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週刊ゴング - Wikipedia

週刊しゅうかんゴング

日本にっぽん雑誌ざっし

週刊しゅうかんゴング(しゅうかんゴング、Weekly Gong)は、1984ねんから2007ねんまで日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ(NSP)が発行はっこうしていた週刊しゅうかんプロレス専門せんもん雑誌ざっし略称りゃくしょうは『ゴング』『しゅうゴン(しゅうゴン)』。毎週まいしゅう水曜日すいようび発売はつばいされていたが、2007ねん3月14にち発売はつばいの1168ごう(3がつ28にちごう)を最後さいごに「一時いちじ休刊きゅうかん」となった。

ゴング
PRO-WRESTLING MAGAZINE GONG
愛称あいしょう略称りゃくしょう ゴング
ジャンル スポーツ雑誌ざっし
刊行かんこう頻度ひんど 月刊げっかん
発売はつばいこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
出版しゅっぱんしゃ 発行はっこうもとアイビーレコード発売はつばいもと徳間書店とくましょてん
刊行かんこう期間きかん 2015ねん1がつ - 2016ねん10がつ
特記とっき事項じこう 2014ねん9がつにNo.0発売はつばい。No.3までの編集へんしゅうちょう金沢かなざわ克彦かつひこ。No.4以降いこう井上いのうえたかしひろし
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週刊しゅうかんゴング
WEEKLY Gong
愛称あいしょう略称りゃくしょう しゅうゴン
ジャンル スポーツ雑誌ざっし
刊行かんこう頻度ひんど 週刊しゅうかん
発売はつばいこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
出版しゅっぱんしゃ 日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
刊行かんこう期間きかん 1969ねん12月 - 2007ねん3がつ28にち
特記とっき事項じこう 1.創刊そうかんごうから1984ねん5がつごうまでの発行はっこう頻度ひんどは、月刊げっかん
2.創刊そうかんごう - 1984ねん5がつごう…『別冊べっさつゴング』の題号だいごう発行はっこう
3.1984ねん5がつ24にちごうより、週刊しゅうかん
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ゴング
ジャンル スポーツ雑誌ざっし
刊行かんこう頻度ひんど 月刊げっかん
発売はつばいこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
出版しゅっぱんしゃ 日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
刊行かんこう期間きかん 1968ねん3がつ - 1986ねん11月
特記とっき事項じこう 1986ねん12月より『ゴング格闘技かくとうぎ』に改題かいだい
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元々もともと1968ねんから1986ねんまでNSPが発行はっこうしていた月刊げっかん格闘技かくとうぎ専門せんもんゴング』(『月刊げっかんゴング〔げっかんゴング〕』とも表記ひょうき。のちの『ゴング格闘技かくとうぎ』)の別冊べっさつとして、1969ねんから発行はっこうしていた月刊げっかん別冊べっさつゴング(べっさつゴング)』を週刊しゅうかんするかたち発刊はっかんされた。

ほんこうでは、月刊げっかんゴング・別冊べっさつゴング。2015ねん徳間書店とくましょてんから復刊ふっかんした『ゴング』についても記述きじゅつする。

概要がいよう

編集へんしゅう

スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ(BBM)の退社たいしゃぐみでNSPが設立せつりつされた1968ねん、BBMで『プロレス&ボクシング』の編集へんしゅうちょうをしていた竹内たけうちひろしかいヘッドハンティングし、竹内たけうち編集へんしゅうちょうそう責任せきにんしゃとして月刊げっかん『ゴング』を創刊そうかん発行はっこうは3がつ)。プロレスをはじめボクシングキックボクシングげる格闘技かくとうぎ総合そうごうだった。1982ねんにボクシング記事きじを『月刊げっかんワールド・ボクシング』(げん:『ボクシング・ビート』)として分割ぶんかつ、プロレス専門せんもんされる。1986ねん11月ごう(19かん11ごう通算つうさん257ごう)まで発行はっこうされたのち、同年どうねん12がつごう(19かん12ごう通算つうさん258ごう)より『ゴング格闘技かくとうぎ』となり、プロレス専門せんもんから格闘技かくとうぎ専門せんもんへとリニューアルした。

