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金貨 - Wikipedia

金貨きんか(きんか)とは、きむ素材そざいとしてつくられた貨幣かへい

特徴とくちょう

編集へんしゅう
 
近代きんだい貨幣かへい制度せいど確立かくりつしたフローリン金貨きんか
 
金本位きんほんいせい確立かくりつしたイギリス1817ねんめいのソブリン金貨きんか
 
しん貨条れいにより登場とうじょうした本位ほんい金貨きんか
明治めいじ6ねんめいじ5えん金貨きんか

きむは、

  • うつくしい黄色おうしょく光沢こうたくはなち、見栄みばえがいいこと
  • 希少きしょうせいがあり偽造ぎぞうむずかしいこと
  • やわらかく加工かこうしやすいこと
  • 化学かがくてききわめて安定あんていしており、日常にちじょうてき環境かんきょうではびたり腐食ふしょくしたりしないこと

などの理由りゆうで、古来こらい世界せかい各地かくち貨幣かへい材料ざいりょうとして使用しようされてきた。たとえば古代こだいローマソリドゥス金貨きんかなどである。

ただし、純金じゅんきん (24K) は、流通りゅうつう前提ぜんていとした硬貨こうかとして使用しようするにはやわらかすぎるため、通常つうじょうは、ぎんどうなどのほか金属きんぞくとの合金ごうきんもちいられる(強度きょうどげるために混入こんにゅうされるこれらのべつ金属きんぞくを「わりきん」とぶ)。古代こだい社会しゃかいにおいては、エレクトラムわれる、きむぎん白金はっきんなどの自然しぜん合金ごうきんもちいられた。近代きんだい社会しゃかいでは、日本にっぽんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくはじめ、一般いっぱんてきには90%かねと10%のぎんまたはどう合金ごうきんもちいられた。イギリスでは、22カラットかね91.67%)の標準ひょうじゅんきんばれる合金ごうきんソブリン金貨きんかが、1817ねんから本位ほんい金貨きんかとして鋳造ちゅうぞうされた。また、流通りゅうつう目的もくてきとしない近年きんねん地金じがねがた金貨きんか収集しゅうしゅうがた金貨きんかには純金じゅんきんせいのものも存在そんざいする。

日本にっぽんでは、江戸えど時代じだい発行はっこうされた大判おおばんりょうばん小判こばん二分にぶんきんいちふんきんしゅきんいちしゅきんといった金貨きんかかねぎん合金ごうきん製造せいぞうされ(きむ含有がんゆうりょう様々さまざま)、明治めいじ時代じだいから昭和しょうわ戦前せんぜんまでにかけて発行はっこうされた本位ほんい金貨きんか日本にっぽん金貨きんか参照さんしょう)はかね90%・どう10%の品位ひんい製造せいぞうされ、戦後せんご記念きねん金貨きんか日本にっぽん記念きねん貨幣かへい参照さんしょう)は純金じゅんきん製造せいぞうされている。

世界せかいでかつて発行はっこうされた金貨きんか金品きんぴんはさまざまであるが、なかには金品きんぴんが50%を下回したまわるものも存在そんざいする。日本にっぽん江戸えど時代じだい発行はっこうされた万延まんえんふんきん明治めいじ二分にぶんきん天保てんぽうしゅきん万延まんえんしゅきん文政ぶんせいいちしゅきんなど、とく金品きんぴんひくく、かねよりもぎんほう含有がんゆうりつたかいものは、現代げんだい海外かいがい貨幣かへい市場いちばでは銀貨ぎんかあつかいとされることもおおい。

