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WEC-JAPAN - Wikipedia

WEC-JAPAN(ウェック・ジャパン)は、1982ねんから1988ねんまで毎年まいとし富士ふじスピードウェイ世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん(1986ねんより世界せかいスポーツプロトタイプカー選手権せんしゅけん=WSPCと改称かいしょう)の一戦いっせんとして開催かいさいされていた耐久たいきゅうレース。1989ねんからWSPCが鈴鹿すずか開催かいさいされることになったため消滅しょうめつした。主催しゅさいはVICICとスポすぽツニッポン新聞社つにっぽんしんぶんしゃ共催きょうさい

概要がいよう

編集へんしゅう

1982ねんグループC規定きてい導入どうにゅうされたこのとし1977ねんF1日本にっぽんグランプリ以来いらい、5ねんぶりとなる世界せかい選手権せんしゅけんレースとして開催かいさいされた。日本にっぽん国外こくがいからはポルシェランチャのワークスチームが来日らいにち日本にっぽんからは国産こくさんはつのグループCカーとなるトムス童夢どうむ・セリカC参加さんかした。よく1983ねん全日本ぜんにほん耐久たいきゅう選手権せんしゅけんのJSPC)がスタートしたこともあり、このWEC-JAPANを目標もくひょうトヨタ日産にっさん本格ほんかくてきにモータースポーツ活動かつどう再開さいかいしていくこととなる。

開始かいし初年度しょねんどの1982ねんは6あいだレースであったが、よく1983ねん以降いこうは1000kmレースで開催かいさいされた。ただし1983ねん事故じこ1985ねん悪天候あくてんこうでレース距離きょり短縮たんしゅくされた。

国産こくさんエンジン搭載とうさいしゃ日本人にっぽんじん選手せんしゅによるはつ優勝ゆうしょうは、1985ねんマーチ・85G/日産にっさん星野ほしの一義かずよし国産こくさんエンジン搭載とうさいしゃ日本人にっぽんじん選手せんしゅによるはつのポールポジション獲得かくとく1987ねんマーチ・86G/日産にっさん和田わだ孝夫たかおである。

なお、世界せかい選手権せんしゅけんがWECからWSPCへと改称かいしょうされた1986ねん以降いこうも、イベントめいとしてWEC-JAPANという呼称こしょう継続けいぞくされた。

レース結果けっか

編集へんしゅう
開催かいさいねん 開催かいさい シリーズめい レース形態けいたい
優勝ゆうしょう PP 出走しゅっそう 観衆かんしゅう
# ドライバー - 周回しゅうかいすう / 車種しゃしゅ # ドライバー - タイム / 車種しゃしゅ
1982ねん 10月3にち WEC  6あいだ 1   ジャッキー・イクス
  ヨッヘン・マス

260しゅう / ポルシェ・956
51   ミケーレ・アルボレート

1ふん12びょう39 / ランチア・LC1
38  86,000
1983ねん 10月2にち WEC  1000km 2   デレック・ベル
  ステファン・ベロフ

225しゅう / ポルシェ・956
2   ステファン・ベロフ

1ふん10びょう02 / ポルシェ・956
37  83,000
1984ねん 9月30にち WEC  1000km 2   ジョン・ワトソン
  ステファン・ベロフ

226しゅう / ポルシェ・956
2   ステファン・ベロフ

1ふん17びょう49 / ポルシェ・956
35  83,500
1985ねん 10月6にち WEC  1000km 28   星野ほしの一義かずよし
  松本まつもと恵二けいじ
  萩原はぎはらひかり

62しゅう / マーチ・85G/日産にっさん
2   ハンス=ヨアヒム・シュトゥック

1ふん15びょう92 / ポルシェ・962C
35  83,100
1986ねん 10月5にち WSPC 1000km 7   パオロ・バリッラ
  ピエルカルロ・ギンザーニ

226しゅう / ポルシェ・956
18   オスカー・ララウリ

1ふん16びょう519 / ポルシェ・962C
40  85,300
1987ねん 9月27にち WSPC 1000km 5   ヤン・ラマース
  ジョン・ワトソン

224しゅう / ジャガー・XJR-8
28   和田わだ孝夫たかお

1ふん19びょう021 / マーチ・86G/日産にっさん
37  78,500
1988ねん 10月9にち WSPC  1000km 1   マーティン・ブランドル
 エディ・チーバー
  ジョン・ニールセン

224しゅう / ジャガー・XJR-9
27   岡田おかだ秀樹ひでき

1ふん18びょう210 / ポルシェ・962C
35 81,500