化 (初期 )が成立 する。ロ ーマ帝国 では軍人 皇帝 時代 が始 まる。またこの時代 の帝国 内外 の社会 的 ・経済 的 変動 を含 めて「3世紀 の危機 」とも呼 ぶ。
200年代
- 203
年 - セプティミウス・セウェルス
帝 がガラマンテス族 を破 り属 州 アフリカの「リメス・トリポリタヌス」を拡大 する。 - カルタゴにてペルペトゥアとフェリキタスが
殉教 する。 - フォロ・ロマーノのセプティミウス・セウェルスの
凱旋 門 が建設 される。
- セプティミウス・セウェルス
- 204
年 - 207
年 - 208
年
210年代
- 211
年 - ローマ皇帝 セプティミウス・セウェルスが属 州 ブリタニアのエボラクム(現 ヨーク)で死去 。 - 212
年 - カラカラ帝 がロ ーマ帝国 の全 自由 民 にローマ市 民権 を与 える(アントニヌス勅 令 )。 - 214
年 -ロ ーマ帝国 がオスロエネ王国 を滅 ぼし、属 州 オスロエネを設置 する。 - 215
年 - 216
年 - ローマ市内 のカラカラ浴場 が完成 する。 - 217
年 - パルティア遠征 中 のカラカラ帝 がカルラエ(ハッラーン)近郊 で暗殺 され、マクリヌスがローマ皇帝 になる。 - 218
年 - アンティオキアの戦 いでマクリヌス帝 が敗北 。 - 219
年 - 樊城の戦 いで、曹操 ・孫 権 連合 軍 が勝利 し、敗北 した劉 備軍の関 羽 が処刑 される。
220年代
- 220
年 -丞相 で魏 王 の曹操 が死去 。河南 省 安陽 市 の西高 穴 2号 墓 がその墓 とされる。 - 220
年 頃 - 221
年 -劉 備が蜀 (蜀 漢 )を建 てる(- 263年 )。劉 備 による孫 権 への東征 の途上 で張 飛 が横死 する。 - 222
年 孫 権 が夷 陵 の戦 いで蜀 に勝利 し、自立 して呉 を建 てる(- 280年 )。三 国 時代 が始 まる。- ローマ
皇帝 ヘリオガバルスが暗殺 され、従兄弟 のアレクサンデル・セウェルスが皇帝 となる。
- 224
年 - ホルミズド平原 の戦 いでペルシアのアルダシール1世 がパルティアのアルタバノスに勝利 。 - 226
年 - ペルシアのアルダシール1世 が「エーラーンの諸王 の王 (シャーハーン・シャー)」の称号 を名乗 る(サーサーン朝 ペルシアの成立 )。 - 227
年 -蜀 の諸 葛 亮 が「出師 の表 」を奉 り、北 伐 に出陣 。 - 228
年 - アレクサンデル帝 の近衛 長官 で法学 者 でもあったドミティウス・ウルピアヌスが近衛 軍団 の反乱 で暗殺 される。 - 229
年 -大月 氏 王 波 調 (クシャーナ朝 の王 ヴァースデーヴァ)の使者 が魏 の明 帝 を訪 れる。波 調 は「親 魏 大月 氏 王 」に任 じられる。
- 229
年 頃 -呉 の孫 権 のもと交州刺史 呂 岱により朱 応 が扶南に派遣 される(『扶南異物 志 』)。
230年代
- 230
年 - ゾロアスター教 がサーサーン朝 の国教 となる。 - 234
年 -五丈原 の戦 いで蜀 の諸 葛 亮 と魏 の司馬 懿が交戦 。途上 で諸 葛 亮 が陣没 し司馬 懿は軍 を退却 させる。 - 235
年 - アレクサンデル・セウェルスがマインツ(モゴンティアークム)で暗殺 されセウェルス朝 が断絶 。- マクシミヌス・トラクスがローマ
皇帝 となり、軍人 皇帝 時代 始 まる( - 284年 )。 - マクシミヌス・トラクスの
