ENIAC (エニアック、E lectronic N umerical I ntegrator a nd C omputer[ 1] )[ 2] [ 3] は、アメリカ で開発 かいはつ された黎明 れいめい 期 き の電子 でんし 計算 けいさん 機 き 。
プログラミングされるENIAC
2人 ふたり のプログラマがENIACの制御 せいぎょ パネルを操作 そうさ しているところ
電子 でんし 式 しき でデジタル式 しき だがプログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき とするにはプログラムのためのメモリはごくわずかで、パッチパネル によるプログラミングは煩雑 はんざつ ではあったものの、必 かなら ずしも専用 せんよう 計算 けいさん 機 き ではなく広範囲 こうはんい の計算 けいさん 問題 もんだい を解 と くことができた[ 4] 。しかし、任意 にんい の計算 けいさん 可能 かのう な問題 もんだい について計算 けいさん できるという能力 のうりょく が当初 とうしょ の時点 じてん で基本 きほん 的 てき にはあったわけではなく(後述 こうじゅつ )、アナログ機械 きかい 式 しき 計算 けいさん 機 き の一 いち 種類 しゅるい である微分 びぶん 解析 かいせき 機 き と同様 どうよう に、微分 びぶん 方程式 ほうていしき で表 あらわ すことができるような多 おお くの種類 しゅるい の問題 もんだい について積分 せきぶん 法 ほう によって数値 すうち 的 てき な解 かい を得 え る(ただしこちらは数値 すうち 的 てき (ディジタル)に)、という機械 きかい である。後 ご の改良 かいりょう により、ごく小規模 しょうきぼ だがプログラミング的 てき な使 つか い方 かた も可能 かのう になり、円周 えんしゅう 率 りつ の桁数 けたすう 向上 こうじょう 記録 きろく の歴史 れきし で有名 ゆうめい な1949年 ねん の2037桁 けた という記録 きろく は、そのような改良 かいりょう 後 ご の機能 きのう を活用 かつよう したものである。
当初 とうしょ は、アメリカ陸軍 りくぐん の弾道 だんどう 研究所 けんきゅうじょ での砲撃 ほうげき 射 い 表 ひょう の計算 けいさん を第 だい 一 いち の目的 もくてき として設計 せっけい されたが、その初期 しょき に行 おこな われた計算 けいさん で射 い 表 ひょう の計算 けいさん とは全 まった く違 ちが うもののひとつに、マンハッタン計画 けいかく についてのものがある[ 5] [ 6] 。1946年 ねん に発表 はっぴょう されたとき、報道 ほうどう には「巨大 きょだい 頭脳 ずのう 」(Giant Brain) といった呼称 こしょう が見 み られる。なお、新 しん 技術 ぎじゅつ に "Brain" という比喩 ひゆ を使 つか うのは、戦時 せんじ 中 ちゅう から見 み られる。例 たと えば、ライフ 誌 し 1937年 ねん 8月 がつ 16日 にち の p.45 に Overseas Air Lines Rely on Magic Brain (RCA Radiocompass)、1942年 ねん 3月 がつ 9日 にち の p.55 に the Magic Brain - is a development of RCA engineers (RCA Victrola)、1942年 ねん 12月14日 にち の p.8 に Blanket with a Brain does the rest! (GE Automatic Blanket)、1943年 ねん 11月8日 にち の p.8 に Mechanical brain sights gun (How to boss a BOFORS!) といった記事 きじ があり、また、各種 かくしゅ の計算 けいさん 機械 きかい を扱 あつか ったエドモンド・バークレー の啓蒙 けいもう 書 しょ "Giant Brains, or Machines That Think"(邦題 ほうだい 『人工 じんこう 頭脳 ずのう 』)などといった例 れい もあるように、これは何 なん ら特記 とっき 事項 じこう ではない。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか 、ENIACの設計 せっけい と製作 せいさく の資金 しきん はアメリカ陸軍 りくぐん が支出 ししゅつ した。その契約 けいやく は1943年 ねん 6月 がつ 5日 にち に結 むす ばれ、ペンシルベニア大学 だいがく 電気 でんき 工学科 こうがっか (ムーア・スクール )にて "Project PX" の名 な で秘密裏 ひみつり に設計 せっけい が開始 かいし された。1946年 ねん 2月 がつ 14日 にち の夕方 ゆうがた に完成 かんせい したマシンが公開 こうかい され[ 7] 、翌日 よくじつ にはペンシルベニア大学 だいがく で正式 せいしき に使用 しよう が開始 かいし された[ 8] 。開発 かいはつ にかかった総額 そうがく は50万 まん ドル弱 じゃく だった。アメリカ陸軍 りくぐん に正式 せいしき に引 ひ き渡 わた されたのは1946年 ねん 7月 がつ のことである。1946年 ねん 11月9日 にち 、改造 かいぞう と記憶 きおく 装置 そうち のアップグレードのためにシャットダウンされ、1947年 ねん にはメリーランド州 しゅう のアバディーン性能 せいのう 試験場 しけんじょう に移送 いそう された。そこで1947年 ねん 7月 がつ 29日 にち に電源 でんげん を入 い れ、1955年 ねん 10月 がつ 2日 にち の午後 ごご 11時 じ 45分 ふん まで運用 うんよう された[ 3] 。
ENIACを考案 こうあん ・設計 せっけい したのはペンシルベニア大学 だいがく のジョン・モークリー とジョン・プレスパー・エッカート である[ 9] 。設計 せっけい 開発 かいはつ に加 くわ わった技術 ぎじゅつ 者 しゃ としては、ロバート・F・ショー(Robert F. Shaw/ファンクションテーブル)、ジェフリー・チュアン・チュー (除算 じょざん 器 き /平方根 へいほうこん 計算 けいさん 器 き )、アーサー・バークス (乗算 じょうざん 器 き )、ハリー・ハスキー (入出力 にゅうしゅつりょく )、ジャック・デイヴィス(Jack Davis/アキュムレータ)らがいる。
