Alto (アルト )は、後 のち にデスクトップ・メタファー を使用 しよう し、グラフィカルユーザインタフェース (GUI) をベースにしたオペレーティングシステム (OS) をサポートするように設計 せっけい された最初 さいしょ のコンピュータ である[7] [8] 。最初 さいしょ のマシンは1973年 ねん 3月 がつ 1日 にち に動 うご き始 はじ めた[9] 。Apple が大 だい 規模 きぼ 市場 いちば 向 む けGUI搭載 とうさい パソコン「Macintosh 」を発表 はっぴょう する10年 ねん 以上 いじょう 前 まえ のことである。
Altoは比較的 ひかくてき 小 ちい さなキャビネットに収 おさ められ、複数 ふくすう の小規模 しょうきぼ ・中規模 ちゅうきぼ 集積 しゅうせき 回路 かいろ から作 つく られたカスタム中央 ちゅうおう 処理 しょり 装置 そうち (CPU) を使用 しよう している。10年 ねん - 15年 ねん 後 ご の「パーソナルコンピュータ 」の一般 いっぱん 的 てき な性能 せいのう を想定 そうてい して設計 せっけい されたため、マシン1台 だい 当 あ たりのコストは高級 こうきゅう 車 しゃ の販売 はんばい 価格 かかく に達 たっ した。当初 とうしょ は少数 しょうすう しか製造 せいぞう されなかったが、1970年代 ねんだい 後半 こうはん までに、ゼロックス の様々 さまざま な研究所 けんきゅうじょ で約 やく 1,000台 だい 、いくつかの大学 だいがく では約 やく 500台 だい が使用 しよう されていた。製品 せいひん 化 か 計画 けいかく もあったが、社内 しゃない での駆 か け引 ひ きに敗 やぶ れ一旦 いったん は破棄 はき された。しかし1977年 ねん 11月の社内 しゃない 向 む けカンファレンス「フューチャーズ・デイ」での成功 せいこう をうけてゼロックス 本社 ほんしゃ 上層 じょうそう 部 ぶ の興味 きょうみ を引 ひ き、1970年代 ねんだい 終盤 しゅうばん にはホワイトハウス など限 かぎ られた顧客 こきゃく にも販売 はんばい されるなどして[10] 、総 そう 生産 せいさん 台数 だいすう は試作 しさく 機 き としては異例 いれい の約 やく 2,000台 だい に達 たっ した。
Altoはシリコンバレー でよく知 し られるようになり、そのGUIはコンピューティングの未来 みらい とみなされるようになった。1979年 ねん 、スティーブ・ジョブズ (Steve Jobs) とビル・ゲイツ (Bill Gates)はパロアルト研究所 けんきゅうじょ (PARC) への訪問 ほうもん を手配 てはい した。Apple Computer(現 げん :Apple)は従業 じゅうぎょう 員 いん がゼロックスの技術 ぎじゅつ のデモンストレーションを受 う ける代 か わりに、ゼロックスがAppleのストックオプションを購入 こうにゅう できるようにした[11] 。2人 ふたり は別 べつ の日時 にちじ に複 ふく 数 すう 回 かい に渡 わた ってAltoを見学 けんがく した後 のち 、AppleとMicrosoftの技術 ぎじゅつ 者 しゃ たちは、そのコンセプトを利用 りよう して、Apple Lisa 、Macintosh とWindowsを開発 かいはつ ・発表 はっぴょう した。またXerox社 しゃ は2人 ふたり に1ダース以上 いじょう のAltoを提供 ていきょう した。
ゼロックスは最終 さいしゅう 的 てき に、Altoで培 つちか われたハードウエア技術 ぎじゅつ を転用 てんよう し、PARCとは別 べつ の部署 ぶしょ で秘密裏 ひみつり に開発 かいはつ を進 すす めていたOSを搭載 とうさい したGUI搭載 とうさい ワークステーション「Xerox Star」を商品 しょうひん 化 か し、1981年 ねん に最初 さいしょ に販売 はんばい した。完全 かんぜん なオフィスシステムは、数 すう 台 だい のワークステーション、ストレージ、レーザープリンター を含 ふく み10万 まん ドルもしたため、同 おな じく高 こう 価格 かかく 路線 ろせん で商業 しょうぎょう 的 てき に失敗 しっぱい したApple ComputerのLisaと同様 どうよう に、Starは市場 いちば に直接的 ちょくせつてき な影響 えいきょう を与 あた えることはほとんどなかった。
