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まつもといずみ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
まつもと いずみ
本名ほんみょう 寺嶋てらしま 一弥かずや
(てらしま かずや)[1]
生誕せいたん (1958-10-13) 1958ねん10月13にち
日本の旗 日本にっぽん富山とやまけん高岡たかおか
死没しぼつ (2020-10-06) 2020ねん10月6にち(61さいぼつ
職業しょくぎょう 漫画まんが
活動かつどう期間きかん 1982ねん - 2020ねん
ジャンル 少年しょうねん漫画まんが青年せいねん漫画まんが
代表だいひょうさくきまぐれオレンジ☆ロード
『せさみ☆すとりーと』
公式こうしきサイト デジタル・コミック「COMIC ON」
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まつもと いずみ(まつもと いずみ、1958ねん10月13にち - 2020ねん10月6にち[2][3])は、日本にっぽん漫画まんが男性だんせい富山とやまけん高岡たかおかまれ[2]富山とやま県立けんりつ高岡工芸高等学校たかおかこうげいこうとうがっこう卒業そつぎょう[4]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

デビューまで[編集へんしゅう]

高校こうこう卒業そつぎょうロックミュージシャン目指めざして上京じょうきょうする。パートはドラムス無類むるいのロックきで、シンガーソングライターすぎ真理まりジェネシスTOTOだいファンである。しかし、楽譜がくふめなかったこともあってミュージシャンは断念だんねんし、デザイン専門せんもん学校がっこう入学にゅうがくする。

専門せんもん学校がっこう在学ざいがくちゅう高校こうこう時代じだい友人ゆうじん2人ふたり漫画まんが作品さくひんえがき、いくつかの出版しゅっぱんしゃみをした。「まつもといずみ」のペンネームは、当初とうしょはユニットとして、高校こうこう時代じだい同級生どうきゅうせい友人ゆうじん2人ふたりんで活動かつどうはじめたため、それぞれが「松本まつもと」「いずみ」と語感ごかんきな名前なまえい、そのままでは前者ぜんしゃかたすぎる印象いんしょうで、後者こうしゃ女性じょせいてき印象いんしょうなので漢字かんじとひらがなをぎゃくにして決定けっていした。その候補こうほでは、当時とうじ2にんでよくわせに利用りようしていた渋谷しぶや駅前えきまえ喫茶店きっさてんめいからった「渋谷しぶやパテオ」というのもあったが、却下きゃっかされた。

みの結果けっか集英社しゅうえいしゃ週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ編集へんしゅう高橋たかはし俊昌としまさみとめられ、本格ほんかくてきにデビューへのみちあゆす。1980年代ねんだい当初とうしょ硬派こうは劇画げきが・スポーツ・ギャグを主軸しゅじくとしていたジャンプでは、げの減少げんしょうめるために他誌たし人気にんきはくしていたラブコメ美少女びしょうじょキャラの要素ようそれる方向ほうこう模索もさくしていた。ちょうどその路線ろせん合致がっちするまつもとの絵柄えがらり、初代しょだい担当たんとう編集へんしゅうしゃとなった高橋たかはしとともに、連載れんさいけてコンセプトや企画きかくわせをかさねつつ、原稿げんこうちた『ストップ!! ひばりくん!』(江口えぐち寿史ひさし)の穴埋あなう短編たんぺん漫画まんがや、懸賞けんしょうページのイラストなどをえがいていた。なお、友人ゆうじん連載れんさいデビューまでの年間ねんかんのギャラがすうまんえんという経済けいざい状況じょうきょうえきれず脱落だつらくし、以降いこうはひとりで活動かつどうつづける。

連載れんさいデビュー[編集へんしゅう]

1984ねんから『きまぐれオレンジ☆ロード』の連載れんさい開始かいしする。それまでのジャンプにはあまりられなかった絵柄えがら当時とうじはまだめずらしかったカラースクリーントーン多用たようしたデザインせいたかいカラーページは注目ちゅうもくあつめ、またた人気にんき作品さくひんとなる。ちばたくかつら正和まさかずとともにジャンプでのラブコメ、美少女びしょうじょ路線ろせん開拓かいたく読者どくしゃアンケートでは作中さくちゅうのキャラクターと同年代どうねんだいの10代を中心ちゅうしん男女だんじょどもにバランスの人気にんきあつめた。