1987年 ねん 、ENIACはIEEEマイルストーン に選 えら ばれた[ 10] 。
ENIACはモジュラー構造 こうぞう で、個々 ここ のパネルがそれぞれ異 こと なる機能 きのう を担 にな っている。そのうち20のモジュールはアキュムレータと呼 よ ばれ、十進法 じっしんほう で10桁 けた の数値 すうち を記憶 きおく し、加減算 かげんざん しかできない。数値 すうち はそれらモジュール間 あいだ を結 むす ぶいくつかの汎用 はんよう バスを通 とお して渡 わた される。高速 こうそく 性 せい を実現 じつげん するため、数値 すうち の転送 てんそう も計算 けいさん も結果 けっか の格納 かくのう も次 つぎ の操作 そうさ へのトリガも全 すべ て可動 かどう 部品 ぶひん を使 つか わずに行 おこな われる。その汎用 はんよう 性 せい の鍵 かぎ となったのは分岐 ぶんき する能力 のうりょく で、計算 けいさん 結果 けっか の符号 ふごう によって次 つぎ の操作 そうさ を選択 せんたく できるようになっていた。
ENIACは17,468本 ほん の真空 しんくう 管 かん 、7,200個 こ のダイオード 、1,500個 こ のリレー 、70,000個 こ の抵抗 ていこう 器 き 、10,000個 こ のコンデンサ 等 とう で構成 こうせい されていた。人手 ひとで ではんだ 付 つ けされた箇所 かしょ は約 やく 500万 まん に及 およ ぶ。幅 はば 30m、高 たか さ2.4m、奥行 おくゆ き0.9m、総 そう 重量 じゅうりょう 27トンと大掛 おおが かりな装置 そうち で、設置 せっち には倉庫 そうこ 1個 こ 分 ぶん のスペース(167m2 )を要 よう した。消費 しょうひ 電力 でんりょく は150kW [ 11] [ 12] 。そのため、ENIACの電源 でんげん を入 い れるとフィラデルフィア中 ちゅう の明 あ かりが一瞬 いっしゅん 暗 くら くなったという噂 うわさ が生 う まれた[ 13] 。入出力 にゅうしゅつりょく にはIBM のパンチカード (読 よ み取 と り装置 そうち とパンチ)を使用 しよう 可能 かのう だった。出力 しゅつりょく されたパンチカードをIBMのタビュレーティングマシン (IBM 405 など)に読 よ み込 こ ませて印字 いんじ することができる。
ENIACでは当時 とうじ 一般 いっぱん 的 てき だった8ピンソケットの真空 しんくう 管 かん を使 つか っている。アキュムレータのフリップフロップ には双 そう 三 さん 極 きょく 管 かん 6SN7 が使 つか われ、他 た の論理 ろんり 回路 かいろ には 6L7 、6SJ7 、6AC7 が使 つか われている。モジュール間 あいだ を結 むす ぶケーブル上 じょう でのパルスを駆動 くどう するのに 6L6 と 6V6 が使 つか われている。
現在 げんざい のコンピュータは二進法 にしんほう で計算 けいさん を行 おこな うものがほとんどだが、ENIACは内部 ないぶ 構造 こうぞう に十進法 じっしんほう を採用 さいよう した。1桁 けた の十 じゅう 進数 しんすう を格納 かくのう するのに、10ビットのリング・カウンタ を使用 しよう しており、1桁 けた の記憶 きおく に36本 ほん の真空 しんくう 管 かん を必要 ひつよう とする。そのうち10本 ほん は双 そう 三 さん 極 きょく 管 かん で、フリップフロップ でリング・カウンタを構成 こうせい している。演算 えんざん は、リング・カウンタが入力 にゅうりょく パルスをカウントする形 かたち で行 おこな われ(リング・カウンタのビット列 びっとれつ は二 に 進数 しんすう を表 あらわ しているのではなく、"1"の個数 こすう がその桁 けた の値 ね である)、あふれるとキャリーパルスを発生 はっせい する。これは機械 きかい 式 しき 計算 けいさん 機 き で数 かず を表 あらわ す歯車 はぐるま を電子 でんし 的 てき にエミュレートしたものである。全部 ぜんぶ で20の10桁 けた のアキュムレータ があり、10の補数 ほすう 表現 ひょうげん で負 まけ の値 ね を表 あらわ し、毎秒 まいびょう 5,000回 かい の加減算 かげんざん を行 おこな える。複数 ふくすう のアキュムレータを接続 せつぞく して同時 どうじ 並行 へいこう 的 てき に動作 どうさ させることができるので、最高 さいこう 性能 せいのう はさらに高 たか い。
1つのアキュムレータのキャリーをもう1つのアキュムレータへの入力 にゅうりょく とし、全体 ぜんたい で20桁 けた の演算 えんざん となるよう構成 こうせい することもできるが、回路 かいろ のタイミングの関係 かんけい で3つ以上 いじょう のアキュムレータをキャリーで接続 せつぞく することはできない(30桁 けた などは不可能 ふかのう )。アキュムレータのうち4台 だい は「乗算 じょうざん 器 き 」の制御 せいぎょ 下 か にあり、毎秒 まいびょう 385回 かい の乗算 じょうざん が可能 かのう である。また5台 だい のアキュムレータは「除算 じょざん 器 き /平方根 へいほうこん 計算 けいさん 器 き 」の制御 せいぎょ 下 か にあり、毎秒 まいびょう 40回 かい の除算 じょざん または毎秒 まいびょう 3回 かい の平方根 へいほうこん 計算 けいさん が可能 かのう である。
ENIACのファンクションテーブルを操作 そうさ している様子 ようす 。この写真 しゃしん は詳細 しょうさい を分 わ からなくするため、意図 いと 的 てき に暗 くら くしたものである。[ 14]
他 た に、始動 しどう ユニット(処理 しょり の始動 しどう ・停止 ていし を行 おこな う)、サイクリングユニット(クロックパルスを他 た のユニットに供給 きょうきゅう )、マスタープログラマ(ループ回数 かいすう を制御 せいぎょ するユニット)、リーダー(IBM製 せい パンチカード読取 よみと 装置 そうち の制御 せいぎょ )、プリンター(IBM製 せい カードパンチ機 き の制御 せいぎょ )、定数 ていすう 転送 てんそう ユニット、ファンクションテーブルといったユニットで構成 こうせい されている。