古代こだいローマ(前期ぜんき
古代こだいローマでは皇帝こうていアウグストゥスが、金貨きんか1種類しゅるい (アウレウス)、銀貨ぎんか1種類しゅるい(デナリウス)、銅貨どうか5種類しゅるい(セステルティウス、デュポンティウス、アス、セミス、クアドラートゥス)を導入どうにゅうした[1]。アウグストゥスのかくぜに貨の価値かち体系たいけい固定こてい比率ひりつで3世紀せいきまで継続けいぞくしたが、215ねん皇帝こうていカラカラ量目りょうめが1デナリウスの1.5ばいしかない2デナリウスを導入どうにゅうするなど、金貨きんか銀貨ぎんかの貶質がかえされこの制度せいど崩壊ほうかいさせた[1]金貨きんかアウレウスの価値かち低下ていかし、皇帝こうていガッリエヌス時代じだいにはいろうすくなりえん均整きんせい品位ひんい本来ほんらいの96.98%から60%程度ていどまで貶質して、金貨きんか銀貨ぎんか関係かんけい破綻はたんした[1]
金銀きんぎん複本位ふくほんいせい回復かいふくのためあらたなぜに貨の導入どうにゅうなどがこころみられ、皇帝こうていアウレリアヌスあらたな金貨きんか発行はっこうした[1]。さらにディオクレティアヌス包括ほうかつてき貨幣かへい制度せいど改革かいかくおこない、金貨きんか銀貨ぎんかくわえて3種類しゅるい銅貨どうか導入どうにゅうしたが、インフレ圧力あつりょくつよまってかね価格かかくおおきく変動へんどうした[1]
310ねんごろコンスタンティヌス1せいはソリドゥス金貨きんかとこれによる貨幣かへい基準きじゅんマ帝国まていこく西部せいぶ導入どうにゅうし、324ねんにクリュソポリスのたたかいで勝利しょうりすると、マ帝国まていこく全域ぜんいきあらたな貨幣かへい制度せいど導入どうにゅうすることに成功せいこうした[1]。ソリドゥス金貨きんかはディオクレティアヌスの貨幣かへい外見がいけんでありながら量目りょうめかるくなっていたが、ローマぐん上層じょうそう将校しょうこうかねでの支払しはらいをするようになるなどかね流通りゅうつう促進そくしんさせた[1]。4世紀せいきなかばには莫大ばくだい規模きぼ金貨きんか製造せいぞうされるようになったが、バルカン半島ばるかんはんとうでの金鉱きんこう発見はっけんなども金貨きんか製造せいぞう増加ぞうか要因よういんになった[1]
古代こだいローマ(後期こうき
帝政ていせい後期こうきにはソリドゥス金貨きんか、その半分はんぶん量目りょうめとセミスと3ぶんの1の量目りょうめのトレミッシスの3種類しゅるい金貨きんか発行はっこうされた[1]マ帝国まていこく西部せいぶではソリドゥスとトレミッシスの2種類しゅるい金貨きんかおお流通りゅうつうしておりゲルマンしょ部族ぶぞくにもおおきな影響えいきょうあたえた[1]古代こだいローマでは特別とくべつ贈与ぞうよのための倍数ばいすうソリドゥス貨がみやつこされ、大型おおがた貨幣かへい(メダリオン)としてゲルマンじん贈呈ぞうていされ、それらは装飾そうしょくひん加工かこうされることもあった[1]
ウァレンティニアヌス1せいウァレンス治世ちせいには、徴税ちょうぜいおさめられたかね品位ひんいにばらつきがており、徴税ちょうぜいじんによるすりえなどでどうにメッキをほどこしたにせ貨が流通りゅうつうするなど改革かいかく必要ひつようになった[1]。そのため徴税ちょうぜいされたかねかしてかたまりとして皇帝こうていのもとにとどけられ、皇帝こうてい居所きょしょ金貨きんか製造せいぞうされるようになり、地方ちほうぜに製造せいぞうしょ激減げきげんしたが、この改革かいかくかね品位ひんいは98-99%までたかめられた[1]