キリスト教徒 迫害 で、ローマ司教 ポンティアヌスとその対立 者 ヒッポリュトスがともに殉教 する。
- マクシミヌス・トラクスがローマ
- 238
年 - 239
年
240年代
- 243
年 -倭 王 が魏 に使者 を送 り、生 ロ・倭 錦 などを献 じる(魏 の正 始 4年 、『三国志 』魏 書 ・小 帝 紀 、同 東夷 伝 )。 - 244
年 - 245
年 -魏 の少 帝 、倭 の大夫 に黄 幢を授 け、帯 方 郡 を通 じて伝授 させることとする(魏 の正 始 六 年 、『三国志 』魏 書 ・東夷 伝 )。 - 247
年 - 248
年 - ローマ
皇帝 ピリップス・アラブスによるローマ建国 一 千 年 祭 が行 われる。 呉 の支配 に対 しベトナムで趙 氏 貞 (趙 嫗 )の反乱 が起 こるが鎮圧 される。
- ローマ
- 248
年 頃 - この頃 、女王 卑弥呼 死 す。その後 、卑弥呼 の宗 女 ・壱 与 (または台 与 )が女王 となる。 - 249
年
250年代
- 250
年 - 250
年 頃 - 251
年 - アブリットゥスの
戦 いで、ローマ皇帝 デキウスがゴート軍 に殺害 される。 王 淩の乱 (寿 春三 叛の一 つ)。
- アブリットゥスの
- 255
年 - 毌丘倹・
文 欽の乱 (寿 春三 叛の一 つ)。
- 毌丘倹・
- 257
年 - 258
年
260年代
- 260
年 - 261
年 - 262
年 - アナトリア半島 西南 部 の大 地震 で、エフェソスが大破 する。 - 263
年 -魏 が蜀 を滅 ぼす(蜀 漢 の滅亡 )。魏 の司馬 昭 が晋 公 となる。 - 263
年 - 276年 -ロ ーマ帝国 の属 州 ガラエキア(現 スペインのガリシア地方 )のルーゴの城壁 が築 かれる。 - 264
年 - 鍾会の乱 。魏 の司馬 昭 が晋 王 となる。 - 265
年 -魏 の元 帝 の禅譲 を受 け、司馬 炎 が西 晋 の初代 皇帝 (武 帝 )となる( - 316年 )。 - 266
年 -倭 の女王 が晋 に使節 を派遣 する(『日本書紀 』の神功 紀 66条 に引 く晋 起居 注 。『晋 書 』武 帝 紀 、西 晋 の泰 始 二 年 )。 - 267
年 - パルミラ王国 の実権 を女王 ゼノビアが掌握 する。 - 268
年 -西 晋 が泰 始 律令 を公布 する。これは体系 的 な統一 法典 としての最初 の律令 。 - 268
年 /269年 - ナイススの戦 いでクラウディウス・ゴティクス帝 がゴート人 に勝利 しバルカン半島 を制圧 。 - 269
年 - ウァレンティアヌス(聖 ヴァレンタイン)がクラウディウス・ゴティクス帝 の迫害 を受 けて刑死 。
270年代
- 270
年 - パルミラのエジプト征服 。 - 271
年 - サーサーン
朝 のシャープール1世 がジュンディーシャープールに医学 教育 のための学院 を設置 。 - ローマ
皇帝 アウレリアヌスが「アウレリアヌスの城壁 」を建設 ( - 275年 )。
- サーサーン
- 273
年 - ローマ皇帝 アウレリアヌスがパルミラ王国 を征服 。 - 274
年 - ローマ皇帝 アウレリアヌス帝 がガリア帝国 を征服 し、ロ ーマ帝国 の再 統一 を達成 。- アウレリアヌス
帝 は凱旋 式 で元老 院 から「帝国 の再建 者 」の称号 を授与 される。 - アウレリアヌス
帝 はローマに「不敗 太陽 神 (ソル・インウィクトゥス)」の神殿 を建立 する。
- アウレリアヌス
