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Alto - Wikipedia

Alto

かつてアメリカで製作せいさくされた試作しさくコンピュータのひとつ

Altoアルト)は、のちデスクトップ・メタファー使用しようし、グラフィカルユーザインタフェース (GUI) をベースにしたオペレーティングシステム (OS) をサポートするように設計せっけいされた最初さいしょコンピュータである[7][8]最初さいしょのマシンは1973ねん3がつ1にちうごはじめた[9]Appleだい規模きぼ市場いちばけGUI搭載とうさいパソコン「Macintosh」を発表はっぴょうする10ねん以上いじょうまえのことである。

Alto
たてがたディスプレイ、キーボードとマウスをそなえたXerox Alto
開発元かいはつもと Xerox PARC
製造元せいぞうもと Xerox PARC
発売はつばい 1973ねん3がつ1にち (51ねんまえ) (1973-03-01)
標準ひょうじゅん価格かかく US$32,000 in 1979 (2023ねん時点じてんの$134,338と同等どうとう)[1][2]
出荷しゅっか台数だいすう Alto I: 120
Alto II: 2,000[3]
対応たいおうメディア 2.5 MB hard disk that used a removable 2.5 MB single-platter cartridgeter[4]
OS Alto Executive (Exec)
CPU TTL-based, with the ALU built around four 74181 MSI chips. It has user programmable microcode, uses big-endian format and a CPU clock of 5.88 MHz[5][4]
メモリ 96[6]-512 kB (128 kB for 4000 USD)[4]
ディスプレイ 606×808 pixels[4]
入力にゅうりょく機器きき Keyboard, 3-button mouse, 5-key chorded keyboard
外部がいぶ接続せつぞく Ethernet
関連かんれん商品しょうひん Xerox Star; Apple Lisa, Macintosh

Altoは比較的ひかくてきちいさなキャビネットにおさめられ、複数ふくすう小規模しょうきぼ中規模ちゅうきぼ集積しゅうせき回路かいろからつくられたカスタム中央ちゅうおう処理しょり装置そうち (CPU) を使用しようしている。10ねん - 15ねんの「パーソナルコンピュータ」の一般いっぱんてき性能せいのう想定そうていして設計せっけいされたため、マシン1だいたりのコストは高級こうきゅうしゃ販売はんばい価格かかくたっした。当初とうしょ少数しょうすうしか製造せいぞうされなかったが、1970年代ねんだい後半こうはんまでに、ゼロックス様々さまざま研究所けんきゅうじょやく1,000だい、いくつかの大学だいがくではやく500だい使用しようされていた。製品せいひん計画けいかくもあったが、社内しゃないでのきにやぶ一旦いったん破棄はきされた。しかし1977ねん11月の社内しゃないけカンファレンス「フューチャーズ・デイ」での成功せいこうをうけてゼロックス本社ほんしゃ上層じょうそう興味きょうみき、1970年代ねんだい終盤しゅうばんにはホワイトハウスなどかぎられた顧客こきゃくにも販売はんばいされるなどして[10]そう生産せいさん台数だいすう試作しさくとしては異例いれいやく2,000だいたっした。

Altoはシリコンバレーでよくられるようになり、そのGUIはコンピューティングの未来みらいとみなされるようになった。1979ねんスティーブ・ジョブズ (Steve Jobs) とビル・ゲイツ(Bill Gates)はパロアルト研究所けんきゅうじょ (PARC) への訪問ほうもん手配てはいした。Apple Computer(げん:Apple)は従業じゅうぎょういんがゼロックスの技術ぎじゅつのデモンストレーションをけるわりに、ゼロックスがAppleのストックオプションを購入こうにゅうできるようにした[11]2人ふたりべつ日時にちじふくすうかいわたってAltoを見学けんがくしたのち、AppleとMicrosoftの技術ぎじゅつしゃたちは、そのコンセプトを利用りようして、Apple LisaMacintosh とWindowsを開発かいはつ発表はっぴょうした。またXeroxしゃ2人ふたりに1ダース以上いじょうのAltoを提供ていきょうした。

