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KAI (プロレスラー) - Wikipedia

KAI(カイ、1983ねん5がつ20日はつか - )は、日本にっぽん男性だんせいプロレスラー本名ほんみょうさかい 敦史あつし(さかい あつし)。神奈川かながわけん横浜よこはま出身しゅっしん横浜よこはま市立しりつ桜丘さくらがおか高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう[1]血液けつえきがたBがた

KAI
KAIの画像
プロフィール
リングネーム KAI
本名ほんみょう さかい 敦史あつし
ニックネーム キング・オブ・フリーダム
クール・アンド・ホット
身長しんちょう 180cm
体重たいじゅう 100kg
誕生たんじょう (1983-05-20) 1983ねん5がつ20日はつか(41さい
出身しゅっしん 神奈川かながわけん横浜よこはま
所属しょぞく DRAGON GATE
スポーツれき 柔道じゅうどう
野球やきゅう
トレーナー アニマル浜口はまぐち
武藤むとうたかし
ヴィールス
カズ・ハヤシ
太陽たいようケア
小島こじまさとし
デビュー 2007ねん2がつ22にち
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経歴けいれき

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デビューまえ

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小学校しょうがっこう入学にゅうがくまえおな横浜よこはま戸塚とつか区内くないすまでは、30むねならぶいわゆるマンモス団地だんち幼少ようしょうごした。近所きんじょ公園こうえんひろ遊具ゆうぐもそろっており、たくさんの友達ともだちそと毎日まいにちあそ活発かっぱつ少年しょうねんだった。小学しょうがく2ねんから野球やきゅうはじめ、以来いらい野球やきゅう以外いがいなにらない」というほど、中学ちゅうがく卒業そつぎょうまで野球やきゅうむことになる。中学ちゅうがく時代じだい野球やきゅう所属しょぞくし、ピッチャーとして弱小じゃくしょうチームを地区ちく大会たいかい優勝ゆうしょうみちびく。練習れんしゅうはかなり過酷かこく毎朝まいあさ6から10kmはしったり、台風たいふうなかでスライディングの練習れんしゅうをしたこともあるというが、このときつちかわれた基礎きそ体力たいりょくのち役立やくだったとかたっている。地区ちく大会たいかい優勝ゆうしょうしてからいわゆる「症候群しょうこうぐん」になったと後年こうねんKAIは述懐じゅっかいしている。

元々もともとプロレスにたいしてさほど興味きょうみかったが、高校こうこう1年生ねんせいとき新聞しんぶん懸賞けんしょうしん日本にっぽんプロレス東京とうきょうドーム大会たいかいのチケットがたって観戦かんせんしたことからプロレスにどっぷりハマることとなった。このチケットは1999ねん4がつ10日とおか東京とうきょうドーム大会たいかいであり、この試合しあいのちにKAI本人ほんにんは「メインは武藤むとうたかしたいドン・フライで、だい0試合しあいだい仁田にったあつしたいちょう正洋まさひろ電流でんりゅう爆破ばくはだったんですけど、その2つしかおぼえてないんですよ。あれは自分じぶん脳裏のうりきましたね」とかたっている。それからというもの学校がっこうけばあさから週刊しゅうかんプロレス週刊しゅうかんゴング週刊しゅうかんファイト内外ないがいタイムスみあさり、バイトだいすべ週末しゅうまつのプロレス観戦かんせん費用ひようにつぎむようになり、年間ねんかん100試合しあいちかなま観戦かんせんをしていた。このときからプロレスラーになることを夢見ゆめみるようになり、高校こうこう2ねん柔道じゅうどう入部にゅうぶどう先輩せんぱいには石塚いしづか英彦ひでひこがいる)。入部にゅうぶ初日しょにちに「プロレスラーになるためにました。よろしくおねがいします」と挨拶あいさつし、柔道じゅうどう経験けいけんのあるプロレスラーのれいれず道場どうじょうでプロレスわざ練習れんしゅうをしていたこともある。高校こうこう3ねんになって部員ぶいん引退いんたいして受験じゅけん勉強べんきょうはげなか一人ひとりトレーニングじょうすじトレにはげんだ。観戦かんせんたかぶじて埼玉さいたまプロレス節分せつぶんおにオニマンが印象いんしょうのこっているとのこと)を赤塚あかつか公会堂こうかいどう観戦かんせんしたり、DDTプロレスリングでエキサイティング吉田よしだ試合しあい観戦かんせんした印象いんしょうかたったりもしている。