Rojas and Hashagen またはウィルクス[ 9] は、より詳細 しょうさい に内部 ないぶ の動 うご きを説明 せつめい しており、それは上述 じょうじゅつ のものとは若干 じゃっかん 異 こと なる。基本 きほん マシンサイクルは200マイクロ秒 びょう (サイクリングユニットの100kHz きろへるつ のクロックパルスの20サイクルに相当 そうとう )で、10桁 けた の数値 すうち を毎秒 まいびょう 5,000回 かい 操作 そうさ できる。その1サイクルで数値 すうち をレジスタに書 か き込 こ んだり、レジスタから数値 すうち を読 よ み出 だ したり、2つの数値 すうち の加減算 かげんざん を行 おこな ったりできる。10桁 けた の数値 すうち と d 桁 けた の数値 すうち (d の最大 さいだい 値 ち は10)の乗算 じょうざん には d +4 サイクルを必要 ひつよう とするので、10桁 けた の数値 すうち 同士 どうし の乗算 じょうざん は14サイクル(2800マイクロ秒 びょう )かかり、毎秒 まいびょう 357回 かい ということになる。どちらか一方 いっぽう の数値 すうち の桁数 けたすう が少 すく なければ乗算 じょうざん はもっと短時間 たんじかん で終了 しゅうりょう する。除算 じょざん と平方根 へいほうこん 計算 けいさん には 13(d +1) サイクルかかり、この場合 ばあい の d は結果 けっか (商 しょう または平方根 へいほうこん )の桁数 けたすう である。したがって最大 さいだい 143サイクル(28,600マイクロ秒 びょう )かかるので毎秒 まいびょう 35回 かい となる(ウィルクス[ 9] は、10桁 けた の商 しょう を求 もと めるのに6ミリ秒 びょう かかるとしている)。こちらも演算 えんざん 結果 けっか の桁数 けたすう が少 すく なければもっと短時間 たんじかん で完了 かんりょう する。
真空 しんくう 管 かん が並 なら ぶENIACの裏面 りめん の一部 いちぶ
当初 とうしょ 、真空 しんくう 管 かん は毎日 まいにち 数 すう 本 ほん が壊 こわ れ、修理 しゅうり には毎回 まいかい 30分 ふん ほどかかった。特殊 とくしゅ な高信頼 こうしんらい 真空 しんくう 管 かん が使 つか えるようになったのは1948年 ねん のことである。故障 こしょう の大 だい 部分 ぶぶん は電源 でんげん の投入 とうにゅう ・切断 せつだん 時 じ に起 お きていた。これは真空 しんくう 管 かん のヒーターとカソードの加熱 かねつ と冷却 れいきゃく の際 さい にもっともストレスがかかるためである。そこで、真空 しんくう 管 かん のフィラメントを定 てい 格 かく の10%未満 みまん という低 ひく い電圧 でんあつ で動作 どうさ させ、加熱 かねつ と冷却 れいきゃく でフィラメントが膨張 ぼうちょう と収縮 しゅうしゅく を繰 く り返 かえ さないよう電源 でんげん は落 お とさない等 ひとし 、多 おお くの工夫 くふう を行 おこな った。それにより真空 しんくう 管 かん の故障 こしょう 率 りつ を2日 にち に1本 ほん という割合 わりあい にまで低減 ていげん させた。エッカートは1989年 ねん のインタビューで「真空 しんくう 管 かん の故障 こしょう はだいたい2日 にち に1本 ほん の割合 わりあい で、修理 しゅうり は15分 ふん で完了 かんりょう した」と述 の べている[ 15] 。1954年 ねん 、116時間 じかん (ほぼ5日間 にちかん )という連続 れんぞく 運転 うんてん 記録 きろく を達成 たっせい している。
メモリがごくわずかなため、プログラム内蔵 ないぞう 能力 のうりょく は事実 じじつ 上 じょう はほぼ無 な く、パンチカードなどの外部 がいぶ デバイスからプログラムを取 と り込 こ む方式 ほうしき である。
ENIACは複雑 ふくざつ なプログラムも組 く むことができ、ループ、分岐 ぶんき 、サブルーチンが可能 かのう である。プログラミングは複雑 ふくざつ な作業 さぎょう で、通常 つうじょう 1週間 しゅうかん ほどかかった。紙上 しじょう でプログラムが完成 かんせい したら、次 つぎ にパッチパネル でスイッチ群 ぐん やケーブルの配線 はいせん を変更 へんこう することでプログラムをENIACに設定 せってい する必要 ひつよう があり、それに数日 すうじつ かかる。そして設定 せってい ミスがないかを検証 けんしょう ・デバッグするのに、ENIACの「シングルステップ」動作 どうさ 機能 きのう を活用 かつよう する。
ENIACのスポンサーは弾道 だんどう 研究所 けんきゅうじょ だったが、プロジェクト開始 かいし から1年 ねん 後 ご 、ロスアラモス国立 こくりつ 研究所 けんきゅうじょ でマンハッタン計画 けいかく に従事 じゅうじ していた著名 ちょめい な数学 すうがく 者 しゃ ジョン・フォン・ノイマン がこの計算 けいさん 機 き のプロジェクトに気付 きづ いた[ 16] 。ロスアラモス研究所 けんきゅうじょ はENIACに深 ふか く関与 かんよ するようになり、最初 さいしょ にENIACで計算 けいさん した問題 もんだい も砲撃 ほうげき 射 い 表 ひょう ではなく水素 すいそ 爆 ばく 弾 だん に関 かん するものだった[ 6] 。その計算 けいさん の入出力 にゅうしゅつりょく には約 やく 100万 まん 枚 まい のパンチカードを必要 ひつよう とした[ 17] 。
1997年 ねん 、ENIACのプログラミングを担当 たんとう していた6人 にん の女性 じょせい がWomen in Technology International (WITI)の殿堂 でんどう 入 い りを果 は たした[ 18] [ 19] 。1946年 ねん 当時 とうじ の呼 よ び名 な で言 い えば、キー・マクナルティ 、ベティ・ジェニングス 、ベティ・スナイダー 、マーリン・ウェスコフ 、フラン・バイラス 、ルース・リターマン の6人 にん である[ 20] [ 21] 。ジェニファー・S・ライト (英語 えいご 版 ばん ) のエッセイ "When Computers Were Women" では、計算 けいさん 機 き 科学 かがく 史 し で女性 じょせい の果 は たした役割 やくわり が軽視 けいし されてきたことの概略 がいりゃく とENIACでの女性 じょせい の果 は たした役割 やくわり について書 か かれている[ 22] 。また、LeAnn Erickson による2010年 ねん のドキュメンタリー映画 えいが でもENIACのプログラマ達 たち が果 は たした役割 やくわり を描 えが いている[ 23] 。
