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ドルニエ Do J - Wikipedia

ドルニエ Do J(Dornier Do J)は、ドイツこうつばさ単葉たんようぜん金属きんぞくせい双発そうはつ飛行ひこうていクラウディウス・ドルニエにより設計せっけい開発かいはつおこなわれた。はつ飛行ひこう1924ねん

スペインのドルニエ Do J

ヴァールWal; ドイツで「くじら」。「ワール」とも表記ひょうき)という愛称あいしょうでもよくられている。

概要がいよう

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ワールは縦列じゅうれつならべた2エンジン主翼しゅよく支柱しちゅう胴体どうたいよりもたか位置いちはいし、海上かいじょうでの安定あんていはかるためスポンソンばれるしょうつばさ胴体どうたい側面そくめんについている。機体きたいぜん金属きんぞくせい胴体どうたい上部じょうぶつばさ表面ひょうめんには多数たすうのリブがはいっている。

だいいち世界せかい大戦たいせん敗戦はいせんによりヴェルサイユ条約じょうやくでドイツでは航空機こうくうき製造せいぞう禁止きんしされていたため、ドルニエ技術ぎじゅつ提携ていけいしていたイタリアCMASAしゃ製造せいぞうされた。そのスイススペインオランダ日本にっぽん川崎かわさき造船ぞうせんしょでもライセンス生産せいさんされた。ドイツで製造せいぞうされるようになったのは1933ねん以降いこうで、ライセンス生産せいさんふくめたそう生産せいさんすうやく300になった。1925ねんロアール・アムンセン北極ほっきょく飛行ひこうや、1932ねんヴォルフガング・フォン・グロナウ世界せかい一周いっしゅう飛行ひこうなど、冒険ぼうけん飛行ひこう記録きろく飛行ひこう使用しようされた。

ルフトハンザ

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ルフトハンザはこの大西おおにしひろし横断おうだんルートに使用しようした。ワールの航続こうぞく距離きょりでは大西洋たいせいよう横断おうだんできないため、大西おおにし洋上ようじょう蒸気じょうきカタパルトとクレーンをうわきドックを曳航えいこうした貨物かもつせんウエストファーレンごう待機たいきさせ、中継ちゅうけい基地きちとして利用りようした。1934ねんから定期ていき便びん正式せいしき運航うんこうされるようになり、シュトゥットガルト-セビリア-えいりょうガンビア-ブエノスアイレスやく4にち飛行ひこうした。1935ねんにはベルリン-リオデジャネイロあいだ郵便ゆうびん輸送ゆそうおこなわれ、こちらは3日間にちかん飛行ひこうした。

日本にっぽんでのDo J

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1927ねんにイタリアのCMASAしゃ生産せいさんされた機体きたい日本航空にほんこうくう輸送ゆそう現在げんざい日本航空にほんこうくうとは無関係むかんけい)が1輸入ゆにゅうした。これは日本にっぽんはじめて運航うんこうされた旅客りょかく飛行ひこうていとなった。日本航空にほんこうくう輸送ゆそうはその川崎かわさき造船ぞうせんしょてた2のワールをい、大阪おおさか-上海しゃんはい路線ろせん福岡ふくおか-上海しゃんはい路線ろせん就航しゅうこうさせる予定よていであったが、にちちゅう関係かんけい悪化あっかによりためし運航うんこうのみで中止ちゅうしとなった。

そのワールは大阪おおさか-福岡ふくおかあいだ瀬戸内海せとないかい路線ろせん使用しようされたが、1932ねん大阪おおさか木津川きづがわ飛行場ひこうじょうった日本航空にほんこうくう輸送ゆそうのワールの1しろばとごう福岡ふくおかけん八幡やはたげん北九州きたきゅうしゅう郊外こうがい山腹さんぷく墜落ついらくする事故じここした。[1]

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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