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貧乏神 - Wikipedia

貧乏神びんぼうがみ

りついた人間にんげんやその家族かぞく貧乏びんぼうにするかみ

貧乏神びんぼうがみ(びんぼうがみ)は、りついた人間にんげんやその家族かぞく貧乏びんぼうにするかみ日本にっぽん各地かくち昔話むかしばなし随筆ずいひつ落語らくごなどにられる[1]

鳥取とっとりけん境港さかいみなと水木みずきしげるロード設置せっちされている「貧乏神びんぼうがみ」のブロンズぞう

概要がいよう

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基本きほんてきにはうすよごれた老人ろうじん姿すがたで、せこけたからだ顔色かおいろあおざめ、渋団扇しぶうちわってかなしそうな表情ひょうじょうあらわれるが、どんな姿すがたでもなまものきなことにはわりないとされる。いえに憑くさいには、押入おしいれにこのんでくという[1]詩人しじん中村なかむら光行みつゆきによれば、貧乏神びんぼうがみ味噌みそ好物こうぶつで、団扇うちわにしているのはこの味噌みそ芳香ほうこうあおいでたのしむためとされている[2]

かりにもかみなのでたおすことはできないが、はら方法ほうほうはないわけではない。新潟にいがたでは、大晦日おおみそかよる囲炉裏いろりくと、貧乏神びんぼうがみねつがってげていくが、わりにあたたかさをよろこんでふくかみがやってるとされる。囲炉裏いろりにまつわる貧乏神びんぼうがみ俗信ぞくしんおおく、愛媛えひめけん北宇和きたうわぐん津島つしままちげん宇和島うわじま)では囲炉裏いろりをやたらとると貧乏神びんぼうがみるといわれる[3]

貧乏神びんぼうがみという表現ひょうげん自体じたいは、ふるくは室町むろまち時代ときよにまでさかのぼり、応仁おうにんらん荒廃こうはいしたきょう記録きろくとして、「文明ぶんめい13ねん1481ねん)6がつさかい福神ふくじん女房にょうぼうたち入洛にゅうらくし、京都きょうと貧乏神びんぼうがみおとこたちさかいくだった」という風説ふうせつがあり[4]さかいからの福神ふくじん入洛にゅうらくせつには京都きょうと復興ふっこう切望せつぼうする町衆まちしゅうしん投影とうえいされていた[4]。この記録きろくからは貧乏神びんぼうがみおとこしんとして認識にんしきされている。

連歌れんが記述きじゅつれいとしては、荒木田あらきだ守武もりたけの『守武もりたけせんすみなんだい10(天文てんもん9ねん / 1540ねん)にられる[5]

うさぎえん小説しょうせつ

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曲亭馬琴きょくていばきんらによる江戸えど時代じだい奇談きだんしゅううさぎえん小説しょうせつ』により「きゅうおに(きゅうき)」

文政ぶんせい4ねん1821ねん)、江戸えどばんまち年中ねんじゅうわざわつづきのいえがあり、その武家ぶけつかえるおとこがあるときに用事ようじ草加そうかかけ、1人ひとりそうった。おとこそうに、どこからたのかとたずねると、いままでおとこつかえていた屋敷やしきにいたとのことだった。おとこはそのそう屋敷やしきたことがないとげると、そうわらいながら「あのいえには病人びょうにん続出ぞくしゅつしているが、すべて貧乏神びんぼうがみであるわたし仕業しわざだ。あのいえ貧窮ひんきゅうきわまった状態じょうたいなので、ほかのいえく。今後こんご、あなたの主人しゅじんうんうえく」とって姿すがたした。その言葉ことばどおり、そのおとこつかえるいえ次第しだいうんいてきたという[6]

たんうみ

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津村つむら淙庵随筆ずいひつたんうみ

むかしあるものいえ昼寝ひるねしていると、ぼろぼろのふく老人ろうじん座敷ざしきはいってゆめて、それ以来いらいなにをやってもうまくいかなくなった。4ねんゆめなかにあの老人ろうじんあらわれ、いえることをげ、貧乏神びんぼうがみおく儀式ぎしきとして「すこしのめし味噌みそつくり、おしき(うすいた四方しほうげてえんにしたかくぼん)にせ、裏口うらぐちからかわながす」、今後こんご貧乏神びんぼうがみまねかないための手段しゅだんとして「貧乏神びんぼうがみ味噌みそきなので、けっして味噌みそつくらない。またなま味噌みそべるのはさらにくないことで、べると味噌みそくためのすらやせなくなる」とおしえた。そのとおりにして以来いらいいえ窮迫きゅうはくすることがなくなったという[7]

日本にっぽん永代えいたいぞう

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井原いはら西鶴さいかく日本にっぽん永代えいたいぞう』より「いのしるしかみ折敷おしき

きらわれしゃ貧乏神びんぼうがみまつったおとこが、七草ななくさよる亭主ていしゅ枕元まくらもとにゆるぎ貧乏神びんぼうがみから「おぜんまえすわってべたのははじめてだ」とだい感激かんげきされて、そのおれい金持かねもちにしてもらったというはなしである。また、かつて江戸えど小石川こいしかわで、年中ねんじゅう貧乏びんぼうぐらしをしていた旗本はたもと年越としこしの、これまでずっと貧乏びんぼうだったがとくわるいこともかったのは貧乏神びんぼうがみ加護かごによるものだとし、さけべいなどをそなえて貧乏神びんぼうがみまつり、多少たしょう貧窮ひんきゅうまぬかれてぶくけてもらうようったところ、多少たしょうはその利益りえきがあったという[1]