家族かぞくなかには自身じしん以外いがいプロレスをものやプロレスに興味きょうみがあるもの1人ひとりもいなかったといい、のちにプロレスラー志望しぼう両親りょうしんけてもまった本気ほんきにされなかった。いてえばKAIのはは賛成さんせいりであったが、ちちは「ちゃんとしたサラリーマンになってほしい」と反対はんたいした。

当時とうじは、日本にっぽんのプロレスよりもWWEなど海外かいがいのプロレスに興味きょうみち、WWE入団にゅうだん夢見ゆめみており、マディソンスクエアガーデンのレッスルマニアも観戦かんせんしている。しかし、いのさそいで海外かいがいインディー団体だんたい観戦かんせんするため渡米とべいするがその団体だんたいのレベルのひくさに愕然がくぜんとし、やはり日本にっぽんのプロレスのほうがレベルがたかいということ、また菅原すがわら拓也たくやからのすすめにより日本にっぽん団体だんたいでプロレスラーになることをこころざす。

高校こうこう卒業そつぎょう、KAIはしん日本にっぽんプロレスの入門にゅうもんテストをけるが、わかぎたことと身長しんちょうひくかったことで失格しっかくとなった。ちなみに、そのときにKAIをとしたのは永田ながた裕志ひろしだった。そしてKAIとおなじく試験しけんけていたのはちゅう邑真輔後藤ごとうひろしひさしだったという。KAI本人ほんにんは、このとき合格ごうかくになったことでアニマル浜口はまぐちジムでいい師匠ししょう出会であえたり、全日本ぜんにほんプロレスのレスラーたちにえたので、これでよかったと後年こうねんのインタビューでかしている。

いのすすめで入門にゅうもんしたアニマル浜口はまぐちジムやく3ねんはんがよからだきたえ、2006ねんおこなわれた『武藤むとうじゅく』の新人しんじんオーディションに合格ごうかく入門にゅうもんする。同期どうきT28がいた。

練習れんしゅうせい時代じだいは、武藤むとう師事しじびとつとめていた。

メキシコでの活躍かつやく

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2007ねん2がつ同期どうき入門にゅうもん三原みはらひろし嗣(YAMATO、現在げんざい大和やまとヒロシ)とともにメキシコ修行しゅぎょうる。2月22にちIWRGにてKAIのリングネームでアレナ・ナウカルパンにてロス・トラウマス1ごう2ごう相手あいてに3ほん勝負しょうぶ形式けいしきでプロレスデビューし、勝利しょうりかざる。

6月3にち、YAMATO、もとSUPER CREWSASAKIんでIWRGトリオのタイトルに挑戦ちょうせんするもやぶれる。

凱旋がいせん帰国きこく

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2008ねん2がつ17にち後楽園こうらくえんホール大会たいかい日本にっぽんデビューせんおこない、同期どうき真田さなだきよし&T28から勝利しょうりうばった(パートナーは大和やまとヒロシ)。

その大和やまととのタッグでジュニア・タッグリーグせん出場しゅつじょう若手わかてながらも奮闘ふんとう土方ひじかた隆司たかし中嶋なかじま勝彦かつひこくみNOSAWA論外ろんがいMAZADAくみからだい金星きんぼしをあげる。

4がつ20日はつか同期どうきであり同門どうもんでもあるT28とのシングルマッチが実現じつげん試合しあいでは、KAIがスプラッシュブランチャで勝利しょうりした。シングルマッチはこの試合しあいがレスラー人生じんせいはつで、デビューから1ねん以上いじょうっている選手せんしゅにしてはめずらしいことである。

