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河井醉茗かわいすいめい」のはんあいだ差分さぶん

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2010ねん11月3にち (水)すい 15:07時点じてんにおけるはん

河井かわい よい(かわい すいめい、1874ねん5月7にち - 1965ねん1がつ17にち)は、日本にっぽん詩人しじん本名ほんみょうまたたいら大阪おおさかさかいまれ。

文庫ぶんこ」の記者きしゃとしてらん担当たんとうし、おおくの詩人しじんそだてる。また雑誌ざっし女性じょせい時代じだい」「詩人しじん」を刊行かんこうするなどして口語こうご自由じゆう提唱ていしょうした。詩集ししゅうに『つるゆみ』『とうかげ』など。

経歴けいれき

1874ねん5がつ4にち大阪おおさかさかい北旅籠きたはたごまちうまれた。ちちまたひらめはははせいで、呉服ごふくしょういとなんでいた。幼名ようみょうさいわい三郎さぶろう。1881ねんにしき西小学校にししょうがっこう入学にゅうがく。18さいで「少年しょうねん文庫ぶんこ」などになどの投稿とうこうかさねる。20さいのときにおとうと」がはじめて「少年しょうねん文庫ぶんこ」に掲載けいさいされ、以後いご文庫ぶんこ」(「少年しょうねん文庫ぶんこ改題かいだい)の記者きしゃとして、1907ねん退しりぞくまでらん担当たんとうする。また「よしあしそう」の詩歌しからん編集へんしゅう。1901ねん詩集ししゅうつるゆみ』を刊行かんこう

このほか「女子じょし文壇ぶんだん」「しん少女しょうじょ」の編集へんしゅうたり、「文庫ぶんこ」を退しりぞいたのちは「詩人しじん」を発行はっこう口語こうご自由じゆう散文詩さんぶんし推進すいしん。また日本にっぽん詩人しじん協会きょうかいだい日本にっぽん詩人しじん協会きょうかい創立そうりつにも参加さんかしたり、女性じょせい時代じだいしゃをおこして「女性じょせい時代じだい」を刊行かんこうするなど、昭和しょうわにおいて発展はってん尽力じんりょくした。1937ねん芸術げいじゅついん会員かいいん島本しまもと久恵ひさえ再婚さいこんし、長男ちょうなん島本しまもとめぐみ二男じなん島本しまもととおるをもうけた。戦後せんご1949ねんとうかげ』を創刊そうかん。ほか、日本にっぽん詩人しじんクラブ日本にっぽん文芸ぶんげい協会きょうかい名誉めいよ会員かいいん。1965ねん1がつ17にち急性きゅうせい心臓しんぞう衰弱すいじゃくのためぼっした。

著書ちょしょ

詩集ししゅう
  • つるゆみ(1901ねん1がつ内外ないがい出版しゅっぱん協会きょうかい
  • とうかげ(1905ねん3がつ金色きんいろしゃ
  • 弥生やよいしゅう(1911ねん3がつ天佑てんゆうしゃ
  • よい茗詩しゅう(1923ねん7がつ、アルス)
  • 紫羅欄花あらせいとう(1932ねん7がつ東北とうほく書院しょいん
  • けん(1943ねん12月、金尾かなお文淵ぶんえんどう
  • はな鎮抄(1946ねん10がつ金尾かなお文淵ぶんえんどう

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