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{{Infobox Musician |
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| Name = Steve Stevens |
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| Name = スティーヴ・スティーヴンス<br/>Steve Stevens |
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| Img = 2019 RiP Deadland Ritual - Steve Stevens - by 2eight - 8SC9951.jpg |
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| Img_capt = スティーヴ・スティーヴンス(左)&ビリー・アイドル(右) 2003年 |
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| Occupation = [[ギタリスト]]、[[作曲家]] |
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| Years_active = 1980年- |
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'''スティーヴ・スティーヴンス'''(Steve Stevens、[[1959年]][[5月5日]]-)は、[[アメリカ合衆国]]の[[ロック (音楽)|ロック]]・[[ギタリスト]]。[[ビリー・アイドル]]のサポート・ギタリストとして名を馳せた後、[[ヴィンス・ニール]]や[[氷室京介]]等、様々なミュージシャンと共演。[[スタジオ・ミュージシャン]]としても活動し、映画『[[トップガン (映画)|トップガン]]』の[[サウンドトラック]]への参加でも知られる。 |
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'''スティーヴ・スティーヴンス'''('''Steve Stevens'''、[[1959年]][[5月5日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[ロック (音楽)|ロック]]・[[ギタリスト]]。[[ビリー・アイドル]]のサポート・ギタリストとして名を馳せた後、[[マイケル・ジャクソン]]や[[ヴィンス・ニール]]、[[氷室京介]]等、様々なミュージシャンと共演。[[スタジオ・ミュージシャン]]としても活動し、映画『[[トップガン (映画)|トップガン]]』の[[サウンドトラック]]への参加でも知られる。モデル/スタイリスト/ファッション・デザイナーのジョシー・スティーヴンスと2008年結婚。 |
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== 来歴 == |
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== 来歴 == |
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=== 〜1980年代 === |
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=== 1980年代まで === |
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[[ブルックリン区|ブルックリン]]出身<ref name=prato>{{Cite web |url=https://www.allmusic.com/artist/steve-stevens-mn0000754789/biography |last=Prato |first=Greg |title=Steve Stevens - Biography & History |publisher=AllMusic |accessdate=2019-01-07}}</ref>。7歳で[[ギター]]を始め、その後[[プログレッシブ・ロック]]に傾倒していく<ref name=prato />。また、12歳の頃に出会ったルーマニア人のギター教師の影響で、[[フラメンコ]]も聴くようになった<ref>{{Cite web |url=http://guitarinternational.com/2011/03/25/steve-stevens-interview-guitarist-extraordinaire-with-billy-idol/ |last=Cavuoto |first=Rob |title=Steve Stevens Interview: Guitarist Extraordinaire with Billy Idol |publisher=Guitar International |accessdate=2019-01-07}}</ref>。 |
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[[ブルックリン区|ブルックリン]]出身。ローカル・バンドでの活動を経て、[[1982年]]、元[[キッス]]の[[ピーター・クリス]]と共演。同時期に元[[ジェネレーションX (バンド)|ジェネレーションX]]の[[イギリス人]]シンガー、[[ビリー・アイドル]]と出会い、ビリーのソロ・ワークを演奏・作曲の両面でサポート。ビリーのセカンド・アルバム『Rebel Yell』(1983年)は全英2位・全米6位の成功を収め、[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]的な音作りと[[ハードロック]]的なギターの融合が話題となった<ref>[http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=Ar7f6zfo2ehak 『Rebel Yell』レビュー(allmusic)]</ref>。 |
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ローカル・バンドでの活動を経て、[[1982年]]、元[[キッス]]の[[ピーター・クリス]]と共演。同時期に元[[ジェネレーションX (バンド)|ジェネレーションX]]の[[イギリス人]]シンガー、[[ビリー・アイドル]]と出会い、ビリーのソロ・ワークを演奏・作曲の両面でサポート。ビリーのセカンド・アルバム『[[反逆のアイドル]]』(1983年)は全英36位・全米6位の成功を収め、[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]的な音作りと[[ハードロック]]的なギターの融合が話題となった<ref>[http://www.allmusic.com/album/rebel-yell-mw0000194223 『Rebel Yell』レビュー(allmusic)]</ref>。 |