ゼロックスは最終さいしゅうてきに、Altoでつちかわれたハードウエア技術ぎじゅつ転用てんようし、PARCとはべつ部署ぶしょ秘密裏ひみつり開発かいはつすすめていたOSを搭載とうさいしたGUI搭載とうさいワークステーション「Xerox Star」を商品しょうひんし、1981ねん最初さいしょ販売はんばいした。完全かんぜんなオフィスシステムは、すうだいのワークステーション、ストレージ、レーザープリンターふくみ10まんドルもしたため、おなじくこう価格かかく路線ろせん商業しょうぎょうてき失敗しっぱいしたApple ComputerのLisaと同様どうように、Starは市場いちば直接的ちょくせつてき影響えいきょうあたえることはほとんどなかった。

 
Alto 3ボタンマウス
 
下面かめんからたAltoのボールがたマウス
 
オプションの5キー・コードキーボード

Altoは、SRIインターナショナル (SRI) のダグラス・エンゲルバート (Douglas Engelbart) とダスティン・リンドバーグ (Dustin Lindberg) によって開発かいはつされた oN-Line System (NLS) に触発しょくはつされて、1972ねんバトラー・ランプソン (Butler Lampson) がいたメモのなか考案こうあんされた。設計せっけいおもチャールズ・P・サッカー (Charles P. Thacker) が担当たんとうした。工業こうぎょうデザインと製造せいぞうはゼロックスに委託いたくされ、そのスペシャルプログラムグループのチームには、プログラムマネージャーとしてダグ・スチュワート (Doug Stewart)、アビー・シルバーストーン・オペレーションズ (Abbey Silverstone Operations)、工業こうぎょうデザイナーのボブ・ニシムラ (Bob Nishimura) がふくまれていた。最初さいしょの30だいはゼロックスエルセグンド(スペシャルプログラムグループ)によって製造せいぞうされ、PARCのジョン・エレンビー (John Ellenby)、エルセグンドのダグ・スチュワート(Doug Stewart)、アビー・シルバーストーン (Abbey Silverstone) とともに、Altoのエレクトロニクスのさい設計せっけい担当たんとうした。パイロット運転うんてん成功せいこうにより、チームはその10年間ねんかんやく2,000だい生産せいさんした[12]

Xerox Altoのシャーシは現在げんざい、カリフォルニアしゅうマウンテンビューコンピュータ歴史れきし博物館はくぶつかんすうだい、ジョージアしゅうロズウェルのコンピュータ博物館はくぶつかんに1だい展示てんじされており、個人こじんわたったものもある。ランニングシステムは、ワシントンしゅうシアトルのリビングコンピュータ博物館はくぶつかん (英語えいごばん展示てんじされている。Charles P. Thacker は、Alto の先駆せんくてき設計せっけい実現じつげんにより、2010ねん3がつ9にちAssociation for Computing Machinery の 2009 チューリングしょう受賞じゅしょうした[13]。2004ねんチャールズ・スターク・ドレイパーしょうは、Altoにかんする研究けんきゅうたいしてThacker、アラン・ケイ (Alan C. Kay)、Butler Lampson、ロバート・テイラー (Robert W. Taylor) に授与じゅよされた[14]

2014ねん10がつ21にち、Xerox Altoのソースコードやそののリソースがコンピュータ歴史れきし博物館はくぶつかんから公開こうかいされた[15]

アーキテクチャ

編集へんしゅう

以下いか記述きじゅつは、おもにゼロックスPARCの1976ねん8がつ発行はっこうのAlto Hardware Manual[16]もとづいている。

Altoはマイクロコードされたデザインを使用しようしているが、おおくのコンピュータとはことなり、層状そうじょうデザインじょうでマイクロコードエンジンはプログラマから隠蔽いんぺいされなかった。ピンボールなどのアプリケーションは、これを利用りようしてパフォーマンスを高速こうそくしている。Altoは、Texas Instruments 74181チップをベースにしたビットスライス算術さんじゅつ演算えんざん論理ろんりユニット (ALU) を搭載とうさいし、可能かのうコントロールストア拡張かくちょう機能きのうそなえたROMコントロールストアをそなえ、16ビットワードで構成こうせいされた128 kB (512 kBに拡張かくちょう可能かのう) のメインメモリ構成こうせいされている。だい容量ようりょう記憶きおく装置そうちは、IBM 2310使用しようされていたものと同様どうよう着脱ちゃくだつ可能かのうな2.5MBのワンプラッタカートリッジ(のちにゼロックスが買収ばいしゅうしたDiablo Systemsしゃ)を使用しようしたハードディスクドライブを使用しようしている。ベースマシンとディスクドライブ1だいは、小型こがた冷蔵庫れいぞうこほどのおおきさのキャビネットにおさめられ、デイジーチェーンかいしてもう1だいのディスクドライブを追加ついかすることができる。