Alto 3ボタンマウス
下面 かめん から見 み たAltoのボール型 がた マウス
オプションの5キー・コードキーボード
Altoは、SRIインターナショナル (SRI) のダグラス・エンゲルバート (Douglas Engelbart) とダスティン・リンドバーグ (Dustin Lindberg) によって開発 かいはつ された oN-Line System (NLS) に触発 しょくはつ されて、1972年 ねん にバトラー・ランプソン (Butler Lampson) が書 か いたメモの中 なか で考案 こうあん された。設計 せっけい は主 おも にチャールズ・P・サッカー (Charles P. Thacker) が担当 たんとう した。工業 こうぎょう デザインと製造 せいぞう はゼロックスに委託 いたく され、そのスペシャルプログラムグループのチームには、プログラムマネージャーとしてダグ・スチュワート (Doug Stewart)、アビー・シルバーストーン・オペレーションズ (Abbey Silverstone Operations)、工業 こうぎょう デザイナーのボブ・ニシムラ (Bob Nishimura) が含 ふく まれていた。最初 さいしょ の30台 だい はゼロックスエルセグンド(スペシャルプログラムグループ)によって製造 せいぞう され、PARCのジョン・エレンビー (John Ellenby)、エルセグンドのダグ・スチュワート(Doug Stewart)、アビー・シルバーストーン (Abbey Silverstone ) とともに、Altoのエレクトロニクスの再 さい 設計 せっけい を担当 たんとう した。パイロット運転 うんてん の成功 せいこう により、チームはその後 ご 10年間 ねんかん で約 やく 2,000台 だい を生産 せいさん した[12] 。
Xerox Altoのシャーシは現在 げんざい 、カリフォルニア州 しゅう マウンテンビュー のコンピュータ歴史 れきし 博物館 はくぶつかん に数 すう 台 だい 、ジョージア州 しゅう ロズウェル のコンピュータ博物館 はくぶつかん に1台 だい が展示 てんじ されており、個人 こじん の手 て に渡 わた ったものもある。ランニングシステムは、ワシントン州 しゅう シアトル のリビングコンピュータ博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) に展示 てんじ されている。Charles P. Thacker は、Alto の先駆 せんく 的 てき な設計 せっけい と実現 じつげん により、2010年 ねん 3月 がつ 9日 にち に Association for Computing Machinery の 2009 チューリング賞 しょう を受賞 じゅしょう した[13] 。2004年 ねん のチャールズ・スターク・ドレイパー賞 しょう は、Altoに関 かん する研究 けんきゅう に対 たい してThacker、アラン・ケイ (Alan C. Kay)、Butler Lampson、ロバート・テイラー (Robert W. Taylor) に授与 じゅよ された[14] 。
2014年 ねん 10月 がつ 21日 にち 、Xerox Altoのソースコード やその他 た のリソースがコンピュータ歴史 れきし 博物館 はくぶつかん から公開 こうかい された[15] 。
以下 いか の記述 きじゅつ は、主 おも にゼロックスPARCの1976年 ねん 8月 がつ 発行 はっこう のAlto Hardware Manual[16] に基 もと づいている。
Altoはマイクロコード 化 か されたデザインを使用 しよう しているが、多 おお くのコンピュータとは異 こと なり、層状 そうじょう 化 か デザイン上 じょう でマイクロコードエンジンはプログラマ から隠蔽 いんぺい されなかった。ピンボールなどのアプリケーションは、これを利用 りよう してパフォーマンスを高速 こうそく 化 か している。Altoは、Texas Instruments 74181 チップをベースにしたビットスライス 算術 さんじゅつ 演算 えんざん 論理 ろんり ユニット (ALU) を搭載 とうさい し、書 か き込 こ み可能 かのう なコントロールストア 拡張 かくちょう 機能 きのう を備 そな えたROMコントロールストアを備 そな え、16ビットワードで構成 こうせい された128 kB (512 kBに拡張 かくちょう 可能 かのう ) のメインメモリ で構成 こうせい されている。