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ビリーとの活動と並行し、様々なアーティストと仕事を行う。[[1985年]]には[[トンプソン・ツインズ]]のアルバムに参加し、[[ライヴエイド]]ではトンプソン・ツインズ、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]、[[ナイル・ロジャース]]との共演で「[[レボリューション (楽曲)|Revolution]]」([[ビートルズ]]のカバー、当時トンプソン・ツインズが持ち歌としていた)を演奏。[[1986年]]の映画『[[トップガン (映画)|トップガン]]』で使用された「Top Gun Anthem」は、スティーヴのギター・テクニックが存分に発揮された[[器楽曲|インストゥルメンタル]]で、[[グラミー賞]]のベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門を受賞。また、[[マイケル・ジャクソン]]のヒット・シングル「[[ダーティー・ダイアナ|Dirty Diana]]」にも参加。 |
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ビリーとの活動と並行し、様々なアーティストと仕事を行う。[[1985年]]には[[トンプソン・ツインズ]]のアルバムに参加し、[[ライヴエイド]]ではトンプソン・ツインズ、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]、[[ナイル・ロジャース]]との共演で「[[レボリューション (ビートルズの曲)|レボリューション]]」([[ビートルズ]]のカバー、当時トンプソン・ツインズが持ち歌としていた)を演奏<ref>{{Cite web |url=https://www.billboard.com/articles/columns/music-festivals/6627376/live-aid-30th-anniversary-highlights |last=Cornell |first=Jeff |title=Live Aid Turns 30: U2, Madonna, Led Zeppelin Reunion & More Highlights |publisher=Billboard |date=2015-07-13 |accessdate=2019-01-07}}</ref>。[[1986年]]の映画『[[トップガン (映画)|トップガン]]』で使用された「Top Gun Anthem」は、スティーヴのギター・テクニックが存分に発揮された[[器楽曲|インストゥルメンタル]]で、[[第29回グラミー賞]]では最優秀ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞<ref>{{Cite web |url=https://www.grammy.com/grammys/artists/steve-stevens |title=Steve Stevens - Artist |publisher=Recording Academy |work=GRAMMY.com |accessdate=2019-01-07}}</ref>。また、[[マイケル・ジャクソン]]のヒット・シングル「[[ダーティー・ダイアナ]]」にも参加。 |
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ビリーと袂を分かったスティーヴは、1989年、ウォリアーという[[ヘヴィメタル]]・バンドのボーカリストだったペリー・マッカーティー等を従え、アトミック・プレイボーイズというソロ・プロジェクトを立ち上げるが、アルバム1枚を残して、このプロジェクトは解体。 |
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ビリーと袂を分かったスティーヴは、[[1989年]]、ウォリアーという[[ヘヴィメタル]]・バンドのボーカリストだったペリー・マッカーティー等を従え、アトミック・プレイボーイズというソロ・プロジェクトを立ち上げるが、アルバム『[[アトミック・プレイボーイズ]]』(ジャケット・デザインは[[H・R・ギーガー]])1枚を残して、このプロジェクトは解体。 |
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=== 1990年代以降 === |
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その後、[[マイケル・モンロー]](元[[ハノイ・ロックス]])と共にレコーディングを行う。しかし、アルバムの完成を見ないまま、スティーヴは当時[[モトリー・クルー]]を脱退していた[[ヴィンス・ニール]]に引き抜かれた。この時の音源はエルサレム・スリム名義で1992年に発売されるが、既に同バンドは存在しなかった。なお、マイケル・モンローはこのプロジェクトに関して良い思い出はないようで、1992年の日本公演でも、スティーヴとレコーディングした曲は一切歌わなかった<ref>[http://www.michaelmonroe.com/biography/index.html マイケル・モンロー公式サイト]</ref>。 |
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=== 1990年代 === |
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スティーヴは、ヴィンスのファースト・ソロ・アルバム『Exposed』(1993年)と、同作に伴うツアー(日本公演も含む)に参加するが、その後ヴィンスのバンドを脱退し、一時的に[[ビリー・アイドル]]と復縁して、[[1994年]]の映画『[[スピード (映画)|スピード]]』の主題歌「Speed」で共演。 |
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その後、[[マイケル・モンロー]](元[[ハノイ・ロックス]])と共にレコーディングを行う。しかし、アルバムの完成を見ないまま、スティーヴは当時[[モトリー・クルー]]を脱退していた[[ヴィンス・ニール]]に引き抜かれた。この時の音源はエルサレム・スリム名義で1992年に発売されるが、既に同バンドは存在しなかった。なお、マイケル・モンローはこのプロジェクトに関して良い思い出はないようで、1992年の日本公演でも、スティーヴとレコーディングした曲は一切歌わなかった<ref>{{cite web |url=http://www.michaelmonroe.com/biography/index.html |title=Michael Monroe - Solo Biography |accessdate=2014-09-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080602134347/http://www.michaelmonroe.com/biography/index.html |archivedate=2008年6月2日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 |
