はじまりのみち

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はじまりのみち
監督かんとく はら恵一けいいち
脚本きゃくほん はら恵一けいいち
ナレーター みや﨑あおい
出演しゅつえんしゃ 加瀬かせあきら
田中たなか裕子ゆうこ
ユースケ・サンタマリア
濱田はまだたけし
音楽おんがく 富貴ふうき晴美はるみ
撮影さつえい 池内いけうち義浩よしひろ
編集へんしゅう たちばないつき
製作せいさく会社かいしゃ 「はじまりのみち」製作せいさく委員いいんかい
配給はいきゅう 松竹しょうちく
公開こうかい 日本の旗 2013ねん6月1にち
上映じょうえい時間じかん 96ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
興行こうぎょう収入しゅうにゅう 1おく1300まんえん[1]
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はじまりのみち』は、2013ねん6月1にち公開こうかい日本にっぽん映画えいが松竹しょうちく株式会社かぶしきがいしゃによる、映画えいが監督かんとく木下きのしためぐみかい生誕せいたん100ねんプロジェクトひとつとして製作せいさくされた[2]木下きのしただい世界せかい大戦たいせんなか実話じつわ題材だいざい[3]映画えいが陸軍りくぐん制作せいさく背景はいけいまじえながらかれははとの家族かぞくあいえがく。

クレヨンしんちゃん あらしぶ モーレツ!オトナ帝国ていこく逆襲ぎゃくしゅう』などの作品さくひんアニメ監督かんとくとして著名ちょめいはら恵一けいいちによる、実写じっしゃ映画えいがはつ監督かんとく作品さくひんである[2]木下きのしためぐみかいえんじる主演しゅえん俳優はいゆう加瀬かせあきら

あらすじ[編集へんしゅう]

1945ねん木下きのしためぐみかい前年ぜんねん陸軍りくぐんしょう依頼いらい監督かんとくした映画えいが陸軍りくぐん』のラストシーンが「女々めめしい」とクレームをつけられ、次回じかいさく企画きかくをキャンセルされた。みずからのしんじる映画えいがれないことに落胆らくたんしためぐみかい所属しょぞくしていた松竹しょうちく辞表じひょう提出ていしゅつしょくもないまま郷里きょうり浜松はままつもどる。空襲くうしゅう見舞みまわれた実家じっかから郊外こうがい気賀きが療養りょうようちゅうはは・たまの居所きょしょへとうつっためぐみかいは、たまに「これからは木下きのしためぐみかいから木下きのした正吉まさきち本名ほんみょう)にもどる」とげる。空襲くうしゅう激化げきかともない、木下きのしたでは山間さんかん多村たむらかちざか親族しんぞくたよって疎開そかいすることになる。しかし、そのためにはたまを安静あんせいれて必要ひつようがあった。めぐみかいは、たまをバスにはせられないと、リヤカーせてはこぶことを提案ていあんする。疎開そかいさきまではやく60kmの距離きょりがあり、途中とちゅう気田けたからは森林しんりん鉄道てつどうトロッコ利用りようできるとはいえ、そこまではとうげどうふくけわしいみちのりである。家族かぞくからは懸念けねんするこえがるが、提案ていあん実行じっこううつされることとなった。たまをはこめぐみかいあに敏三としぞう、それに荷物にもつはこぶためにやとわれたわか便利べんりの4にん夜中よなか気賀きが出発しゅっぱつし、疎開そかいさきへとかった。

途中とちゅう休憩きゅうけいに「(めぐみかいが)まえ映画えいが監督かんとくをしていた」といかけた敏三としぞうめぐみかいさえぎったが、便利べんりはそれを「映画えいがかんはたらいていた」と勘違かんちがいする。道中どうちゅうあめ見舞みまわれても、敏三としぞうめぐみかい雨具あまぐけずにリヤカーをうごかしつづけた。なが山道さんどうでリヤカーの病人びょうにんはこぶことをいぶかっていた便利べんりは、そのかたくなさにあきれながらもついてく。夕方ゆうがたいちぎょう宿泊しゅくはく予定よてい気田けた到着とうちゃくし、苦労くろうすえ宿やどつける。めぐみかいはたまのかおよごれをぬぐい、みずか背負せおって宿やどかいへとはこげた。しかし、トロッコは翌々日よくよくじつにならないとうごかないとわかり、宿やどでもういちにちごすことになる。やむなく敏三としぞう便利べんり明後日みょうごにち同行どうこう依頼いらいした。便利べんり当初とうしょここでかえるといいはったが、宿屋やどやのふたりのわかむすめしたしくなって前言ぜんげんひるがえした。

翌日よくじつ敏三としぞうすすめでめぐみかい外出がいしゅつする。散歩さんぽしながら出征しゅっせい兵士へいし見送みおく小学生しょうがくせいとその教師きょうしながめ、やがてひろ河原かわらる。そのかたわらに便利べんりがやってきた。便利べんりは、リヤカーではははこいためぐみかい見直みなおした、孝行こうこうしたくなるいいおやだったのだろうとはなした。そして、また映画えいがかんはたらけたら『陸軍りくぐん』をることをすすめ、あのラストシーンはよかった、いい映画えいがだった、おや気持きもちがよくつたわってきたとべる。めぐみかいは「息子むすこ立派りっぱんでこいという母親ははおやはいない」とかたり、なみだかべた。