大 だい 容量 ようりょう 記憶 きおく 装置 そうち は、IBM 2310 で使用 しよう されていたものと同様 どうよう の着脱 ちゃくだつ 可能 かのう な2.5MBのワンプラッタカートリッジ(後 のち にゼロックスが買収 ばいしゅう したDiablo Systems 社 しゃ )を使用 しよう したハードディスク ドライブを使用 しよう している。ベースマシンとディスクドライブ1台 だい は、小型 こがた 冷蔵庫 れいぞうこ ほどの大 おお きさのキャビネットに収 おさ められ、デイジーチェーン を介 かい してもう1台 だい のディスクドライブを追加 ついか することができる。
Altoは機能 きのう 要素 ようそ 間 あいだ の線引 せんひ きを曖昧 あいまい にしたり、無視 むし したりしていた。ストレージや周辺 しゅうへん 機器 きき への電気 でんき 的 てき インタフェース (システムバス など)が明確 めいかく に定義 ていぎ されている個別 こべつ の中央 ちゅうおう 処理 しょり ユニット ではなく、Alto ALUはメモリや周辺 しゅうへん 機器 きき へのハードウェアインタフェースと直接 ちょくせつ 相互 そうご 作用 さよう し、コントロールストアから出力 しゅつりょく されるマイクロ命令 めいれい によって駆動 くどう される。マイクロコードマシンは、固定 こてい の優先 ゆうせん 度 ど を持 も つ最大 さいだい 16の協調 きょうちょう タスク をサポートする。エミュレータタスクは、ほとんどのアプリケーションが書 か かれた通常 つうじょう の命令 めいれい セットを実行 じっこう するが、その命令 めいれい セットはData General Nova [17] の命令 めいれい セットと似 に ているものの同 おな じではない。その他 た のタスクは、ディスプレイ、メモリリフレッシュ、ディスク、ネットワーク、その他 た のI/O機能 きのう を実行 じっこう する。例 れい として、ビットマップ表示 ひょうじ コントローラは16ビットのシフトレジスタ に過 す ぎず、マイクロコードは、表示 ひょうじ リフレッシュデータをメインメモリからそのシフトレジスタに移動 いどう し、メモリデータの1と0に対応 たいおう する表示 ひょうじ 画素 がそ にシリアル化 か する。イーサネットも同様 どうよう に、最小限 さいしょうげん のハードウェアでサポートされており、出力 しゅつりょく ワードのシリアル化 か と入力 にゅうりょく ワードのデシリアル化 か を双方向 そうほうこう に行 おこな うシフトレジスタを備 そな えている。その速度 そくど が3Mビット/秒 びょう に設計 せっけい された理由 りゆう は、マイクロコードエンジンはこれ以上 いじょう 高速 こうそく 化 か することができず、ビデオ表示 ひょうじ 、ディスクアクティビティ、メモリリフレッシュをサポートし続 つづ けるためである。
当時 とうじ のほとんどのミニコンピュータ とは異 こと なり、Altoはユーザインタフェース 用 よう のシリアルターミナル をサポートしていない。イーサネット 接続 せつぞく を除 のぞ けば、Altoの唯一 ゆいいつ の共通 きょうつう 出力 しゅつりょく デバイスは、傾斜 けいしゃ &回転 かいてん の台座 だいざ を備 そな えた2値 ち (白黒 しろくろ ) ブラウン管 ぶらうんかん (CRT) ディスプレイで、一般 いっぱん 的 てき な「横向 よこむ き」ではなく「縦 たて 向 む き」に取 と り付 つ けられた。入力 にゅうりょく デバイスは、カスタムの着脱 ちゃくだつ 式 しき キーボード 、3ボタンマウス 、オプションの5キー・コードキーボード (英語 えいご 版 ばん ) (コードキーセット)である。この2つはSRIのOn-Line Systemで導入 どうにゅう されたもので、マウスはAltoユーザーの間 あいだ で瞬 またた く間 ま に成功 せいこう したが、コードキーセットは人気 にんき が出 で なかった。
