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阿部昭 (歴史学者) - Wikipedia コンテンツにスキップ

阿部あべあきら (歴史れきし学者がくしゃ)

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阿部あべ あきら
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん 須永すなが あきら
(1943-05-01) 1943ねん5月1にち
日本の旗 日本にっぽん栃木とちぎけん足利あしかが
死没しぼつ (2021-11-16) 2021ねん11月16にち(78さいぼつ
居住きょじゅう 日本の旗 日本にっぽん栃木とちぎけん宇都宮うつのみや上小池かみこいけまち
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしんこう 東京教育大学とうきょうきょういくだいがく文学部ぶんがくぶ史学しがく日本にっぽん史学しがく専攻せんこう
学問がくもん
活動かつどう地域ちいき 栃木とちぎけん
研究けんきゅう分野ぶんや 日本にっぽん近世きんせい
研究けんきゅう機関きかん 国士舘大学こくしかんだいがく(1987ねん - 2013ねん
学位がくい 学士がくし文学ぶんがく
おも業績ぎょうせき 近世きんせい村落そんらくふみ
二宮にのみや尊徳そんとく研究けんきゅう
主要しゅよう作品さくひん近世きんせい村落そんらく構造こうぞう農家のうか経営けいえい
栃木とちぎけん近世きんせい史料しりょうへんおよ通史つうしへん共著きょうちょ
学会がっかい 栃木とちぎけん歴史れきし文化ぶんか研究けんきゅうかい
おも受賞じゅしょうれき 栃木とちぎけん文化ぶんか功労こうろうしゃ(2016ねん
旭日きょくじつそう光章みつあき(2019ねん
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阿部あべ あきら(あべ あきら、1943ねん昭和しょうわ18ねん5月1にち[1] - 2021ねんれい3ねん11月16にち[1])は、日本にっぽん近世きんせい研究けんきゅうしゃ[2]

来歴らいれき

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1943ねん栃木とちぎけん足利あしかがまれる[1]1966ねん[2]東京教育大学とうきょうきょういくだいがく文学部ぶんがくぶ学科がっか日本にっぽん史学しがく専攻せんこう卒業そつぎょう黒磯くろいそ高等こうとう学校がっこう宇都宮うつのみや女子じょし高等こうとう学校がっこう県立けんりつ高等こうとう学校がっこう教諭きょうゆつとめる[3]栃木とちぎ県立けんりつ文書ぶんしょかんwikidata1986ねん設立せつりつさいしては、指導しどう主事しゅじとして[4]尽力じんりょくし、1987ねん4がつ国士舘大学こくしかんだいがく文学部ぶんがくぶ国史こくしがく専攻せんこう助教授じょきょうじゅ就任しゅうにんした[3]

1992ねん4がつ[2]同学どうがく教授きょうじゅ就任しゅうにんし、学部がくぶちょう2000ねん4がつ - 2004ねん4がつ[5])、2004ねん[6]からは法人ほうじん常任じょうにん理事りじ歴任れきにんしたが、2013ねん3がつをもって法人ほうじん理事りじおよび教授きょうじゅしょくから退しりぞいた[3]

このほか、栃木とちぎけん文化財ぶんかざい保護ほご審議しんぎかい委員いいん1990ねん7がつ - 2014ねん3がつ[1])、宇都宮うつのみや文化財ぶんかざい保護ほご審議しんぎかい委員いいん1994ねん7がつ - 2016ねん9月、うち2011ねん4がつ以降いこうどう委員いいんちょう[1])やくに指定してい史跡しせき整備せいび指導しどう委員いいんかい委員いいんなどの公職こうしょくつとめ、大学だいがく退職たいしょくしてからものちすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう(ALS)を発症はっしょうするまで栃木とちぎけん文化ぶんか教育きょういく振興しんこうたずさわりつづけた[3]

2021ねん11月16にち病気びょうきのため死去しきょ[7][8]。78さいぼつ戒名かいみょうあらわ学院がくいんぶく聚昭とく清浄せいじょうだい居士こじ[1]

著書ちょしょ

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たんちょ

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共著きょうちょ

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  • 栃木とちぎけん 通史つうしへん4』(栃木とちぎけん、1981ねん
  • 栃木とちぎけん 通史つうしへん5』(栃木とちぎけん、1984ねん
  • 藤原ふじわらまち 通史つうしへん』(藤原ふじわらまち、1983ねん
  • 真岡しんおか 通史つうしへん近世きんせい』(真岡しんおか、1988ねん

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論文ろんぶん

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  • 農村のうそん荒廃こうはいにおける村方むらかた地主じぬし存在そんざい形態けいたい」(『栃木とちぎけん研究けんきゅうだい10ごう所収しょしゅうけん編纂へんさん委員いいんかい、1975ねん
  • 近世きんせいにおける鬼怒川きぬがわじょう流域りゅういきいかだながし」(『徳川とくがわ林政りんせい研究所けんきゅうじょ紀要きよう 昭和しょうわ60年度ねんど所収しょしゅう財団ざいだん法人ほうじん徳川とくがわ黎明会れいめいかい、1986ねん
  • あそ編成へんせい共同きょうどうたい機能きのう」(津田つだ秀夫ひでおへん近世きんせい国家こっか明治維新めいじいしん所収しょしゅう三省堂さんせいどう、1989ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f 新井あらい敦史あつし岳父がくふ阿部あべあきらのこと」『歴史れきし文化ぶんか通巻つうかんだい31ごう随想ずいそうしゃ、2022ねん7がつ、6-9ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:032314017 
  2. ^ a b c 阿部あべ あきら”. researchmap (2013ねん4がつ2にち). 2017ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d 佐々ささ博雄ひろお阿部あべあきら教授きょうじゅ国士舘こくしかん」『国士舘こくしかん史学しがくだい18ごう国士舘大学こくしかんだいがく日本にっぽん学会がっかい、2014ねん3がつ、1-7ぺーじCRID 1520290883172183168 
  4. ^ 阿部あべあきら, りゅうたに和比古かずひこ, 浅井あさい潤子じゅんこ, 大藤おおふじおさむ, もり安彦やすひこ, 廣瀬ひろせあつし史料しりょうかんほう だい46ごう」1987ねん3がつ。「けんへんさんと県立けんりつ文書ぶんしょかん 農民のうみん史料しりょう名称めいしょう付与ふよについて 史料しりょう所在しょざい調査ちょうさ報告ほうこく大塩おおしお平八郎へいはちろういちけん書留かきとめ』の刊行かんこう 昭和しょうわろくいち年度ねんどあたらし収史しゅうじりょう紹介しょうかい ぜん史料しりょうきょうだいいちかい大会たいかい参加さんか 受贈じゅぞう図書としょ 
  5. ^ 文学部ぶんがくぶ歴史れきし”. 国士舘大学こくしかんだいがく. 2017ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  6. ^ 2012年度ねんど 事業じぎょう報告ほうこくしょ”. 学校がっこう法人ほうじん国士舘こくしかん. p. 7. 2017ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  7. ^ 阿部あべ名誉めいよ教授きょうじゅ 逝去せいきょ」『国士舘大学こくしかんだいがく新聞しんぶん』2022ねん1がつ25にち
  8. ^ 追悼ついとう 阿部あべあきら先生せんせい」『国士舘こくしかん研究けんきゅう年報ねんぽう かえでげんだい43かんだい13ごう学校がっこう法人ほうじん国士舘こくしかん、2022ねん3がつ、146ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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