ENIACの設計 せっけい は一種 いっしゅ 独特 どくとく であり、決 けっ して他 た では採用 さいよう されなかった。1943年 ねん に設計 せっけい が完了 かんりょう しているため、その後 ご 間 あいだ もなく発展 はってん した技術 ぎじゅつ 革新 かくしん を採 と り入 い れておらず、特 とく にプログラム内蔵 ないぞう 能力 のうりょく を欠 か いていた。エッカートとモークリーはより単純 たんじゅん で強力 きょうりょく な新 しん 設計 せっけい を開始 かいし し、それが後 のち にEDVAC と呼 よ ばれるようになる。1944年 ねん 、エッカートはデータとプログラムの両方 りょうほう を格納 かくのう する記憶 きおく 装置 そうち (水銀 すいぎん 遅延 ちえん 線 せん )を説明 せつめい する文書 ぶんしょ を書 か いた。ペンシルベニア大学 だいがく ムーアスクール(工学部 こうがくぶ )のコンサルタントだったジョン・フォン・ノイマンは、プログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき が議論 ぎろん され構築 こうちく されたミーティングに参加 さんか している。フォン・ノイマンは、そのミーティングでの議論 ぎろん をまとめたような内容 ないよう の文書 ぶんしょ である、EDVACに関 かん する報告 ほうこく 書 しょ の第 だい 一 いち 草稿 そうこう (First Draft of a Report on the EDVAC)を書 か いた。同 どう 文書 ぶんしょ は学会 がっかい の論文 ろんぶん や書籍 しょせき のような手続 てつづ きを経 へ て出版 しゅっぱん されたものではなく、(知 し られている限 かぎ りでは)ノイマンによる手書 てが きの草稿 そうこう と、それを元 もと にしたタイプライタによる原稿 げんこう がある。後者 こうしゃ はENIACの管理 かんり 責任 せきにん 者 しゃ だったハーマン・ゴールドスタイン がそのコピーをいくつかの政府 せいふ 機関 きかん や教育 きょういく 機関 きかん に配布 はいふ し、また当時 とうじ の何人 なんにん かの研究 けんきゅう 者 しゃ (たとえばイギリスのモーリス・ウィルクス )が何 なん らかの機会 きかい を得 え て読 よ んでいる。それにより各地 かくち で新 しん 世代 せだい の電子 でんし 計算 けいさん 機 き を構築 こうちく することへの関心 かんしん が高 たか まり、イギリスのケンブリッジ大学 けんぶりっじだいがく のEDSAC やアメリカ国立 こくりつ 標準 ひょうじゅん 局 きょく のSEAC などが生 う まれることになる。
1948年 ねん 以降 いこう 、ENIACにもいくつかの改良 かいりょう が施 ほどこ され、例 たと えば簡単 かんたん なリードオンリーのプログラム格納 かくのう 機構 きこう が加 くわ えられた[ 24] 。これは本来 ほんらい 数 かず 表 ひょう を設定 せってい するファンクションテーブルをプログラムを格納 かくのう するROM に流用 りゅうよう したもので、ENIACの特許 とっきょ にも含 ふく まれているアイデアである。また、弾道 だんどう 研究所 けんきゅうじょ のリチャード・クリッピンガー (ドイツ語 ご 版 ばん ) も独自 どくじ に提案 ていあん していた。フォン・ノイマンの助力 じょりょく を得 え てクリッピンガーは実装 じっそう すべき命令 めいれい セットを考 かんが えた。クリッピンガーは3アドレス方式 ほうしき を考 かんが えていたが、フォン・ノイマンはより実装 じっそう が簡単 かんたん な1アドレス方式 ほうしき を提案 ていあん 。6番 ばん のアキュムレータの3桁 けた をプログラム・カウンタとして使 つか い、15番 ばん のアキュムレータを主 おも アキュムレータとし、8番 ばん のアキュムレータをファンクションテーブルからデータを読 よ み込 こ む際 さい のアドレスポインタとして使用 しよう する。他 た のアキュムレータの大 だい 部分 ぶぶん (1-5、7、9-14、17-19)はデータメモリとして使用 しよう する。ENIACでのプログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき のプログラミングはベティ・ジェニングス、クリッピンガー、アデル・ゴールドスタイン (ハーマン・ゴールドスタインの妻 つま )が行 おこな った。1948年 ねん 9月 がつ 16日 にち 、プログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき でのENIACが初 はつ 公開 こうかい されている。このときのプログラムはフォン・ノイマンが基本 きほん 設計 せっけい しアデル・ゴールドスタインがプログラミングした。この改造 かいぞう によってENIACの性能 せいのう は6分 ぶん の1となり並行 へいこう 計算 けいさん 能力 のうりょく も失 うしな われたが、何 なん 日 にち もかかっていたプログラミング作業 さぎょう が数時間 すうじかん に短縮 たんしゅく され、性能 せいのう 低下 ていか を考慮 こうりょ しても価値 かち のある改造 かいぞう だった。また、計算 けいさん は電子 でんし 式 しき だが入出力 にゅうしゅつりょく はパンチカードによる電気 でんき 機械 きかい 式 しき であり、この性能 せいのう 差 さ の影響 えいきょう も分析 ぶんせき した。それによると、実際 じっさい の問題 もんだい は例外 れいがい なくI/Oバウンド (英語 えいご 版 ばん ) (入出力 にゅうしゅつりょく が性能 せいのう のボトルネックとなる状態 じょうたい )であり、本来 ほんらい の並行 へいこう 計算 けいさん 能力 のうりょく を使 つか わない場合 ばあい でもそれは変 か わらなかった。プログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき に改造 かいぞう して性能 せいのう が低下 ていか してもI/Oバウンド状態 じょうたい は変 か わっていない。1952年 ねん 、高速 こうそく シフタが追加 ついか され、シフト性能 せいのう が5倍 ばい になった。1953年 ねん 7月 がつ 、100ワードの磁気 じき コアメモリ が追加 ついか され、数値 すうち 表現 ひょうげん を3増 ぞう し符号 ふごう の二 に 進化 しんか 十 じゅう 進 しん 表現 ひょうげん とした。この拡張 かくちょう メモリをサポートするため、新 あら たなファンクションテーブル・セレクター、メモリアドレス・セレクター、パルス成形 せいけい 回路 かいろ が加 くわ えられ、プログラミング機構 きこう にも3つの新 しん 命令 めいれい が加 くわ えられた。
