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ENIAC - Wikipedia

ENIAC

黎明れいめい米国べいこく開発かいはつされた電子でんし計算けいさん

ENIAC(エニアック、Electronic Numerical Integrator and Computer[1][2][3]は、アメリカ開発かいはつされた黎明れいめい電子でんし計算けいさん

プログラミングされるENIAC
2人ふたりのプログラマがENIACの制御せいぎょパネルを操作そうさしているところ

特徴とくちょう

編集へんしゅう

電子でんししきでデジタルしきだがプログラム内蔵ないぞう方式ほうしきとするにはプログラムのためのメモリはごくわずかで、パッチパネルによるプログラミングは煩雑はんざつではあったものの、かならずしも専用せんよう計算けいさんではなく広範囲こうはんい計算けいさん問題もんだいくことができた[4]。しかし、任意にんい計算けいさん可能かのう問題もんだいについて計算けいさんできるという能力のうりょく当初とうしょ時点じてん基本きほんてきにはあったわけではなく(後述こうじゅつ)、アナログ機械きかいしき計算けいさんいち種類しゅるいである微分びぶん解析かいせき同様どうように、微分びぶん方程式ほうていしきあらわすことができるようなおおくの種類しゅるい問題もんだいについて積分せきぶんほうによって数値すうちてきかいる(ただしこちらは数値すうちてき(ディジタル)に)、という機械きかいである。改良かいりょうにより、ごく小規模しょうきぼだがプログラミングてき使つかかた可能かのうになり、円周えんしゅうりつ桁数けたすう向上こうじょう記録きろく歴史れきし有名ゆうめいな1949ねんの2037けたという記録きろくは、そのような改良かいりょう機能きのう活用かつようしたものである。

当初とうしょは、アメリカ陸軍りくぐん弾道だんどう研究所けんきゅうじょでの砲撃ほうげきひょう計算けいさんだいいち目的もくてきとして設計せっけいされたが、その初期しょきおこなわれた計算けいさんひょう計算けいさんとはまったちがうもののひとつに、マンハッタン計画けいかくについてのものがある[5][6]。1946ねん発表はっぴょうされたとき、報道ほうどうには「巨大きょだい頭脳ずのう」(Giant Brain) といった呼称こしょうられる。なお、しん技術ぎじゅつに "Brain" という比喩ひゆ使つかうのは、戦時せんじちゅうからられる。たとえば、ライフ1937ねん8がつ16にちの p.45 に Overseas Air Lines Rely on Magic Brain (RCA Radiocompass)、1942ねん3がつ9にちの p.55 に the Magic Brain - is a development of RCA engineers (RCA Victrola)、1942ねん12月14にちの p.8 に Blanket with a Brain does the rest! (GE Automatic Blanket)、1943ねん11月8にちの p.8 に Mechanical brain sights gun (How to boss a BOFORS!) といった記事きじがあり、また、各種かくしゅ計算けいさん機械きかいあつかったエドモンド・バークレー啓蒙けいもうしょ "Giant Brains, or Machines That Think"(邦題ほうだい人工じんこう頭脳ずのう』)などといったれいもあるように、これはなん特記とっき事項じこうではない。

だい世界せかい大戦たいせんなか、ENIACの設計せっけい製作せいさく資金しきんはアメリカ陸軍りくぐん支出ししゅつした。その契約けいやくは1943ねん6がつ5にちむすばれ、ペンシルベニア大学だいがく電気でんき工学科こうがっかムーア・スクール)にて "Project PX" の秘密裏ひみつり設計せっけい開始かいしされた。1946ねん2がつ14にち夕方ゆうがた完成かんせいしたマシンが公開こうかいされ[7]翌日よくじつにはペンシルベニア大学だいがく正式せいしき使用しよう開始かいしされた[8]開発かいはつにかかった総額そうがくは50まんドルじゃくだった。アメリカ陸軍りくぐん正式せいしきわたされたのは1946ねん7がつのことである。1946ねん11月9にち改造かいぞう記憶きおく装置そうちのアップグレードのためにシャットダウンされ、1947ねんにはメリーランドしゅうアバディーン性能せいのう試験場しけんじょう移送いそうされた。そこで1947ねん7がつ29にち電源でんげんれ、1955ねん10がつ2にち午後ごご1145ふんまで運用うんようされた[3]

