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2007年7月8日 (日) 12:18時点における版
斎藤 邦吉(さいとう くにきち、1909年6月26日 - 1992年6月18日)は、日本の政治家(元自由民主党衆議院議員)。
来歴・人物
福島県出身。東京帝国大学法学部卒。内務省を経て、労働省に入り、労働事務次官等を務める。1958年、旧福島3区から衆議院議員選挙に初当選。連続当選12回。自民党内では宏池会(池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に所属。伊東正義、佐々木義武とともに「大平派三羽烏」と呼ばれた。1972年、田中角栄内閣で厚生大臣として初入閣。1978年、大平政権が誕生すると、総・幹分離の原則(総裁への権力集中を避けるため総裁派閥からは幹事長を出さないという原則が三木内閣の頃から存在していた)を破って、自民党幹事長に就任した。1979年の衆議院解散で自民党が敗北したため辞任。厚生族の重鎮としても知られた。
経歴
その他
斉藤邦彦 長男、元労働事務次官
関連項目