5月5にち韓国かんこく・ソウルでのしん韓国かんこくプロレスNKPWA世界せかいチャンピオン決定けっていせんにて真田さなだとのタッグでの出場しゅつじょう決定けっていした。

全日ぜんじつジュニアのホープ

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6がつ10日とおか武藤むとうさいにて土方どかたカズ・ハヤシ相手あいてに3WAYマッチが決定けってい。そして試合しあい当日とうじつ、なんとKAIは世界せかいジュニア王者おうじゃ土方どかたから必殺ひっさつのスプラッシュ・プランチャでフォふぉル勝るがちをうばうというだい金星きんぼしおさ会場かいじょうからだい歓声かんせいける。対戦たいせん相手あいて1人ひとりであるカズに「スゲーものてきたなってかんじですね」とわしめた。

6月28にち、シリーズ最終さいしゅうせんでは開幕かいまくせんでタッグマッチながらやぶれていたT28からスプラッシュプランチャでリベンジ。そして土方どかたエル・サムライ世界せかいジュニア王座おうざせん終了しゅうりょうにジュニアの面々めんめんがリングに集合しゅうごう。カズのマイクを横取よこどりして挑発ちょうはつ次期じきシリーズのジュニア・ヘビーきゅうリーグせんけてアピールした。

ジュニアリーグ最終さいしゅうせんでMAZADAを撃破げきは決勝けっしょうがってきたもと世界せかいジュニア王者おうじゃシルバー・キング変型へんけいみちのくドライバーIIのちにLATと命名めいめい)でくだし、1にち2せん激闘げきとうくぐ優勝ゆうしょうたした。デビューから1ねん5かげつでの快挙かいきょであり、若手わかてジュニアのなかでもあたまひとけた。

そしてさらに8がつ31にち両国りょうこく国技こくぎかん世界せかいジュニア王者おうじゃ土方ひじかた隆司たかしへの挑戦ちょうせん決定けってい。デビューして1ねん6かげつでの世界せかいジュニア王座おうざ挑戦ちょうせん世界せかいジュニア史上しじょう最速さいそくでの挑戦ちょうせんである。

8がつ22にち後楽園こうらくえんでの小島こじまさとしたいTARUせん終了しゅうりょうVOODOO-MURDERSにリンチされていた小島こじま天山あまやま広吉ひろきち大和やまととも救出きゅうしゅつ小島こじま大和やまとしんユニット「F4」を結成けっせい活動かつどうしてくことを宣言せんげんした。

8がつ31にち国技こくぎかん大会たいかい土方どかたとの世界せかいジュニア王座おうざせんいどんだ。期待きたいたかかったが、はつ挑戦ちょうせんはつ戴冠たいかんはならなかった。

10月13にちしん日本にっぽんプロレスの両国りょうこく大会たいかい参戦さんせんG・B・H激突げきとつしたがしくもやぶれた。11月3にち、KAIは両国りょうこくでF4のメンバーとんでしん日本にっぽんプロレスの天山あまやま、そしてIWGP・ジュニアタッグ王者おうじゃ内藤ないとう哲也てつや裕次郎ゆうじろう対戦たいせん

2008ねんまつプロレス大賞たいしょう新人しんじんしょう部門ぶもんにノミネートされ、KAIも最終さいしゅう選考せんこうまでのこるがしくも受賞じゅしょうのがした。

2009ねん新春しんしゅんシャイニングシリーズで小島こじまんで復活ふっかつしたアジアタッグトーナメントに出場しゅつじょう。1回戦かいせん通過つうかしたものの準決勝じゅんけっしょうやぶれ、自身じしんはつとなるベルト獲得かくとくはならなかった。