ENIACを考案こうあん設計せっけいしたのはペンシルベニア大学だいがくジョン・モークリージョン・プレスパー・エッカートである[9]設計せっけい開発かいはつくわわった技術ぎじゅつしゃとしては、ロバート・F・ショー(Robert F. Shaw/ファンクションテーブル)、ジェフリー・チュアン・チュー除算じょざん/平方根へいほうこん計算けいさん)、アーサー・バークス乗算じょうざん)、ハリー・ハスキー入出力にゅうしゅつりょく)、ジャック・デイヴィス(Jack Davis/アキュムレータ)らがいる。

1987ねん、ENIACはIEEEマイルストーンえらばれた[10]

概要がいよう

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構造こうぞう

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ENIACはモジュラー構造こうぞうで、個々ここのパネルがそれぞれことなる機能きのうになっている。そのうち20のモジュールはアキュムレータとばれ、十進法じっしんほうで10けた数値すうち記憶きおくし、加減算かげんざんしかできない。数値すうちはそれらモジュールあいだむすぶいくつかの汎用はんようバスをとおしてわたされる。高速こうそくせい実現じつげんするため、数値すうち転送てんそう計算けいさん結果けっか格納かくのうつぎ操作そうさへのトリガもすべ可動かどう部品ぶひん使つかわずにおこなわれる。その汎用はんようせいかぎとなったのは分岐ぶんきする能力のうりょくで、計算けいさん結果けっか符号ふごうによってつぎ操作そうさ選択せんたくできるようになっていた。

ENIACは17,468ほん真空しんくうかん、7,200ダイオード、1,500リレー、70,000抵抗ていこう、10,000コンデンサとう構成こうせいされていた。人手ひとではんだけされた箇所かしょやく500まんおよぶ。はば30m、たかさ2.4m、奥行おくゆき0.9m、そう重量じゅうりょう27トンと大掛おおがかりな装置そうちで、設置せっちには倉庫そうこ1ぶんのスペース(167m2)をようした。消費しょうひ電力でんりょくは150kW[11][12]。そのため、ENIACの電源でんげんれるとフィラデルフィアちゅうかりが一瞬いっしゅんくらくなったといううわさまれた[13]入出力にゅうしゅつりょくにはIBMパンチカード装置そうちとパンチ)を使用しよう可能かのうだった。出力しゅつりょくされたパンチカードをIBMのタビュレーティングマシン(IBM 405 など)にませて印字いんじすることができる。

ENIACでは当時とうじ一般いっぱんてきだった8ピンソケットの真空しんくうかん使つかっている。アキュムレータのフリップフロップにはそうさんきょくかん 6SN7使つかわれ、論理ろんり回路かいろには 6L76SJ76AC7使つかわれている。モジュールあいだむすぶケーブルじょうでのパルスを駆動くどうするのに 6L66V6使つかわれている。

現在げんざいのコンピュータは二進法にしんほう計算けいさんおこなうものがほとんどだが、ENIACは内部ないぶ構造こうぞう十進法じっしんほう採用さいようした。1けたじゅう進数しんすう格納かくのうするのに、10ビットのリング・カウンタ使用しようしており、1けた記憶きおくに36ほん真空しんくうかん必要ひつようとする。そのうち10ほんそうさんきょくかんで、フリップフロップでリング・カウンタを構成こうせいしている。演算えんざんは、リング・カウンタが入力にゅうりょくパルスをカウントするかたちおこなわれ(リング・カウンタのビット列びっとれつ進数しんすうあらわしているのではなく、"1"の個数こすうがそのけたである)、あふれるとキャリーパルスを発生はっせいする。これは機械きかいしき計算けいさんかずあらわ歯車はぐるま電子でんしてきにエミュレートしたものである。全部ぜんぶで20の10けたアキュムレータがあり、10の補数ほすう表現ひょうげんまけあらわし、毎秒まいびょう5,000かい加減算かげんざんおこなえる。複数ふくすうのアキュムレータを接続せつぞくして同時どうじ並行へいこうてき動作どうささせることができるので、最高さいこう性能せいのうはさらにたかい。

