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エニセイスク

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2023ねん5がつ22にち (月)げつ 11:26; Gp619 (会話かいわ | 投稿とうこう記録きろく) によるはん (人口じんこう)日時にちじ個人こじん設定せってい設定せっていならUTC

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座標ざひょう: 北緯ほくい5828ふん00びょう 東経とうけい9208ふん00びょう / 北緯ほくい58.46667 東経とうけい92.13333 / 58.46667; 92.13333

1750年代ねんだい建立こんりゅうされた救世主きゅうせいしゅあきらさかえ教会きょうかい[よう曖昧あいまい回避かいひ](プレオブラジェンスカヤ教会きょうかい
エニセイスクの紋章もんしょう

エニセイスクЕнисейск, Yeniseysk/Eniseisk )は、ロシア連邦れんぽうクラスノヤルスク地方ちほうまち人口じんこうは1まん7537にん(2021ねん[1]エニセイがわ河岸かわぎし位置いちする。

エニセイスクは1619ねんコサックによりシベリア進出しんしゅつ拠点きょてんのひとつとしてエニセイがわ沿岸えんがんきずかれた。当時とうじしがらみかこまれ外敵がいてき攻撃こうげきそなえたまちであった。1635ねんまちとなり、17世紀せいきから18世紀せいきにかけてはひがしシベリアへの玄関げんかんこうとしてその植民しょくみん拠点きょてんとなったため「シベリアのまち々のちち」ともばれる。かつてはロシアのかねの9わりはエニセイスク近辺きんぺん採掘さいくつされたほか、ひがしシベリア先住民せんじゅうみんからあつめられた毛皮けがわがモスクワにかう通過つうかてんでもあったため、きむ毛皮けがわ交易こうえきおおいに繁栄はんえいした。またエニセイスクは17世紀せいきから18世紀せいきにかけてシベリアの宗教しゅうきょう中心ちゅうしんともなったためおおくの教会きょうかいのこり、ロシア連邦れんぽう政府せいふ世界せかい遺産いさん暫定ざんていリストに登録とうろくされている。

またヨシフ・スターリン時代じだいには、北方ほっぽうグラグ収容しゅうようしょ)へおくられる拘留こうりゅうしゃたちがエニセイスクでふねせかえられた[2]

1がつ平均へいきん気温きおんはマイナス22真冬まふゆ気温きおんは-24~-34℃(-12~-30℉)。7がつ平均へいきん気温きおんは18真夏まなつ気温きおんは18~30℃(64~86℉)[3]

脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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