2がつ6にち鈴木すずきみのる、MAZADAぐみとの対戦たいせんふたた小島こじまんでアジアタッグに挑戦ちょうせんすることが決定けっていする。試合しあいは、KAIが鈴木すずきぎゃくとしからのスリーパーという必殺ひっさつフルコースでやぶれた。鈴木すずきから「いオモチャをつけた」と賞賛しょうさん(?)をびた。

5月15にちおこなわれたくさおとこじゅくとのコラボ大会たいかいくさァイティングライブ 2009 しょうつんだ!」では、だい1試合しあいで「阿修羅あしゅらぞう」をモチーフにしたコスチュームでブードゥーマスクと対戦たいせん勝利しょうり試合しあい四方しほうかって4にん阿修羅あしゅらぞうのポーズをめた。

2009年度ねんどのジュニア・ヘビーきゅうリーグせんでは、開幕かいまくせん世界せかいジュニア王者おうじゃのカズに勝利しょうりぜん大会たいかい優勝ゆうしょうしゃとしての意地いじせる。そのままいきおいにってAブロック1おどるも、優勝ゆうしょう決定けっていトーナメント1回戦かいせんでBブロック2近藤こんどう修司しゅうじやぶ優勝ゆうしょうのがした。

8がつ30にち両国りょうこく大会たいかいではF4の一員いちいんとしてプロレスリング・ノア小橋こはし建太けんた菊地きくちあつし伊藤いとうあさひと6にんタッグで激突げきとつ

12月13にち、ファン感謝かんしゃデーにて大和やまとんで小島こじま女子じょしプロレスラーの下田しもだ美馬みま対戦たいせんするが、大和やまと下田しもだのラ・マヒストラルでフォールけ。試合しあいおそりました」とあたまげた。

2010ねん、ブードゥーマーダーズとのこうそう激化げきかし、2がつ7にち後楽園こうらくえん大会たいかい敗者はいしゃチーム解散かいさんキャプテンフォール・イリミネーションマッチを決行けっこうするがこれに敗北はいぼく。F4の解散かいさん決定けっていしてしまう。

その世界せかいジュニアに標準ひょうじゅんしぼり、3月の両国りょうこく大会たいかいでジュニア絶対ぜったい王者おうじゃのカズに挑戦ちょうせん。KAIの王座おうざ奪取だっしゅこそはならなかったが、カズから「ありがとう」との言葉ことばった。

その全日ぜんじつ若手わかてのホープとしてジュニア戦線せんせんげている。

世界せかいジュニア王者おうじゃ

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2011ねんからは、当時とうじのジュニア王者おうじゃみのるした「全日本ぜんにほんジュニアさんきょう時代じだい」に対抗たいこうするため、鈴木すずきとのシングルマッチを経験けいけん

4がつには、師匠ししょうであるカズ・ハヤシとのタッグでジュニア・タッグリーグせん優勝ゆうしょう。パートナーのカズとの挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんせいしたのちみのり世界せかいジュニア王座おうざへの挑戦ちょうせん決定けっていした。だが、スーパーヘイト暴行ぼうこう事件じけん影響えいきょうにより、みのり王座おうざから剥奪はくだつされてしまう。6月12にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいでのラダーマッチをせいした近藤こんどうとの王者おうじゃ決定けっていせんを6がつ19にち両国りょうこく国技こくぎかんおこなうこととなり、見事みごとさん度目どめ正直しょうじき世界せかいジュニア王座おうざ獲得かくとくした。

2011ねんのジュニア・ヘビーきゅうリーグせんでは決勝けっしょうせん金本かなもと浩二こうじやぶり、史上しじょうはつ王者おうじゃとして優勝ゆうしょうたした。

ジュニアリーグ制覇せいはケニー・オメガとの防衛ぼうえいせんではやぶれ、ぜん王座おうざ流出りゅうしゅつ一端いったんになってしまう。KAIもそのなか雪辱せつじょく機会きかいめぐまれずにいたが中澤なかざわマイケルとの試合しあいGilletteんでのジュニア・タッグリーグでのオメガへのアピールを挑戦ちょうせん決定けってい王座おうざもどす。