1つのアキュムレータのキャリーをもう1つのアキュムレータへの入力にゅうりょくとし、全体ぜんたいで20けた演算えんざんとなるよう構成こうせいすることもできるが、回路かいろのタイミングの関係かんけいで3つ以上いじょうのアキュムレータをキャリーで接続せつぞくすることはできない(30けたなどは不可能ふかのう)。アキュムレータのうち4だいは「乗算じょうざん」の制御せいぎょにあり、毎秒まいびょう385かい乗算じょうざん可能かのうである。また5だいのアキュムレータは「除算じょざん/平方根へいほうこん計算けいさん」の制御せいぎょにあり、毎秒まいびょう40かい除算じょざんまたは毎秒まいびょう3かい平方根へいほうこん計算けいさん可能かのうである。

 
ENIACのファンクションテーブルを操作そうさしている様子ようす。この写真しゃしん詳細しょうさいからなくするため、意図いとてきくらくしたものである。[14]

に、始動しどうユニット(処理しょり始動しどう停止ていしおこなう)、サイクリングユニット(クロックパルスをのユニットに供給きょうきゅう)、マスタープログラマ(ループ回数かいすう制御せいぎょするユニット)、リーダー(IBMせいパンチカード読取よみと装置そうち制御せいぎょ)、プリンター(IBMせいカードパンチ制御せいぎょ)、定数ていすう転送てんそうユニット、ファンクションテーブルといったユニットで構成こうせいされている。

Rojas and Hashagen またはウィルクス[9]は、より詳細しょうさい内部ないぶうごきを説明せつめいしており、それは上述じょうじゅつのものとは若干じゃっかんことなる。基本きほんマシンサイクルは200マイクロびょう(サイクリングユニットの100kHzきろへるつのクロックパルスの20サイクルに相当そうとう)で、10けた数値すうち毎秒まいびょう5,000かい操作そうさできる。その1サイクルで数値すうちをレジスタにんだり、レジスタから数値すうちしたり、2つの数値すうち加減算かげんざんおこなったりできる。10けた数値すうちd けた数値すうちd最大さいだいは10)の乗算じょうざんには d+4 サイクルを必要ひつようとするので、10けた数値すうち同士どうし乗算じょうざんは14サイクル(2800マイクロびょう)かかり、毎秒まいびょう357かいということになる。どちらか一方いっぽう数値すうち桁数けたすうすくなければ乗算じょうざんはもっと短時間たんじかん終了しゅうりょうする。除算じょざん平方根へいほうこん計算けいさんには 13(d+1) サイクルかかり、この場合ばあいd結果けっかしょうまたは平方根へいほうこん)の桁数けたすうである。したがって最大さいだい143サイクル(28,600マイクロびょう)かかるので毎秒まいびょう35かいとなる(ウィルクス[9]は、10けたしょうもとめるのに6ミリびょうかかるとしている)。こちらも演算えんざん結果けっか桁数けたすうすくなければもっと短時間たんじかん完了かんりょうする。

特性とくせい

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信頼しんらいせい

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真空しんくうかんならぶENIACの裏面りめん一部いちぶ

当初とうしょ真空しんくうかん毎日まいにちすうほんこわれ、修理しゅうりには毎回まいかい30ふんほどかかった。特殊とくしゅ高信頼こうしんらい真空しんくうかん使つかえるようになったのは1948ねんのことである。故障こしょうだい部分ぶぶん電源でんげん投入とうにゅう切断せつだんきていた。これは真空しんくうかんのヒーターとカソードの加熱かねつ冷却れいきゃくさいにもっともストレスがかかるためである。そこで、真空しんくうかんのフィラメントをていかくの10%未満みまんというひく電圧でんあつ動作どうささせ、加熱かねつ冷却れいきゃくでフィラメントが膨張ぼうちょう収縮しゅうしゅくかえさないよう電源でんげんとさないひとしおおくの工夫くふうおこなった。それにより真空しんくうかん故障こしょうりつを2にちに1ほんという割合わりあいにまで低減ていげんさせた。エッカートは1989ねんのインタビューで「真空しんくうかん故障こしょうはだいたい2にちに1ほん割合わりあいで、修理しゅうりは15ふん完了かんりょうした」とべている[15]。1954ねん、116時間じかん(ほぼ5日間にちかん)という連続れんぞく運転うんてん記録きろく達成たっせいしている。