初期 しょき のマウスでは、ボタンは3本 ほん の細 ほそ い棒状 ぼうじょう で、左右 さゆう ではなく上下 じょうげ に配置 はいち されて、ドキュメント内 ない での色 いろ にちなんで命名 めいめい された。動 うご きは、互 たが いに直角 ちょっかく に配置 はいち された2つの車輪 しゃりん で感知 かんち されていた。これらはすぐに、ロナルド・E・ライダーが発明 はつめい してビル・イングリッシュ が開発 かいはつ したボールタイプのマウスに取 と って代 か わられた。これらは、フォトメカニカルマウスで、最初 さいしょ は白色 はくしょく 光 こう で、次 つぎ に赤外線 せきがいせん (IR) を使用 しよう して、マウス内 ない の車輪 しゃりん の回転 かいてん をカウントした。
このキーボードは、各 かく キーが一連 いちれん のメモリロケーションにおいて個別 こべつ のビットとして表 あら わされる点 てん で興味深 きょうみぶか いものがある。その結果 けっか 、複数 ふくすう のキーを同時 どうじ に読 よ み取 と る ことができる。この特性 とくせい を利用 りよう して、ディスク上 じょう のどこからAltoを起動 きどう するかを変更 へんこう できる。キーボードの値 ね は、起動 きどう するディスク上 じょう のセクタアドレスとして使用 しよう され、特定 とくてい のキーを押 お しながら起動 きどう ボタンを押 お すと、異 こと なるマイクロコードやオペレーティングシステムをロードすることができる。これは「ノーズブート」(nose boot) という表現 ひょうげん を生 う み出 だ し、テストOSリリースの起動 きどう で必要 ひつよう なキーにが、思 おも いつくよりも多 おお くの指 ゆび が必要 ひつよう であった。ノーズブートは、指定 してい されたキー配列 はいれつ を使用 しよう できるようにディスク上 じょう のファイルをシフトする move2keys プログラムによって廃止 はいし された。
テレビカメラ、Hy-Type デイジーホイールプリンター、パラレルポートなど、他 ほか にもいくつかのI/OデバイスがAlto用 よう に開発 かいはつ されたが、これらは非常 ひじょう に稀 まれ であった。Altoはまた、ファイルサーバとして動作 どうさ するように外部 がいぶ ディスクドライブを制御 せいぎょ することができた。これはマシンの一般 いっぱん 的 てき なアプリケーションである。
Altoの初期 しょき のソフトウェアはプログラミング言語 げんご BCPL で記述 きじゅつ され、後 のち にMesa [18] で記述 きじゅつ された。この言語 げんご はPARCの外 そと では広 ひろ く使 つか われていなかったが、Modula のような後 のち のいくつかの言語 げんご に影響 えいきょう を与 あた えた。Altoは初期 しょき バージョンのASCII コードを使用 しよう していたが、これはアンダースコア 文字 もじ を欠 か き、代 か わりにALGOL 60 や多 おお くの派生 はせい で使用 しよう されている左 ひだり 矢印 やじるし 文字 もじ を代入 だいにゅう 演算 えんざん 子 こ に使用 しよう した。この特殊 とくしゅ 性 せい が、複 ふく 合 あい 識別子 しきべつし のキャメルケース スタイルのソースであった可能 かのう 性 せい がある。また、Altoはユーザーがマイクロコードでプログラムすることも可能 かのう であった[16] 。
Altoは、テキストやグラフィックを含 ふく むすべての出力 しゅつりょく でラスターグラフィック モデルの使用 しよう を普及 ふきゅう させるのに貢献 こうけん した。また、ディスプレイへの基本 きほん 的 てき なプログラミングインタフェースとして、ビットブロック転送 てんそう 操作 そうさ (ビットブリット、BitBLT )の概念 がいねん を導入 どうにゅう した。その小 ちい さなメモリサイズにもかかわらず、以下 いか のような多 おお くの革新 かくしん 的 てき なプログラムがAltoのために書 か かれた。
文書 ぶんしょ 作成 さくせい 支援 しえん システム
コミュニケーション
グラフィクス
プログラミング
ネットワーキング
ファイリング
Interim File System (IFS)
File Transfer Program (FTP)
プリンティング
ファイル管理 かんり
Executive, NetExec
Neptune
CopyDisk
ゲーム