- 275
年 - サーサーン朝 遠征 途上 のアウレリアヌス帝 が暗殺 される。 - 276
年 頃 - ペルシアの宗教 家 マニが捕縛 され処刑 されたか。
280年代
- 280
年 -西 晋 が呉 を滅 ぼし中国 を統一 する。晋 の武 帝 が「戸 調 之 式 」を発布 し占 田 ・課 田制 を開始 する。
- 281
年 -戦国 時代 の魏 の襄 王 の陵墓 が盗掘 され、『汲冢書 』と呼 ばれる竹 簡75篇 が発見 される。 - 284
年 - ディオクレティアヌスがローマ
皇帝 に即位 ( - 305年 )。専制 君主 制 (ドミナートゥス)を導入 する。 ロ ーマ帝国 の属 州 ガリアでバガウダエの反乱 が起 こる。
- ディオクレティアヌスがローマ
290年代
300年代
- 300
年 頃 - ローマ皇帝 ディオクレティアヌスにより「カピタティオ・ユガティオ(土地 税 ・人頭 税 )」の再編 がなされる。 - 3
世紀 末
出土 品 の記録
- 238
年 -呉 の「赤 烏 元年 (238)」の紀年 銘 を持 つ画面 帯 神 獣 鏡 出土 する(山梨 県 西 八木 郡 鳥居 原 きつね塚 古墳 )。 - 239
年 - 「景 初 三 年 」の紀年 銘 を持 つ神 獣 鏡 が、大阪 府 和泉 市 の和泉 黄金 塚 古墳 と島根 県 大原 郡 の神原 古墳 から出土 している。 - 240
年 - 「□始 元年 」の紀年 銘 を持 つ三角縁神獣鏡 が、出土 する(群馬 県 高崎 市 の芝崎 古墳 と兵庫 県 豊岡 市 森尾 古墳 )。 - 244
年 - 「□烏 七 年 」の紀年 銘 を持 つ画 文 帯 神 獣 鏡 が、兵庫 県 宝塚 市 の安倉 古墳 から出土 している(呉 の赤 烏 七 年 )。
文化
人物
地中海 世界
- セプティミウス・セウェルス(146
年 - 211年 ) - ローマ皇帝 (在位 193年 - 211年 )・セウェルス朝 の創始 者 - カラカラ(188
年 - 217年 ) - ローマ皇帝 (在位 209年 - 217年 )・アントニヌス勅 令 を発布 ・カラカラ浴場 を建設 - ヘリオガバルス(203
年 - 222年 ) - ローマ皇帝 (在位 218年 - 222年 )・シリアの太陽 神 信仰 をローマに導入 ・虐殺 される - アレクサンデル・セウェルス(208
年 - 235年 ) - ローマ皇帝 (在位 222年 - 235年 )・セウェルス朝 の最後 ・以後 は軍人 皇帝 時代 になる - マクシミヌス・トラクス(173
年 頃 - 238年 ) - ローマ皇帝 (最初 の軍人 皇帝 )(在位 235年 - 238年 )・238年 のローマ内戦 を招来 - ピリップス・アラブス(204
年 頃 - 249年 ) - ローマ皇帝 (軍人 皇帝 )(在位 244年 - 249年 )・ローマ建国 一 千 年 祭 を挙行 - デキウス(201
年 - 251年 ) - ローマ皇帝 (軍人 皇帝 )(在位 249年 - 251年 )・キリスト教 を迫害 ・アブリットゥスの戦 いで戦死 - ウァレリアヌス(200
年 頃 - 260年 以降 ) - ローマ皇帝 (軍人 皇帝 )(在位 253年 - 259年 )・エデッサの戦 いで捕虜 となる - ガッリエヌス(218
年 頃 - 268年 ) - ローマ皇帝 (軍人 皇帝 )(在位 253年 - 268年 )・ガッリエヌス勅 令 で騎士 身分 を登用 - クラウディウス・ゴティクス(213