プログラミング

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特徴とくちょう

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メモリがごくわずかなため、プログラム内蔵ないぞう能力のうりょく事実じじつじょうはほぼく、パンチカードなどの外部がいぶデバイスからプログラムを方式ほうしきである。

ENIACは複雑ふくざつなプログラムもむことができ、ループ、分岐ぶんき、サブルーチンが可能かのうである。プログラミングは複雑ふくざつ作業さぎょうで、通常つうじょう1週間しゅうかんほどかかった。紙上しじょうでプログラムが完成かんせいしたら、つぎパッチパネルでスイッチぐんやケーブルの配線はいせん変更へんこうすることでプログラムをENIACに設定せっていする必要ひつようがあり、それに数日すうじつかかる。そして設定せっていミスがないかを検証けんしょう・デバッグするのに、ENIACの「シングルステップ」動作どうさ機能きのう活用かつようする。

ENIACのスポンサーは弾道だんどう研究所けんきゅうじょだったが、プロジェクト開始かいしから1ねんロスアラモス国立こくりつ研究所けんきゅうじょマンハッタン計画けいかく従事じゅうじしていた著名ちょめい数学すうがくしゃジョン・フォン・ノイマンがこの計算けいさんのプロジェクトに気付きづいた[16]。ロスアラモス研究所けんきゅうじょはENIACにふか関与かんよするようになり、最初さいしょにENIACで計算けいさんした問題もんだい砲撃ほうげきひょうではなく水素すいそばくだんかんするものだった[6]。その計算けいさん入出力にゅうしゅつりょくにはやく100まんまいのパンチカードを必要ひつようとした[17]

1997ねん、ENIACのプログラミングを担当たんとうしていた6にん女性じょせいWomen in Technology International(WITI)の殿堂でんどうりをたした[18][19]。1946ねん当時とうじえば、キー・マクナルティベティ・ジェニングスベティ・スナイダーマーリン・ウェスコフフラン・バイラスルース・リターマンの6にんである[20][21]ジェニファー・S・ライト英語えいごばんのエッセイ "When Computers Were Women" では、計算けいさん科学かがく女性じょせいたした役割やくわり軽視けいしされてきたことの概略がいりゃくとENIACでの女性じょせいたした役割やくわりについてかれている[22]。また、LeAnn Erickson による2010ねんのドキュメンタリー映画えいがでもENIACのプログラマたちたした役割やくわりえがいている[23]

ENIACの設計せっけい一種いっしゅ独特どくとくであり、けっしてでは採用さいようされなかった。1943ねん設計せっけい完了かんりょうしているため、そのあいだもなく発展はってんした技術ぎじゅつ革新かくしんれておらず、とくプログラム内蔵ないぞう能力のうりょくいていた。エッカートとモークリーはより単純たんじゅん強力きょうりょくしん設計せっけい開始かいしし、それがのちEDVACばれるようになる。1944ねん、エッカートはデータとプログラムの両方りょうほう格納かくのうする記憶きおく装置そうち水銀すいぎん遅延ちえんせん)を説明せつめいする文書ぶんしょいた。ペンシルベニア大学だいがくムーアスクール(工学部こうがくぶ)のコンサルタントだったジョン・フォン・ノイマンは、プログラム内蔵ないぞう方式ほうしき議論ぎろんされ構築こうちくされたミーティングに参加さんかしている。フォン・ノイマンは、そのミーティングでの議論ぎろんをまとめたような内容ないよう文書ぶんしょである、EDVACにかんする報告ほうこくしょだいいち草稿そうこう(First Draft of a Report on the EDVAC)をいた。どう文書ぶんしょ学会がっかい論文ろんぶん書籍しょせきのような手続てつづきを出版しゅっぱんされたものではなく、(られているかぎりでは)ノイマンによる手書てがきの草稿そうこうと、それをもとにしたタイプライタによる原稿げんこうがある。後者こうしゃはENIACの管理かんり責任せきにんしゃだったハーマン・ゴールドスタインがそのコピーをいくつかの政府せいふ機関きかん教育きょういく機関きかん配布はいふし、また当時とうじ何人なんにんかの研究けんきゅうしゃ(たとえばイギリスのモーリス・ウィルクス)がなんらかの機会きかいんでいる。それにより各地かくちしん世代せだい電子でんし計算けいさん構築こうちくすることへの関心かんしんたかまり、イギリスのケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくEDSACアメリカ国立こくりつ標準ひょうじゅんきょくSEACなどがまれることになる。