別冊べっさつゴング』→『週刊しゅうかんゴング』

編集へんしゅう

ゴング創刊そうかん翌年よくねん1969ねん12月、別冊べっさつとしておなじく月刊げっかんでプロレス専門せんもんの『別冊べっさつゴング(べっさつゴング)』が創刊そうかん1984ねん4月発売はつばいの5がつごう(16かん5ごう通算つうさん179ごう)まで発行はっこうされた。

ライバルの『月刊げっかんプロレス』が1983ねん7がつ28にち発売はつばいごう(1983ねん8がつ9にちごう)から週刊しゅうかんされて『週刊しゅうかんプロレス』となり、『月刊げっかんプロレス』の週刊しゅうかん危機ききかんかんじた『月刊げっかんゴング』3代目だいめ編集へんしゅうちょう舟木ふなき昭太郎しょうたろうは「月刊げっかんのままではあぶない。ゴングを週刊しゅうかんすべき」と主張しゅちょう[1]、そして1984ねん5がつ10日とおかに『別冊べっさつゴング』を週刊しゅうかんするかたちで『週刊しゅうかんゴング』としてのだい1ごうとなる5がつ24にちごう(16かん6ごう通算つうさん180ごう)が発売はつばいされた。

2006ねんには、週刊しゅうかんゴング7がつ7にちごう増刊ぞうかんとして『別冊べっさつゴング』が復活ふっかつ。その、2007ねん3がつ9にちごう増刊ぞうかんまでぜん5ごうにわたり隔月かくげつペースで刊行かんこうした。

特定とくていのレスラーへの傾倒けいとう

編集へんしゅう

ゴング創刊そうかん当時とうじは「ゴングのマスカラスか、マスカラスのゴングか」とうたったほどミル・マスカラスをプッシュしていた。主力しゅりょくライターの菊池きくちたかしジャイアント馬場ばばのブレーンだったことから、ターザン山本やまもと週刊しゅうかんプロレスけいのライターが全日本ぜんにほんプロレスのブレーンとなる1990年代ねんだいまで、誌面しめん構成こうせい全日本ぜんにほんプロレスへ傾倒けいとうしていた。週刊しゅうかんプロレスがSWS取材しゅざい拒否きょひけていたころ、そして天龍てんりゅう源一郎げんいちろう関係かんけいふか小佐野おさのけいひろしが94ねん編集へんしゅうちょうになってからは、SWSおよ派生はせい団体だんたいWARかたよった誌面しめん構成こうせいとなる。1999ねんに「GK」こと金沢かなざわ克彦かつひこ編集へんしゅうちょう就任しゅうにんしてからは、長州ちょうしゅうりょく贔屓ひいきとした記事きじ顕著けんちょあらわれる。基本きほんてきしん日本にっぽんプロレス他社たしゃ取材しゅざいをあまりけない長州ちょうしゅう関連かんれん記事きじおおきくメインであつかわれ、団体だんたいだい興行こうぎょうおこなわれたさいも、しん日本にっぽん関連かんれん記事きじ表紙ひょうしあつかわれるなどした。そのしん日本にっぽんプロレス中心ちゅうしん誌面しめん構成こうせいには「しんにち広報こうほう」とファンだけでなく、小川おがわ直也なおやなどレスラーからも揶揄やゆされた。

ライバルである『週刊しゅうかんプロレス』が、編集へんしゅうちょうターザン山本やまもとしただか全盛期ぜんせいきむかえた時期じきには、おおきくみずをあけられていた。しかし、小佐野おさの編集へんしゅうちょう時代じだいの1996ねん週刊しゅうかんプロレスがしん日本にっぽん、WAR、UWFインターナショナルなどからの取材しゅざい拒否きょひけているあいだは、その効果こうかによりじつうれすうはじめてき、金沢かなざわ編集へんしゅうちょう時代じだいには1まん以上いじょうをつけていた。なお、2004ねん金沢かなざわ編集へんしゅうちょう退任たいにんとともにもと数字すうじもどっている。[よう出典しゅってん]