表 おもて 計算 けいさん ソフトやデータベースソフトウェアはなかった。そのようなソフトはメインフレームなどには存在 そんざい したが、個人 こじん が専有 せんゆう して使用 しよう するコンピュータ向 む けに販売 はんばい された最初 さいしょ の表 おもて 計算 けいさん ソフトであるVisiCalc が登場 とうじょう したのは1979年 ねん のことである。
AltoやNoteTaker で動作 どうさ したアラン・ケイ達 たち の暫定 ざんてい Dynabook環境 かんきょう (Smalltalk-76、同 どう -78の頃 ころ ) アラン・ケイらによってAlto上 じょう で開発 かいはつ された世界 せかい 初 はつ のGUIベースのオペレーティングシステム (OS) 的 てき 存在 そんざい であるSmalltalkは、パーソナルコンピューティングの方向 ほうこう 性 せい をエンドユーザーに示 しめ すだけでなく、オブジェクト指向 しこう の概念 がいねん を本格 ほんかく 的 てき に取 と り入 い れた設計 せっけい で開発 かいはつ 者 しゃ にもアピールし、このときのオブジェクト指向 しこう によるOS(API やフレームワーク )設計 せっけい は、現在 げんざい 最先端 さいせんたん と言 い われるOSにも今 いま なお色濃 いろこ い影響 えいきょう を与 あた え続 つづ けている。
1970年代 ねんだい 半 なか ばにはすでに、ウインドウシステム 、メニュー操作 そうさ 、アイコン 付 つ きパレット、WYSIWYG エディタなど、現在 げんざい のパソコンに匹敵 ひってき する特徴 とくちょう も備 そな えていた。出資 しゅっし 受容 じゅよう の条件 じょうけん に要求 ようきゅう してこれを見 み た、Apple Computerのスティーブ・ジョブズ に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた え、Lisa やMacintosh を開発 かいはつ させるきっかけとなったとともに、PARCからAppleへの転職 てんしょく が相次 あいつ いだ。
技術 ぎじゅつ 的 てき には、Altoは小型 こがた のミニコンピュータであったが、当時 とうじ のメインフレーム コンピュータや他 た のミニコンピュータ とは対照 たいしょう 的 てき に、一人 ひとり で机 つくえ に座 すわ って使用 しよう するという意味 いみ では、パーソナルコンピュータ と見 み なすことができた。それは間違 まちが いなく「最初 さいしょ のパーソナルコンピュータ」であったが、このタイトルについては他 た の人々 ひとびと の議論 ぎろん がなされている。より重要 じゅうよう なことは(おそらく議論 ぎろん の余地 よち は少 すく ないが)、Unix オペレーティングシステムに基 もと づくApollo や、開発 かいはつ 環境 かんきょう としてLispをネイティブに実行 じっこう するように設計 せっけい されたSymbolics のシステムのようなシングルユーザーマシンのスタイルの最初 さいしょ のワークステーションシステムの1つであると考 かんが えられている[23] 。
1976年 ねん から1977年 ねん にかけて、スイスのコンピュータのパイオニアであるニクラウス・ヴィルト (Niklaus Wirth) はPARCでサバティカルを過 す ごし、Altoに興奮 こうふん していた。Altoシステムをヨーロッパに持 も ち帰 かえ ることができなかったヴィルトは、ゼロから新 あたら しいシステムを作 つく ることを決意 けつい し、彼 かれ のグループと一緒 いっしょ にLilith を設計 せっけい した[24] 。Lilithは1980年 ねん 頃 ごろ に完成 かんせい したが、これはApple Lisa やApple Macintosh が発売 はつばい されるかなり前 まえ のことである。1985年 ねん 頃 ごろ 、Wirthは「Project Oberon 」という名前 なまえ でLilithの全面 ぜんめん 的 てき な再 さい 設計 せっけい を開始 かいし した。
