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'''第140師団'''(だいひゃくよんじゅうしだん)は、[[大日本帝国陸軍]]の[[師団]]の一つ。 |
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第140師団は[[1945年]]([[昭和]]20年)2月に本土決戦準備第一次兵備として編成された「沿岸配備師団」で、師団[[司令部]]は片瀬町(現[[藤沢市]][[片瀬 (藤沢市)|片瀬]])におかれた。4個歩兵連隊から構成され、[[湘南海岸]]から上陸する敵軍に対抗するために海岸線や付近の山林に多数の横穴陣地・[[トーチカ]]を構築したが、急遽編成されたため火力は乏しかった。 |
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第140師団は[[1945年]]([[昭和]]20年)2月に本土決戦準備第一次兵備として編成された「沿岸配備師団」で、師団[[司令部]]は片瀬町(現[[藤沢市]][[片瀬 (藤沢市)|片瀬]])におかれた。「[[相模湾]]防衛」を主任務とする[[第53軍]]の麾下に入り[[湘南海岸]]から上陸する敵軍に対抗するために海岸線や付近の山林に多数の横穴陣地・[[トーチカ]]を構築したが、急遽編成されたため火力は乏しかった。 |
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沿岸配備師団は、敵上陸にあたっては前述の横穴陣地やトーチカからの攻撃によって上陸部隊を拘束し、内陸部に配置された「[[機動打撃師団]]」などの主力部隊の攻撃を容易にする任務を持つ。こうした任務から俗に「はりつけ師団」あるいは「かかし兵団」といわれた。4個歩兵連隊のうち、1個連隊のみは反撃連隊と呼ばれる異なった編制を持ち、馬匹が多めに配備されて機動性が確保されていた。 |
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沿岸配備師団は、敵上陸にあたっては前述の横穴陣地やトーチカからの攻撃によって上陸部隊を拘束し、内陸部に配置された「[[機動打撃師団]]」などの主力部隊の攻撃を容易にする任務を持つ。こうした任務から俗に「はりつけ師団」あるいは「かかし兵団」といわれた。140師団に配属された4個歩兵連隊のうち、1個連隊のみは反撃連隊と呼ばれる異なった編制を持ち、馬匹が多めに配備されて機動性が確保されていた。 |
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第140師団が構築した陣地などの遺構は多数残存するようだが、終戦に伴い資料が焼却されたため不明な点が多い。開発などにより破壊された遺構も多く、地元の[[郷土史]]家や古老の体験談などによって断片的に伝えられているのが現状である。 |
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第140師団が構築した陣地などの遺構は多数残存するようだが、終戦に伴い資料が焼却されたため不明な点が多い。開発などにより破壊された遺構も多く、地元の[[郷土史]]家や古老の体験談などによって断片的に伝えられているのが現状である。 |
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== 最終所属部隊 == |
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*歩兵第401連隊(東京):平沢喜一大佐 |
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*歩兵第401連隊(東京):平沢喜一大佐(司令部:[[鎌倉山]]) |
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*歩兵第402連隊(甲府):鈴木薫二大佐 |
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*歩兵第402連隊(甲府):鈴木薫二大佐(司令部:[[千畳敷山]]) |
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*歩兵第403連隊(佐倉):菅原甚吉中佐 |
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*歩兵第403連隊(佐倉):菅原甚吉中佐(司令部:[[藤沢市]]) |
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*歩兵第404連隊(溝ノ口):立花啓一大佐 |
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*歩兵第404連隊(溝ノ口):立花啓一大佐(司令部:御所見村(現:藤沢市[[御所見]]) |
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*第140師団砲兵隊 |
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*第140師団砲兵隊 |
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*第140師団速射砲隊 |
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*第140師団速射砲隊 |
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*「相模湾上陸作戦 -第二次世界大戦終結への道」 大西比呂志・栗田尚弥・小風秀雅 共著 有隣新書 |
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ファイル:稲村ヶ崎突端部.jpg稲村ヶ崎に残る横穴陣地。第140師団麾下の部隊が構築したとされている
第140師団(だいひゃくよんじゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
太平洋戦争の末期に本土決戦準備のため急造された54個師団の一つ。
沿革
第140師団は1945年(昭和20年)2月に本土決戦準備第一次兵備として編成された「沿岸配備師団」で、師団司令部は片瀬町(現藤沢市片瀬)におかれた。「相模湾防衛」を主任務とする第53軍の麾下に入り湘南海岸から上陸する敵軍に対抗するために海岸線や付近の山林に多数の横穴陣地・トーチカを構築したが、急遽編成されたため火力は乏しかった。
沿岸配備師団は、敵上陸にあたっては前述の横穴陣地やトーチカからの攻撃によって上陸部隊を拘束し、内陸部に配置された「機動打撃師団」などの主力部隊の攻撃を容易にする任務を持つ。こうした任務から俗に「はりつけ師団」あるいは「かかし兵団」といわれた。140師団に配属された4個歩兵連隊のうち、1個連隊のみは反撃連隊と呼ばれる異なった編制を持ち、馬匹が多めに配備されて機動性が確保されていた。
第140師団が構築した陣地などの遺構は多数残存するようだが、終戦に伴い資料が焼却されたため不明な点が多い。開発などにより破壊された遺構も多く、地元の郷土史家や古老の体験談などによって断片的に伝えられているのが現状である。
第140師団のほか、第142・143・144・145・146・147・151・152・153・154・155・156・157師団、また朝鮮半島では、第150・160師団が同時に編成された。
師団長
- 物部長鉾 中将:昭和20年(1945年)4月1日 - 終戦
最終所属部隊
- 歩兵第401連隊(東京):平沢喜一大佐(司令部:鎌倉山)
- 歩兵第402連隊(甲府):鈴木薫二大佐(司令部:千畳敷山)
- 歩兵第403連隊(佐倉):菅原甚吉中佐(司令部:藤沢市)
- 歩兵第404連隊(溝ノ口):立花啓一大佐(司令部:御所見村(現:藤沢市御所見)
- 第140師団砲兵隊
- 第140師団速射砲隊
- 第140師団輜重隊
- 第140師団通信隊
- 第140師団兵器勤務隊
- 第140師団野戦病院
関連項目
参考文献
- 「相模湾上陸作戦 -第二次世界大戦終結への道」 大西比呂志・栗田尚弥・小風秀雅 共著 有隣新書