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スティーヴは、ヴィンスのファースト・ソロ・アルバム『エクスポーズド』(1993年)と、同作に伴うツアー(日本公演も含む)に参加するが、その後ヴィンスのバンドを脱退し、一時的に[[ビリー・アイドル]]と復縁して、[[1994年]]の映画『[[スピード (映画)|スピード]]』の主題歌「Speed」で共演。 |
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1996年11月、『マグナ・カルタ・レコード』のオーナーの[[マイク・ヴァーニー]]が、[[テリー・ボジオ]]にスティーヴを紹介。それが切っ掛けとなって、スティーヴとテリーと[[トニー・レヴィン]]による新バンド、ボジオ・レヴィン・スティーヴンス結成。ファースト・アルバム『Black Light Syndrome』(1997年)は、わずか9日で制作(うち5日はギター・パートのオーヴァー・ダビング)<ref>『Situation Dangerous』日本盤CDライナーノーツ(伊藤政則、2000年)</ref>され、各メンバーの即興演奏を重視したプログレッシブ・ロック・アルバムとなった。 |
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1996年11月、「[[マグナ・カルタ・レコード]]」のオーナーの[[マイク・ヴァーニー]]が、[[テリー・ボジオ]]にスティーヴを紹介。それが切っ掛けとなって、スティーヴとテリーと[[トニー・レヴィン]]による新バンド、[[ボジオ・レヴィン・スティーヴンス]]結成。ファースト・アルバム『ブラック・ライト・シンドローム』(1997年)は、わずか9日で制作(うち5日はギター・パートのオーヴァー・ダビング)<ref>『シチュエーション・デンジャラス』日本盤CDライナーノーツ(伊藤政則、2000年)</ref>され、各メンバーの[[即興演奏]]を重視した[[プログレッシブ・ロック]]・アルバムとなった。 |
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1997年、[[氷室京介]]のアルバム『[[I・DE・A]]』に参加。翌年には氷室のツアーに帯同した他、[[スティーヴ・ヴァイ]]がプロデュースを担当したロック・ギタリストによるクリスマス・アルバム『Merry Axemas, Vol.2: More Guitars for Christmas』に参加し、クリスマスソングの定番曲「Do You Hear What I Hear?」を演奏<ref>[http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=10:dbfexq8jldfe~T0 Merry Axemas, Vol.2レビュー(allmusic)]</ref>。また、1999年にはソロ・アルバム『Flamenco A Go-Go』発表。スティーヴはかねてから[[フラメンコ]]からの影響をギター・プレイに反映させており、ヴィンス・ニールの楽曲「Edge」のイントロでもフラメンコ的なフレーズを弾いていたが、同作では殆どの曲で[[クラシック・ギター|ガット・ギター]]を使用し、本格的なフラメンコ・アルバムとなった。なお、同作収録曲「Dementia」は、氷室京介の[[横浜スタジアム]]公演で氷室のバック・バンドにより演奏されたライブ音源。 |
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1997年、[[氷室京介]]のアルバム『[[I・DE・A]]』に参加。翌年には氷室のツアーに帯同した他、[[スティーヴ・ヴァイ]]がプロデュースを担当したロック・ギタリストによるクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス 2』に参加し、クリスマスソングの定番曲「Do You Hear What I Hear?」を演奏<ref>[http://www.allmusic.com/album/merry-axemas-vol-2-more-guitars-for-christmas-mw0000600723 Merry Axemas, Vol.2レビュー(allmusic)]</ref>。 |
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2001年、ビリー・アイドルが音楽活動を再開すると、スティーヴも合流。ビリーの2005年のアルバム『Devil's Playground』にも全面参加した。また、ビリー・アイドル・バンドのサポート・キーボーディスト、[[デレク・シェリニアン]](元[[ドリーム・シアター]])のソロ・アルバムにも参加。 |
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1999年にはソロ・アルバム『[[フラメンコ・ア・ゴー・ゴー]]』発表。スティーヴはかねてからフラメンコからの影響をギター・プレイに反映させており、ヴィンス・ニールの楽曲「Edge」のイントロでもフラメンコ的なフレーズを弾いていたが、同作では殆どの曲で[[クラシック・ギター|ガット・ギター]]を使用し、本格的なフラメンコ・アルバムとなった。なお、同作収録曲「Dementia」は、氷室京介の[[横浜スタジアム]]公演で、スティーヴを含めた氷室のバック・バンドにより演奏されたライブ音源。同作にはその他、[[屋敷豪太]]や[[ヴィニー・カリウタ]]等が参加。 |
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2008年、『マグナ・カルタ』から、9年ぶりのソロ・アルバム『Memory Crash』発表。 |
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=== 21世紀 === |
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== ディスコグラフィー == |
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2001年、ビリー・アイドルが音楽活動を再開すると、スティーヴも合流。ビリーの2005年のアルバム『[[デヴィルズ・プレイグラウンド]]』にも全面参加した。また、ビリー・アイドル・バンドのサポート・キーボーディスト、[[デレク・シェリニアン]](元[[ドリーム・シアター]])のソロ・アルバムにも参加。 |
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'''ソロ・アルバム''' |
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*Atomic Playboys(1989年) |
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*Flamenco A Go-Go(1999年) |