影響えいきょうけたマンガは、永井豪ながいごう山上やまかみたつひこ吾妻あづまひでお田村たむらしん江口えぐち寿史ひさし高橋たかはし留美子るみこなど。漫画まんが友人ゆうじんは、みやすのんき清水しみずとしみつ宮崎みやざき摩耶まやなど。また、まつもとのあね雑誌ざっし購入こうにゅうしていた少女しょうじょマンガにも影響えいきょうけており、この分野ぶんやでは、多田ただかおるよしまさこくらもちふさこなどの女流じょりゅう漫画まんが画風がふうとラブコメの要素ようそ影響えいきょうけている[5]絵柄えがらは、いのまたむつみ細野ほその不二ふじ影響えいきょうおおきいとべている[6]

『きまぐれオレンジ☆ロード』の連載れんさい終了しゅうりょう、『せさみ☆すとりーと』を連載れんさいする。この作品さくひんは、江口えぐち寿史ひさし影響えいきょう色濃いろこられ、イラストてき手法しゅほうれるなど実験じっけんてき試行錯誤しこうさくごもなされていた。

闘病とうびょう生活せいかつ[編集へんしゅう]

21世紀せいきはいってからは、のう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょうていずいえきあつ症候群しょうこうぐん)により漫画まんが活動かつどうができなくなり、闘病とうびょう専念せんねんする。『スーパージャンプ』ですうねんぶりのしん連載れんさい予定よていだったが、これにより延期えんきとなり、結果けっかてきには中止ちゅうしとなった。また、闘病とうびょう生活せいかつもとにした自伝じでんてきおろ漫画まんが計画けいかくもあったが、実現じつげんすることはなかった。さらに、心房しんぼうほそどう発病はつびょう心臓しんぞう手術しゅじゅつをしたことから、イラストや漫画まんが構想こうそうのみに活動かつどうしぼられた。

2020ねん10月6にち入院にゅういん療養りょうようちゅう病院びょういんにて死去しきょ[3]。61さいぼつ

エピソード[編集へんしゅう]

  • 『きまぐれオレンジ☆ロード』連載れんさい2ねんのハードスケジュールのなかからだ調子ちょうしくずし、1986ねん後半こうはんに5かげつほど連載れんさいをストップして休養きゅうようした。その休養きゅうよう期間きかんちゅうにアニメ企画きかくはなし[7]
  • 平井ひらい和正かずまさは『きまぐれオレンジ☆ロード』のファンで愛読あいどくしていた。1990年代ねんだい中盤ちゅうばん、まつもとの仕事場しごとば平井ひらい本人ほんにんから「『きまぐれオレンジ☆ロード』のアニメと漫画まんがんで、とても感銘かんめいけた」とのファックスとどいた。『きまぐれオレンジ☆ロード』へのオマージュとして平井ひらい小説しょうせつ『ボヘミアンガラス・ストリート』を執筆しっぴつなん実際じっさいい、電子でんし出版しゅっぱん未来みらいあたらしい出版しゅっぱん形態けいたいがあることに意気投合いきとうごうし、デジタルコミック『COMIC-ON』[1]制作せいさくいたった[8][9]
  • 『きまぐれオレンジ☆ロード』はリアルタイムでストーリーを進行しんこうさせたため、4年間ねんかん連載れんさいにより主人公しゅじんこうである恭介きょうすけたちは中学ちゅうがく3年生ねんせいから高校こうこう3年生ねんせいになった。翌年よくねん大学生だいがくせいとしとなるため、純粋じゅんすい世界せかいかんにすることがむずかしく連載れんさいつづけることが出来できないとおもいたったまつもとは、ジャンプの担当たんとう編集へんしゅうしゃに「連載れんさいわらせたい」と相談そうだんしたところ「最終さいしゅうかいまで5しゅうわらせろ」とわれ、からさらに「最終さいしゅうかいまで3しゅう」にちぢまってしまった。自身じしん本来ほんらい構想こうそうとしては、最終さいしゅうかいへとつながる終盤しゅうばん展開てんかい半年はんとしほどかけてわりたかったと吐露とろしている。ジャンプ本誌ほんしでは苦労くろうすえ3しゅうにつめんでわらせたが、どうしてもページすうりなかったので、ジャンプ コミックス単行たんこうほん最終さいしゅうかいに45Pをした[7]
  • 『きまぐれオレンジ☆ロード』で自身じしんきなエピソードは、恭介きょうすけ過去かこにタイムスリップし、まだおさないまどかに出会であってあかむぎわら帽子ぼうしってあげる長編ちょうへんエピソードであり[10]、ストーリーが自分じぶんなかできちんとまとまったことを理由りゆうとしている。連載れんさい終了しゅうりょうから半年はんとしにテレビアニメばんはこのエピソードで最終さいしゅうかいむかえたが、原作げんさく最終さいしゅうかいとなっていてもかったとのことである。実際じっさい原作げんさく連載れんさいちゅうはここでわるつもりでえがいてはいなかったが、エピソード最終さいしゅうページのおおきなのシーン[11]えがいたときに、アシスタントたちが「先生せんせい、これではなしわるんじゃないの?」と全員ぜんいんシーンとだまってしまったという[7]
  • 『きまぐれオレンジ☆ロード』の女性じょせいキャラクターで一番いちばんきなのは鮎川あいかわまどかだとかたり、どうさくえがいているときにはエネルギー比重ひじゅうの70%ぐらいがまどかをえがくことにそそがれ、「たのしくてつらいけど、えがくのに気合きあいはいるしきでえがいていたキャラクター」とべている。しかし、まどかをえがくには、えがいてはしをかえすためとても時間じかんかるキャラクターでもあり、『きまぐれオレンジ☆ロード』でなに印象いんしょうのこっているかとわれると「まどかをえがいていたこと」と回答かいとうした[7]

