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''' 鈴木 梅四郎'''(すずき うめしろう、[[1862 年]][[5 月24 日]]([[ 文久]]2 年[[4 月26 日 ( 旧暦)|4 月26 日]]) - [[1940 年]]([[ 昭和]]15 年)[[4 月15 日]])は、 明治 - 昭和期の 実業家、 政治家。 財団法人[[ 実費診療所]] 創立者。 |
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''' 鈴木 梅四郎'''(すずき うめしろう、[[1862 年]][[5 月24 日]]([[ 文久]]2 年[[4 月26 日 ( 旧暦)|4 月26 日]]) - [[1940 年]]([[ 昭和]]15 年)[[4 月15 日]])は、 明治 - 昭和期の 実業家、 政治家、[[社会運動家]]。 財団法人[[ 実費診療所]] 創立者。 |
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== 経歴 == |
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[[信濃国]][[水内郡]]生まれ。[[鈴木龍蔵]]の二男。[[1881年]](明治14年)[[慶應義塾]]へ入学。1887年卒業。 |
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[[信濃国]][[水内郡]]安茂里村(現在の[[長野県]][[長野市]][[安茂里]]地区)に農業・鈴木龍蔵の二男として生まれる。[[1881年]](明治14年)[[慶應義塾]]へ入学。1887年卒業。 |
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卒業後、[[時事新報]]から横浜貿易商組合顧問となり[[三井銀行]]から[[王子製紙]]へ移る。医療所不足を解消するため[[1911年]]に[[実費診療所]]を[[東京府]][[京橋区]]に設置。その後、[[横浜市|横浜]]・[[大阪市|大阪]]等各地に設立。各地で医師会が反発し、対立に直面した。[[1912年]](明治45年)に[[立憲政友会]]の衆議院議員となる(通算当選5回)。 |
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卒業後、[[時事新報]]から横浜貿易商組合顧問となり、[[機関紙]]横浜貿易新聞の[[主筆]]に就任。その後[[中上川彦次郎]]の引きで[[三井銀行]]に転職し、各地支店長を務めるが、後に[[王子製紙 (初代)|王子製紙]]へ移り専務に就任。 |
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王子製紙時代には、1902年(明治35年)に現在の[[北海道]][[苫小牧市]]の苫小牧工場建設に手腕を発揮したほか、[[1919年]](大正8年)には[[台湾]]の[[宜蘭市]]に[[バガス]]を原材料とする製紙工場を建設した<ref>香田徹也「昭和15年(1940年)林政・民有林」『日本近代林政年表 1867-2009』p420 日本林業調査会 2011年 {{全国書誌番号|22018608}}</ref>。 |
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王子製紙在籍時に日本の医療制度の貧弱さを目の当たりし、社会福祉の充実を主張しその一環として、医療所不足を解消するため[[1911年]]に[[実費診療所]]を[[東京府]][[京橋区]]に設置。その後、[[横浜市|横浜]]・[[大阪市|大阪]]等各地に設立。各地で医師会が反発し、対立に直面した。[[1912年]](明治45年)に[[立憲政友会]]の[[衆議院議員]]となる(通算当選5回)。 |
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==脚注== |
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== 参考文献 == |
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== 参考文献 == |
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*{{Cite book|和書|author=田中省三|authorlink=田中省三|year=1995|month=12|title=医療の社会化を実践した人物・鈴木梅四郎|publisher=医史研究会|isbn=4-9900443-1-2}} |
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*{{Cite book|和書|author=田中省三|authorlink=|date=1995-12|title=医療の社会化を実践した人物・鈴木梅四郎|publisher=医史研究会|isbn=4-9900443-1-2}} |
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*{{Cite book|和書|editor=三田商業研究会編|date=1909年(明治42年)6月|title=慶應義塾出身名流列伝|publisher=実業之世界社|pages=937-938|url={{NDLDC|777715}}}}([[近代デジタルライブラリー]]) |
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*{{Cite book|和書|editor=三田商業研究会編|year={{和暦|1909}}|month=6|title=慶應義塾出身名流列伝|publisher=実業之世界社|url=http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php?tpl_wid=WBPL110&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_bef_keyword=&tpl_action=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=&tpl_s_author_mode=BI&tpl_s_author_oper=AND&tpl_s_published_place=&tpl_s_published_place_mode=ZI&tpl_s_published_place_oper=AND&tpl_s_publisher=&tpl_s_publisher_mode=ZI&tpl_s_publisher_oper=AND&tpl_s_nengou=AD&tpl_s_published_year_from=&tpl_s_published_year_to=&tpl_s_ndc=&tpl_s_ndc_mode=ZI&tpl_s_heading=&tpl_s_heading_mode=ZI&tpl_s_heading_oper=AND&tpl_s_jp_num=40015929&tpl_s_toc=&tpl_s_toc_oper=AND&tpl_item_oper=AND&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data=}}([[近代デジタルライブラリー]]) |
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== 関連項目 == |
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* [[小栗貞雄]] |
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== 外部リンク == |
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鈴木 梅四郎(すずき うめしろう、1862年5月24日(文久2年4月26日) - 1940年(昭和15年)4月15日)は、明治 - 昭和期の実業家、政治家、社会運動家。財団法人実費診療所創立者。
信濃国水内郡安茂里村(現在の長野県長野市安茂里地区)に農業・鈴木龍蔵の二男として生まれる。1881年(明治14年)慶應義塾へ入学。1887年卒業。
卒業後、時事新報から横浜貿易商組合顧問となり、機関紙横浜貿易新聞の主筆に就任。その後中上川彦次郎の引きで三井銀行に転職し、各地支店長を務めるが、後に王子製紙へ移り専務に就任。
王子製紙時代には、1902年(明治35年)に現在の北海道苫小牧市の苫小牧工場建設に手腕を発揮したほか、1919年(大正8年)には台湾の宜蘭市にバガスを原材料とする製紙工場を建設した[1]。
王子製紙在籍時に日本の医療制度の貧弱さを目の当たりし、社会福祉の充実を主張しその一環として、医療所不足を解消するため1911年に実費診療所を東京府京橋区に設置。その後、横浜・大阪等各地に設立。各地で医師会が反発し、対立に直面した。1912年(明治45年)に立憲政友会の衆議院議員となる(通算当選5回)。
- ^ 香田徹也「昭和15年(1940年)林政・民有林」『日本近代林政年表 1867-2009』p420 日本林業調査会 2011年 全国書誌番号:22018608