1948ねん以降いこう、ENIACにもいくつかの改良かいりょうほどこされ、たとえば簡単かんたんなリードオンリーのプログラム格納かくのう機構きこうくわえられた[24]。これは本来ほんらいかずひょう設定せっていするファンクションテーブルをプログラムを格納かくのうするROM流用りゅうようしたもので、ENIACの特許とっきょにもふくまれているアイデアである。また、弾道だんどう研究所けんきゅうじょリチャード・クリッピンガードイツばん独自どくじ提案ていあんしていた。フォン・ノイマンの助力じょりょくてクリッピンガーは実装じっそうすべき命令めいれいセットをかんがえた。クリッピンガーは3アドレス方式ほうしきかんがえていたが、フォン・ノイマンはより実装じっそう簡単かんたんな1アドレス方式ほうしき提案ていあん。6ばんのアキュムレータの3けたをプログラム・カウンタとして使つかい、15ばんのアキュムレータをおもアキュムレータとし、8ばんのアキュムレータをファンクションテーブルからデータをさいのアドレスポインタとして使用しようする。のアキュムレータのだい部分ぶぶん(1-5、7、9-14、17-19)はデータメモリとして使用しようする。ENIACでのプログラム内蔵ないぞう方式ほうしきのプログラミングはベティ・ジェニングス、クリッピンガー、アデル・ゴールドスタイン(ハーマン・ゴールドスタインのつま)がおこなった。1948ねん9がつ16にちプログラム内蔵ないぞう方式ほうしきでのENIACがはつ公開こうかいされている。このときのプログラムはフォン・ノイマンが基本きほん設計せっけいしアデル・ゴールドスタインがプログラミングした。この改造かいぞうによってENIACの性能せいのうは6ぶんの1となり並行へいこう計算けいさん能力のうりょくうしなわれたが、なんにちもかかっていたプログラミング作業さぎょう数時間すうじかん短縮たんしゅくされ、性能せいのう低下ていか考慮こうりょしても価値かちのある改造かいぞうだった。また、計算けいさん電子でんししきだが入出力にゅうしゅつりょくはパンチカードによる電気でんき機械きかいしきであり、この性能せいのう影響えいきょう分析ぶんせきした。それによると、実際じっさい問題もんだい例外れいがいなくI/Oバウンド英語えいごばん入出力にゅうしゅつりょく性能せいのうのボトルネックとなる状態じょうたい)であり、本来ほんらい並行へいこう計算けいさん能力のうりょく使つかわない場合ばあいでもそれはわらなかった。プログラム内蔵ないぞう方式ほうしき改造かいぞうして性能せいのう低下ていかしてもI/Oバウンド状態じょうたいわっていない。1952ねん高速こうそくシフタが追加ついかされ、シフト性能せいのうが5ばいになった。1953ねん7がつ、100ワードの磁気じきコアメモリ追加ついかされ、数値すうち表現ひょうげん3ぞう符号ふごう進化しんかじゅうしん表現ひょうげんとした。この拡張かくちょうメモリをサポートするため、あらたなファンクションテーブル・セレクター、メモリアドレス・セレクター、パルス成形せいけい回路かいろくわえられ、プログラミング機構きこうにも3つのしん命令めいれいくわえられた。