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*Memory Crash(2008年) |
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2008年、「マグナ・カルタ・レコード」から、9年ぶりのソロ・アルバム『メモリー・クラッシュ』発表。 |
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'''ビリー・アイドル''' |
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*Billy Idol(1982年) |
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*Rebel Yell(1983年) |
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*Whiplash Smile(1986年) |
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*Vital Idol(1987年) |
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*Devil's Playground(2005年) |
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== ディスコグラフィ == |
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'''エルサレム・スリム''' |
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=== ソロ・アルバム === |
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*Jerusalem Slim(1992年) |
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*『[[アトミック・プレイボーイズ]]』 - ''Atomic Playboys'' (1989年) |
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*『[[フラメンコ・ア・ゴー・ゴー]]』 - ''Flamenco.a.Go.Go'' (1999年) |
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*『メモリー・クラッシュ』 - ''Memory Crash'' (2008年) |
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=== ビリー・アイドル === |
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'''ヴィンス・ニール''' |
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*『ビリー・アイドル』 - ''Billy Idol'' (1982年) |
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*Exposed(1993年) |
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*『[[反逆のアイドル]]』 - ''Rebel Yell'' (1983年) |
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*『バイタル・アイドル』 - ''Vital Idol'' (1985年) |
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*『ウィップラッシュ・スマイル』 - ''Whiplash Smile'' (1986年) |
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* ''VH1 Storytellers'' (2002年) |
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*『[[デヴィルズ・プレイグラウンド]]』 - ''Devil's Playground'' (2005年) |
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*『[[逆襲のアイドル]]』 - ''Kings & Queens of the Underground'' (2014年) |
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=== エルサレム・スリム === |
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'''ボジオ・レヴィン・スティーヴンス''' |
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*『マイケル・モンロー・アンド・エルサレム・スリム』 - ''Jerusalem Slim'' (1992年) |
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*Black Light Syndrome(1997年) |
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*Situation Dangerous(2000年) |
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=== ヴィンス・ニール === |
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'''氷室京介''' |
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*『エクスポーズド』 - ''Exposed'' (1993年) |
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*I・DE・A(1997年) |
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*The One Night Stands〜TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998〜(1998年) - ライブ・アルバム |
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*beat haze odyssey(2000年) |
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=== ボジオ・レヴィン・スティーヴンス === |
