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[[ファイル:
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jpg |thumb|[[1750
年代 ねんだい ]]に
建立 こんりゅう された[[
救世主 きゅうせいしゅ 顕 あきら 栄 さかえ 教会 きょうかい ]]
{{要 よう 曖昧 あいまい さ回避 かいひ |date=2016年 ねん 1月 がつ }} (プレオブラジェンスカヤ
教会 きょうかい )]]
[[ファイル:Coat of Arms of Eniseisk (Krasnoyarsk krai).png|120px|thumb|エニセイスクの紋章 もんしょう ]]
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'''エニセイスク'''({{lang|ru|Енисейск}}, Yeniseysk/Eniseisk )は[[ロシア連邦 れんぽう ]]、[[クラスノヤルスク地方 ちほう ]]の[[都市 とし ]]で、[[エニセイ川 がわ ]]の河岸 かわぎし に位置 いち する。[[人口 じんこう ]]は20,394人 にん (2002年 ねん )、22,891人 にん (1989年 ねん )、20,000人 にん (1970年 ねん )。
'''エニセイスク'''({{lang|ru|Енисейск}}, Yeniseysk/Eniseisk )は、[[ロシア連邦 れんぽう ]][[クラスノヤルスク地方 ちほう ]]の町 まち 。人口 じんこう は1万 まん 7537人 にん (2021年 ねん )<ref>{{citeweb|url=https://www.citypopulation.de/en/russia/krasnojarsk/_/04712000000__jenisejsk/|title=CITY POPULATION|accessdate=22 May 2023}}</ref>。[[エニセイ川 がわ ]]の河岸 かわぎし に位置 いち する。
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月 がつ の
平均 へいきん 気温 きおん はマイナス22
度 ど で
真冬 まふゆ の
気温 きおん は-24~-34℃(-12~-30℉)。7
月 がつ の
平均 へいきん 気温 きおん は18
度 ど で
真夏 まなつ の
気温 きおん は18~30℃(64~86℉)<ref>[http://meteo.infospace.ru/climate/html/index.ssi Average daily temperature Yeniseisk (Krasnoyarsk kray)]</ref>。
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エニセイスクは1619
年 ねん 、[[コサック]]により[[シベリア]]
進出 しんしゅつ の
拠点 きょてん のひとつとしてエニセイ
川 がわ 沿岸 えんがん に
築 きず かれた。
当時 とうじ は
柵 しがらみ に
囲 かこ まれ
外敵 がいてき の
攻撃 こうげき に
備 そな えた
町 まち であった。1635
年 ねん に
町 まち となり、[[17
世紀 せいき ]]から[[18
世紀 せいき ]]にかけては
[[ 東 ひがし シベリア
]] への
玄関 げんかん 口 こう としてその
植民 しょくみん 地 ち 化 か の
拠点 きょてん となったため「シベリアの
町 まち 々の
父 ちち 」とも
呼 よ ばれる。かつてはロシアの
金 かね の9
割 わり はエニセイスク
近辺 きんぺん で
採掘 さいくつ されたほか、
[[ 東 ひがし シベリア
]] の
先住民 せんじゅうみん から
集 あつ められた
毛皮 けがわ がモスクワに
向 む かう
通過 つうか 点 てん でもあったため、[[
金 かね ]]・[[
毛皮 けがわ ]]
交易 こうえき で
大 おお いに
繁栄 はんえい した。またエニセイスクは17
世紀 せいき から18
世紀 せいき にかけてシベリアの
宗教 しゅうきょう の
中心 ちゅうしん ともなったため
多 おお くの
教会 きょうかい が
残 のこ り、ロシア
連邦 れんぽう 政府 せいふ の[[
世界 せかい 遺産 いさん ]]
暫定 ざんてい リストに
登録 とうろく されている。
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年代 ねんだい ]]に
建立 こんりゅう された[[
救世主 きゅうせいしゅ 顕 あきら 栄 さかえ 教会 きょうかい ]](プレオブラジェンスカヤ
教会 きょうかい )]]
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エニセイスクは
[[1619
年 ねん ]]、[[コサック]]により[[シベリア]]
進出 しんしゅつ の
拠点 きょてん のひとつとしてエニセイ
川 がわ 沿岸 えんがん に
築 きず かれた。
当時 とうじ は
柵 しがらみ に
囲 かこ まれ
外敵 がいてき の
攻撃 こうげき に
備 そな えた
町 まち であった。
[[1635
年 ねん ]]に
町 まち となり、[[17
世紀 せいき ]]から[[18
世紀 せいき ]]にかけては
東 ひがし シベリアへの
玄関 げんかん 口 こう としてその
植民 しょくみん 地 ち 化 か の
拠点 きょてん となったため「シベリアの
町 まち 々の
父 ちち 」とも
呼 よ ばれる。かつてはロシアの
金 かね の9
割 わり はエニセイスク
近辺 きんぺん で