初期しょきのコンピュータとの比較ひかく

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機械きかいしきおよび電気でんきしき計算けいさん機械きかいは19世紀せいきから登場とうじょうしているが、ここでは現代げんだいてきな(計算けいさん理論りろん用語ようごで「万能ばんのう」(universal)である)電子でんししきコンピュータが誕生たんじょうする前夜ぜんやえる、1930年代ねんだいから1940年代ねんだい計算けいさん機械きかいからはなしはじめることとする。

1939ねんから1940ねんにかけて、ベル研究所けんきゅうじょではジョージ・スティビッツリレー計算けいさん Complex Number Calculator を開発かいはつし、1940ねんにはダートマス大学だいがくとベル研究所けんきゅうじょ電話でんわ回線かいせんむすび、遠隔えんかくからその計算けいさん操作そうさしてみせた[25]

ドイツではコンラート・ツーゼZ3設計せっけい(1941ねん5がつには稼働かどう)。これが世界せかいはつのプログラム可能かのう計算けいさん進数しんすう使つかっていたが、リレーによる電気でんき機械きかいしきである。さんこうテープでプログラムを供給きょうきゅうするものでプログラム内蔵ないぞう方式ほうしきではなく、条件じょうけん分岐ぶんき命令めいれいいため現代げんだいてきなプログラミングが普通ふつうにできるわけではない。すなわち、チューリング完全かんぜん意図いとして設計せっけいされてはいない。のちになって1998ねんに、チューリング完全かんぜんである、とする報告ほうこくかれているが、数値すうち演算えんざんのトリッキーなわせによって「条件じょうけんきの計算けいさん」に相当そうとうするような結果けっかられる、とするハックてきなものであり[26][27]近年きんねんの「x86はmov命令めいれいだけでチューリング完全かんぜんである」[28]といったような主張しゅちょう同様どうような、実用じつようてきではないものである。1943ねん12月、ベルリン空襲くうしゅうにより現物げんぶつうしなわれた。

アメリカでははつ完全かんぜん[29]電子でんし計算けいさん機械きかいとしてアタナソフ&ベリー・コンピュータ (ABC) が開発かいはつされた(1941ねんなつ稼働かどう)。真空しんくうかんによるしん演算えんざん回路かいろ実装じっそうしているが汎用はんようせいはなく、連立れんりついち方程式ほうていしきくことにとくしている。また、記憶きおく装置そうち機械きかいてき回転かいてんするため、性能せいのうがその回転かいてん速度そくど制限せいげんされていた。また入力にゅうりょくがパンチカードだったため、それによっても性能せいのう制限せいげんされていた。制御せいぎょ手動しゅどうであり、プログラム能力のうりょくはない。

イギリスではトミー・フラワーズColossus設計せっけいし、1943ねんから暗号あんごう解読かいどく使つかわれた。Colossusはデジタルしき電子でんししきでENIACのようにスイッチと配線はいせんでプログラムを設定せっていするが、暗号あんごう解読かいどく専用せんようであり汎用はんようせいはない[30]

ハワード・エイケンHarvard Mark I(1944ねん)はリレーを使つかった電気でんき機械きかいしき計算けいさんで、さんこうテープでプログラムを供給きょうきゅうする。様々さまざま計算けいさん可能かのうだが、分岐ぶんき命令めいれいがない。

ENIACは任意にんい演算えんざん実行じっこう可能かのうというてんでは Z3 や Mark I と同等どうとうだが、さんこうテープからプログラムをむというてんけている。Colossus とはプログラムの設定せってい方法ほうほう共通きょうつうである。ENIACの利点りてんは、チューリング完全かんぜんせい電子でんしてき処理しょり速度そくどにある。ABCとENIACとColossusはいずれも真空しんくうかん演算えんざん回路かいろ構成こうせいしている。また、Z3やABCは二進法にしんほう採用さいようしていたが、ENIACは十進法じっしんほうだった。