穏健おんけん編集へんしゅう方針ほうしん

編集へんしゅう

上記じょうきよう新日本しんにほん傾倒けいとうした記事きじげていたものの、週刊しゅうかんプロレスが全日本ぜんにほんやSWSなどにったような団体だんたいへのあからさまなバッシングはおこなわなかったため、取材しゅざい拒否きょひとうけなかった。クラッシュギャルズブームの最中さいちゅう、『月刊げっかんゴング』(当時とうじ)は女子じょしプロレスはあつかわないという編集へんしゅう方針ほうしんだったが、その誌面しめん刷新さっしんとともにげるようになった。2006ねんには女子じょしプロレス興行こうぎょう「レディゴンまつり」、インディー団体だんたいあつめた「インディーサミット」を開催かいさいした。

一時いちじ休刊きゅうかん

編集へんしゅう

日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃバブル崩壊ほうかいともな経営けいえい悪化あっかし、経営けいえい悪化あっかどう時期じき出会であけいサイトなどのせい風俗ふうぞくけい企業きぎょうやみ金融きんゆう広告こうこくえ、広告こうこくもそれらの広告こうこく半数はんすう以上いじょうめるごうもあった[2]。2004ねん8がつ経営けいえいじん刷新さっしんされ、これによりゴング(月刊げっかん)創刊そうかんしゃ日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょうだった竹内たけうちひろしかい週刊しゅうかんゴング3代目だいめ編集へんしゅうちょう日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ執行しっこう役員やくいんつとめていた小佐野おさのけいひろし日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ役員やくいん退任たいにんしたほか週刊しゅうかんゴング歴代れきだい編集へんしゅうちょう日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ退社たいしゃ相次あいつぎ、2005ねん11月には2004ねん10がつまで4代目だいめ編集へんしゅうちょうつとめ、以降いこうはプロデューサーの肩書かたがき週刊しゅうかんゴングにかかわっていた金沢かなざわ克彦かつひこが、2006ねん2がつには5代目だいめ編集へんしゅうちょう吉川よしかわ義治よしはるがそれぞれ退社たいしゃした。2006ねん11月には目玉めだまコーナーでなおかつ最長さいちょう連載れんさい企画きかくだった評論ひょうろん座談ざだんかいコーナー「さんしゃさんよう」が終了しゅうりょうした。同年どうねん12がつには、日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ金沢かなざわたい週刊しゅうかんゴング編集へんしゅうちょうへの復帰ふっき打診だしんしたものの、金沢かなざわはこのはなし拒否きょひした[3]。また、2007ねんはいってからは、記者きしゃやカメラマンにたいしての取材しゅざい削減さくげんされた[2]

2007ねん2がつ19にち日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ社長しゃちょうである前田まえだ大作だいさく民事みんじ再生さいせいほう違反いはん容疑ようぎ逮捕たいほされたさいには、3月7にち発売はつばいごう廃刊はいかんとなると一部いちぶマスコミがほうじた。また、モバイルサイトが3月で閉鎖へいさされることもあいまって読者どくしゃ不安ふあん拡大かくだい[4]、さらに初代しょだい編集へんしゅうちょう舟木ふなき昭太郎しょうたろうや3代目だいめ編集へんしゅうちょう小佐野おさのけいひろしもと週刊しゅうかんプロレス』編集へんしゅうちょうのターザン山本やまもと編集へんしゅうスタッフやフリーライターにたいして2がつぶん給料きゅうりょう原稿げんこうりょう支払しはらわれていないことや、『ゴング格闘技かくとうぎ』の編集へんしゅうスタッフ全員ぜんいんが2がつ23にち発売はつばいごうを以って日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ解雇かいこされたり、日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ役員やくいん社員しゃいん週刊しゅうかんゴング存続そんぞくのために金策きんさく奔走ほんそうしていることをあきらかにした[5][6][7]