機械 きかい 式 しき および電気 でんき 式 しき の計算 けいさん 機械 きかい は19世紀 せいき から登場 とうじょう しているが、ここでは現代 げんだい 的 てき な(計算 けいさん 理論 りろん の用語 ようご で「万能 ばんのう 」(universal)である)電子 でんし 式 しき コンピュータが誕生 たんじょう する前夜 ぜんや と言 い える、1930年代 ねんだい から1940年代 ねんだい の計算 けいさん 機械 きかい から話 はなし を始 はじ めることとする。
1939年 ねん から1940年 ねん にかけて、ベル研究所 けんきゅうじょ ではジョージ・スティビッツ がリレー 計算 けいさん 機 き Complex Number Calculator を開発 かいはつ し、1940年 ねん にはダートマス大学 だいがく とベル研究所 けんきゅうじょ を電話 でんわ 回線 かいせん で結 むす び、遠隔 えんかく からその計算 けいさん 機 き を操作 そうさ してみせた[ 25] 。
ドイツではコンラート・ツーゼ がZ3 を設計 せっけい (1941年 ねん 5月 がつ には稼働 かどう )。これが世界 せかい 初 はつ のプログラム可能 かのう な計算 けいさん 機 き で二 に 進数 しんすう を使 つか っていたが、リレーによる電気 でんき 機械 きかい 式 しき である。さん孔 こう テープでプログラムを供給 きょうきゅう するものでプログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき ではなく、条件 じょうけん 分岐 ぶんき 命令 めいれい が無 な いため現代 げんだい 的 てき なプログラミングが普通 ふつう にできるわけではない。すなわち、チューリング完全 かんぜん を意図 いと して設計 せっけい されてはいない。後 のち になって1998年 ねん に、チューリング完全 かんぜん である、とする報告 ほうこく が書 か かれているが、数値 すうち 演算 えんざん のトリッキーな組 く み合 あ わせによって「条件 じょうけん 付 つ きの計算 けいさん 」に相当 そうとう するような結果 けっか が得 え られる、とするハック的 てき なものであり[ 26] [ 27] 、近年 きんねん の「x86はmov命令 めいれい だけでチューリング完全 かんぜん である」[ 28] といったような主張 しゅちょう と同様 どうよう な、実用 じつよう 的 てき ではないものである。1943年 ねん 12月、ベルリン空襲 くうしゅう により現物 げんぶつ は失 うしな われた。
アメリカでは初 はつ の完全 かんぜん な[ 29] 電子 でんし 計算 けいさん 機械 きかい としてアタナソフ&ベリー・コンピュータ (ABC) が開発 かいはつ された(1941年 ねん 夏 なつ に稼働 かどう )。真空 しんくう 管 かん による二 に 進 しん 演算 えんざん 回路 かいろ を実装 じっそう しているが汎用 はんよう 性 せい はなく、連立 れんりつ 一 いち 次 じ 方程式 ほうていしき を解 と くことに特 とく 化 か している。また、記憶 きおく 装置 そうち が機械 きかい 的 てき に回転 かいてん するため、性能 せいのう がその回転 かいてん 速度 そくど に制限 せいげん されていた。また入力 にゅうりょく がパンチカードだったため、それによっても性能 せいのう が制限 せいげん されていた。制御 せいぎょ は手動 しゅどう であり、プログラム能力 のうりょく はない。
イギリスではトミー・フラワーズ がColossus を設計 せっけい し、1943年 ねん から暗号 あんごう 解読 かいどく に使 つか われた。Colossusはデジタル式 しき ・電子 でんし 式 しき でENIACのようにスイッチと配線 はいせん でプログラムを設定 せってい するが、暗号 あんごう 解読 かいどく 専用 せんよう であり汎用 はんよう 性 せい はない[ 30] 。
ハワード・エイケン の Harvard Mark I (1944年 ねん )はリレーを使 つか った電気 でんき 機械 きかい 式 しき の計算 けいさん 機 き で、さん孔 こう テープでプログラムを供給 きょうきゅう する。様々 さまざま な計算 けいさん が可能 かのう だが、分岐 ぶんき 命令 めいれい がない。
ENIACは任意 にんい の演算 えんざん を実行 じっこう 可能 かのう という点 てん では Z3 や Mark I と同等 どうとう だが、さん孔 こう テープからプログラムを読 よ み込 こ むという点 てん は欠 か けている。Colossus とはプログラムの設定 せってい 方法 ほうほう が共通 きょうつう である。ENIACの利点 りてん は、チューリング完全 かんぜん 性 せい と電子 でんし 的 てき 処理 しょり 速度 そくど にある。ABCとENIACとColossusはいずれも真空 しんくう 管 かん で演算 えんざん 回路 かいろ を構成 こうせい している。また、Z3やABCは二進法 にしんほう を採用 さいよう していたが、ENIACは十進法 じっしんほう だった。
1948年 ねん まで、ENIACでのプログラミングはColossusのように配線 はいせん 変更 へんこう で行 おこな われていた。プログラムとデータを共通 きょうつう の記憶 きおく 装置 そうち に格納 かくのう するというプログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき はENIAC開発 かいはつ 中 ちゅう に考案 こうあん されたが、戦時 せんじ 中 ちゅう だったため完成 かんせい が優先 ゆうせん され、当初 とうしょ のENIACにそれが実装 じっそう されることはなかった。また、ENIACには電子 でんし 的 てき な記憶 きおく 装置 そうち が20カ所 かしょ しかなく、データやプログラムの格納 かくのう には小 ちい さすぎた。