Altoは機能きのう要素ようそあいだ線引せんひきを曖昧あいまいにしたり、無視むししたりしていた。ストレージや周辺しゅうへん機器ききへの電気でんきてきインタフェースシステムバスなど)が明確めいかく定義ていぎされている個別こべつ中央ちゅうおう処理しょりユニットではなく、Alto ALUはメモリや周辺しゅうへん機器ききへのハードウェアインタフェースと直接ちょくせつ相互そうご作用さようし、コントロールストアから出力しゅつりょくされるマイクロ命令めいれいによって駆動くどうされる。マイクロコードマシンは、固定こてい優先ゆうせん最大さいだい16の協調きょうちょうタスクをサポートする。エミュレータタスクは、ほとんどのアプリケーションがかれた通常つうじょう命令めいれいセットを実行じっこうするが、その命令めいれいセットはData General Nova[17]命令めいれいセットとているもののおなじではない。そののタスクは、ディスプレイ、メモリリフレッシュ、ディスク、ネットワーク、そののI/O機能きのう実行じっこうする。れいとして、ビットマップ表示ひょうじコントローラは16ビットのシフトレジスタぎず、マイクロコードは、表示ひょうじリフレッシュデータをメインメモリからそのシフトレジスタに移動いどうし、メモリデータの1と0に対応たいおうする表示ひょうじ画素がそにシリアルする。イーサネットも同様どうように、最小限さいしょうげんのハードウェアでサポートされており、出力しゅつりょくワードのシリアル入力にゅうりょくワードのデシリアル双方向そうほうこうおこなうシフトレジスタをそなえている。その速度そくどが3Mビット/びょう設計せっけいされた理由りゆうは、マイクロコードエンジンはこれ以上いじょう高速こうそくすることができず、ビデオ表示ひょうじ、ディスクアクティビティ、メモリリフレッシュをサポートしつづけるためである。

当時とうじのほとんどのミニコンピュータとはことなり、Altoはユーザインタフェースようシリアルターミナルをサポートしていない。イーサネット接続せつぞくのぞけば、Altoの唯一ゆいいつ共通きょうつう出力しゅつりょくデバイスは、傾斜けいしゃ回転かいてん台座だいざそなえた2 (白黒しろくろ) ブラウン管ぶらうんかん (CRT) ディスプレイで、一般いっぱんてきな「横向よこむき」ではなく「たてき」にけられた。入力にゅうりょくデバイスは、カスタムの着脱ちゃくだつしきキーボード、3ボタンマウス、オプションの5キー・コードキーボード (英語えいごばん(コードキーセット)である。この2つはSRIのOn-Line Systemで導入どうにゅうされたもので、マウスはAltoユーザーのあいだまたた成功せいこうしたが、コードキーセットは人気にんきなかった。

初期しょきのマウスでは、ボタンは3ほんほそ棒状ぼうじょうで、左右さゆうではなく上下じょうげ配置はいちされて、ドキュメントないでのいろにちなんで命名めいめいされた。うごきは、たがいに直角ちょっかく配置はいちされた2つの車輪しゃりん感知かんちされていた。これらはすぐに、ロナルド・E・ライダーが発明はつめいしてビル・イングリッシュ開発かいはつしたボールタイプのマウスにってわられた。これらは、フォトメカニカルマウスで、最初さいしょ白色はくしょくこうで、つぎ赤外線せきがいせん (IR) を使用しようして、マウスない車輪しゃりん回転かいてんをカウントした。

