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読本 - Wikipedia

読本とくほん(よみほん)は、中国ちゅうごく白話はくわ小説しょうせつ影響えいきょうけて江戸えど時代じだい後期こうき流行りゅうこうした伝奇でんきふう小説しょうせつしゅう寛政かんせい改革かいかく以降いこう流行りゅうこうし、文化ぶんか文政ぶんせいころ全盛ぜんせいとなり、明治めいじになっても活字かつじほんとして流布るふがれた。

概要がいよう

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文章ぶんしょう中心ちゅうしんものであるところから読本とくほんばれたといわれてきたが、後期こうき読本とくほん江戸えど読本とくほん)になると、作者さくしゃ下絵したええがいた口絵くちえ挿絵さしえ存在そんざい意義いぎ重要じゅうようになる。史実しじつ取材しゅざいすることがあっても基本きほんてきフィクションであり、勧善懲悪かんぜんちょうあく因果応報いんがおうほう作品さくひん構成こうせい方法ほうほうとして採用さいようしたものであった。娯楽ごらくせいつよいが漢語かんごりばめられ、会話かいわぶん主体しゅたい平易へいい滑稽本こっけいぼん草双紙くさぞうしなどとくら文学ぶんがくせいたかいものと認識にんしきされており、高価こうかであった。印刷いんさつ技術ぎじゅつ稿料こうりょう制度せいどなどいた体制たいせいととのっていたこともあり、かし本屋ほんやつうじて流通りゅうつうしたためおおくの読者どくしゃ獲得かくとくしたが、大衆たいしゅうてき廉価れんか草双紙くさぞうしとは流布るふしたりょうでは比較ひかくにならないほどすくない。18世紀せいき大阪おおさかでは都賀つが庭鐘ていしょう上田うえだ秋成あきなりが、19世紀せいきになると江戸えど曲亭馬琴きょくていばきん山東さんとう京伝きょうでんといった作者さくしゃ活躍かつやくした。

当時とうじ中国ちゅうごく文学ぶんがく白話はくわ小説しょうせつから影響えいきょうけてまれた。古典こてんとはちがどう時代じだい中国ちゅうごくかれた白話はくわ小説しょうせつは、から通事つうじという当時とうじ中国ちゅうごく通訳つうやくのための教科書きょうかしょとして日本にっぽんまれたが、やがてそれらの小説しょうせつ実用じつよう目的もくてきではなくたのしみとしてむものがあらわれ、影響えいきょうけた創作そうさく翻訳ほんやくおこなうものがあらわれた。とく荻生おぎゅう徂徠そらいらに中国語ちゅうごくごおしえたこともある岡嶋おかじま冠山かんざん、さらに岡田おかだ白駒しろこま都賀つが庭鐘ていしょう沢田さわだ一斎いっさいらによって出版しゅっぱんぶつ講義こうぎかたち一般いっぱん俗語ぞくご小説しょうせつひろめられ、読本とくほんまれる環境かんきょうつくられた。

そのため初期しょき読本とくほん古典こてんてき知識ちしき知識ちしきじんそうによってかれた。白話はくわ小説しょうせつからの翻案ほんあんおこなわれ、さらに18世紀せいき後半こうはんにはたんなる翻案ほんあんまらない『雨月物語うげつものがたり』などの代表だいひょうさくかれ前期ぜんき読本とくほんさかえた。

江戸えどでは寛政かんせい改革かいかくによる黄表紙きびょうし洒落本しゃれぼん不振ふしん以後いご浄瑠璃じょうるり歌舞伎かぶきあるいは実録じつろくぶつなどを世界せかい設定せっていり、そこへ白話はくわ小説しょうせつ内外ないがい説話せつわしゅうから伝奇でんきてき要素ようそんでストーリーを構成こうせいした作品さくひんかれはじめた。山東さんとう京伝きょうでん曲亭馬琴きょくていばきん式亭しきてい三馬さんば十返舎一九じっぺんしゃいっくやなぎてい種彦たねひこらがおもな作者さくしゃとしてげられる。とく京伝きょうでん工夫くふうにより、口絵くちえ造本ぞうほん図案ずあんにさまざまに趣向しゅこうらすことが定着ていちゃくし、それにそった造本ぞうほん制作せいさくされつづけた(みず滸伝のほんにあった繍像にならって登場とうじょう人物じんぶつなどをえがいた口絵くちええが形式けいしき京伝きょうでん読本とくほん忠臣ちゅうしんすい滸伝』から定型ていけいとなったとかんがえられている)。このようなかたち江戸えど刊行かんこうされた作品さくひんぐんおも後期こうき読本とくほんしょうされている。三馬さんば京伝きょうでんぼつ文化ぶんか文政ぶんせい年間ねんかんおよび馬琴ばきんが『南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん』を完結かんけつさせた天保てんぽう年間ねんかん以後いご出版しゅっぱん点数てんすうとぼしくなり、まつていきんすい活躍かつやくする以外いがいには、既存きそん読本とくほん作品さくひんごうまきする手法しゅほうおおくの版元はんもと採用さいようされ刊行かんこう巻数かんすうかさねた。

  • 曲亭馬琴きょくていばきん南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん』のごうまき作品さくひん
    • 八犬伝はっけんでんいぬ草紙そうし』 かさてい仙果せんか
    • 仮名かめい八犬伝はっけんでん』 せい為永ためなが春水しゅんすいおおとりしょうあんきんわらわ仮名垣魯文かながきろぶん
  • 曲亭馬琴きょくていばきん椿つばきせつ弓張月ゆみはりづき』のごうまき作品さくひん
    • 弓張月ゆみはりづきはる廼霄さかえ』 らくてい西にし仮名垣魯文かながきろぶん

大阪おおさかでは京伝きょうでん馬琴ばきんらと時期じきおなじくして手塚てづかうさぎがつ暁鐘ぎょうしょうぐりつえていおにたまごらが読本とくほん執筆しっぴつしていた。また、文政ぶんせい年間ねんかんから明治めいじにかけてたけていていおか知足ちそくかんまつあさひによって『神稲くましろすい滸伝』が執筆しっぴつ出版しゅっぱんされており、継続けいぞくされた。どうさく読本とくほん作品さくひんちゅうでは最長さいちょうへんとなっており、読本とくほんごうまき登場とうじょう人物じんぶつえがいた錦絵にしきえでも落合おちあいかおるいくとうもり草子ぞうしごう』(かみがたなおくおさむ)、月岡つきおか芳年よしとしよしいさむみず滸伝』(神洞かんぼらしょう二郎じろう信行のぶゆき木鼠きねずみしょう法師ほうしかいでんなど)などで登場とうじょう人物じんぶつ題材だいざいとしてられている。

明治めいじ時代じだいはいってからも馬琴ばきん評価ひょうかたかく、坪内つぼうち逍遥しょうよう二葉亭四迷ふたばていしめいによって近代きんだい文学ぶんがくてられるまで日本にっぽん文学ぶんがく読本とくほんなど戯作げさく影響えいきょうのがれなかった。

代表だいひょうてき読本とくほん

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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