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その他参加作品 |
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*『ブラック・ライト・シンドローム』 - ''Black Light Syndrome'' (1997年) |
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*[[ピーター・クリス]] - 『Let Me Rock You』(1982年) |
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*『シチュエーション・デンジャラス』 - ''Situation Dangerous'' (2000年) |
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*[[トンプソン・ツインズ]] - 『Here's to Future Days』(1985年) |
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*[[リック・オケイセック]] - 『This Side of Paradise』(1986年) |
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=== 氷室京介 === |
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*[[トップガン (映画)|トップガン]] オリジナルサウンドトラック(1986年) |
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*『[[I・DE・A]]』 (1997年) |
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*[[マイケル・ジャクソン]] - 『[[バッド (アルバム)|Bad]]』(1987年) |
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*『[[Collective SOULS 〜THE BEST OF BEST〜]]』 (1998年) ※新曲および新録曲に参加 |
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*[[ジョニ・ミッチェル]] - 『Chalk Mark in a Rainstorm』(1988年) |
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*『[[The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜]]』 (1998年) ※ライブ・アルバム |
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*[[スティーヴ・ルカサー]] - 『Lukather』(1989年) |
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*『[[MELLOW (氷室京介のアルバム)|MELLOW]]』 (2000年) |
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*[[ロバート・パーマー]] - 『Don't Explain』(1990年) |
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*『[[beat haze odyssey]]』 (2000年) |
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*オムニバス・アルバム - 『Merry Axemas, Vol.2: More Guitars for Christmas』(1998年) |
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*『[[Follow the wind]]』 (2003年) |
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*[[デレク・シェリニアン]] - 『Mythology』(2004年) |
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=== その他の参加作品 === |
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*[[ピーター・クリス]]: 『レット・ミー・ロック・ユー』 - ''Let Me Rock You'' (1982年) |
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*[[トンプソン・ツインズ]]: 『フューチュアー・デイズ 』 - ''Here's to Future Days'' (1985年) |
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*[[リック・オケイセック]]: ''This Side of Paradise'' (1986年) |
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*[[トップガン (映画)|トップガン]] オリジナル・サウンドトラック (1986年) |
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*[[マイケル・ジャクソン]]: 『[[バッド (アルバム)|バッド]]』 - ''Bad'' (1987年) |
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*[[ジョニ・ミッチェル]]: ''Chalk Mark in a Rainstorm'' (1988年) |
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*[[スティーヴ・ルカサー]]: 『LUKATHER』 - ''Lukather'' (1989年) |
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*[[ロバート・パーマー]]: 『ドント・イクスプレイン』 - ''Don't Explain'' (1990年) |
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*[[Various Artists]]: 『メリー・アックスマス 2』 - ''Merry Axemas, Vol.2: More Guitars for Christmas'' (1998年) |
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*[[ジュノ・リアクター]]: 『シャンゴ』 - ''Shango'' (2000年) |