このキーボードは、かくキーが一連いちれんのメモリロケーションにおいて個別こべつのビットとしてあらわされるてん興味深きょうみぶかいものがある。その結果けっか複数ふくすうのキーを同時どうじことができる。この特性とくせい利用りようして、ディスクじょうのどこからAltoを起動きどうするかを変更へんこうできる。キーボードのは、起動きどうするディスクじょうのセクタアドレスとして使用しようされ、特定とくていのキーをしながら起動きどうボタンをすと、ことなるマイクロコードやオペレーティングシステムをロードすることができる。これは「ノーズブート」(nose boot) という表現ひょうげんし、テストOSリリースの起動きどう必要ひつようなキーにが、おもいつくよりもおおくのゆび必要ひつようであった。ノーズブートは、指定していされたキー配列はいれつ使用しようできるようにディスクじょうのファイルをシフトする move2keys プログラムによって廃止はいしされた。

テレビカメラ、Hy-Type デイジーホイールプリンター、パラレルポートなど、ほかにもいくつかのI/OデバイスがAltoよう開発かいはつされたが、これらは非常ひじょうまれであった。Altoはまた、ファイルサーバとして動作どうさするように外部がいぶディスクドライブを制御せいぎょすることができた。これはマシンの一般いっぱんてきなアプリケーションである。

ソフトウェア

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Altoの初期しょきのソフトウェアはプログラミング言語げんごBCPL記述きじゅつされ、のちMesa[18]記述きじゅつされた。この言語げんごはPARCのそとではひろ使つかわれていなかったが、Modulaのようなのちのいくつかの言語げんご影響えいきょうあたえた。Altoは初期しょきバージョンのASCIIコードを使用しようしていたが、これはアンダースコア文字もじき、わりにALGOL 60おおくの派生はせい使用しようされているひだり矢印やじるし文字もじ代入だいにゅう演算えんざん使用しようした。この特殊とくしゅせいが、ふくあい識別子しきべつしキャメルケーススタイルのソースであった可能かのうせいがある。また、Altoはユーザーがマイクロコードでプログラムすることも可能かのうであった[16]

Altoは、テキストやグラフィックをふくむすべての出力しゅつりょくラスターグラフィックモデルの使用しよう普及ふきゅうさせるのに貢献こうけんした。また、ディスプレイへの基本きほんてきなプログラミングインタフェースとして、ビットブロック転送てんそう操作そうさ(ビットブリット、BitBLT)の概念がいねん導入どうにゅうした。そのちいさなメモリサイズにもかかわらず、以下いかのようなおおくの革新かくしんてきなプログラムがAltoのためにかれた。

おもて計算けいさんソフトやデータベースソフトウェアはなかった。そのようなソフトはメインフレームなどには存在そんざいしたが、個人こじん専有せんゆうして使用しようするコンピュータけに販売はんばいされた最初さいしょおもて計算けいさんソフトであるVisiCalc登場とうじょうしたのは1979ねんのことである。

暫定ざんていダイナブック

編集へんしゅう
 
AltoやNoteTaker動作どうさしたアラン・ケイたち暫定ざんていDynabook環境かんきょう(Smalltalk-76、どう-78のころ

アラン・ケイらによってAltoじょう開発かいはつされた世界せかいはつのGUIベースのオペレーティングシステム (OS) てき存在そんざいであるSmalltalkは、パーソナルコンピューティングの方向ほうこうせいをエンドユーザーにしめすだけでなく、オブジェクト指向しこう概念がいねん本格ほんかくてきれた設計せっけい開発かいはつしゃにもアピールし、このときのオブジェクト指向しこうによるOS(APIフレームワーク設計せっけいは、現在げんざい最先端さいせんたんわれるOSにもいまなお色濃いろこ影響えいきょうあたつづけている。

1970年代ねんだいなかばにはすでに、ウインドウシステム、メニュー操作そうさアイコンきパレット、WYSIWYGエディタなど、現在げんざいのパソコンに匹敵ひってきする特徴とくちょうそなえていた。出資しゅっし受容じゅよう条件じょうけん要求ようきゅうしてこれをた、Apple Computerのスティーブ・ジョブズおおきな影響えいきょうあたえ、LisaMacintosh開発かいはつさせるきっかけとなったとともに、PARCからAppleへの転職てんしょく相次あいついだ。

