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蛎浦島 - Wikipedia

かき浦島うらしま

長崎ながさきけん五島ごしまなだにあるしま

かき浦島うらしま(かきのうらしま)は、長崎ながさきけん中部ちゅうぶ西彼杵半島にしそのぎはんとう西方せいほうにあるしま全島ぜんとう長崎ながさきけん西海さいかい2005ねん3月31にちまでは西彼杵にしそのきぐん崎戸さきとまち)にぞくする。

かき浦島うらしま
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん 長崎ながさきけん西海さいかい
座標ざひょう 北緯ほくい331ふん20びょう 東経とうけい12934ふん13びょう / 北緯ほくい33.02222 東経とうけい129.57028 / 33.02222; 129.57028
面積めんせき 4.82 km²
海岸かいがんせんちょう 34 km
最高さいこう標高ひょうこう 126 m
蛎浦島の位置(長崎県内)
蛎浦島
かき浦島うらしま
かき浦島うらしま (長崎ながさきけん)
蛎浦島の位置(日本内)
蛎浦島
かき浦島うらしま
かき浦島うらしま (日本にっぽん)
プロジェクト 地形ちけい
テンプレートを表示ひょうじ

西海さいかい崎戸さきと総合そうごう支所ししょきゅう崎戸さきとまち役場やくば)や崎戸さきと中学校ちゅうがっこう崎戸さきと小学校しょうがっこう、さらに定期ていき旅客船りょかくせん発着はっちゃくする崎戸さきとこうもあり、きゅう崎戸さきとまち実質じっしつ的中てきちゅう心地ごこちである。かつての崎戸さきと炭鉱たんこうもこのしまにあった。そのため、たんに「崎戸さきと」とうと西にしとなり崎戸島さきとじまではなくこのしまのことを場合ばあいおおい(ただしかき浦島うらしままちがいではあまりられておらず、このしま崎戸島さきとじまおもわれていることもある)。

西彼杵半島にしそのぎはんとう北部ほくぶ西海さいかい西海さいかいまち西にしにある大島おおしま南西なんせい隣接りんせつする。西にしとなりには崎戸島さきとじまがある。

概要がいよう

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地質ちしつてきには花崗岩かこうがん結晶けっしょう片岩かたいわ基盤きばんとし石炭せきたんそうふくだい三紀みき砂岩さがんつぶてがんどろがんからなる。しま東部とうぶにある阿房あほうだけ(123m)が最高さいこうしょ北西ほくせいがわかって傾斜地けいしゃちをなし、平地ひらちとぼしい。

産業さんぎょう

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かつては江戸えど時代じだい以来いらい沿岸えんがん捕鯨ほげい明治めいじ末期まっきからさかんになった炭鉱たんこうさかえたが、炭鉱たんこう1968ねん昭和しょうわ43ねん)までに閉山へいざんし、捕鯨ほげい衰退すいたいした。

現在げんざい一本釣いっぽんづりや定置網ていちあみ漁業ぎょぎょうしゅ産業さんぎょうとなっている。また、炭鉱たんこう閉山へいざんまえ昭和しょうわ30年代ねんだいより製塩せいえん工場こうじょう立地りっちし、さんされる蒸留じょうりゅうすいしま飲料いんりょうすいとなっている。

交通こうつう

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しまへのアクセス

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  • 大島おおしま西彼せいひ大島おおしま)とは中戸なかと大橋おおはしむすばれ、さらに大島おおしまからは寺島てらしま大橋おおはし大島おおしま大橋おおはし1999ねん開通かいつう)を経由けいゆして西彼杵半島にしそのぎはんとうとつながっており、大島おおしまからさいかい交通こうつう路線ろせんバスが直通ちょくつうしている。また、西方せいほう隣接りんせつする崎戸島さきとじまともはしむすばれている。
  • 崎戸さきと商船しょうせんフェリーおよび高速こうそくせん佐世保させぼこう島西しまにしがわ崎戸さきとこうあいだ就航しゅうこうしている。

島内とうない交通こうつう

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  • さいかい交通こうつう路線ろせんバスが運行うんこうされている。
    • 大島おおしま方面ほうめん-西中にしなか-(東中ひがしなか-)製塩せいえんしょまえ-(浅間あさままち-)かきうら桟橋さんばしまえ-(東山ひがしやま-)崎戸さきと本郷ほんごう-ホテル
  • 炭鉱たんこう操業そうぎょうしていた当時とうじは、石炭せきたんしのための鉄道てつどう専用せんようせんがあった。現在げんざいはいせんあとのこる。

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 42 長崎ながさきけん』1987ねん ISBN 9784040014203