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*[[デレク・シェリニアン]]: 『ミソロジー』 - ''Mythology'' (2004年) |
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*ジュノ・リアクター: ''Gods & Monsters'' (2008年) |
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*デレク・シェリニアン: 『オセアナ』 - ''Oceana'' (2011年) |
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== 注釈 == |
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== 注釈 == |
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{{Reflist}} |
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<References/> |
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== 外部リンク == |
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== 外部リンク == |
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*[http://www.stevestevens.net 公式サイト] |
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*[http://billyidol.net/steve-stevens/ ビリー・アイドル公式サイト内の紹介ページ] |
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*{{Facebook|Official-Steve-Stevens}} |
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*[http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=11:wifwxqr5ldae~T0 allmusic.com] |
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*{{amg|id=steve-stevens-mn0000754789}} |
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{{Normdaten}} |
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{{DEFAULTSORT:すていふんす すていふ}} |
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[[Category:アメリカ合衆国のギタリスト]] |
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{{DEFAULTSORT:すていいうんす すていいう}} |
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[[Category:アメリカ合衆国のロック・ギタリスト]] |
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[[Category:ハードロック]] |
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[[Category:ハードロック]] |
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[[Category:ニューヨーク市出身の人物]] |
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[[Category:グラミー賞受賞者]] |
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[[Category:ブルックリン出身の人物]] |
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[[Category:1959年生]] |
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[[Category:1959年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
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[[da:Steve Stevens]] |
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[[de:Steve Stevens]] |
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[[en:Steve Stevens]] |
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[[es:Steve Stevens]] |
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[[it:Steve Stevens]] |
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[[nl:Steve Stevens]] |
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[[pl:Steve Stevens]] |
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[[sv:Steve Stevens]] |
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[[zh:史蒂夫·史蒂文斯]] |
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スティーヴ・スティーヴンス(Steve Stevens、1959年5月5日 - )は、アメリカ合衆国のロック・ギタリスト。ビリー・アイドルのサポート・ギタリストとして名を馳せた後、マイケル・ジャクソンやヴィンス・ニール、氷室京介等、様々なミュージシャンと共演。スタジオ・ミュージシャンとしても活動し、映画『トップガン』のサウンドトラックへの参加でも知られる。モデル/スタイリスト/ファッション・デザイナーのジョシー・スティーヴンスと2008年結婚。