普及ふきゅう進化しんか

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技術ぎじゅつてきには、Altoは小型こがたのミニコンピュータであったが、当時とうじメインフレームコンピュータやミニコンピュータとは対照たいしょうてきに、一人ひとりつくえすわって使用しようするという意味いみでは、パーソナルコンピュータなすことができた。それは間違まちがいなく「最初さいしょのパーソナルコンピュータ」であったが、このタイトルについては人々ひとびと議論ぎろんがなされている。より重要じゅうようなことは(おそらく議論ぎろん余地よちすくないが)、UnixオペレーティングシステムにもとづくApolloや、開発かいはつ環境かんきょうとしてLispをネイティブに実行じっこうするように設計せっけいされたSymbolicsのシステムのようなシングルユーザーマシンのスタイルの最初さいしょのワークステーションシステムの1つであるとかんがえられている[23]

1976ねんから1977ねんにかけて、スイスのコンピュータのパイオニアであるニクラウス・ヴィルト (Niklaus Wirth) はPARCでサバティカルをごし、Altoに興奮こうふんしていた。Altoシステムをヨーロッパにかえることができなかったヴィルトは、ゼロからあたらしいシステムをつくることを決意けついし、かれのグループと一緒いっしょLilith設計せっけいした[24]。Lilithは1980ねんごろ完成かんせいしたが、これはApple LisaApple Macintosh発売はつばいされるかなりまえのことである。1985ねんごろ、Wirthは「Project Oberon」という名前なまえでLilithの全面ぜんめんてきさい設計せっけい開始かいしした。

1978ねん、ゼロックスは50だいのAltosをマサチュまさちゅセッツ工科大学せっつこうかだいがくスタンフォード大学だいがくカーネギーメロン大学だいがく[18]ロチェスター大学だいがく[25]寄贈きぞうした。メリーランドしゅうゲイザースバーグにある国立こくりつ標準ひょうじゅんきょくコンピュータ科学かがく研究所けんきゅうじょ (現在げんざいのNIST) には、1978ねん後半こうはんに1だいのAltoが、Xerox Interim File System (IFS) ファイルサーバーとDoverレーザープリンターとともに寄贈きぞうされた。これらのマシンは、ETH Zürich LilithやThree Rivers CompanyのPERQワークステーション、そして最終さいしゅうてきにスピンオフ企業きぎょうであるサン・マイクロシステムズによって販売はんばいされたStanford University Network (SUN) ワークステーションにインスピレーションをあたえた。Apollo/Domainワークステーションは、Altoの影響えいきょうつよけた。

Altoの取得しゅとく、ホワイトハウスの情報じょうほうシステム部門ぶもんは、連邦れんぽう政府せいふのコンピュータ・サプライヤーをその方向ほうこうみちびこうとした。米国べいこく大統領だいとうりょう (EOP) は、IBM互換ごかんのメインフレームに接続せつぞくされたAltoのようなワークステーションを使用しようして、老朽ろうきゅうした行政ぎょうせい管理かんり予算よさんきょく (OMB) の予算よさんシステムにわるコンピュータシステムの提案ていあん要請ようせいした。そのような構成こうせい提供ていきょうできるメインフレームメーカーがなかったため、この要請ようせい最終さいしゅうてきげられた。

1979ねん12月、Apple Computerの共同きょうどう創設そうせつしゃであるスティーブ・ジョブズ (Steve Jobs) はPARCをおとずれ、Smalltalk-76オブジェクト指向しこうプログラミング環境かんきょう、ネットワーク、そしてもっとも重要じゅうようなのはAltoが提供ていきょうするマウス駆動くどうのGUIであるWYSIWYGせられた。当時とうじかれ最初さいしょの2つの重要じゅうようせい認識にんしきしていなかったが、最後さいごの1つには興奮こうふんし、すぐにそれをAppleの製品せいひん最初さいしょLisaつぎMacintosh)に統合とうごうし、かれ会社かいしゃはたらくために何人なんにんかの重要じゅうよう研究けんきゅうしゃきつけた。

1980ねんから1981ねんにかけて、PARCやXerox System Development Departmentの技術ぎじゅつしゃたちは、Xerox Altoを使つかってXerox Starワークステーションを設計せっけいした。