中世ちゅうせい

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マ帝国まていこく後期こうきには高額こうがく取引とりひきには金貨きんか銀貨ぎんか低額ていがく取引とりひきには銅貨どうか使用しようされており、日常にちじょう使用しようされるぜに貨は銅貨どうか大量たいりょう流通りゅうつうしていたが、600ねんごろには銅貨どうか実質じっしつてき消滅しょうめつした[1]。ビザンツ帝国ていこく支配しはいのイタリアやきたアフリカをのぞいて、スペイン、ガリア、ブリテンなどではローマの銅貨どうかさい利用りようされるにぎなくなったが、低額ていがく通貨つうか発行はっこうされなくなったのは経済けいざい生活せいかつ単純たんじゅんしたためといわれている[1]

一方いっぽう金貨きんか国家こっか収入しゅうにゅうぐんたいする支出ししゅつ中心ちゅうしんとされ、西欧せいおうでも発行はっこうつづけられており、6世紀せいきごろにはトレミッシス貨が西欧せいおうでは支配しはいてきぜに貨であった[1]アングロ・サクソンじんはメロヴィングあさフランク王国おうこく)の貨幣かへいにならって600年代ねんだい金貨きんか製造せいぞうするようになったが、7世紀せいき後半こうはんにはイングランドなどで金貨きんかいちじるしい貶質があり、ぎんによるペニー銀貨ぎんか支配しはいてきぜに貨になっていった[1]

中世ちゅうせい西欧せいおうでは、ながらく銀本位ぎんほんいせい銀貨ぎんか鋳造ちゅうぞうされていたので金貨きんか鋳造ちゅうぞうされず、東方とうほうとの貿易ぼうえきなどでられるひがしマ帝国まていこく(ビザンツ)のノミスマ金貨きんかビザント)やイスラムけんディナール金貨きんか使用しようされるのみだった。

9世紀せいきから12世紀せいきにかけてヨーロッパ各地かくち銀貨ぎんか製造せいぞうがおこなわれていたが、みなみイタリアはひがし地中海ちちゅうかいのイスラム世界せかいつよむすびついており金貨きんか製造せいぞうされていた[1]。ローマの貨幣かへい製造せいぞうしょは8世紀せいきごろにはユスティニアヌス1せいによるローマさい支配しはい以来いらいつづけていた皇帝こうてい貨などの製造せいぞうをやめ、教皇きょうこう貨の製造せいぞうはじめたとされるが、これが商業しょうぎょうじょうおおきな意味いみっていたかはわかっていない[1]一方いっぽう、フィレンツェ(フィレンツェ共和きょうわこく)ではトスカーナ地方ちほうおおくの都市としとはことなり、伝統でんとうてき教皇きょうこうで、商人しょうにんがローマ教皇きょうこう銀行ぎんこう業務ぎょうむ参入さんにゅうしており、フリードリヒ2せい死後しご1252ねん11月にフローリン金貨きんか(フィオリーノ金貨きんか)を導入どうにゅうすることで自治じちけん主張しゅちょうするようになり、この金貨きんかはヨーロッパ全土ぜんどひろまって計算けいさん貨幣かへい基礎きそになった[1]。そのジェノヴァ共和きょうわこくでジェノヴァ金貨きんかGenovino)、ヴェネツィア共和きょうわこく1284ねんゼッキーノ金貨きんか(ドゥカートまたはダカット:Ducat)とばれる金貨きんか鋳造ちゅうぞうされた。かねがイタリア北部ほくぶ流入りゅうにゅうし、ぎんがイタリア南部なんぶ流入りゅうにゅうしたことで、北部ほくぶのフィレンツェ、ジェノヴァ、ヴェネツィアでは金貨きんか製造せいぞうされるようになったが、イタリア南部なんぶふくひがし地中海ちちゅうかい世界せかいではぎん中心ちゅうしんとする経済けいざい移行いこうした[1]

フローリン金貨きんかとゼッキーノ金貨きんかの2つの金貨きんか優劣ゆうれつきそった。これらの金貨きんかはともに品位ひんいは.875で、56グレーン(54トロイグレーン)の量目りょうめゆうしていた。

ドゥカート金貨きんかはその現在げんざいいたるまで発行はっこうつづけられ(もちろん現在げんざい収集しゅうしゅうようであるが)、近代きんだいになってからは、より純度じゅんどたかい.986という品位ひんい鋳造ちゅうぞうされている。