日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃは2007ねん3がつ2にちにウェブサイトじょうで、編集へんしゅうスタッフのなか退職たいしょく希望きぼうしゃがいる事実じじつみとめたうえでマスコミの報道ほうどう否定ひていし、フリーの立場たちば週刊しゅうかんゴングに寄稿きこうしていた小佐野おさのも3がつ14にち発売はつばいごうまで仕事しごとがあるとして休刊きゅうかん否定ひていした[8]。「さんしゃさんよう」のメンバーだった門馬もんま忠雄ただお知人ちじんなどから事実じじつ確認かくにんもとめる電話でんわがあったことをかし、2007ねん3がつ4にちプロレスリング・ノア日本武道館にほんぶどうかん大会たいかい同年どうねん3がつ6にちしん日本にっぽんプロレス後楽園こうらくえんホール大会たいかいで、門馬もんまこえをかけられた編集へんしゅうスタッフから、廃刊はいかん騒動そうどう直後ちょくご日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ退社たいしゃした編集へんしゅうスタッフが実際じっさいにいたことあきらかにした[9]最終さいしゅうてきに、2007ねん3がつ14にち発売はつばいごうでの休刊きゅうかんが、3月13にちづけスポーツ報知ほうちあらためてほうじられ[10]実際じっさいどうごう誌上しじょうにて正式せいしきに「一時いちじ休刊きゅうかん」が発表はっぴょうされた。なお、前述ぜんじゅつのスポーツ報知ほうちでは報道ほうどうでは休刊きゅうかんごうは1167ごうとされたが、実際じっさいには1168ごうである(別冊べっさつゴングからかぞえたバックナンバーは、38かん64ごう通算つうさん1347ごう)。

後継こうけい創刊そうかん

編集へんしゅう

週刊しゅうかんゴングの一時いちじ休刊きゅうかん直後ちょくご創刊そうかんされた後継こうけいは、清水しみずつとむ小佐野おさのけいひろし木幡きばた一樹かずきが『Gスピリッツ』を、竹内たけうちひろしかい金沢かなざわ克彦かつひこ吉川よしかわ義治よしはるが『Gリング』をそれぞれ創刊そうかんしたため、週刊しゅうかんゴングの歴代れきだい編集へんしゅうちょうが2分裂ぶんれつしなおかつ2とも創刊そうかんが2007ねん9がつ5にちとなる事態じたいとなった。この2日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃからの正式せいしき週刊しゅうかんゴングの版権はんけん移行いこうとはなっていない。

月刊げっかんゴング』・『別冊べっさつゴング』時代じだいからのネガなどの資料しりょうはしばらく東京とうきょう江東こうとう住吉すみよし保管ほかんされ、なおかつ日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃもと社長しゃちょう前田まえだ大作だいさく保有ほゆうしていたが、前田まえだ刑期けいき満了まんりょうに『ゴング』関連かんれんすべての資料しりょう後継こうけい出版しゅっぱんもと週刊しゅうかんゴングのもと編集へんしゅうスタッフではなく、ライバルであった『週刊しゅうかんプロレス』の発行はっこうもとであるスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ譲渡ゆずりわたされた[11][12]。また前田まえだ刑事けいじ裁判さいばんはじまるまえに、山本やまもとや『KAMINOGE編集へんしゅうちょうである井上いのうえたかしひろしなどにたいして『週刊しゅうかんゴング』を復刊ふっかんさせるはなしちかけたが、えとなっている[13]

日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ自体じたいも、『週刊しゅうかんゴング』の正式せいしき版権はんけん移行いこうおこなわれず、なおかつ『ゴング』の名前なまえかんする後継こうけい発行はっこうされないまま2010ねん2がつ破産はさん手続てつづき開始かいし決定けっていけ、2011ねん3がつ破産はさん手続てつづきゆいりょうとともに法人ほうじんかく消滅しょうめつした。

『Gスピリッツ』

編集へんしゅう

2007ねん7がつはいって、週刊しゅうかんゴング2代目だいめ編集へんしゅうちょうのドクトル・ルチャこと清水しみず編集へんしゅうちょうとして、『Gスピリッツ』が辰巳たつみ出版しゅっぱんより刊行かんこう開始かいしされるというアナウンスがあった。もとゴング編集へんしゅうしゃ一部いちぶがライターとして参加さんかし、めいGは「ゴング」のGであると、清水しみず本人ほんにんかたっている。創刊そうかんごうは9がつ中旬ちゅうじゅん発売はつばい予定よていされていたが、後述こうじゅつの『Gリング』創刊そうかんわせて9がつ5にちげとなった。週刊しゅうかんゴング主任しゅにん佐々木ささきけんこれふく編集へんしゅうちょう担当たんとうし、ライターとして週刊しゅうかんゴング3代目だいめ編集へんしゅうちょう小佐野おさの週刊しゅうかんゴング6代目だいめ編集へんしゅうちょう木幡こはたなどが名前なまえつらねた。誌面しめん内容ないようは、それまでの週刊しゅうかんペースでの速報そくほう記事きじ中心ちゅうしんからインタビューや対談たいだん記事きじなど中心ちゅうしん移行いこうし、試合しあい映像えいぞう収録しゅうろくしたDVD付録ふろく毎号まいごうつけることとされているほか、「さんしゃさんよう」が復活ふっかつした。その『Gスピリッツ』はDVD付録ふろく継続けいぞく断念だんねんしたものの、刊行かんこう形態けいたい季刊きかん(3がつ・6月・9月・12月のとし4かい)として継続けいぞくしている。