採掘 さいくつ されたほか、
東 ひがし シベリアの
先住民 せんじゅうみん から
集 あつ められた
毛皮 けがわ がモスクワに
向 む かう
通過 つうか 点 てん でもあったため、[[
金 かね ]]・[[
毛皮 けがわ ]]
交易 こうえき で
大 おお いに
繁栄 はんえい した。またエニセイスクは17
世紀 せいき から18
世紀 せいき にかけてシベリアの
宗教 しゅうきょう の
中心 ちゅうしん ともなったため
多 おお くの
教会 きょうかい が
残 のこ り、ロシア
連邦 れんぽう 政府 せいふ の[[
世界 せかい 遺産 いさん ]]
暫定 ざんてい リストに
登録 とうろく されている。
また[[ヨシフ・スターリン]]時代 じだい には、北方 ほっぽう の[[グラグ]](収容 しゅうよう 所 しょ )へ送 おく られる拘留 こうりゅう 者 しゃ たちがエニセイスクで船 ふね に乗 の せかえられた<ref>[http://www.gulag.memorial.de/lager.php5?lag=149 ITL UND BAU えーゆー DER EISENBAHNSTRECKE KRASNOJARSK - JENISSEISK]</ref>。
また[[ヨシフ・スターリン]]時代 じだい には、北方 ほっぽう の[[グラグ]](収容 しゅうよう 所 しょ )へ送 おく られる拘留 こうりゅう 者 しゃ たちがエニセイスクで船 ふね に乗 の せかえられた<ref>[http://www.gulag.memorial.de/lager.php5?lag=149 ITL UND BAU えーゆー DER EISENBAHNSTRECKE KRASNOJARSK - JENISSEISK]</ref>。
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月 がつ の
平均 へいきん 気温 きおん はマイナス22
度 ど で
真冬 まふゆ の
気温 きおん は-24~-34℃(-12~-30℉)。7
月 がつ の
平均 へいきん 気温 きおん は18
度 ど で
真夏 まなつ の
気温 きおん は18~30℃(64~86℉)<ref>[http://meteo.infospace.ru/climate/html/index.ssi Average daily temperature Yeniseisk (Krasnoyarsk kray)]</ref>。
== 脚注 きゃくちゅう ==
== 脚注 きゃくちゅう ==
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[[Category:クラスノヤルスク地方 ちほう の都市 とし ]]
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座標 ざひょう : 北緯 ほくい 58度 ど 28分 ふん 00秒 びょう 東経 とうけい 92度 ど 08分 ふん 00秒 びょう / 北緯 ほくい 58.46667度 ど 東経 とうけい 92.13333度 ど / 58.46667; 92.13333
1750年代 ねんだい に建立 こんりゅう された救世主 きゅうせいしゅ 顕 あきら 栄 さかえ 教会 きょうかい [要 よう 曖昧 あいまい さ回避 かいひ ] (プレオブラジェンスカヤ教会 きょうかい )
エニセイスクの紋章 もんしょう
エニセイスク (Енисейск , Yeniseysk/Eniseisk )は、ロシア連邦 れんぽう クラスノヤルスク地方 ちほう の町 まち 。人口 じんこう は1万 まん 7537人 にん (2021年 ねん )[1] 。エニセイ川 がわ の河岸 かわぎし に位置 いち する。
エニセイスクは1619年 ねん 、コサック によりシベリア 進出 しんしゅつ の拠点 きょてん のひとつとしてエニセイ川 がわ 沿岸 えんがん に築 きず かれた。当時 とうじ は柵 しがらみ に囲 かこ まれ外敵 がいてき の攻撃 こうげき に備 そな えた町 まち であった。1635年 ねん に町 まち となり、17世紀 せいき から18世紀 せいき にかけては東 ひがし シベリア への玄関 げんかん 口 こう としてその植民 しょくみん 地 ち 化 か の拠点 きょてん となったため「シベリアの町 まち 々の父 ちち 」とも呼 よ ばれる。かつてはロシアの金 かね の9割 わり はエニセイスク近辺 きんぺん で採掘 さいくつ されたほか、東 ひがし シベリア の先住民 せんじゅうみん から集 あつ められた毛皮 けがわ がモスクワに向 む かう通過 つうか 点 てん でもあったため、金 きむ ・毛皮 けがわ 交易 こうえき で大 おお いに繁栄 はんえい した。またエニセイスクは17世紀 せいき から18世紀 せいき にかけてシベリアの宗教 しゅうきょう の中心 ちゅうしん ともなったため多 おお くの教会 きょうかい が残 のこ り、ロシア連邦 れんぽう 政府 せいふ の世界 せかい 遺産 いさん 暫定 ざんてい リストに登録 とうろく されている。
またヨシフ・スターリン 時代 じだい には、北方 ほっぽう のグラグ (収容 しゅうよう 所 しょ )へ送 おく られる拘留 こうりゅう 者 しゃ たちがエニセイスクで船 ふね に乗 の せかえられた[2] 。
1月 がつ の平均 へいきん 気温 きおん はマイナス22度 ど で真冬 まふゆ の気温 きおん は-24~-34℃(-12~-30℉)。7月 がつ の平均 へいきん 気温 きおん は18度 ど で真夏 まなつ の気温 きおん は18~30℃(64~86℉)[3] 。
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