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

  • 1981ねん、『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』のフレッシュジャンプしょうに「LIVE! とってもロックンロール」で佳作かさく入選にゅうせん
  • 1982ねん、「週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ」で読切よみきショート短編たんぺんあたまきょうえき改札かいさつ寸前すんぜん掲載けいさい、『フレッシュジャンプ』創刊そうかんごう掲載けいさいされた『ミルク☆レポート』で正式せいしきデビュー。フレッシュジャンプだい2ごうでは読切よみき『アトミック梵天ぼんてん先生せんせい掲載けいさい。デビュー当初とうしょはギャグマンガ志望しぼうだったためその路線ろせんえがいたが、読者どくしゃ投票とうひょうでの人気にんきしたほうだったため、自身じしんきなSFにラブコメをぜた路線ろせん構想こうそうする。
  • 1984ねん、『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』において『きまぐれオレンジ☆ロード』を連載れんさい開始かいし
  • 1987ねん、「週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ」での「きまぐれオレンジ☆ロード」連載れんさい終了しゅうりょう
  • 1988ねん、『スーパージャンプはつ月刊げっかんごうから『せさみ☆すとりーと』を連載れんさい
  • 1993ねんたけ書房しょぼうコミックガンマ新年しんねんごうから大倉おおくららいた原作げんさくで『BLACK MOON』の作画さくが担当たんとう
  • 1994ねんジャンプJブックス寺田てらだ憲史けんじとの共同きょうどう原作げんさくにより小説しょうせつしんきまぐれオレンジ☆ロード』を制作せいさく
  • 1996ねん東芝とうしばEMI(げんEMIミュージック・ジャパン)と共同きょうどうでデジタルコミックCD-ROMマガジン『COMIC ON』を発売はつばい。プロデュースぎょう作家さっかじん一人ひとりやくねる。以降いこうかみ媒体ばいたい雑誌ざっしからデジタル・メディアでのマンガ制作せいさく発表はっぴょううつす。
  • 1999ねん6がつ、2000ねんはじめから『スーパージャンプ』ですうねんぶりのしん連載れんさい予定よていだったが、原因げんいん不明ふめい体調たいちょう不良ふりょうにより延期えんきとなった。
  • 2004ねん7がつ上記じょうき病気びょうきが4さいときった交通こうつう事故じこ原因げんいんのう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょうていずいえきあつ症候群しょうこうぐん)であったことが判明はんめい。まつもとのあねのう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょうという病名びょうめい症状しょうじょうったとき、「おとうと(まつもと)の症状しょうじょうおなじ」とおもったため、病院びょういん受診じゅしんするようすすめた。検査けんさ結果けっか病名びょうめい判明はんめいした。効果こうかがあるとわれているブラッドパッチかたまくがい自家じか注入ちゅうにゅう治療ちりょうけ、以前いぜんより体調たいちょう改善かいぜんされたという。闘病とうびょう生活せいかつもとにした自伝じでんてきおろ漫画まんが準備じゅんびすすめている。「この病気びょうきのことをらないために、んでいったひともたくさんいるだろう。漫画まんがちからでこの病気びょうきのことをつたえたい」とのこと[12][13]
  • 2007ねん10がつ19にち母校ぼこう富山とやま県立けんりつ高岡工芸高等学校たかおかこうげいこうとうがっこう講演こうえんをした。
  • 2010ねん1がつ10日とおか、『NHKニュースおはよう日本にっぽん』に出演しゅつえんみずからの持病じびょうであるのう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょうていずいえきあつ症候群しょうこうぐん)や自身じしん今後こんご活動かつどうかんしてかたった。
  • 2011ねん7がつ1にち - 4にち、ロサンゼルスでおこなわれた『アニメエキスポ2011』に15ねんぶりに参加さんかした[14]
  • 2011ねん7がつ21にちわかいころからファンだったすぎ真理まりのライブをたのしんだのち知人ちじん紹介しょうかいすぎ対面たいめんたし感激かんげき記念きねん撮影さつえいをしたことをブログに掲載けいさいした[15]
  • 2015ねん3がつ26にち心房しんぼうほそどう持病じびょうっていることをあきらかにし、4がつ3にちより8にちまで入院にゅういんして手術しゅじゅつおこなった[16]
  • 2016ねん8がつ27にち同年どうねん4がつまつえき男性だんせいとぶつかり頭部とうぶ強打きょうだし、のう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょう再発さいはつしたこと、3かげつあいだたきりの状態じょうたい自宅じたく療養りょうようをしていたことを公式こうしきサイトであきらかにした。PCなどを操作そうさすることが困難こんなんであるため、しばらくはそれらにはれず治療ちりょう専念せんねんするという[17]
  • 2017ねん11月19にち公私こうしともに親交しんこうのあったつるひろみ同年どうねん11がつ16にち死去しきょした。まつもとは療養りょうようちゅうして、自身じしん公式こうしきサイトへ追悼ついとうのコメントを掲載けいさいした[18]
  • 2018ねん10がつ1にち、1ねん1かげつぶりにブログを更新こうしん。2ねんおよ闘病とうびょう生活せいかつ活動かつどう再開さいかい宣言せんげん
  • 2019ねん2がつすぎ真理まりデビュー40周年しゅうねんアルバム『MUSIC LIFE』リリースを記念きねんしたスペシャルサイトに祝辞しゅくじコメントを寄稿きこう[19]
  • 2020ねん10月6にち入院にゅういん療養りょうようちゅうであった病院びょういん死去しきょ。61さいぼつのう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょうによる不定ふてい愁訴しゅうそくるしみながら復帰ふっきけて闘病とうびょうつづけていたが、すうねんまえ手術しゅじゅつをした心臓しんぞうにも不安ふあんかかえ、身体しんたいたもたなかったという。葬儀そうぎ近親きんしんしゃのみでおこなわれた[3]