年 /214年 - 270年 ) - ローマ皇帝 (軍人 皇帝 )(在位 268年 - 270年 )・ゴート人 を制圧 - アウレリアヌス(214
年 - 275年 ) - ローマ皇帝 (軍人 皇帝 )(在位 270年 - 275年 )・ガリア帝国 とパルミラ王国 を滅 ぼしローマを統一 - ポストゥムス(? - 268
年 ) - ガリア帝国 の初代 皇帝 (在位 260年 - 268年 )・皇帝 を僭称 しロ ーマ帝国 からの独立 を図 る - ゼノビア(240
年 頃 - 275年 以降 ) - シリアのパルミラ王国 の女王 ・ロ ーマ帝国 の東部 属 州 に勢力 拡大 するが鎮圧 される - ディオクレティアヌス(244
年 - 311年 ) - ローマ皇帝 (在位 284年 - 305年 )・ドミナートゥスとテトラルキアを導入 し帝国 を再建 する - アフロディシアスのアレクサンドロス(200
年 頃 活動 ) - アテナイで活躍 した逍遥 学派 の哲学 者 ・アリストテレス註解 者 ・『運命 について』他 がある - セレヌス・サンモニクス(? - 212
年 ) - ローマ皇帝 カラカラやゲタの家庭 教師 ・医師 として『デ・メディキナ・プラエケプタ』を執筆 するが死刑 にされる - アレクサンドリアのクレメンス(150
年 ? - 215年 ?) -キリスト教 神学 者 ・アレクサンドリア学派 のギリシア教父 ・オリゲネスの師 - ディオ・カッシウス(155
年 /163年 /164年 - 229年 以降 ) -ロ ーマ帝国 の政治 家 ・元老 院 議員 ・歴史 家 ・『ローマ史 』を執筆 - テルトゥリアヌス(160
年 ? - 220年 ?) -キリスト教 神学 者 ・最初 期 のラテン教父 の一人 ・著作 に『護 教 論 』がある - ヘロディアヌス(170
年 - 240年 ) -ロ ーマ帝国 の官僚 ・歴史 家 としてセウェルス朝 の記録 である『ローマ人 の歴史 』を残 す - ドミティウス・ウルピアヌス(170
年 頃 ? - 228年 ) -ロ ーマ帝国 の法学 者 ・近衛 長官 ・アレクサンデル・セウェルス帝 の側近 だが暗殺 される - ヒッポリュトス(170
年 頃 ? - 235年 ) -対立 教皇 (在位 217年 - 235年 )・神学 者 ・教皇 カリストゥス1世 と対立 ・殉教 し聖人 とされる - サベリウス(3
世紀 初頭 活躍 ) -キリスト教 神学 者 ・神 の唯一 性 を三 位 格 よりも優先 する様態 論 (サベリウス主義 )を唱 える - アンモニオス・サッカス(174
年 頃 - 242年 頃 ) -哲学 者 ・「テオディダクトス」・エジプトで活躍 し弟子 にオリゲネスやプロティノスがいる - アイリアノス(175
年 頃 - 235年 頃 ) -著述 家 ・ギリシア語 で書 かれた逸話 集 『動物 の特性 について』や『ギリシア奇談 集 』が有名 - オリゲネス(182
年 ? - 251年 ) -キリスト教 神学 者 ・アレクサンドリア学派 の代表 ・『ヘクサプラ』『ケルソス駁論 』の著者 ・没後 の公 会議 で異端 とされる - アレクサンドリアのディオファントス(
生 没年 不 詳 ) -数学 者 ・ディオファントス方程式 を含 む『算術 』を残 し「代数 学 の父 」と呼 ばれる - ディオゲネス・ラエルティオス(
生 没年 不 詳 ) -哲学 史家 ・『ギリシャ哲学 者 列伝 』は古代 ギリシア・ローマ哲学 についての貴重 な資料 - エメサのヘリオドロス(
