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Whirlwind - Wikipedia

Whirlwind(ホワールウィンド、原義げんぎは「つむじかぜ」)とは、マサチュまさちゅセッツ工科大学せっつこうかだいがく(MIT)で開発かいはつされたコンピュータである。リアルタイム処理しょり念頭ねんとういた世界せかいはつのコンピュータであり、出力しゅつりょく機器ききとして世界せかいはつモニター端末たんまつ使つかい、従来じゅうらい機械きかいシステムの電子でんしてき置換ちかんではないはじめてのシステムとわれている。その開発かいはつは、直接的ちょくせつてきにはアメリカ空軍くうぐんSAGEシステムにがれ、間接かんせつてきには1960年代ねんだい商用しょうようコンピュータに影響えいきょうおよぼした。

Whirlwind

背景はいけい

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だい世界せかい大戦たいせんなかアメリカ海軍かいぐんはMITにばくげき乗組のりくみいん訓練くんれんするためのフライトシミュレータ制御せいぎょするコンピュータの開発かいはつ可能かのう打診だしんした。かれらが想定そうていしていたのは、パイロットの操作そうさもとづいて計器けいきばん表示ひょうじ継続けいぞくてきにシミュレートするという単純たんじゅんなコンピュータであった。従来じゅうらいリンクトレーナとはことなり、かれらの想定そうていしたシステムは空気くうき力学りきがくてきモデルにもとづいた実物じつぶつかぎりなくちかいものであり、様々さまざま航空機こうくうき訓練くんれん使つかえるものだったのである。

MITサーボ機構きこう研究けんきゅうしつはそのようなシステムは開発かいはつ可能かのうであるとの結論けつろんいたった。それをけて海軍かいぐんは「Project Whirlwind」の名前なまえ資金しきん提供ていきょう決定けっていし、プロジェクトの責任せきにんしゃとしてジェイ・フォレスター選任せんにんされた。かれらは即座そくざ大型おおがたアナログコンピュータ開発かいはつしたが、それは正確せいかくさにけ、柔軟じゅうなんせいとぼしかった。その問題もんだい解決かいけつするにはさらに大型おおがたのシステムが必要ひつようだったが、それは到底とうてい製造せいぞう可能かのうとはかんがえられなかった。

1945ねん、MITのチームの一員いちいんであったジェリー・クローフォードはENIACのデモンストレーションをてデジタルしきコンピュータが解決かいけつさくとなるかもしれないと示唆しさした。デジタルしきであれば、部品ぶひん追加ついかするわりにプログラムを追加ついかすればシミュレーション正確せいかくせい向上こうじょうさせることができるためであった。当時とうじ認識にんしきではコンピュータは十分じゅうぶん高速こうそくであり、どんな複雑ふくざつなシミュレーションでも理論りろんてきには可能かのうおもわれた。

当時とうじのコンピュータはいちにひとつのタスクを実行じっこうするバッチ処理しょりよう開発かいはつされていた。入力にゅうりょくデータが事前じぜん用意よういされ、コンピュータがそれを使つかって計算けいさんおこない、結果けっか出力しゅつりょくする。しかしこれではWhirlwindシステムには不十分ふじゅうぶんである。Whirlwindでは、時々刻々じじこくこく変化へんかする入力にゅうりょくたいして連続れんぞくてき計算けいさんおこな必要ひつようがあった。速度そくどもっとおおきな問題もんだいとなった。一般いっぱんのシステムでは計算けいさん結果けっかがプリントアウトされるのをじっとっているのが普通ふつうだったが、Whirlwindでは速度そくどおそいとシミュレーションできる複雑ふくざつさが極端きょくたん制限せいげんされてしまう。

詳細しょうさい

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設計せっけい製造せいぞう

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1947ねん、フォレスターとエヴァレットは高速こうそくプログラム内蔵ないぞうしきコンピュータの設計せっけい完了かんりょうした。当時とうじおおくのコンピュータは「ビット直列ちょくれつしき動作どうさしていた。これは1ビットの演算えんざんかえ実行じっこうすることでワードちょうぶんの処理しょりおこな方式ほうしきで、ワードちょうは48ビットとか60ビットとながかった。しかしこの方式ほうしきかれらの用途ようとには性能せいのうわるすぎたので、Whirlwindは16ビットを並列へいれつ処理しょりする演算えんざん回路かいろそなえ、ワードちょうも 16ビットとして、サイクルごとに「ビット並列へいれつしき演算えんざんおこなえた。メモリの速度そくど無視むしすれば Whirlwind は当時とうじほかのコンピュータの 16ばい高速こうそくせいほこっていた。現在げんざいではほとんどのコンピュータはこの方式ほうしき採用さいようしていて、さらに 32ビットや 64ビットのワードをいち処理しょりするようになっている。

ワードちょうはちょっとした考慮こうりょのうえで決定けっていされた。マシンは命令めいれいごとにひとつのメモリアドレスを指定していされて動作どうさする。ふたつのオペランドにたいする演算えんざんをする場合ばあいたとえば加算かさんをする場合ばあい)、もう一方いっぽうのオペランドは直前ちょくぜん命令めいれいのオペランドを使用しようするものとされた。したがって、Whirlwindのプログラムはぎゃくポーランド記法きほう電卓でんたくている。(ただし、オペランドのスタックがあるわけではない。)設計せっけいしゃ最低さいていでも2000ワードぶんのメモリが必要ひつようであるとかんがえ、アドレスのビットはばを11ビットとし、さらに16~32種類しゅるい命令めいれい識別しきべつするための命令めいれいコードようの 5ビットをくわえて、ワードちょうを 16ビットとしたのである。ジョン・フォン・ノイマンはこのワードちょうちいささをいて、Whirlwindに興味きょうみたなかったという(かれ興味きょうみ科学かがく技術ぎじゅつ計算けいさんにあり、精度せいどげるためにワードちょうながくなければならなかった)。

