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2001年 ねん イタリア総 そう 選挙 せんきょ (2001ねんイタリアそうせんきょ、イタリア語 ご : Elezioni politiche italiane del 2001 )は、2001年 ねん 5月13日 にち に施行 しこう されたイタリア の国会 こっかい 議員 ぎいん 総 そう 選挙 せんきょ である。
概要 がいよう
1948年 ねん のイタリア共和 きょうわ 国 こく 憲法 けんぽう 制定 せいてい 後 ご 14回 かい 目 め の総 そう 選挙 せんきょ で、上院 じょういん (元老 げんろう 院 いん )と下院 かいん (代議 だいぎ 院 いん )の全 ぜん 議席 ぎせき [1] を改選 かいせん した。
解散 かいさん 前 まえ の議会 ぎかい の任期 にんき は2001年 ねん 5月 がつ までであったが、7月 がつ にジェノヴァ での第 だい 27回 かい 主要 しゅよう 国 こく 首脳 しゅのう 会議 かいぎ が控 ひか えていたことから、選挙 せんきょ 日程 にってい を早 はや めるために解散 かいさん した。前回 ぜんかい と同様 どうよう 、政権 せいけん の座 ざ にいた中道 ちゅうどう 左派 さは 連合 れんごう 「オリーブの木 き 」と野党 やとう の中道右派 ちゅうどううは 連合 れんごう 「自由 じゆう の家 いえ 」の2大 だい 政党 せいとう 連合 れんごう による対決 たいけつ 構図 こうず となり、中道右派 ちゅうどううは の「自由 じゆう の家 いえ 」が上下 じょうげ 両院 りょういん で多数 たすう 派 は を占 し め同 どう 連合 れんごう の中核 ちゅうかく であるフォルツァ・イタリア (Fi)の党首 とうしゅ で元 もと 首相 しゅしょう のベルルスコーニが新 あら たな首相 しゅしょう となった。
リスタ・チベッタ
選挙 せんきょ 制度 せいど は上下 じょうげ 両院 りょういん とも小 しょう 選挙 せんきょ 区 く と比例 ひれい 代表 だいひょう の並立 へいりつ 制 せい であったが、小 しょう 選挙 せんきょ 区 く で当選 とうせん した候補者 こうほしゃ の票 ひょう は比例 ひれい 代表 だいひょう 選挙 せんきょ 当選 とうせん 者 しゃ を決定 けってい する際 さい に控除 こうじょ される仕組 しく みとなっていた[2] 。これは小 しょう 選挙 せんきょ 区 く で議席 ぎせき を獲得 かくとく 出来 でき なかった中小 ちゅうしょう 政党 せいとう に対 たい して比例 ひれい 代表 だいひょう 部分 ぶぶん で議席 ぎせき を与 あた えやすくべきとの判断 はんだん から設 もう けられた制度 せいど である。しかし、今回 こんかい の選挙 せんきょ において「オリーブの木 き 」と「自由 じゆう の家 いえ 」は比例 ひれい 代表 だいひょう 部分 ぶぶん での得票 とくひょう 控除 こうじょ を避 さ ける目的 もくてき からリスタ・チベッタ(lista civetta[3] )戦略 せんりゃく を採用 さいよう した。
「オリーブの木 き 」と「自由 じゆう の家 いえ 」は、それぞれ「新 あたら しい国 くに 」(Paese nuovo)と「控除 こうじょ 廃止 はいし 」(Abolizione dello scorporo)の政党 せいとう リストを作成 さくせい し、両 りょう 選挙 せんきょ 連合 れんごう の小 しょう 選挙 せんきょ 区 く 候補者 こうほしゃ の大 だい 部分 ぶぶん がこれらの政党 せいとう リストと連結 れんけつ した。そのため両 りょう 選挙 せんきょ 連合 れんごう で当選 とうせん した候補者 こうほしゃ の得票 とくひょう は、それぞれの政党 せいとう リストから控除 こうじょ され、候補者 こうほしゃ が本来 ほんらい 連結 れんけつ されるべき政党 せいとう リストからの控除 こうじょ を免 まぬか れることができた。そのため2大 だい 選挙 せんきょ 連合 れんごう に参加 さんか していた政党 せいとう は、比例 ひれい 区 く の得票 とくひょう で控除 こうじょ の影響 えいきょう を余 あま り受 う けず議席 ぎせき 配分 はいぶん を受 う けることができた。しかしその一方 いっぽう で比例 ひれい 代表 だいひょう における得票 とくひょう 控除 こうじょ が機能 きのう しなくなったため、中小 ちゅうしょう 政党 せいとう は比例 ひれい 代表 だいひょう で議席 ぎせき を伸 の ばすことが出来 でき なくなる弊害 へいがい も生 しょう じた。現 げん に共産 きょうさん 主義 しゅぎ 再建 さいけん 党 とう はリスタ・チベッタの影響 えいきょう がなかった場合 ばあい 、今回 こんかい 得 え た11議席 ぎせき に更 さら に5議席 ぎせき 上積 うわづ みすることができたとされている[4] 。
選挙 せんきょ データ
解散 かいさん 日 び
投開票 とうかいひょう 日 び
改選 かいせん 数 すう
上院 じょういん - 315
下院 かいん - 630
選挙 せんきょ 制度 せいど
上院 じょういん - 小 しょう 選挙 せんきょ 区 く 比例 ひれい 代表 だいひょう 多数 たすう 代表 だいひょう 制 せい
下院 かいん - 小 しょう 選挙 せんきょ 区 く 比例 ひれい 代表 だいひょう 多数 たすう 代表 だいひょう 制 せい
選挙 せんきょ 結果 けっか
上院 じょういん
候補者 こうほしゃ 名簿 めいぼ 連合 れんごう /政党 せいとう
得票 とくひょう 数 すう
得票 とくひょう 率 りつ
議席 ぎせき 数 すう
選挙 せんきょ 区 く
比例 ひれい 区 く