Z3とColossusはそれぞれ独自 どくじ に開発 かいはつ され、ABCやENIACとも無関係 むかんけい である。Z3は1943年 ねん のベルリン空襲 くうしゅう により、存在 そんざい が知 し られることはなく破壊 はかい された。Colossusはイギリスの戦時 せんじ 中 ちゅう の諜報 ちょうほう 活動 かつどう に使 つか われたため、1970年代 ねんだい までその存在 そんざい は明 あ かされなかった。ABCは、ジョン・アタナソフ がアメリカ海軍 かいぐん での研究 けんきゅう 開発 かいはつ に招集 しょうしゅう され放置 ほうち されたため、アイオワ州立 しゅうりつ 大学 だいがく で廃棄 はいき 状態 じょうたい になっていた。そのため、それらのコンピュータは国民 こくみん に知 し らされることはなかった。一方 いっぽう 、ENIACは1946年 ねん に報道 ほうどう によって一般 いっぱん に知 し られるようになった[ 18] 。そのため、一般 いっぱん にはENIACが「世界 せかい 初 はつ のコンピュータ」と見 み なされることが多 おお い。こと日本 にっぽん では、「電子 でんし 計算 けいさん 機 き 」=「コンピュータ」という意訳 いやく 的 てき 解釈 かいしゃく による所 ところ も大 おお きい(逐語 ちくご 的 てき には「コンピュータ」という語 かたり に「電子 でんし 」の意味 いみ は無 な い)。
専門 せんもん 家 か は一般 いっぱん に、初 はつ の実用 じつよう 的 てき なプログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき のコンピュータであるEDSAC 、ないし、実用 じつよう 性 せい には難 なん があったがプログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき としてそれより先 さき に稼働 かどう したManchester SSEM (Manchester Baby)を挙 あ げる。
ENIACに関 かん する特許 とっきょ (米国 べいこく 特許 とっきょ 番号 ばんごう 3,120,606号 ごう )は1964年 ねん に発効 はっこう した。後 のち に、この特許 とっきょ を盾 たて にしたスペリーランドによる寡占 かせん が問題 もんだい となり、1973年 ねん 10月 がつ 19日 にち にミネアポリス連邦 れんぽう 地方裁判所 ちほうさいばんしょ の判決 はんけつ [ 31] で、審判 しんぱん 中 ちゅう にいくつかの手続 てつづ き上 じょう の問題 もんだい 点 てん が発見 はっけん されたことから、特許 とっきょ の一部 いちぶ が無効 むこう とされた。このためENIACは現在 げんざい 「世界 せかい 最初 さいしょ の電子 でんし 式 しき コンピュータ」ではなく、(ABCが「汎用 はんよう 」とするには機能 きのう が限定 げんてい されていた、という点 てん から鑑 かんが みて)「世界 せかい 最初 さいしょ の汎用 はんよう 電子 でんし 式 しき コンピュータ (the first general-purpose electronic computer)」と呼 よ ばれる[ 32] ことが多 おお い。なお、この件 けん を『ENIAC神話 しんわ の崩 くず れた日 ひ 』などとして、あたかも歴史 れきし が書 か き換 か えられたかのごとく扱 あつか う者 もの もいる。いずれにせよENIACが、コンピュータの黎明 れいめい 期 き において歴史 れきし 的 てき に重要 じゅうよう な役割 やくわり を果 は たしたものの1つであることに変 か わりはない。
ペンシルベニア大学 だいがく の学生 がくせい は、1995年 ねん に、7.44 mm x 5.29 mmのシリコン基板 きばん 上 じょう に0.5 µmのCMOS技術 ぎじゅつ でトランジスタを174,569個 こ 形成 けいせい することにより、ENIACを再現 さいげん した[ 33] [ 34] 。
^ 「電子 でんし 式 しき 数値 すうち 積分 せきぶん ・計算 けいさん 機 き 」の意 い
^ Goldstine 1972
^ a b “The ENIAC Story ”. Ftp.arl.mil. 2008年 ねん 9月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Shurkin, Joel, Engines of the Mind: The Evolution of the Computer from Mainframes to Microprocessors , 1996, ISBN 0-393-31471-5
^ Moye, William T (January 1996). “ENIAC: The Army-Sponsored Revolution ”. US Army Research Laboratory. 2009年 ねん 7月 がつ 9日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b Goldstine 1972 , p. 214
^ Kennedy, Jr., T. R. (February 15, 1946). “Electronic Computer Flashes Answers ”. New York Times. 2011年 ねん 1月 がつ 31日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Honeywell, Inc. v. Sperry Rand Corp. , 180 U.S.P.Q. (BNA) 673 , p. 20, finding 1.1.3 (U.S. District Court for the District of Minnesota, Fourth Division 1973) (“The ENIAC machine which embodied 'the invention' claimed by the ENIAC patent was in public use and non-experimental use for the following purposes, and at times prior to the critical date: ... Formal dedication use February 15, 1946 ...”).