1978年 ねん 、ゼロックスは50台 だい のAltosをマサチュ まさちゅ ーセッツ工科大学 せっつこうかだいがく 、スタンフォード大学 だいがく 、カーネギーメロン大学 だいがく [18] 、ロチェスター大学 だいがく [25] に寄贈 きぞう した。メリーランド州 しゅう ゲイザースバーグ にある国立 こくりつ 標準 ひょうじゅん 局 きょく コンピュータ科学 かがく 研究所 けんきゅうじょ (現在 げんざい のNIST) には、1978年 ねん 後半 こうはん に1台 だい のAltoが、Xerox Interim File System (IFS) ファイルサーバーとDoverレーザープリンターとともに寄贈 きぞう された。これらのマシンは、ETH Zürich Lilith やThree Rivers CompanyのPERQ ワークステーション、そして最終 さいしゅう 的 てき にスピンオフ企業 きぎょう であるサン・マイクロシステムズ によって販売 はんばい されたStanford University Network (SUN) ワークステーションにインスピレーションを与 あた えた。Apollo /Domain ワークステーションは、Altoの影響 えいきょう を強 つよ く受 う けた。
Altoの取得 しゅとく 後 ご 、ホワイトハウスの情報 じょうほう システム部門 ぶもん は、連邦 れんぽう 政府 せいふ のコンピュータ・サプライヤーをその方向 ほうこう に導 みちび こうとした。米国 べいこく 大統領 だいとうりょう 府 ふ (EOP) は、IBM互換 ごかん のメインフレームに接続 せつぞく されたAltoのようなワークステーションを使用 しよう して、老朽 ろうきゅう 化 か した行政 ぎょうせい 管理 かんり 予算 よさん 局 きょく (OMB) の予算 よさん システムに代 か わるコンピュータシステムの提案 ていあん を要請 ようせい した。そのような構成 こうせい を提供 ていきょう できるメインフレームメーカーがなかったため、この要請 ようせい は最終 さいしゅう 的 てき に取 と り下 さ げられた。
1979年 ねん 12月、Apple Computerの共同 きょうどう 創設 そうせつ 者 しゃ であるスティーブ・ジョブズ (Steve Jobs) はPARCを訪 おとず れ、Smalltalk-76 オブジェクト指向 しこう プログラミング環境 かんきょう 、ネットワーク、そしてもっとも重要 じゅうよう なのはAltoが提供 ていきょう するマウス駆動 くどう のGUIであるWYSIWYG を見 み せられた。当時 とうじ 、彼 かれ は最初 さいしょ の2つの重要 じゅうよう 性 せい を認識 にんしき していなかったが、最後 さいご の1つには興奮 こうふん し、すぐにそれをAppleの製品 せいひん (最初 さいしょ はLisa 、次 つぎ にMacintosh )に統合 とうごう し、彼 かれ の会社 かいしゃ で働 はたら くために何人 なんにん かの重要 じゅうよう な研究 けんきゅう 者 しゃ を引 ひ きつけた。
1980年 ねん から1981年 ねん にかけて、PARCやXerox System Development Departmentの技術 ぎじゅつ 者 しゃ たちは、Xerox Altoを使 つか ってXerox Star ワークステーションを設計 せっけい した。
ゼロックスはPARCで開発 かいはつ された技術 ぎじゅつ の価値 かち に気 き づくのが遅 おく れていた[26] 。1960年代 ねんだい 後半 こうはん にゼロックスがScientific Data Systems (SDS、後 ご のXDS)を買収 ばいしゅう しても、PARCには何 なん の関心 かんしん を持 も たなかった。PARCはDigital Equipment Corporation (DEC) のPDP-10 を独自 どくじ にエミュレーションしてMAXCと名付 なづ けた[27] 。MAXCはARPANET へのゲートウェイマシンであった。同社 どうしゃ は商業 しょうぎょう 的 てき にテストされていない設計 せっけい でコンピュータ事業 じぎょう に再 ふたた び参入 さんにゅう することに消極 しょうきょく 的 てき であったが、その哲学 てつがく の多 おお くは後 ご の製品 せいひん に搭載 とうさい されることになる。
Byte 誌 し は1981年 ねん に次 つぎ のように述 の べている[18] 。
コンピュータサイエンスの研究 けんきゅう コミュニティ以外 いがい の人 ひと がAltoを買 か うことはまずないであろう。これらは商業 しょうぎょう 販売 はんばい を目的 もくてき としたものではなく、ゼロックスの開発 かいはつ ツールとしてのものであり、大量 たいりょう 生産 せいさん されることはない。彼 かれ らに言及 げんきゅう する価値 かち があるのは、明日 あした のパーソナルコンピュータの多 おお くがAltoの開発 かいはつ から得 え られた知識 ちしき で設計 せっけい されるという事実 じじつ である。