信仰しんこう

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太田おおた神社じんじゃ東京とうきょう文京ぶんきょう春日しゅんじつ 北野きたの神社じんじゃ
 
佐世保させぼえきにある「貧乏びんぼうぞう」(土居どい孝幸たかゆきによる桃太郎ももたろうシリーズの貧乏神びんぼうがみ

前述ぜんじゅつの『日本にっぽん永代えいたいぞう』の貧乏神びんぼうがみ貧乏びんぼうぶくてんじるかみとされ、現在げんざいでは東京とうきょう文京ぶんきょう春日しゅんじつうし天神北てんじんきた野神のがみしゃわきに「太田おおた神社じんじゃ」としてほこらまつられている、ほこら願掛がんかけをして貧乏神びんぼうがみ一旦いったんいえまねきいれ、満願まんがんの21にち丁寧ていねいまつっておくすと、貧乏神びんぼうがみえんれるといわれている[8][9]

東京とうきょう台東たいとうみょう泉寺いずみでらにも貧乏神びんぼうがみ石像せきぞうモチーフハドソンのゲーム『桃太郎ももたろうシリーズ』[ちゅう 1]登場とうじょうする貧乏神びんぼうがみ[ちゅう 2])がまつられている[10]。この石像せきぞう景気けいき回復かいふくねがいから貧乏神びんぼうがみあたまうえさるる「貧乏びんぼうる(さるぞう」とづけられている。このぞう香川かがわけん高松たかまつ鬼無きなしえき長崎ながさきけん佐世保させぼ佐世保させぼえき銚子ちょうし電気でんき鉄道てつどうなかまちえきにも設置せっちされている。また銚子ちょうし電気でんき鉄道てつどうには、笠上かさがみ黒生くろはいえきに「貧乏びんぼうり(とり)」としてあたまキジったぞうが、犬吠いぬぼええきに「貧乏びんぼうぬ(いぬ)」としてあたまいぬったぞうが、さるときおなじくして設置せっちされた[11]

貧乏神びんぼうがみ味噌みそこのむというせつ関連かんれんし、大阪おおさか船場ふなばには明治めいじ10ねんごろまで貧乏神びんぼうがみおくりの行事ぎょうじがあった。毎月まいつきまつ船場ふなば商人しょうにんいえ味噌みそき、それをさらじょうにしたものを番頭ばんがしらって家々いえいえまわり、こうばしいにおいがあちこちにちる。頃合ころあい見計みはからい、その味噌みそふたつにる。こうすることで、好物こうぶつ味噌みそにおいにさそわれていえからてきた貧乏神びんぼうがみ味噌みそなかめられるといい、番頭ばんがしらはそのまま味噌みそかわながし、さらに自分じぶん貧乏神びんぼうがみまねかないように味噌みそにおいをしっかりととしてからかえったという[2]

ことわざの「かき団扇うちわ貧乏神びんぼうがみがつく」は、渋団扇しぶうちわ貧乏神びんぼうがみが憑くという俗信ぞくしんからきている[12]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 桃太郎ももたろう伝説でんせつ』シリーズ・『桃太郎ももたろう電鉄でんてつ』シリーズなど
  2. ^ いずれも土居どい孝幸たかゆきによるキャラクターデザインのもの。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 村上むらかみ健司けんじ編著へんちょ妖怪ようかい事典じてん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2000ねん、292-293ぺーじISBN 978-4-620-31428-0 
  2. ^ a b 千葉ちば幹夫みきお妖怪ようかい雑学ざつがく事典じてん講談社こうだんしゃ、1991ねん、216-217ぺーじISBN 978-4-06-205172-9 
  3. ^ 桜井さくらい徳太郎とくたろう へん民間みんかん信仰しんこう辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1980ねん、252ぺーじISBN 978-4-490-10137-9 
  4. ^ a b 上田うえだただしあきら古代こだいからの視点してんPHP研究所けんきゅうじょ、1978ねん、43ぺーじ全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:78030878 
  5. ^ 精選せいせんばん日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん』「貧乏神びんぼうがみ」のぺーじ
  6. ^ 曲亭馬琴きょくていばきんほか ちょうさぎえん小説しょうせつ」、柴田宵曲しばたしょうきょく へん随筆ずいひつ辞典じてんだい4かん東京とうきょうどう、1961ねん、137-139ぺーじ 
  7. ^ 津村つむら淙庵たんうみ」『随筆ずいひつ辞典じてんだい4かん、374-375ぺーじ 
  8. ^ 村上むらかみ健司けんじ日本にっぽん妖怪ようかい散歩さんぽ角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ〉、2008ねん、33ぺーじISBN 978-4-04-391001-4 
  9. ^ 太田おおた神社じんじゃ”. うし天神てんじん北野きたの神社じんじゃ公式こうしきサイト (2000ねん). 2009ねん11月15にち閲覧えつらん
  10. ^ リンクさきから画像がぞう閲覧えつらんできる。
  11. ^ ASCII.jp:ハドソン、銚子ちょうし電鉄でんてつ3えきに“ももてつ”キャラクター石像せきぞう設置せっち
  12. ^ 鈴木すずき棠三 広田ひろた栄太郎えいたろう へん故事こじことわざ辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1968ねん初版しょはん1956ねん)、187ぺーじ

関連かんれん項目こうもく

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