^ a b c Wilkes, M. V. (1956). Automatic Digital Computers . New York: John Wiley & Sons. pp. 305 pages. QA76.W5 1956
^ “Milestones:Electronic Numerical Integrator and Computer, 1946 ”. IEEE Global History Network . IEEE. 2011年 ねん 8月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ http://encyclopedia2.thefreedictionary.com/ENIAC
^ Weik, Martin H. (December 1955). “Ballistic Research Laboratories Report № 971 — A Survey of Domestic Electronic Digital Computing Systems — page 41 ”. US Department of Commerce. 2009年 ねん 4月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Farrington, Gregory. ENIAC: Birth of the Information Age . Popular Science. https://books.google.co.jp/books?id=-TKv7UHgoTQC&pg=PA74&dq=ENIAC&hl=en&sa=X&ei=tUTqTuDgJeSZiQKZy4GwBA&redir_esc=y#v=onepage&q=ENIAC&f=false 2011年 ねん 12月15日 にち 閲覧 えつらん 。
^ もとの写真 しゃしん は次 つぎ の雑誌 ざっし 記事 きじ にある。Rose, Allen (April 1946). “Lightning Strikes Mathematics” . Popular Science : 83–86. https://books.google.co.jp/books?id=niEDAAAAMBAJ&pg=PA83&dq=eniac+intitle:popular+intitle:science&hl=en&sa=X&ei=MnWLT_OVEuKciALYz5HzCw&redir_esc=y#v=onepage&q=eniac%20intitle%3Apopular%20intitle%3Ascience&f=false 2012年 ねん 4月 がつ 15日 にち 閲覧 えつらん 。 .
^ Alexander Randall 5th (14 February 2006). “A lost interview with ENIAC co-inventor J. Presper Eckert ”. Computer World. 2011年 ねん 4月 がつ 25日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Goldstine 1972 , p. 182
^ Goldstine 1972 , p. 226
^ a b Kleiman, Kathryn A. (1997年 ねん ). “WITI Hall of Fame: The ENIAC Programmers ”. 2007年 ねん 6月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Wired: Women Proto-Programmers Get Their Just Reward” . (1997年 ねん 5月 がつ 8日 にち ). http://www.wired.com/culture/lifestyle/news/1997/05/3711
^ “ENIAC Programmers Project ”. Eniacprogrammers.org. 2010年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “ABC News: First Computer Programmers Inspire Documentary ”. 2013年 ねん 2月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Light, Jennifer S. "When Computers Were Women." Technology and Culture 40.3 (1999) 455-483
^ Gumbrecht, Jamie (February 2011). “Rediscovering WWII's female 'computers'” . CNN. http://edition.cnn.com/2011/TECH/innovation/02/08/women.rosies.math/# 2011年 ねん 2月 がつ 15日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “A Logical Coding System Applied to the ENIAC ”. Ftp.arl.mil (1948年 ねん 9月 がつ 29日 にち ). 2010年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ http://history-computer.com/ModernComputer/Relays/Stibitz.html Relay computers of George Stibitz , retrieved 2012 Dec 19
^ Rojas, R. (1998). “How to make Zuse's Z3 a universal computer”. IEEE Annals of the History of Computing 20 (3): 51–54. doi :10.1109/85.707574 .
^ Rojas, Raúl. “How to Make Zuse's Z3 a Universal Computer ”. 2013年 ねん 2月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ https://news.ycombinator.com/item?id=9751312
^ ABCに関 かん しては、しばしばその支持 しじ 者 しゃ はこのように「初 はつ の」「完全 かんぜん な」といったような主張 しゅちょう をしており確 たし かに文献 ぶんけん にもそのようにあることが多 おお い。しかし、「初 はつ の」はともかく、この段落 だんらく でも後述 こうじゅつ するように、プログラム内蔵 ないぞう 方式 ほうしき では無論 むろん なくプログラム制御 せいぎょ であると認 みと めることすら難 むずか しい機械 きかい であるという事実 じじつ からは、いかなる意味 いみ で「完全 かんぜん 」なのかは不明 ふめい である。計算 けいさん 理論 りろん に「チューリング完全 かんぜん 」という語 かたり があるが、むろんその意味 いみ も満 み たしていない。
^ B. Jack Copeland (editor), Colossus: The Secrets of Bletchley Park's Codebreaking Computers , 2006, Oxford University Press , ISBN 0-19-284055-X .