Altoの後 のち 、PARCは、非公式 ひこうしき には「Dマシン」と呼 よ ばれている、より強力 きょうりょく なワークステーションを開発 かいはつ した(いずれもプロジェクトとして意図 いと されたものではない[要 よう 説明 せつめい ] )。Dandelion(最 もっと も強力 きょうりょく ではないが、唯一 ゆいいつ 製品 せいひん 化 か された)、Dolphin、Dorado(最 もっと も強力 きょうりょく で、エミッタ結合 けつごう 型 がた ロジック (ECL) マシン)、そしてDandel-Irisなどのハイブリッド機 き である。
1977年 ねん のApple IIや 1981年 ねん のIBM Personal Computer (IBM PC) などのパーソナルコンピュータが登場 とうじょう するまでは、コンピュータ市場 いちば は、中央 ちゅうおう コンピュータの処理 しょり 時間 じかん をタイムシェアするダム端末 たんまつ を搭載 とうさい した高価 こうか なメインフレームと、ミニコンピュータに支配 しはい されていた。1970年代 ねんだい を通 つう じて、ゼロックスはPARCの研究 けんきゅう に興味 きょうみ を示 しめ さなかった。ゼロックスが「Xerox 820 」でPC市場 いちば に参入 さんにゅう したとき、彼 かれ らはAltoのデザインを大幅 おおはば に否定 ひてい し、代 か わりに当時 とうじ の標準 ひょうじゅん であった80×24文字 もじ のみのモニタとマウスを持 も たないCP/M ベースの非常 ひじょう にオーソドックスな機種 きしゅ を選択 せんたく した。
その後 ご 、PARCの研究 けんきゅう 者 しゃ の助 たす けを借 か りて、ゼロックスは最終 さいしゅう 的 てき にDandelionワークステーションをベースとする「Xerox Star 」を開発 かいはつ し、その後 ご 、コストを抑 おさ えた「Star」であるDaybreak ワークステーションをベースにしたオフィスシステム「6085」を開発 かいはつ した。これらのマシンは、バトラー・ランプソン (Butler Lampson)の論文 ろんぶん で説明 せつめい されている「Wildflower」(ワイルドフラワー)アーキテクチャに基 もと づいており、アイコン、ウィンドウ、フォルダーからなるGUI、イーサネットベースのローカルネットワーキング、ネットワークベースのレーザープリンタサービスなど、Altoの革新 かくしん 的 てき な機能 きのう のほとんどが組 く み込 こ まれていた。
ゼロックスが自分 じぶん たちの間違 まちが いに気付 きづ いたのは、1980年代 ねんだい 初頭 しょとう 、Apple ComputerのMacintosh がビットマップディスプレイとマウス中心 ちゅうしん のインタフェースによってPC市場 いちば に革命 かくめい を起 お こした後 のち のことである。これらはいずれも「Alto」からコピーされたものである[26] 。Xerox Starシリーズは商業 しょうぎょう 的 てき には比較的 ひかくてき 成功 せいこう を収 おさ めたが、遅 おそ すぎた。高価 こうか なゼロックスのワークステーションは、初代 しょだい Macintoshの後 のち に登場 とうじょう した安価 あんか なGUIベースのワークステーションに対抗 たいこう することができず、ゼロックスはワークステーション市場 いちば から完全 かんぜん に撤退 てったい してしまった。
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Notes
Alto User's Handbook , Xerox PARC, September 2013
Douglas K. Smith; Robert C. Alexander (1988). Fumbling the Future: How Xerox Invented, Then Ignored, the First Personal Computer . New York: William Morrow. ISBN 978-0688069599