生 没年 不 詳 ) - シリア出身 のギリシア語 著作 家 ・恋愛 小説 『エチオピア物語 』を執筆 する - パリのディオニュシウス(サン・ドニ)(? - 250
年 /258年 )・パリ初代 司教 ・聖人 ・その殉教 した場所 が現在 のモンマルトルとされる - キプリアヌス (3
世紀 初頭 - 258年 ) -キリスト教 神学 者 ・カルタゴ司教 ・ウァレリアヌス帝 時代 に殉教 ・主著 に『カトリック教会 統一 論 』がある - サモサタのパウロス(3
世紀 半 ばに活躍 ) -キリスト教 神学 者 ・アンティオキア主教 ・キリスト養子 論 を唱 え異 端 とされる - ウァレンティヌス(? - 269
年 ) - ローマの司祭 か?クラウディウス・ゴティクス帝 時代 に殉教 ・「バレンタインデー」の起源 となる - プロティノス(205
年 ? - 270年 ) - ネオプラトニズム(新 プラトン主義 )の創始 者 とされる哲学 者 ・主著 は『エンネアデス』 - テュロスのポルピュリオス(234
年 - 305年 ) - ネオプラトニズムの哲学 者 ・プロティノスの弟子 ・主著 は『エイサゴーゲー』 - パノポリスのゾシモス(3
世紀 - 4世紀 ) - エジプトの錬金術 師 ・『真正 なる覚 え書 き』などの著作 の作者 に帰 せられている
ペルシア
- アルダシール1
世 (? - 241年 ?) - サーサーン朝 ペルシア帝国 の初代 皇帝 (在位 226年 - 240年 )・パルティアを滅 ぼす - シャープール1
世 (? - 272年 ?) - サーサーン朝 ペルシア帝国 の皇帝 (在位 241年 - 272年 )・エデッサの戦 いでローマ軍 を破 る - マニ(210
年 - 276年 ) - サーサーン朝 時代 の宗教 家 ・シャープール1世 に重用 されるが後 に殉教 死 ・著作 『シャーブフラガーン』がある - カルティール(3
世紀 ) - サーサーン朝 のゾロアスター教 大 神官 長 ・歴代 皇帝 に仕 え異教 や異端 を迫害 ・マニを刑死 させる
インド
- ナーガールジュナ(
龍 樹 )(150年 頃 - 250年 頃 ) - インドの大乗 仏教 の僧侶 ・中 観 派 の祖 で『中 論 』を執筆 - ヴィシュヌ・シャルマー(3
世紀 前半 ) - インドの文人 ・サンスクリット語 による児童 向 け説話 集 『パンチャタントラ』を編纂 する - ヴァースデーヴァ1
世 (3世紀 前半 ) - クシャーナ朝 の王 ・中国 の魏 に使節 を送 り「親 魏 大月 氏 王 」の称号 を得 る
東 アジア
後 漢
孔 融 (153年 - 208年 ) -後 漢 末 の文人 ・孔子 の子孫 ・「建 安 の七 子 」の一人 曹操 (155年 - 220年 ) -後 漢 末 の豪族 ・三 国 時代 の魏 の基礎 を固 める・赤 壁 の戦 いでは敗北 する- 荀彧(163
年 - 212年 ) -後 漢 末 の政治 家 ・「王佐 の才 」を評価 され曹操 に献策 を行 うが後 に対立 する - 蔡琰(177
年 ? - 249年 ?) -後 漢 末 から魏 の女流 詩人 ・父 は蔡邕・数奇 な運命 を辿 り「胡 笳十 八 拍 」「悲憤 詩 」を残 す 献 帝 (181年 - 234年 ) -後 漢 最後 の皇帝 (在位 189年 - 223年 )・魏 の曹丕に禅譲 する
魏
- 曹丕(187
年 - 226年 ) -三 国 時代 の魏 の初代 皇帝 (文 帝 )(在位 220年 - 226年 )・文芸 評論 『典 論 』の著者 - 鍾繇(151