^ “Rebuilding the ABC ” (英語 えいご ). The Trial . Ames Laboratory (2003年 ねん 1月 がつ 22日 にち ). 2012年 ねん 2月 がつ 15日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 英語 えいご 版 ばん ENIAC を参照 さんしょう 。
^ Jan Van der Spiegel (2007年 ねん 8月 がつ 6日 にち ). “ENIAC-on-a-Chip ” (英語 えいご ). University of Pennsylvania. 2012年 ねん 8月 がつ 20日 はつか 閲覧 えつらん 。
^ Jan Van Der Spiegel (1995年 ねん 5月 がつ 9日 にち ). “ENIAC-on-a-Chip ”. University of Pennsylvania. 2009年 ねん 9月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
Burks, Arthur W. and Alice R. Burks, The ENIAC: The First General-Purpose Electronic Computer (in Annals of the History of Computing , Vol. 3 (No. 4), 1981, pp. 310–389; commentary pp. 389–399)
Eckert, J. Presper , The ENIAC (in Nicholas Metropolis, J. Howlett, Gian-Carlo Rota, (editors), A History of Computing in the Twentieth Century , Academic Press, New York, 1980, pp. 525–540)
Eckert, J. Presper and John Mauchly , 1946, Outline of plans for development of electronic computers , 6 pages. (The founding document in the electronic computer industry.)
Fritz, Barkley, The Women of ENIAC (in IEEE Annals of the History of Computing , Vol. 18, 1996, pp. 13–28)
Goldstine, Herman H. (1972). The Computer: from Pascal to von Neumann . Princeton, New Jersey: Princeton University Press. ISBN 0-691-02367-0
Goldstine, Herman and Adele Goldstine, The Electronic Numerical Integrator and Computer (ENIAC) , 1946 (reprinted in The Origins of Digital Computers: Selected Papers , Springer-Verlag, New York, 1982, pp. 359–373)
Mauchly, John, The ENIAC (in Metropolis, Nicholas, J. Howlett, Gian-Carlo Rota, 1980, A History of Computing in the Twentieth Century , Academic Press, New York, ISBN 0-12-491650-3 , pp. 541–550, "Original versions of these papers were presented at the International Research Conference on the History of Computing, held at the Los Alamos Scientific Laboratory , 10–15 June 1976.")
Rojas, Raúl and Ulf Hashagen, editors, The First Computers: History and Architectures , 2000, MIT Press, ISBN 0-262-18197-5 .
Eames, Charles ; Eames, Ray (1990-09-01). A Computer Perspective: Background to the Computer Age (New ed.). Harvard University Press. ISBN 0-674-15626-9
Mollenhoff, Clark R. (1988-04-30). Atanasoff: Forgotten Father of the Computer . Iowa State Univerity Press. ISBN 0-8138-0032-3
Berkeley, Edmund. GIANT BRAINS or machines that think . John Wiley & Sons, inc., 1949. Chapter 7 Speed—5000 Additions a Second: Moore School's ENIAC (Electronic Numerical Integrator And Computer)
Dyson, George (2012). Turing's Cathedral: The Origins of the Digital Universe . New York: Pantheon Books. ISBN 978-0-375-42277-5
Hally, Mike. Electronic Brains: Stories from the Dawn of the Computer Age , Joseph Henry Press, 2005. ISBN 0-309-09630-8
Lukoff, Herman (1979). From Dits to Bits: A personal history of the electronic computer . Portland, Oregon: Robotics Press. ISBN 0-89661-002-0
McCartney, Scott. ENIAC: The Triumphs and Tragedies of the World's First Computer . Walker & Co, 1999. ISBN 0-8027-1348-3 .
Tompkins, C.B. and J.H Wakelin, High-Speed Computing Devices , McGraw-Hill, 1950.
Stern, Nancy (1981). From ENIAC to UNIVAC: An Appraisal of the Eckert-Mauchly Computers . Digital Press. ISBN 0-932376-14-2
Thomas Haigh, Mark Priestley, Crispin Rope:「ENIAC ―現代 げんだい 計算 けいさん 技術 ぎじゅつ のフロンティア」、共立 きょうりつ 出版 しゅっぱん 、ISBN 978-4320124004 (2016年 ねん 6月 がつ 8日 にち )。
ウィキメディア・コモンズには、
ENIAC に
関連 かんれん するカテゴリがあります。
Mike Muuss: Collected ENIAC documents
ENIAC chapter in Karl Kempf, Electronic Computers Within The Ordnance Corps , November 1961
The ENIAC Story , Martin H. Weik, Ordnance Ballistic Research Laboratories, 1961
ENIAC museum at the University of Pennsylvania
The women of ENIAC
A Computer Is Born , Michael Kanellos, 60th anniversary news story, CNet , February 13, 2006
Q&A: A lost interview with ENIAC co-inventor J. Presper Eckert
ENIAC specifications from Ballistic Research Laboratories Report No. 971 December 1955, (A Survey of Domestic Electronic Digital Computing Systems)
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 特許 とっきょ 第 だい 3,120,606号 ごう issued in 1964 for ENIAC (TIFF images), also PDF version (18,305 kB, 207 pages)
How the ENIAC took a Square Root
Programming example for the modulo function by Matthieu-P. Schapranow based on the simulation of Till Zoppke (en)
Programming the ENIAC
ENIAC simulation
Oral history interview with J. Presper Eckert , Charles Babbage Institute , University of Minnesota.
Oral history interview with Carl Chambers , Charles Babbage Institute , University of Minnesota.
Oral history interview with Irven A. Travis , Charles Babbage Institute , University of Minnesota.
Oral history interview with S. Reid Warren , Charles Babbage Institute , University of Minnesota.
ENIAC Programmers Project
Gumbrecht, Jamie (8 February 2011). “Rediscovering WWII's 'computers'” . CNN.com. http://www.cnn.com/2011/TECH/innovation/02/08/women.rosies.math/index.html?hpt=C2 9 February 2011 閲覧 えつらん 。
座標 ざひょう : 北緯 ほくい 39度 ど 57分 ふん 08秒 びょう 西経 せいけい 75度 ど 11分 ふん 26秒 びょう / 北緯 ほくい 39.9522度 ど 西経 せいけい 75.1905度 ど / 39.9522; -75.1905