西岡にしおか 瑞穂みずほ(にしおか みずほ、1888年ねん2月がつ25日にち - 1973年ねん12月8日にち)は、日本にっぽんの洋画ようが家か。
高知こうち県けん安芸あき郡ぐん安田やすだ村むら(現げん・安田やすだ町まち)出身しゅっしん。高知こうち県立けんりつ第だい三さん中学校ちゅうがっこう(現げん・高知こうち県立けんりつ安芸あき中学校ちゅうがっこう・高等こうとう学校がっこう)、一いち年間ねんかんの小学校しょうがっこう代用だいよう教員きょういんを経へて、1912年ねん東京とうきょう美術びじゅつ学校がっこう(現げん・東京芸術大学とうきょうげいじゅつだいがく)図画ずが師範しはん科か卒業そつぎょう。鹿児島かごしま県けん内うちの中学校ちゅうがっこう教諭きょうゆを経へて、1913年ねん長野ながの県立けんりつ諏訪すわ中学校ちゅうがっこう(現げん・長野ながの県けん諏訪すわ清陵せいりょう高等こうとう学校がっこう・附属ふぞく中学校ちゅうがっこう)教諭きょうゆ。教おしえ子ごに彫刻ちょうこく家か清水しみず多嘉たか示しめせ、洋画ようが家か高橋たかはし貞一郎ていいちろうがいる。長野ながの県立けんりつ諏訪すわ高等こうとう女学校じょがっこう(現げん・長野ながの県けん諏訪すわ二に葉よう高等こうとう学校がっこう)教諭きょうゆ。1919年ねん長野ながの県立けんりつ野沢のざわ中学校ちゅうがっこう(現げん・長野ながの県けん野沢のざわ北きた高等こうとう学校がっこう)教諭きょうゆ。1920年ねん旅順りょじゅん高等こうとう女学校じょがっこう教諭きょうゆ。1925年ねんフランスへ留学りゅうがく。1928年ねん帰国きこく後ごは、長野ながの県けん諏訪すわ市しを拠点きょてんに活動かつどう。1953年ねん高知こうち県けんに帰郷ききょう。1970年ねん諏訪すわ市しへ戻もどる。1973年ねん諏訪すわ市しにて逝去せいきょ。
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