つぎ、トロッコにぎ、いちぎょう無事ぶじ疎開そかいさき到着とうちゃくする。たまはめぐみかいんでかみいた言伝ことづて手渡てわたす。そこには、あなたはここにいるべきではない、また木下きのしためぐみかい映画えいがたい、戦争せんそうはいつかわるのだから木下きのした正吉まさきちから木下きのしためぐみかいもどって映画えいがりなさいといった内容ないようしるされていた。それをんだめぐみかいは、映画えいがからはなれようとしても、映画えいがのことがあたまからはなれなかったというおもいをたまにかたるのだった。

キャスト[編集へんしゅう]

製作せいさく[編集へんしゅう]

撮影さつえいは2012ねん11月9にちよりはじまり、長野ながのけん群馬ぐんまけん栃木とちぎけんなどでロケがおこなわれ、木下きのしためぐみかいまれた場所ばしょである静岡しずおかけん浜松はままつで11月29にちにクランクアップした[4]ポストプロダクションを2013ねん2がつまでった[5]浜松はままつでは、作品さくひん舞台ぶたいでもある天竜てんりゅう春野はるのまち気田けた小学校しょうがっこう撮影さつえい使つかわれ、同校どうこう児童じどうらがエキストラとして参加さんかした[6]群馬ぐんまけんのロケひとつに、桐生きりゅうにある民家みんか活用かつようした「桐生きりゅうじゅく」がある[7]

作中さくちゅうには、木下きのした監督かんとくした映画えいがのうち、15作品さくひん[8]一部分いちぶぶんが、さまざまなかたち引用いんようされている。なかでもほんさく物語ものがたりかかわりのふかい『陸軍りくぐん』は、問題もんだいとなったラストシーンが、ストーリーの途中とちゅうにほぼそのままのかたち挿入そうにゅうされた。

スタッフ[編集へんしゅう]

受賞じゅしょう[編集へんしゅう]

関連かんれん商品しょうひん[編集へんしゅう]

ノベライズ
  • 丸尾まるおみほ『はじまりのみち』泰文やすふみどう〈リンダブックス〉、2013ねん5がつ発売はつばいISBN 978-4803004489
シナリオ
  • 月刊げっかんシナリオ』2013ねん7がつごううつひとしゃ) - シナリオ[9]はら恵一けいいちインタビュー掲載けいさい
ホームメディア
  • 『はじまりのみち』Blu-ray、DVD

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 「2013ねん 日本にっぽん映画えいが外国がいこく映画えいが業界ぎょうかい総決算そうけっさん」『キネマ旬報きねまじゅんぽう(2がつ下旬げじゅん決算けっさん特別とくべつごう)』だい1656ごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2014ねん、198ぺーじ 
  2. ^ a b 島村しまむら幸恵ゆきえ (2012ねん9がつ28にち). “『クレヨンしんちゃん』はら恵一けいいち監督かんとく実写じっしゃ映画えいがはつ挑戦ちょうせん生誕せいたん100周年しゅうねん木下きのしためぐみかい監督かんとく実話じつわえがく!”. シネマトゥデイ. 2012ねん12月12にち閲覧えつらん
  3. ^ ただし、監督かんとくはらによると、事実じじつをベースにはしているがストーリーのおおくは創作そうさくである(〈はじまりのみち〉はら恵一けいいち監督かんとくく「まよったときには木下きのしためぐみかい監督かんとくりゅう過激かげき選択せんたくをした - まんたんウェブ(2013ねん6がつ6にち))。
  4. ^ 巨匠きょしょう木下きのしためぐみかい生誕せいたん100ねん”のに『はじまりのみち』最新さいしん画像がぞう公開こうかい”. チケットぴあ (2012ねん12月5にち). 2012ねん12月12にち閲覧えつらん
  5. ^ 実写じっしゃとアニメのちがいはぶし天気てんき左右さゆうされること」 はら恵一けいいち監督かんとく『はじまりのみち』クランクアップ”. アニメ!アニメ! (2012ねん12月10にち). 2012ねん12月12にち閲覧えつらん
  6. ^ 宮崎みやざきあおいがはかま登場とうじょう? 加瀬かせあきら主演しゅえんさく『はじまりのみち』でナレーションにだい抜擢ばってき!”. cinemacafe.net (2013ねん2がつ18にち). 2013ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  7. ^ 映画えいが「はじまりのみち」 大戦たいせんちゅう実話じつわ登場とうじょう民家みんか桐生きりゅうじゅく」(群馬ぐんま桐生きりゅう”. 産経さんけいニュース (2015ねん3がつ8にち). 2015ねん3がつ8にち閲覧えつらん
  8. ^ 登場とうじょうした作品さくひんは、『はなみなと』『陸軍りくぐん』『わがこいせし乙女おとめ』『じょうさん乾杯かんぱい!』『やぶ太鼓たいこ』『カルメン故郷こきょうかえ』『日本にっぽん悲劇ひげき』『じゅうよんひとみ』『野菊のぎくごときみなりき』『よろこびもかなしみもいく歳月さいげつ』『楢山節考ならやまぶしこう』『笛吹川ふえふきがわ』『永遠えいえんひと』『香華こうげ まえへん/へん』『しんよろこびもかなしみもいく歳月さいげつ』(以上いじょう登場とうじょうじゅん。『はじまりのみち』劇場げきじょうパンフレットより)。
  9. ^ これまで基本きほんてきコンテからえがはじめ、そこにある情報じょうほうをそのまま脚本きゃくほん(シナリオ)としてあつかう(あるいはべつ脚本きゃくほん担当たんとうしゃがいる)かたち作品さくひんづくりをすすめてきたはらにとって、一般いっぱんてきな、文字もじだけによる脚本きゃくほん執筆しっぴつは、ほんさくはつであった。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]