合計 ごうけい
自由 じゆう の家 いえ
14,406,519
42.5
152
25
177
自由 じゆう の家 いえ [5]
14,406,519
42.5
152
25
177
オリーブの木 き
13,106,860
39.6
79
51
130
オリーブの木 き [6]
13,106,860
38.7
74
51
125
南 みなみ チロル人民 じんみん 党 とう
301,812
0.9
5
0
5
その他 た
6,937,568
17.9
1
8
9
共産 きょうさん 主義 しゅぎ 再建 さいけん 党 とう
1,708,707
5.1
0
3
3
ヨーロッパ民主党 みんしゅとう
1,066,908
3.2
0
2
2
ディ・ピエトロリスト
1,140,489
3.4
0
1
1
ロンバルティア自治 じち 同盟 どうめい
308,559
0.9
0
1
1
パンネッラ・ボニーノ
677,725
2.0
0
0
0
社会 しゃかい 運動 うんどう ・三 さん 色 しょく の炎 ほのお
340,221
1.0
0[7]
0
0
諸派 しょは
794,959
0.2
1
0
1
計 けい
34,450,947
100.0
232
83
315
下院 かいん
候補者 こうほしゃ 名簿 めいぼ 連合 れんごう /政党 せいとう
小 しょう 選挙 せんきょ 区 く
比例 ひれい 区 く
議席 ぎせき 数 すう 合計 ごうけい
得票 とくひょう 数 すう
得票 とくひょう 率 りつ
議席 ぎせき 数 すう
得票 とくひょう 数 すう
得票 とくひょう 率 りつ
議席 ぎせき 数 すう
自由 じゆう の家 いえ
16,915,513
45.4
282
18,398,246
49.4
86
368
自由 じゆう の家 いえ
16,915,513
45.4
282
282
フォルツァ・イタリア
10,923,431
29.4
62
62
国民同盟 こくみんどうめい
4,463,205
12.0
24
24
北部 ほくぶ 同盟 どうめい
1,464,301
3.9
0
0
ビアンコフィーレ
1,194,040
3.2
0
0
新 しん イタリア社会党 しゃかいとう
353,269
0.9
0
0
オリーブの木 き
16,461,963
44.2
192
12,969,180
35.0
58
242
オリーブの木 き
16,019,388
43.0
183
183
左翼 さよく 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ
6,151,154
16.6
31
31
マルゲリータ
5,391,827
14.5
27
27
ジラソーレ [8]
805,340
2.2
0
0
イタリア共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 党 とう
620,859
1.7
0
0
オリーブの木 き ・南 みなみ チロル人民 じんみん 党 とう
190,556
0.5
5
5
その他 た
252,019
0.7
4
200,059
0.5
0
4
その他 た
3,882,229
10.4
1
5,555,291
15.0
11
12
共産 きょうさん 主義 しゅぎ 再建 さいけん 党 とう
1,868,659
5.0
11
11
ディ・ピエトロリスト
1,487,287
4.0
0
1,443,725
3.9
0
0
ヨーロッパ民主党 みんしゅとう
1,310,119
3.5
0
888,249
2.4
0
0
パンネッラ・ボニーノ
457,117
1.2
0
832,213
2.3
0
0
ヴァッレ・ダオスタ
25,577
0.1[9]
1
1
諸派 しょは
602,129
1.6
0
522,445
1.4
0
0
計 けい
37,259,705
100.0
475
37,122,776
100.0
155
630
選挙 せんきょ の結果 けっか 、上下 じょうげ 両院 りょういん で中道右派 ちゅうどううは 連合 れんごう 「自由 じゆう の家 いえ 」が得票 とくひょう 率 りつ では前回 ぜんかい 96年 ねん 選挙 せんきょ より減 へ らしたものの新 しん 選挙 せんきょ 制度 せいど 導入 どうにゅう 後 ご 、初 はじ めて上下 じょうげ 両院 りょういん で過半数 かはんすう を制 せい することに成功 せいこう して勝利 しょうり した。対 たい する中道 ちゅうどう 左派 さは 連合 れんごう 「オリーブの木 き 」は96年 ねん 選挙 せんきょ とほぼ同 おな じ得票 とくひょう 率 りつ であったにも係 かか わらず「自由 じゆう の家 いえ 」に敗 やぶ れた。中道右派 ちゅうどううは の勝因 しょういん として早 はや い段階 だんかい から周到 しゅうとう な準備 じゅんび を行 おこな って選挙 せんきょ に備 そな えていたこと、Fiの中心 ちゅうしん 制 せい が確立 かくりつ して選挙 せんきょ 連合 れんごう 内 ない の摩擦 まさつ が少 すく なかったこと、前回 ぜんかい 独自 どくじ に選挙 せんきょ を戦 たたか った北部 ほくぶ 同盟 どうめい が中道右派 ちゅうどううは 連合 れんごう に復帰 ふっき したことなどが挙 あ げられる。これに対 たい して中道 ちゅうどう 左派 さは 連合 れんごう は8つの主要 しゅよう 党派 とうは で構成 こうせい され統一 とういつ 性 せい と指導 しどう 力 りょく に欠 か け、選挙 せんきょ の準備 じゅんび 態勢 たいせい が遅 おく れたこと最後 さいご まで響 ひび いた。
脚注 きゃくちゅう
参考 さんこう 文献 ぶんけん
選挙 せんきょ 学会 がっかい 編 へん 『選挙 せんきょ 研究 けんきゅう 』No18 2003年 ねん
外部 がいぶ リンク