2012ねん、JUNIOR HYPER LEAGUEと改称かいしょうしてのリーグせんでは、史上しじょうはつ王者おうじゃとして連覇れんぱ目論もくろむが近藤こんどうはばまれる。つぎのシリーズではつよさをもとめヘビーきゅう選手せんしゅたちとのタッグ・シングルマッチを展開てんかい。KAIも精神せいしんめんではけていなかったものの、肉体にくたいめんでついていかず、これがKAIのヘビーきゅう転向てんこうのきっかけとなった。

ヘビーきゅう転向てんこう

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2012ねん8がつ25にち諏訪すわとのシングルマッチで敗戦はいせんした翌日よくじつ、KAIのくちからヘビーきゅうへの転向てんこう意思いしかたられる。そのため、ヘビーきゅうからだづくりとしてKAIの期限きげん欠場けつじょう発表はっぴょうされた。

2013ねん2がつ23にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいで、3月17にち両国りょうこく国技こくぎかん大会たいかい真田さなだきよし也を相手あいて復帰ふっきすること発表はっぴょうされる。そして当日とうじつ、ジャンピングサンダーファイヤーボムで勝利しょうりし、ヘビーきゅう転向てんこうしてのはつ勝利しょうりかざった[2]

そのチャンピオン・カーニバルでははつ出場しゅつじょうながら潮崎しおざきごう準決勝じゅんけっしょうくだすものの、決勝けっしょうでは秋山あきやまじゅん苦杯くはいきっした。

武藤むとうしん団体だんたい

編集へんしゅう

全日本ぜんにほんプロレスを退団たいだんした武藤むとうかたちで、KAIも2013ねん6がつ30にち両国りょうこく国技こくぎかん大会たいかい最後さいご退団たいだん武藤むとうしん団体だんたいWRESTLE-1設立せつりつ記者きしゃ会見かいけん出席しゅっせき所属しょぞく発表はっぴょうした。

7がつ6にち両国りょうこく大会たいかい敗者はいしゃかみりor軍団ぐんだん解散かいさんマッチでデスペラードのリーダー・河野こうの真幸まさき対戦たいせんしたが、やぶれてKAIが坊主ぼうずとなってしまう。

2014ねん7がつ7にち、KAIは東京とうきょう愚連隊ぐれんたい興行こうぎょうであこがれの存在そんざいであるだい仁田にったあつしみ、ストリートファイト・トルネードタッグマッチをおこな勝利しょうりする。その、8がつ1にちおこなわれたしゃちほこだい花火はなびでも大仁田おおにた勝利しょうりおさめた。ちなみに、この試合しあいはKAIにとってははつ電流でんりゅう爆破ばくはマッチだった。

WRESTLE-1チャンピオンシップ初代しょだい王者おうじゃ決定けっていトーナメントに出場しゅつじょうするも、決勝けっしょう河野こうのやぶれた。

2015ねんはいり、シングルマッチで船木ふなきまことかち河野こうの田中たなかすすむつづけにやぶり、だい2だいWRESTLE-1チャンピオンシップ王者おうじゃ武藤むとう挑戦ちょうせん表明ひょうめいした。

2015ねん3がつ8にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいにおいて武藤むとうくだし、だい3だいWRESTLE-1チャンピオンシップ王者おうじゃとなった。

8がつよりWRESTLE-1に参戦さんせんちゅう翔太しょうた結託けったく、コスチュームをタンクトップにジーパンで登場とうじょうし、ストリートファイト仕様しようにチェンジして自由じゆう奔放ほんぽうなファイトスタイルや言動げんどうかえすようになっていく[3]。12月には、横浜よこはま大会たいかい来場らいじょうしてきた三富みとみ政行まさゆきともタッグを結成けっせい三富みとみのことを学生がくせいプロレス時代じだいのリングネームである「潮吹しおふき」とんだ。試合しあいのバックステージでは、小佐野おさのけいひろしおおはなすようになった。

