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豊予海峡 - Wikipedia

豊予海峡ほうよかいきょう

大分おおいたけん大分おおいた関崎せきざき愛媛えひめけん伊方いかたまち佐田岬さだみさきによってはさまれる海峡かいきょう
豊予海峡の位置(日本内)
豊予海峡
豊予海峡ほうよかいきょう (日本にっぽん)

豊予海峡ほうよかいきょう(ほうよかいきょう)は、豊後水道ぶんごすいどう一部いちぶ海峡かいきょうである。

愛媛えひめけん佐田岬さだみさき右側みぎがわ)と大分おおいたけん関崎せきさき左側ひだりがわ)にはさまれる豊予海峡ほうよかいきょう
豊予海峡ほうよかいきょう
手前てまえ関崎せきざき左手ひだりておく佐田さたみさき右手みぎてしま高島たかしま

名称めいしょう

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海峡かいきょう両側りょうがわ位置いちする大分おおいたけんおよ愛媛えひめけんきゅうくにである豊後ぶんごこくおよ伊予いよこくから1ずつって豊予海峡ほうよかいきょうばれる。

速吸瀬戸はやすいせと(はやすいのせと)」ともばれる。

大分おおいたけん大分おおいたきゅう佐賀関さがのせきまち)の関崎せきざき愛媛えひめけん伊方いかたまちきゅう三崎みさきまち)の佐田さたみさきによってはさまれる海峡かいきょうであり、伊予灘いよなだとの境界きょうかいにあたる。豊後水道ぶんごすいどうなか水路すいろもっとせま部分ぶぶんであり、海峡かいきょうはばやく14km、最大さいだい水深すいしんやく195m。

一帯いったいこう漁場ぎょじょうとしてられており、潮流ちょうりゅうはやいことから、れるさかなまりあぶらがのっており、市場いちばでの評価ひょうかたかい。とくに、佐賀関さがのせきこう水揚みずあげされるアジサバは、さかな自体じたい品質ひんしつたかさに、さかないためない一本釣いっぽんづりの漁法ぎょほうめんい、による鮮度せんど保持ほじ厳格げんかく品質ひんしつ管理かんりあいまって「せきあじ」、「かんさば」として全国ぜんこくてき有名ゆうめい高級こうきゅうぎょブランドとなっている。なお、三崎みさきがわ水揚みずあげされたアジやサバは「みさきあじ」(はなあじ)、「みさきさば」とばれ、より安価あんか取引とりひきされる。

また、日本にっぽん最大さいだい断層だんそうである中央ちゅうおう構造こうぞうせんはしる。

古事記こじき』や『日本書紀にほんしょき』においては、神武じんむ天皇てんのう東征とうせい途上とじょうはや吸門とおったときに、くにしん椎根しいねあらわれて航路こうろ案内あんないしたとの記載きさいがあり、このはや吸門が豊予海峡ほうよかいきょうのことであるとかんがえられている。ただし、『日本書紀にほんしょき』では経路けいろ地理ちりてき整合せいごうせいがあるものの、『古事記こじき』では九州きゅうしゅう吉備きびこく高島たかしまみや滞在たいざいしたのちはや吸門をとおったとされており、整合せいごうせいく。佐賀さがせきにはしい根津ねづ彦をまつるしい根津ねづ彦神しゃのこっている。

交通こうつう

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佐賀関さがのせきこう三崎みさきこうあいだに、国道こくどうきゅうよんフェリー国道こくどう197ごう)が運航うんこうされている。

太平洋たいへいようしん国土こくどじく豊予海峡ほうよかいきょうルート

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豊予海峡ほうよかいきょうは、太平洋たいへいようしん国土こくどじくうえ位置いちしており、四国しこく九州きゅうしゅうあいだ連絡れんらくする架橋かきょう海底かいていトンネルなどの交通こうつう豊予海峡ほうよかいきょうルート)の建設けんせつ構想こうそうされている。とく1980年代ねんだいすえごろ中心ちゅうしんとした一時期いちじき愛媛えひめ大分おおいたりょうけんによって豊予海峡ほうよかいきょうトンネル建設けんせつ構想こうそう明示めいじされ、テレビで特別とくべつ番組ばんぐみ放送ほうそうされたことがあった(南海放送なんかいほうそう大分放送おおいたほうそう豊予海峡ほうよかいきょうきゅうよんトンネルへの挑戦ちょうせん~』、1989ねん12月2にち放送ほうそう)。また、海底かいてい地質ちしつ一部いちぶ調査ちょうさされた[1]四国しこく新幹線しんかんせん建設けんせつし、九州きゅうしゅうがわ九州きゅうしゅう横断おうだん新幹線しんかんせん直通ちょくつう運行うんこうする計画けいかくもある。

しかし、日本国にっぽんこく政府せいふりょうけん財政ざいせい事情じじょう海峡かいきょう付近ふきん地質ちしつ構造こうぞう障害しょうがいとなり、この構想こうそう棚上たなあ状態じょうたいとなったままである。広瀬ひろせかつさだ大分おおいた県知事けんちじは、就任しゅうにん直後ちょくご2003ねん4がつ豊予海峡ほうよかいきょうルートの事業じぎょう見直みなおしを明言めいげんし、事実じじつじょう凍結とうけつ表明ひょうめいした。これをけて、愛媛えひめけんがわでも推進すいしん事業じぎょう縮小しゅくしょうされた。

なお、日本にっぽん国内こくない海峡かいきょう比較ひかくすると、青函せいかんトンネル規模きぼのトンネル建設けんせつ必要ひつようであるが、都市としあいだ距離きょり青森あおもり函館はこだてよりもさらにはなれている。

出典しゅってん

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  1. ^ 吉川よしかわめぐみ也、白井しらい慶治けいじ蝦名えびな克彦かつひこ豊予海峡ほうよかいきょうにおける海底かいていトンネル地質ちしつ調査ちょうさ」『応用地質おうようちしつだい21かんだい1ごう日本にっぽん応用地質おうようちしつ学会がっかい、1980ねん、19-28ぺーじdoi:10.5110/jjseg.21.19 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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