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2008年6月15日 (日) 09:42時点における版
第140師団(だいひゃくよんじゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
太平洋戦争の末期に本土決戦準備のため急造された54個師団の一つ。
沿革
第140師団は1945年(昭和20年)2月に本土決戦準備第一次兵備として編成された「沿岸配備師団」で、師団司令部は片瀬町(現藤沢市片瀬)におかれた。4個歩兵連隊から構成され、湘南海岸から上陸する敵軍に対抗するために海岸線や付近の山林に多数の横穴陣地・トーチカを構築したが、急遽編成されたため火力は乏しかった。
沿岸配備師団は、敵上陸にあたっては前述の横穴陣地やトーチカからの攻撃によって上陸部隊を拘束し、内陸部に配置された「機動打撃師団」などの主力部隊の攻撃を容易にする任務を持つ。こうした任務から俗に「はりつけ師団」あるいは「かかし兵団」といわれた。4個歩兵連隊のうち、1個連隊のみは反撃連隊と呼ばれる異なった編制を持ち、馬匹が多めに配備されて機動性が確保されていた。
第140師団が構築した陣地などの遺構は多数残存するようだが、終戦に伴い資料が焼却されたため不明な点が多い。開発などにより破壊された遺構も多く、地元の郷土史家や古老の体験談などによって断片的に伝えられているのが現状である。
第140師団のほか、第142・143・144・145・146・147・151・152・153・154・155・156・157師団、また朝鮮半島では、第150・160師団が同時に編成された。
師団長
- 物部長鉾 中将:昭和20年(1945年)4月1日 - 終戦
最終所属部隊
- 歩兵第401連隊(東京):平沢喜一大佐
- 歩兵第402連隊(甲府):鈴木薫二大佐
- 歩兵第403連隊(佐倉):菅原甚吉中佐
- 歩兵第404連隊(溝ノ口):立花啓一大佐
- 第140師団砲兵隊
- 第140師団速射砲隊
- 第140師団輜重隊
- 第140師団通信隊
- 第140師団兵器勤務隊
- 第140師団野戦病院
関連項目