1948ねんまで、ENIACでのプログラミングはColossusのように配線はいせん変更へんこうおこなわれていた。プログラムとデータを共通きょうつう記憶きおく装置そうち格納かくのうするというプログラム内蔵ないぞう方式ほうしきはENIAC開発かいはつちゅう考案こうあんされたが、戦時せんじちゅうだったため完成かんせい優先ゆうせんされ、当初とうしょのENIACにそれが実装じっそうされることはなかった。また、ENIACには電子でんしてき記憶きおく装置そうちが20カ所かしょしかなく、データやプログラムの格納かくのうにはちいさすぎた。

一般いっぱん認知にんち

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Z3とColossusはそれぞれ独自どくじ開発かいはつされ、ABCやENIACとも無関係むかんけいである。Z3は1943ねんのベルリン空襲くうしゅうにより、存在そんざいられることはなく破壊はかいされた。Colossusはイギリスの戦時せんじちゅう諜報ちょうほう活動かつどう使つかわれたため、1970年代ねんだいまでその存在そんざいかされなかった。ABCは、ジョン・アタナソフがアメリカ海軍かいぐんでの研究けんきゅう開発かいはつ招集しょうしゅうされ放置ほうちされたため、アイオワ州立しゅうりつ大学だいがく廃棄はいき状態じょうたいになっていた。そのため、それらのコンピュータは国民こくみんらされることはなかった。一方いっぽう、ENIACは1946ねん報道ほうどうによって一般いっぱんられるようになった[18]。そのため、一般いっぱんにはENIACが「世界せかいはつのコンピュータ」となされることがおおい。こと日本にっぽんでは、「電子でんし計算けいさん」=「コンピュータ」という意訳いやくてき解釈かいしゃくによるところおおきい(逐語ちくごてきには「コンピュータ」というかたりに「電子でんし」の意味いみい)。

専門せんもん観点かんてん

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専門せんもん一般いっぱんに、はつ実用じつようてきプログラム内蔵ないぞう方式ほうしきのコンピュータであるEDSAC、ないし、実用じつようせいにはなんがあったがプログラム内蔵ないぞう方式ほうしきとしてそれよりさき稼働かどうしたManchester SSEM(Manchester Baby)をげる。

特許とっきょ

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ENIACにかんする特許とっきょ米国べいこく特許とっきょ番号ばんごう3,120,606ごう)は1964ねん発効はっこうした。のちに、この特許とっきょたてにしたスペリーランドによる寡占かせん問題もんだいとなり、1973ねん10がつ19にちにミネアポリス連邦れんぽう地方裁判所ちほうさいばんしょ判決はんけつ[31]で、審判しんぱんちゅうにいくつかの手続てつづじょう問題もんだいてん発見はっけんされたことから、特許とっきょ一部いちぶ無効むこうとされた。このためENIACは現在げんざい世界せかい最初さいしょ電子でんししきコンピュータ」ではなく、(ABCが「汎用はんよう」とするには機能きのう限定げんていされていた、というてんからかんがみて)「世界せかい最初さいしょ汎用はんよう電子でんししきコンピュータ(the first general-purpose electronic computer)」とばれる[32]ことがおおい。なお、このけんを『ENIAC神話しんわくずれた』などとして、あたかも歴史れきしえられたかのごとくあつかものもいる。いずれにせよENIACが、コンピュータの黎明れいめいにおいて歴史れきしてき重要じゅうよう役割やくわりたしたものの1つであることにわりはない。

部分ぶぶん展示てんじ

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ENIACの4つのパネルとファンクションテーブル(ひだり)。ペンシルベニア大学だいがく展示てんじぶつ

ペンシルベニア大学だいがく工学部こうがくぶでは、40だいのパネルのうちの4だいと、3だいのファンクションテーブルのうちの1だい所有しょゆうしている。スミソニアン博物館はくぶつかん国立こくりつアメリカ歴史れきし博物館はくぶつかんは5だいのパネルを所有しょゆう。ロンドンのサイエンス・ミュージアム一部いちぶ展示てんじしている。マウンテンビューのコンピュータ歴史れきし博物館はくぶつかんでは、3だいのパネルと1つのファンクションテーブルを展示てんじしている(スミソニアンから貸与たいよ)。ミシガン大学だいがくアーサー・バークス保管ほかんしていた4だいのパネルを所有しょゆうしている。ENIACが使つかわれていたアバディーン性能せいのう試験場しけんじょうアメリカ陸軍りくぐん兵器へいき博物館はくぶつかんはファンクションテーブルを1だい所有しょゆうしている。またテキサスしゅうプレイノの Perot Group には7だいのパネルがあり、ENIACの歴史れきし仕組しくみについての詳細しょうさい展示てんじがある。