『Gリング』

編集へんしゅう

2007ねん9がつ5にちだいしゃより『Gリング』が創刊そうかんされることが、8がつ10日とおかから12にちにかけてしん日本にっぽんプロレス「G1 CLIMAX」の試合しあい会場かいじょう配布はいふされたビラにより、告知こくちされた。こちらはさき創刊そうかんされた『Lady'sリング同様どうようにLGCが編集へんしゅう制作せいさく手掛てがけ、週刊しゅうかんゴング4代目だいめ編集へんしゅうちょう金沢かなざわ統括とうかつプロデューサーを担当たんとうし、ライターとして週刊しゅうかんゴング5代目だいめ編集へんしゅうちょう吉川よしかわもと週刊しゅうかんプロレス』編集へんしゅうちょうのターザン山本やまもともと週刊しゅうかんファイト編集へんしゅうちょう井上いのうえ譲二じょうじもと東京とうきょうスポーツ編集へんしゅう局長きょくちょう桜井さくらい康雄やすお菊池きくちたかし門馬もんま忠雄ただおなどが名前なまえつらね、最高さいこう顧問こもんにはゴング創刊そうかんしゃ竹内たけうち就任しゅうにんした[14]。こちらにも『Gスピリッツ』同様どうよう、「さんしゃさんよう」が掲載けいさいされた。また、イメージガールとしてだいのプロレスファンでもあるAV女優じょゆう当時とうじ)の夏目なつめナナ起用きようしている。なお8がつ15にち段階だんかいでは、だいしゃのウェブサイトじょうでのめいは『メンズ・リング』とされていた。『Gリング』は不定期ふていきかんから2008ねん1がつごうより月刊げっかん昇格しょうかくしたが、8がつごう最後さいご休刊きゅうかんとなった。

『ゴング』(復刊ふっかんばん

編集へんしゅう

金沢かなざわは『週刊しゅうかんゴング』一時いちじ休刊きゅうかんから7ねんの2014ねん7がつ24にち自身じしんのブログで、『ゴング』復刊ふっかん公式こうしき発表はっぴょうした。9月9にち復刊ふっかんだい1ごうとして『ゴングvol.0』が発行はっこうされた。編集へんしゅうちょう金沢かなざわ担当たんとうし、発行はっこうもとアイビーレコード発売はつばいもと徳間書店とくましょてん編集へんしゅうは『KAMINOGE』の編集へんしゅう担当たんとうしているTHE PEHLWANSがそれぞれ手掛てがけ、『Gスピリッツ』・『Gリング』(後者こうしゃ休刊きゅうかん同様どうよう、「さんしゃさんよう」が掲載けいさいされる。ライターとして山本やまもと、『週刊しゅうかんプロレス』にコラムを寄稿きこうしていた斎藤さいとう文彦ふみひこ漫画まんが嶋田しまだ隆司たかしなどがつらねる[12][15][16]復刊ふっかんばん『ゴング』は週刊しゅうかんゴングの後継こうけいでははじめて『ゴング』の名前なまえかんするほか日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ法人ほうじんかく消滅しょうめつでは、はつ後継こうけい創刊そうかんとなった。復刊ふっかんばん『ゴング』は2015ねん1がつ23にち定期ていき刊行かんこうだい1ごう発売はつばいされ、同年どうねん3がつ25にちからは月刊げっかんとして発行はっこうされている[17][18][19]。2015ねん11月のだい9ごうよりはんサイズをちいさくするなどリニューアルをおこなったほか[20]、12月に発売はつばい予定よていだっただい10ごう発売はつばい延期えんきした[21]。2016ねん1がつには「別冊べっさつゴング」を発行はっこう[22]。17ごうから小松こまつ伸太郎しんたろう編集へんしゅうちょうとなる。