13世紀せいき中葉ちゅうようには大型おおがた銀貨ぎんか流通りゅうつうするようになり、どう時期じきわすられていた金貨きんか製造せいぞう技術ぎじゅつがアラビア世界せかいからヨーロッパにもたらされた[1]

きん現代げんだい

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金貨きんか世界せかいてき流通りゅうつうは、やがて「金製きんせい貨幣かへい」としての貨幣かへい価値かちにとどまらず、きむという物質ぶっしつそのものと経済けいざい連動れんどうさせる金本位きんほんいせい発展はってんした。この金本位きんほんいせい1816ねんにイギリスで世界せかい最初さいしょ確立かくりつされた。

ぜん世界せかい金本位きんほんいせいくずれた現在げんざいでは、法定ほうてい平価へいか相当そうとうする額面がくめん価値かちぶんかね含有がんゆうした本位ほんい金貨きんかのみならず、通貨つうかとしての一般いっぱん流通りゅうつう目的もくてきとした金貨きんか世界せかいのどこのくにでも発行はっこうされていない。

分類ぶんるい

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現在げんざい発行はっこうされている金貨きんかは、以下いかのいずれかに分類ぶんるいされる[2]

通貨つうかがた金貨きんか
金融きんゆう機関きかんにおいて額面がくめん両替りょうがえにより発売はつばいされる。額面がくめん金地きんじきん価格かかくよりたか設定せっていされ、補助ほじょ貨幣かへいてき性格せいかくゆうする。日本にっぽんでは10まんえん記念きねん金貨きんか天皇陛下てんのうへいか在位ざいい60ねん記念きねん10まんえん金貨きんか)がこの形式けいしき発売はつばいされたが、世界せかいてきにはほとんどれいない。
地金じがねがた金貨きんか
含有がんゆうする金地きんじきん市場いちば価格かかく若干じゃっかんプレミアムをつけて発売はつばいされ、市場いちば価格かかく連動れんどうして時価じか取引とりひきされる。額面がくめん金地きんじきん価格かかくよりひく設定せっていされる。みなみアフリカカナダ中国ちゅうごくおよびアメリカなど主要しゅよう産金さんきんこく中心ちゅうしん発売はつばいされている。
収集しゅうしゅうがた金貨きんか
金地きんじきん価格かかくおよび額面がくめんえる固定こてい価格かかく発売はつばいされる。額面がくめん金地きんじきん価格かかくよりひく設定せっていされる場合ばあいおおい。市場いちばにおける取引とりひき価格かかく収集しゅうしゅういえ、あるいは貨幣かへいしょうあいだ市場いちば価格かかくによりまる。オリンピック大会たいかいなど国家こっかてき行事ぎょうじ記念きねんして発売はつばいされることがおおい。

著名ちょめい金貨きんか

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一般いっぱん流通りゅうつうしている金貨きんか

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過去かこ流通りゅうつうしていた金貨きんか

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各国かっこく金貨きんか

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参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 内川うちかわ勇太ゆうた, 菊池きくち雄太ゆうた, 鶴島つるしま博和ひろかず, ポペスクエイドリアン, ネイスミスローリー, デイウィリアム, デンツェルマルクス「ぜん近代きんだい西にしユーラシア貨幣かへい研究けんきゅうかいだい1かいシンポジウム : 中世ちゅうせい貨幣かへい世界せかい : ぜに貨、ぜに製造せいぞうぜに製造せいぞうじん (国際こくさいシンポジウム)」『立教りっきょう經濟けいざいがく研究けんきゅうだい71かんだい4ごう、2018ねん3がつ、143-191ぺーじdoi:10.14992/00015844NAID 120006465388 
  2. ^ 日本にっぽん貨幣かへい収集しゅうしゅう事典じてん原点げんてんしゃ、2003ねんISBN 4990202015NCID BA6277077X全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:20608823https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004181745-00 

関連かんれん項目こうもく

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