年 - 230年 ) -後 漢 末 から魏 の政治 家 (太 傅 )・政権 の重鎮 となる・書家 として鍾繇体 を用 い「急 就章」などを残 す 左 慈 (156年 頃 - 289年 頃 ) -後 漢 末 から魏 の方 士 ・『後 漢書 』『神仙 伝 』では曹操 ・曹丕に不思議 な術 で翻弄 したとされる陳 羣(? - 236年 ) -三 国 時代 の魏 の政治 家 ・郷 挙 里 選 に替 わる官吏 登用 法 として九品 中正 法 を建議 - 曹爽(? - 249
年 ) -三 国 時代 の魏 の曹一族 の一人 ・大将軍 ・政敵 であった司馬 懿の正 始 の政変 で殺害 される 何 晏(196年 - 249年 ) -後 漢 末 から三 国 時代 の魏 の政治 家 ・学者 ・王 弼とともに清談 の先駆 者 (正 始 の音 )公孫 淵 (? - 238年 ) -三 国 時代 の遼東 太守 ・遼東 の地 で自立 し燕 王 と称 したが魏 の司馬 懿によって追討 され滅 ぶ司馬 懿(179年 - 251年 ) -後 漢 末 から三 国 時代 の魏 の武将 ・政治 家 ・司馬 一族 を統率 し西 晋 の礎 を築 く- 曹植(192
年 - 232年 ) -後 漢 末 から三 国 時代 の魏 の文人 ・曹操 の子 で曹丕の弟 ・文才 に恵 まれ「洛 神 賦 」などが有名 山 濤(205年 - 283年 ) -三 国 時代 の魏 から西 晋 の官僚 ・竹林 の七 賢 の一人 司馬 師 (208年 - 255年 ) -三 国 時代 の魏 の武将 ・政治 家 ・司馬 懿の長子 で司馬 昭 らの兄 ・正 始 の政変 で曹芳を退位 させる- 阮籍(210
年 - 263年 ) -三 国 時代 の魏 から西 晋 の官僚 ・竹林 の七 賢 の一人 司馬 昭 (211年 - 265年 ) -三 国 時代 の魏 の武将 ・政治 家 ・司馬 師 の弟 ・皇帝 曹髦を殺害 し元 帝 を擁立 ・西 晋 の武 帝 の父 - 嵆康(224
年 - 262年 /263年 ) -三 国 時代 の魏 から西 晋 の官僚 ・竹林 の七 賢 の一人 - 鍾会(225
年 - 264年 ) -三 国 時代 の魏 の武将 ・政治 家 ・蜀 を滅 ぼした功労 者 ・後 に反乱 を起 こし戦死 する 王 弼(226年 - 249年 ) -三 国 時代 の魏 の学者 ・政治 家 ・何 晏とともに清談 の先駆 者 (正 始 の音 )王 戎 (234年 - 305年 ) -三 国 時代 の魏 から西 晋 の官僚 ・竹林 の七 賢 の一人
蜀
劉 備(161年 - 223年 ) -三 国 時代 の蜀 の初代 皇帝 (昭 烈 帝 )(在位 221年 - 223年 )関 羽 (160年 ? - 219年 ) -後 漢 末 の劉 備 に仕 えた武将 ・死後 「関 帝 」と称 され神 とされる張 飛 (? - 221年 ) -後 漢 末 から三 国 時代 の武将 ・劉 備と蜀 に仕 え長坂 の戦 いなどで活躍 諸 葛 亮 (181年 - 234年 ) -三 国 時代 の蜀 の政治 家 ・劉 備 に仕 え軍師 として「天下 三 分 の計 」を起 こす姜 維(202年 - 264年 ) -三 国 時代 の蜀 の武将 ・諸 葛 亮 亡 き後 の蜀 を支 え北 伐 を繰 り返 す・しかし蜀 の滅亡 は防 げず陳 寿 (233年 - 297年 ) -三 国 時代 の蜀 から西 晋 の官僚 ・『三国志 』の著者
呉