ゼロックスとAlto

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ゼロックスはPARCで開発かいはつされた技術ぎじゅつ価値かちづくのがおくれていた[26]。1960年代ねんだい後半こうはんにゼロックスがScientific Data Systems(SDS、のXDS)を買収ばいしゅうしても、PARCにはなん関心かんしんたなかった。PARCはDigital Equipment Corporation (DEC) のPDP-10独自どくじにエミュレーションしてMAXCと名付なづけた[27]。MAXCはARPANETへのゲートウェイマシンであった。同社どうしゃ商業しょうぎょうてきにテストされていない設計せっけいでコンピュータ事業じぎょうふたた参入さんにゅうすることに消極しょうきょくてきであったが、その哲学てつがくおおくは製品せいひん搭載とうさいされることになる。

Byteは1981ねんつぎのようにべている[18]

コンピュータサイエンスの研究けんきゅうコミュニティ以外いがいひとがAltoをうことはまずないであろう。これらは商業しょうぎょう販売はんばい目的もくてきとしたものではなく、ゼロックスの開発かいはつツールとしてのものであり、大量たいりょう生産せいさんされることはない。かれらに言及げんきゅうする価値かちがあるのは、明日あしたのパーソナルコンピュータのおおくがAltoの開発かいはつからられた知識ちしき設計せっけいされるという事実じじつである。

Altoののち、PARCは、非公式ひこうしきには「Dマシン」とばれている、より強力きょうりょくなワークステーションを開発かいはつした(いずれもプロジェクトとして意図いとされたものではない[よう説明せつめい])。Dandelion(もっと強力きょうりょくではないが、唯一ゆいいつ製品せいひんされた)、Dolphin、Dorado(もっと強力きょうりょくで、エミッタ結合けつごうがたロジック (ECL) マシン)、そしてDandel-Irisなどのハイブリッドである。

1977ねんのApple IIや 1981ねんIBM Personal Computer (IBM PC) などのパーソナルコンピュータが登場とうじょうするまでは、コンピュータ市場いちばは、中央ちゅうおうコンピュータの処理しょり時間じかんをタイムシェアするダム端末たんまつ搭載とうさいした高価こうかなメインフレームと、ミニコンピュータに支配しはいされていた。1970年代ねんだいつうじて、ゼロックスはPARCの研究けんきゅう興味きょうみしめさなかった。ゼロックスが「Xerox 820」でPC市場いちば参入さんにゅうしたとき、かれらはAltoのデザインを大幅おおはば否定ひていし、わりに当時とうじ標準ひょうじゅんであった80×24文字もじのみのモニタとマウスをたないCP/Mベースの非常ひじょうにオーソドックスな機種きしゅ選択せんたくした。

その、PARCの研究けんきゅうしゃたすけをりて、ゼロックスは最終さいしゅうてきにDandelionワークステーションをベースとする「Xerox Star」を開発かいはつし、その、コストをおさえた「Star」であるDaybreakワークステーションをベースにしたオフィスシステム「6085」を開発かいはつした。これらのマシンは、バトラー・ランプソン(Butler Lampson)の論文ろんぶん説明せつめいされている「Wildflower」(ワイルドフラワー)アーキテクチャにもとづいており、アイコン、ウィンドウ、フォルダーからなるGUI、イーサネットベースのローカルネットワーキング、ネットワークベースのレーザープリンタサービスなど、Altoの革新かくしんてき機能きのうのほとんどがまれていた。

ゼロックスが自分じぶんたちの間違まちがいに気付きづいたのは、1980年代ねんだい初頭しょとう、Apple ComputerのMacintoshがビットマップディスプレイとマウス中心ちゅうしんのインタフェースによってPC市場いちば革命かくめいこしたのちのことである。これらはいずれも「Alto」からコピーされたものである[26]。Xerox Starシリーズは商業しょうぎょうてきには比較的ひかくてき成功せいこうおさめたが、おそすぎた。高価こうかなゼロックスのワークステーションは、初代しょだいMacintoshののち登場とうじょうした安価あんかなGUIベースのワークステーションに対抗たいこうすることができず、ゼロックスはワークステーション市場いちばから完全かんぜん撤退てったいしてしまった。

参照さんしょう項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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Notes
  • Alto User's Handbook, Xerox PARC, September 2013

推薦すいせん文献ぶんけん

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  • Douglas K. Smith; Robert C. Alexander (1988). Fumbling the Future: How Xerox Invented, Then Ignored, the First Personal Computer. New York: William Morrow. ISBN 978-0688069599 

外部がいぶリンク

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