ブルックリン出身[1]。7歳でギターを始め、その後プログレッシブ・ロックに傾倒していく[1]。また、12歳の頃に出会ったルーマニア人のギター教師の影響で、フラメンコも聴くようになった[2]。
ローカル・バンドでの活動を経て、1982年、元キッスのピーター・クリスと共演。同時期に元ジェネレーションXのイギリス人シンガー、ビリー・アイドルと出会い、ビリーのソロ・ワークを演奏・作曲の両面でサポート。ビリーのセカンド・アルバム『反逆のアイドル』(1983年)は全英36位・全米6位の成功を収め、ニュー・ウェイヴ的な音作りとハードロック的なギターの融合が話題となった[3]。
ビリーとの活動と並行し、様々なアーティストと仕事を行う。1985年にはトンプソン・ツインズのアルバムに参加し、ライヴエイドではトンプソン・ツインズ、マドンナ、ナイル・ロジャースとの共演で「レボリューション」(ビートルズのカバー、当時トンプソン・ツインズが持ち歌としていた)を演奏[4]。1986年の映画『トップガン』で使用された「Top Gun Anthem」は、スティーヴのギター・テクニックが存分に発揮されたインストゥルメンタルで、第29回グラミー賞では最優秀ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞[5]。また、マイケル・ジャクソンのヒット・シングル「ダーティー・ダイアナ」にも参加。
ビリーと袂を分かったスティーヴは、1989年、ウォリアーというヘヴィメタル・バンドのボーカリストだったペリー・マッカーティー等を従え、アトミック・プレイボーイズというソロ・プロジェクトを立ち上げるが、アルバム『アトミック・プレイボーイズ』(ジャケット・デザインはH・R・ギーガー)1枚を残して、このプロジェクトは解体。
その後、マイケル・モンロー(元ハノイ・ロックス)と共にレコーディングを行う。しかし、アルバムの完成を見ないまま、スティーヴは当時モトリー・クルーを脱退していたヴィンス・ニールに引き抜かれた。この時の音源はエルサレム・スリム名義で1992年に発売されるが、既に同バンドは存在しなかった。なお、マイケル・モンローはこのプロジェクトに関して良い思い出はないようで、1992年の日本公演でも、スティーヴとレコーディングした曲は一切歌わなかった[6]。
スティーヴは、ヴィンスのファースト・ソロ・アルバム『エクスポーズド』(1993年)と、同作に伴うツアー(日本公演も含む)に参加するが、その後ヴィンスのバンドを脱退し、一時的にビリー・アイドルと復縁して、1994年の映画『スピード』の主題歌「Speed」で共演。
1996年11月、「マグナ・カルタ・レコード」のオーナーのマイク・ヴァーニーが、テリー・ボジオにスティーヴを紹介。それが切っ掛けとなって、スティーヴとテリーとトニー・レヴィンによる新バンド、ボジオ・レヴィン・スティーヴンス結成。ファースト・アルバム『ブラック・ライト・シンドローム』(1997年)は、わずか9日で制作(うち5日はギター・パートのオーヴァー・ダビング)[7]され、各メンバーの即興演奏を重視したプログレッシブ・ロック・アルバムとなった。
1997年、氷室京介のアルバム『I・DE・A』に参加。翌年には氷室のツアーに帯同した他、スティーヴ・ヴァイがプロデュースを担当したロック・ギタリストによるクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス 2』に参加し、クリスマスソングの定番曲「Do You Hear What I Hear?」を演奏[8]。
1999年にはソロ・アルバム『フラメンコ・ア・ゴー・ゴー』発表。スティーヴはかねてからフラメンコからの影響をギター・プレイに反映させており、ヴィンス・ニールの楽曲「Edge」のイントロでもフラメンコ的なフレーズを弾いていたが、同作では殆どの曲でガット・ギターを使用し、本格的なフラメンコ・アルバムとなった。なお、同作収録曲「Dementia」は、氷室京介の横浜スタジアム公演で、スティーヴを含めた氷室のバック・バンドにより演奏されたライブ音源。同作にはその他、屋敷豪太やヴィニー・カリウタ等が参加。
2001年、ビリー・アイドルが音楽活動を再開すると、スティーヴも合流。ビリーの2005年のアルバム『デヴィルズ・プレイグラウンド』にも全面参加した。また、ビリー・アイドル・バンドのサポート・キーボーディスト、デレク・シェリニアン(元ドリーム・シアター)のソロ・アルバムにも参加。
2008年、「マグナ・カルタ・レコード」から、9年ぶりのソロ・アルバム『メモリー・クラッシュ』発表。
- 『ビリー・アイドル』 - Billy Idol (1982年)
- 『反逆のアイドル』 - Rebel Yell (1983年)
- 『バイタル・アイドル』 - Vital Idol (1985年)
- 『ウィップラッシュ・スマイル』 - Whiplash Smile (1986年)
- VH1 Storytellers (2002年)
- 『デヴィルズ・プレイグラウンド』 - Devil's Playground (2005年)
- 『逆襲のアイドル』 - Kings & Queens of the Underground (2014年)
- 『マイケル・モンロー・アンド・エルサレム・スリム』 - Jerusalem Slim (1992年)
- 『エクスポーズド』 - Exposed (1993年)
ボジオ・レヴィン・スティーヴンス[編集]
- 『ブラック・ライト・シンドローム』 - Black Light Syndrome (1997年)
- 『シチュエーション・デンジャラス』 - Situation Dangerous (2000年)
その他の参加作品[編集]
- ピーター・クリス: 『レット・ミー・ロック・ユー』 - Let Me Rock You (1982年)
- トンプソン・ツインズ: 『フューチュアー・デイズ 』 - Here's to Future Days (1985年)
- リック・オケイセック: This Side of Paradise (1986年)
- トップガン オリジナル・サウンドトラック (1986年)
- マイケル・ジャクソン: 『バッド』 - Bad (1987年)
- ジョニ・ミッチェル: Chalk Mark in a Rainstorm (1988年)
- スティーヴ・ルカサー: 『LUKATHER』 - Lukather (1989年)
- ロバート・パーマー: 『ドント・イクスプレイン』 - Don't Explain (1990年)
- Various Artists: 『メリー・アックスマス 2』 - Merry Axemas, Vol.2: More Guitars for Christmas (1998年)
- ジュノ・リアクター: 『シャンゴ』 - Shango (2000年)
- デレク・シェリニアン: 『ミソロジー』 - Mythology (2004年)
- ジュノ・リアクター: Gods & Monsters (2008年)
- デレク・シェリニアン: 『オセアナ』 - Oceana (2011年)
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