孫 権 (182年 - 252年 ) -三 国 時代 の呉 の初代 皇帝 (大帝 )(在位 229年 - 252年 )周 瑜(175年 - 210年 ) -後 漢 末 の武将 ・孫 権 に仕 える・劉 備と結 び赤 壁 の戦 いで曹操 軍 に勝利 する陸 遜 (183年 - 245年 ) -後 漢 から呉 の武将 ・政治 家 ・関 羽 討伐 戦 や夷 陵 の戦 いで活躍 する陸 機 (261年 - 303年 ) -三 国 時代 の呉 から西 晋 の政治 家 ・武将 ・文学 者 として「文 賦 」がある
西 晋
- 賈充(217
年 - 282年 ) -魏 から西 晋 の政治 家 ・武将 ・曹髦の政変 を鎮圧 し西 晋 の建国 の功臣 となる・賈南風 は娘 杜 預 (222年 - 284年 ) -魏 から西 晋 の政治 家 ・武将 ・呉 を亡 ぼし三 国 統一 した時 の功労 者 ・「破竹 の勢 い」の故事 でも有名 張 華 (232年 - 300年 ) -西 晋 の政治 家 ・武 帝 から恵 帝 に仕 え西 晋 を支 えるが八 王 の乱 に巻 き込 まれる・主著 に『博物 誌 』がある司馬 炎 (236年 - 297年 ) -西 晋 の初代 皇帝 (武 帝 )(在位 265年 - 290年 )・司馬 懿は祖父 で司馬 昭 は父 左 思 (252年 - 307年 頃 ) -西 晋 の文学 者 ・代表 作 「三 都 賦 」は「洛陽 の紙価 を高 からしむ」と高 い評価 を受 けた恵 帝 (259年 - 306年 ) -西 晋 の第 2代 皇帝 (在位 290年 - 306年 )・賈后らの容喙 により八 王 の乱 が起 きる- 賈南
風 (257年 - 300年 ) -西 晋 の恵 帝 の皇后 (賈后)・汝 南 王 司馬 亮 らと楊駿を殺害 し八 王 の乱 の始 まりをなす 江 統 (? - 310年 ) -西 晋 の官 人 (太子 洗馬 )・斉 万 年 の反乱 の後 に『徒 戎 論 』で異 民族 をその故郷 に帰 す政策 を奏上 する
日本
架空 のできごと
- 222
年 -魏 の曹操 の息子 である曹植は都 から帰 る途中 、華北 を流 れる洛 水 のほとりで、川 の女神 (洛 神 )に出会 い恋 に落 ちる。女神 の美 しさは比類 なく、二人 の間 に愛 が育 まれるも、人 と神 は結 ばれない定 め、永遠 の愛 を誓 いつつ女神 は天上 に去 っていった(曹植『洛 神 賦 』、この詩 をもとにした顧愷之 の絵画 「洛 神 賦 図 」も有名 )。 - 284
年 - 305年 - ローマ皇帝 ディオクレティアヌスの治世 に、帝国 の軍事 行政 官 であったマルコ・フラミニウス・ルーフスはテーバイの庭園 で出会 った謎 の男 から「不死 の人 の街 」と「不死 の川 」の話 を聞 き、それらを探 すべく旅立 つ(ホルヘ・ルイス・ボルヘス『不死 の人 』)。 - 3
世紀 頃 - オシアンはスコットランド高地 地方 およびアイルランドに居住 した古代 ケルト人 の英雄 フィン(またはフィンガル)の子 で、タラの宮廷 に仕 えた勇者 であったが、彼 の名 を高 めたのはこの時代 を歌 った叙事詩 であった。18世紀 に至 りスコットランドの詩人 マクファーソンが、民間 に伝 わるオシアンの詩 をゲール語 から英訳 した(『フィンガル』『テモラ』を代表 とする一連 のオシアンの叙事詩 はマクファーソンが大幅 に手 を入 れた創作 とされている)。
関連 項目
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