アイビーレコードの出版しゅっぱん事業じぎょう撤退てったいともない、2016ねん10がつ31にち発売はつばいだい18ごうをもって、事実じじつじょう休刊きゅうかんとなった。

歴代れきだい編集へんしゅうちょう

編集へんしゅう

週刊しゅうかんゴング』の歴代れきだい編集へんしゅうちょう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ maikaiプロレスコラム小佐野おさのけいひろし公式こうしきサイト だい132かい
  2. ^ a b ギリギリまでたたかった週刊しゅうかんゴング、歴史れきしにいったんまくカクトウログ 2007ねん3がつ15にち
  3. ^ ゴングのたましい『Gリング』創刊そうかん!カクトウログ 2007ねん8がつ15にち
  4. ^ 週刊しゅうかんゴング』休刊きゅうかんについて。ターザンカフェ 2007ねん3がつ1にち
  5. ^ 頑張がんばれ!日本にっぽんスポーツの諸君しょくん舟木ふなき昭太郎しょうたろうオフィシャルブログ 2007ねん3がつ2にち
  6. ^ ゴング休刊きゅうかんについてmaikaiダイアリー 小佐野こさのけいひろし公式こうしきサイト 2007ねん3がつ14にち
  7. ^ 週刊しゅうかんゴング』休刊きゅうかんについて(2)ターザンカフェ 2007ねん3がつ4にち
  8. ^ 週刊しゅうかんゴング廃刊はいかんって?maikaiダイアリー 小佐野こさのけいひろし公式こうしきサイト 2007ねん3がつ1にち
  9. ^ 伝統でんとうすな!「週刊しゅうかんゴング」廃刊はいかん騒動そうどう Number web 2007ねん3がつ22にち
  10. ^ [1]
  11. ^ 週刊しゅうかんゴング」復刊ふっかんはなしターザンカフェ 2008ねん2がつ9にち
  12. ^ a b GK連載れんさいコラムだい5かい!!「ゴング復刊ふっかん!!」THE BIG FIGHT 2014ねん7がつ24にち
  13. ^ 週刊しゅうかんゴング」復刊ふっかんはなしターザンカフェ 2008ねん1がつ31にち
  14. ^ ただしこの時点じてんすで竹内たけうちのう梗塞こうそくたおれており、実質じっしつてきには名義めいぎしのみであった
  15. ^ 「ゴング」復刊ふっかん宣言せんげん!金沢かなざわ克彦かつひこオフィシャルブログ 2014ねん7がつ24にち
  16. ^ 『ゴング』復刊ふっかんごう、コンテンツ紹介しょうかい金沢かなざわ克彦かつひこオフィシャルブログ 2014ねん9がつ4にち
  17. ^ 来年らいねん1がつから『ゴング』定期ていき刊行かんこう決定けってい!金沢かなざわ克彦かつひこオフィシャルブログ 2014ねん10がつ23にち
  18. ^ ゴング創刊そうかんごう発売はつばい決定けってい!金沢かなざわ克彦かつひこオフィシャルブログ 2014ねん12月12にち
  19. ^ プロレス人気にんき 復活ふっかつのゴング東京とうきょう新聞しんぶん 2014ねん12月28にち(2015ねん1がつ8にち閲覧えつらん
  20. ^ ゴングがだいごうからリニューアル~体裁ていさいが「B5びーご変形へんけいみぎびらき」に/木谷きたに高明こうめいオーナー「色々いろいろ意見いけんることは大切たいせつ カクトウログ (2015ねん10がつ19にち) 2016ねん2がつ2にち閲覧えつらん
  21. ^ ~ゴング10ごう発売はつばい変更へんこうのおしらせ~ アイビーレコード IVY Records (2015ねん12月4にち) 2016ねん2がつ2にち閲覧えつらん
  22. ^ 別冊べっさつゴング 金沢かなざわ克彦かつひこオフィシャルブログ (2016ねん1がつ11にち) 2016ねん2がつ2にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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