2016ねん4がつ13にちだい日本にっぽんプロレス参戦さんせん星野ほしの勘九郎かんくろうとタッグをみ、平成へいせい極道ごくどうコンビに加入かにゅうだい日本にっぽんプロレス釧路くしろ大会たいかい限定げんていのコンビでもあった。

星野ほしのとはえんがあり、だい日本にっぽんプロレス釧路くしろ大会たいかいには3もゲスト参戦さんせんしている。

フリー転向てんこう

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5月4にちだい7だいWRESTLE-1チャンピオンシップ王者おうじゃ火野ひの裕士ひろし対戦たいせんして勝利しょうりだい8だいWRESTLE-1チャンピオンシップ王者おうじゃとなる。王座おうざ戴冠たいかん、KAIはインディーを自由じゆう行脚あんぎゃすると発言はつげん翔太しょうた三富みとみ協力きょうりょくなどからガッツワールドプロレスリングガンバレ☆プロレスアイスリボンだい日本にっぽんプロレスへの参戦さんせんまった。

5月8にち、ガッツワールドプロレスリング後楽園こうらくえんホール大会たいかいだいいち試合しあいにて五所川原ごしょがわらわれさくとのシングルをおこなう。

5月21にち、アイスリボンにはつ参戦さんせん。KAIも世羅せらりさとの極道ごくどうコンビで登場とうじょうし、三富みとみ&藤田ふじたあかね愛媛えひめタッグと対戦たいせんしてさんとみ本家ほんけ公認こうにん雁之助がんのすけクラッチでまる勝利しょうり試合しあいには、バースデーケーキとリングアナウンサーの千春ちはる特製とくせいのちゃんこをいただき、サプライズで誕生たんじょういわってもらった。

5月29にちDDTプロレスリングのオープニングに大家だいけけん登場とうじょうし、KO-Dタッグ王座おうざへの挑戦ちょうせん要求ようきゅうする。

12月20にち、WRESTLE-1退団たいだん発表はっぴょう。W-1参戦さんせん継続けいぞくする予定よていである[4]

2017ねん1がつ2にち古巣ふるすである全日本ぜんにほん登場とうじょうし、参戦さんせんのあいさつをおこなった[5]退団たいだんはW-1のほか、ZERO1、全日本ぜんにほんなどに参戦さんせんちゅう

3月7にち鬼神きじんどうはつ参戦さんせん

DRAGON GATE参戦さんせん

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2018ねんごろよりDRAGON GATE参戦さんせん同年どうねん9がつ21にち大田おおた総合そうごう体育館たいいくかん大会たいかい金網かなあみサバイバル6WAYマッチで出場しゅつじょうじゅん②で出場しゅつじょう。KAIにはのこるとDRAGONGATEマットから追放ついほう、1けするとR・E・Dに強制きょうせい加入かにゅうというリスクがあった。試合しあい同門どうもんであるYAMATO裏切うらぎって、R・E・D電撃でんげき加入かにゅう。その、KAIはYAMATOをターゲットにさだめ、2021ねん7がつ9にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいでノーロープ・ランバージャックマッチで対戦たいせんしたがYAMATOに敗北はいぼく[6]同年どうねん12がつ26にち福岡ふくおか国際こくさいセンター大会たいかいでYAMATOをやぶってオープン・ザ・ドリームゲート王座おうざ奪取だっしゅした。

得意とくいわざ

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みずから「不協和音ふきょうわおん」の言葉ことば使つかい、のレスラーにくらべてみるとKAIの場合ばあいレスラーのわざおおいのが魅力みりょく。それまでは正統せいとうなファイトスタイルだったが、以降いこう自由じゆうなファイトスタイルへと変貌へんぼうげている。