マシンの建造けんぞう翌年よくねんから開始かいしされた。これには175にん(うち70にん技術ぎじゅつしゃ)がかかわっている。Whirlwindは完成かんせいまでに 3ねんついやし、1951ねん4がつ20日はつか動作どうさした。当初とうしょ海軍かいぐんのフライトシミュレータけだったものが、完成かんせいには空軍くうぐんSAGEけになっていた。プロジェクトは毎年まいとしひゃくまんドルを消費しょうひし、海軍かいぐんすで興味きょうみうしなっていたのである。一方いっぽう空軍くうぐんでは、冷戦れいせん勃発ぼっぱつ航空機こうくうきのジェットによる高速こうそく、またとくソ連それん原子げんしばくだん完成かんせいにより、可能かのうかぎ迅速じんそく確認かくにん発見はっけん要撃ようげき管制かんせいてき侵攻しんこうであれば即座そくざ撃墜げきついできる態勢たいせいととのえることが喫緊きっきん課題かだいであり、自動じどうされた機械きかいたすくしてジェット機じぇっときによるかく攻撃こうげきふせぐことは不可能ふかのうであった。これがWhirlwindをかれらのプロジェクトにんだ理由りゆうであった。

マシンの「コア」

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Whirlwindの磁気じきコアメモリ装置そうち

当初とうしょ速度そくど非常ひじょうおそく(20KIPS)、実用じつようには程遠ほどとおかった。加算かさんは 49マイクロびょう乗算じょうざんは 61マイクロびょうかかっていた。トラブルの原因げんいんのほとんどはしゅ記憶きおく装置そうちとしてウィリアムスかん使つかっていたためである。フォレスターはこれを改善かいぜんする技術ぎじゅつさがし、らせんじょう磁気じきテープなどをためしたが、最終さいしゅうてき磁気じきコアメモリにたどりいた。これによって性能せいのうやくばい(40KIPS)となった(1953ねん)。

磁気じきコアメモリを実装じっそうすることで、Whirlwindは当時とうじ世界せかい最高さいこうそくコンピュータとなった。Whirlwind Iは磁気じきコアメモリを搭載とうさいした最初さいしょのコンピュータである[1]加算かさん時間じかんは8マイクロびょう乗算じょうざん時間じかんは25.5マイクロびょう除算じょざんは57マイクロびょう(ただし、メモリアクセス時間じかんのぞく)となった。磁気じきドラムメモリでは8,500マイクロびょうだったアクセス時間じかんが、磁気じきコアメモリでは8マイクロびょう改善かいぜんされている。1940年代ねんだい後半こうはん Whirlwindにて、桁上けたあ保存ほぞん乗算じょうざんはじめて姿すがたあらわしている[2]

この高速こうそくによってSAGEじゅうふん使つかえる性能せいのうとなり、AN/FSQ-7 という量産りょうさん製造せいぞうして使用しようする段階だんかいとなった。当時とうじRCA有力ゆうりょくだったが、IBMがその製造せいぞう業者ぎょうしゃえらばれた。IBMはのちにこのシステムでつちかわれたリアルタイム技術ぎじゅつSABREシステム(航空機こうくうきのチケットやくシステム)で商用しょうようしている。AN/FSQ-7 の製造せいぞう1957ねん開始かいしされ、同時どうじ建物たてもの送電そうでん施設しせつ通信つうしんネットワークがSAGEシステムのために建設けんせつされた。

Whirlwind のその

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Whirlwind IIは、1959ねん6がつ30にちまでSAGEにおいてサポートやくたした。その1970年代ねんだい後半こうはんまでプロジェクトメンバーのBill Wolfがとし1ドルでマシンをりていた。そのケン・オルセンがこれをって一時いちじてき所有しょゆうしていたが、スミソニアン博物館はくぶつかん寄贈きぞうした。

Whirlwindはやく5000ほん真空しんくうかん構成こうせいされていた。そのデザインをそのままトランジスタする作業さぎょうケン・オルセンによっておこなわれており、TX-0としてられている。これが成功せいこうおさめたので、さらにだい規模きぼしたTX-1が計画けいかくされた。しかしこのプロジェクトは野心やしんてきすぎたため、規模きぼ縮小しゅくしょうしてTX-2完成かんせいした。これもトラブルがおおいマシンであったが、オルセンは途中とちゅうでプロジェクトをけてデジタル・イクイップメント・コーポレーションしゃ(DEC)を設立せつりつ。DECのPDP-1はTX-0とTX-2のコンセプトをあつめて、よりちいさなマシンに仕立したてたものである。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • John F. Jacobs, The SAGE Air Defense System: A Personal History (MITRE Corporation, 1986) Whirlwindにかんする様々さまざま資料しりょうふく
  • 『コンピューター200ねん情報じょうほうマシーン開発かいはつ物語ものがたり-』M.キャンベル=ケリー(ちょ)、山本やまもと菊男きくお(わけ)、海文堂かいぶんどう(1999ねん)、ISBN 4-303-71430-5
  • P.HAYES, JOHN (1978,1979). Computer Architecture and Organization. pp. 21. ISBN 0-07-027363-4 

外部がいぶリンク

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いずれも英文えいぶん