ニューヨークしゅうウェストポイントの陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうにはENIACで使つかわれていたデータ入力にゅうりょくはしまつがある。

1チップ ENIAC

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ペンシルベニア大学だいがく学生がくせいは、1995ねんに、7.44 mm x 5.29 mmのシリコン基板きばんじょうに0.5 µmのCMOS技術ぎじゅつでトランジスタを174,569形成けいせいすることにより、ENIACを再現さいげんした[33][34]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 電子でんししき数値すうち積分せきぶん計算けいさん」の
  2. ^ Goldstine 1972
  3. ^ a b The ENIAC Story”. Ftp.arl.mil. 2008ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  4. ^ Shurkin, Joel, Engines of the Mind: The Evolution of the Computer from Mainframes to Microprocessors, 1996, ISBN 0-393-31471-5
  5. ^ Moye, William T (January 1996). “ENIAC: The Army-Sponsored Revolution”. US Army Research Laboratory. 2009ねん7がつ9にち閲覧えつらん
  6. ^ a b Goldstine 1972, p. 214
  7. ^ Kennedy, Jr., T. R. (February 15, 1946). “Electronic Computer Flashes Answers”. New York Times. 2011ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  8. ^ Honeywell, Inc. v. Sperry Rand Corp., 180 U.S.P.Q. (BNA) 673, p. 20, finding 1.1.3 (U.S. District Court for the District of Minnesota, Fourth Division 1973) (“The ENIAC machine which embodied 'the invention' claimed by the ENIAC patent was in public use and non-experimental use for the following purposes, and at times prior to the critical date: ... Formal dedication use February 15, 1946 ...”).
  9. ^ a b c Wilkes, M. V. (1956). Automatic Digital Computers. New York: John Wiley & Sons. pp. 305 pages. QA76.W5 1956 
  10. ^ Milestones:Electronic Numerical Integrator and Computer, 1946”. IEEE Global History Network. IEEE. 2011ねん8がつ3にち閲覧えつらん
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • Eckert, J. Presper, The ENIAC (in Nicholas Metropolis, J. Howlett, Gian-Carlo Rota, (editors), A History of Computing in the Twentieth Century, Academic Press, New York, 1980, pp. 525–540)
  • Eckert, J. Presper and John Mauchly, 1946, Outline of plans for development of electronic computers, 6 pages. (The founding document in the electronic computer industry.)
  • Fritz, Barkley, The Women of ENIAC (in IEEE Annals of the History of Computing, Vol. 18, 1996, pp. 13–28)
  • Goldstine, Herman H. (1972). The Computer: from Pascal to von Neumann. Princeton, New Jersey: Princeton University Press. ISBN 0-691-02367-0 
  • Goldstine, Herman and Adele Goldstine, The Electronic Numerical Integrator and Computer (ENIAC), 1946 (reprinted in The Origins of Digital Computers: Selected Papers, Springer-Verlag, New York, 1982, pp. 359–373)
  • Mauchly, John, The ENIAC (in Metropolis, Nicholas, J. Howlett, Gian-Carlo Rota, 1980, A History of Computing in the Twentieth Century, Academic Press, New York, ISBN 0-12-491650-3, pp. 541–550, "Original versions of these papers were presented at the International Research Conference on the History of Computing, held at the Los Alamos Scientific Laboratory, 10–15 June 1976.")
  • Rojas, Raúl and Ulf Hashagen, editors, The First Computers: History and Architectures, 2000, MIT Press, ISBN 0-262-18197-5.

関連かんれん文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3957ふん08びょう 西経せいけい7511ふん26びょう / 北緯ほくい39.9522 西経せいけい75.1905 / 39.9522; -75.1905