フィニッシュ・ホールド

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メテオインパクト
相手あいてをファイヤーマンズキャリーの体勢たいせいりょうかたかつげて下半身かはんしんしたからげて相手あいてからだかるちゅうがらせて落下らっかする相手あいてほうからだけながら尻餅しりもちをつき、相手あいて背中せなか自身じしん両足りょうあしあいだたたきつける。現在げんざいのKAIのフィニッシャー。
メテオインパクトKAI
相手あいて股下またした右腕うわんんでそのまま肩車かたぐるまのように相手あいて右肩みぎかたかつげ、左手ひだりて頭部とうぶつかみ、シットダウンと同時どうじに180°前方ぜんぽう回転かいてんさせて後頭部こうとうぶからマットにすメテオ・インパクトの進化しんかがたかたちとしてはケニー・オメガかたつばさ天使てんしちかい。
ジャンピングサンダーファイヤーパワーボム
ヘビーきゅう転向てんこう、KAIも復帰ふっき試合しあい真田さなだせんでこのわざでトドメをした。ヘビーきゅう転向てんこうのメインのフィニッシュホールド。
スプラッシュプランチャ
いわゆるフロッグスプラッシュ。KAIは日本にっぽんデビューせんでこのわざはつ披露ひろうし、見事みごとフォふぉル勝るがちをおさめた。
LAT
まるふじ正道せいどうポール・シフトとほぼ同型どうけいわざで、ジュニア・ヘビーきゅうリーグせん決勝けっしょうせん披露ひろう相手あいてのシルバー・キングをくだし、リーグせん制覇せいはすることになった。名前なまえ由来ゆらいはメキシコにある歴史れきしてき建造けんぞうぶつからとっている、とのせつがある。
ミスター雁之助がんのすけ公認こうにん雁之助がんのすけクラッチ
W-1で共闘きょうとうちゅう翔太しょうたなか強引ごういん公認こうにんさせたミスター雁之助がんのすけ必殺ひっさつわざ。しかし、わざ使用しようした初期しょきでは雁之助がんのすけ公認こうにんであり、KAIも本家ほんけである雁之助がんのすけから公認こうにんることを目標もくひょうとしていた。その、KAIがガッツワールドプロレスリング参戦さんせんしたさい本家ほんけである雁之助がんのすけから公認こうにんされた。旧名きゅうめいは「翔太しょうた公認こうにん雁之助がんのすけクラッチ」。

わざ

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パワーボム
ライガーボムなどの変形へんけいせる。
垂直すいちょく落下らっかしきブレーバスター

フォールわざ

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KAIクラッチ
いわゆるオクラホマロール。カズえをたしたわざでもある。

打撃だげきわざ

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トラースキック
ジャンピングダブルニーパッド
コーナーへった相手あいてへのおも攻撃こうげき手段しゅだん
延髄えんずい
対戦たいせん相手あいてへのカウンターに、セカンドロープにんで使用しようする場合ばあいもある。
クローズライン

わざ

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BTバスター
相手あいて背中せなかりょうひざててからうしろにたおれこみ背中せなか衝撃しょうげきあたえる変形へんけいのバックブリーカー。WWEのカリート得意とくいわざでもある。
ダブルアームパイルドライバー
ジュニア・ヘビーきゅうリーグせんでのエル・サムライせんにて披露ひろう

わざ

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ダイビングフットスタンプ
テレビ解説かいせつをしていた武藤むとうに「危険きけんわざ」とひょうされた。現在げんざいよう所要しょようしょ使つかっている。
スワンダイブミサイルキック
真田さなだとのタッグのときは、ピンチをだっするため頻発ひんぱつする。

関節かんせつわざ

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あし4のかた

タイトルれき

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全日本ぜんにほんプロレス
WRESTLE-1
DDTプロレスリング
ZERO1
DRAGON GATE

入場にゅうじょうきょく

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人物じんぶつ

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  • 自称じしょうプロレスマニア。たんけだけの総合そうごう格闘技かくとうぎやK-1にはまった興味きょうみいらしく「生涯しょうがいいちプロレスラー」と宣言せんげんしている。また、プロレスのなかでもインディー団体だんたいのマニアでもある。
  • 団体だんたいのレスラーからの評価ひょうかたかく、DDT社長しゃちょう高木たかぎ三四郎さんしろうは「KAI選手せんしゅはすごくい」と絶賛ぜっさんしている。
  • アニマル浜口はまぐちジム出身しゅっしんだけあってリングをりると非常ひじょう礼儀れいぎただしいこう青年せいねんであるとつたえられている。同門どうもんにはT28がいるが先輩せんぱいにはしん日本にっぽんプロレスの内藤ないとうDRAGON GATE鷹木たかぎしんさとるがおり、とく鷹木たかぎとはなかかったという。
  • 元々もともとくろかみくろいコスチュームがKAIのトレードマークであったが、F4に所属しょぞくしてから大幅おおはばなイメチェンをほどこしている。2008ねん10がつ後楽園こうらくえんでは、あざやかなオレンジしょくかみしみしみしたのは有名ゆうめいなカリスマ美容びようで、このことは『週刊しゅうかんプロレス』でカラーの2ページでげられた。
  • T28がメキシコ修行しゅぎょうったのち全日本ぜんにほん道場どうじょう寮長りょうちょうつとめている。
  • 2017ねん8がつ時点じてんでは、コスチュームは髪型かみがたくずれないようにかぶらないフードを採用さいようしており、テーピングはだい仁田にったあつし真似まねている[3]
  • まれそだった横浜よこはま恩返おんがえしをしたいというおもいから、NPO法人ほうじん横浜よこはまどもホスピスプロジェクトに参加さんかし、どもホスピス設立せつりつ目指めざしてチャリティープロレス興行こうぎょうを2018ねんより主催しゅさいしている。会場かいじょうには、どもホスピスの開設かいせつ尽力じんりょくする医師いしなど関係かんけいしゃあつまり、来場らいじょうしゃにチャリティの意義いぎ説明せつめいし、協力きょうりょくつのっていた。その功績こうせきみとめられ、2019ねんにはプロジェクトがわより応援おうえんアンバサダーに任命にんめいされた。

参考さんこう文献ぶんけん

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ベースボールマガジンしゃ『レスラーヒューマンストーリーII プロレスラーおとこ履歴りれきしょ』p120-127

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 桜丘さくらがおか高校こうこう出身しゅっしんのプロレスラーとして王座おうざにつくなど活躍かつやくせる KAIさん(本名ほんみょうさかい 敦史あつし市内しない在住ざいじゅう 31さい|タウンニュース 保土ヶ谷ほどがやばん2017ねん2がつ閲覧えつらん
  2. ^ 全日ぜんじつKAI 肉体にくたい改造かいぞう成果せいかいまだ発揮はっきできず”. 東京とうきょうスポーツ. (2013ねん3がつ27にち). https://web.archive.org/web/20130330075744/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/125764/ 2013ねん4がつ5にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b 週刊しゅうかんプロレス2017ねん9がつ13にちごうp.128.
  4. ^ “【W‐1】KAIが「自由じゆうになります」と退団たいだん発表はっぴょう 武藤むとう社長しゃちょう頑張がんばってほしい」とエール”. ひがしスポWEB. (2016ねん12月20にち). https://web.archive.org/web/20161221070837/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/631270/ 2016ねん12がつ20日はつか閲覧えつらん 
  5. ^ “WRESTLE-1を退団たいだんしたKAIが全日本ぜんにほんプロレスのリングに登場とうじょう!”. バトルニュース. (2017ねん1がつ3にち). https://battle-news.com/?p=26377 2017ねん1がつ3にち閲覧えつらん 
  6. ^ “【ドラゲー】YAMATOがKAIをくだしドリーム王座おうざ戦線せんせんへ 8・1神戸こうべでシュンとKzyの勝者しょうしゃ挑戦ちょうせん. 東京とうきょうスポーツ. (2021ねん6がつ10日とおか). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/71476 2021ねん12月26にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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同期どうき入門にゅうもん

外部がいぶリンク

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