作品さくひんリスト[編集へんしゅう]

  • きまぐれオレンジ☆ロード
  • せさみ☆すとりーと(未完みかん
  • しんきまぐれオレンジ☆ロード(小説しょうせつ
  • Graffiti(たん編集へんしゅう
  • BLACK MOON(作画さくが
  • カッパ・トゥ・ザ・ティーチャー(原案げんあん監修かんしゅう
  • エンジェルグラフィティ 〜あなたへのプロフィール〜(キャラクターデザイン)
  • EE(漫画まんが
  • 幕末ばくまつ綿羊めんようむすめじょう構想こうそうのみ)
  • DIGITAL SHORT CONTENTS(フルカラーたん編集へんしゅう
  • GRAPHIC ANTHOLOGY(フルカラー画集がしゅう
  • 公式こうしきファンブックだい1かん「Recurrence」(インタビュー、ネームしゅう
  • 公式こうしきファンブックだい2かん「Orange Blossom」(インタビュー、ネームしゅう

影響えいきょうけた漫画まんが[編集へんしゅう]

アシスタント[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ まつもといずみさんが死去しきょ 漫画まんが”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2020ねん10がつ13にち). 2020ねん10がつ13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん10がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 「きまぐれオレンジロード」漫画まんが・まつもといずみさん死去しきょ、61さい のう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょう闘病とうびょう”. スポニチアネックス (2020ねん10がつ13にち). 2020ねん10がつ13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん10がつ13にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c 『まつもといずみについてWAVE STUDIOからみなさまへのご報告ほうこく”. IZUMI MATSUMOTO Home Page. 2020ねん10がつ14にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ No.210-2:「まんが甲子園こうしえん」で日本一にっぽんいち県立けんりつ高岡たかおか工芸こうげい高校こうこう”. Toyama Just Now. 2020ねん10がつ13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  5. ^ Graffiti(たん編集へんしゅう)の本人ほんにんコメントより
  6. ^ 「きまぐれオレンジ☆ロード」まつもといずみ×「ラブひな」赤松あかまつけん 対談たいだん/<視線しせんさき>インタビュー”. トレンドインタビュー. GYAO! (2016ねん8がつ2にち). 2024ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d 「ゲスト:まつもといずみ」『MANGAあねっくす!』Vol.21 2014ねん10がつ1にち[出典しゅってん無効むこう]
  8. ^ サイキンのまつもと 「平井ひらい和正かずまさ先生せんせい死去しきょ」 2015ねん01がつ18にちづけ
  9. ^ COMIC-ON SPECIAL対談たいだん平井ひらい和正かずまさ世界せかい
  10. ^ 単行本たんこうぼん15かんおもしたで!」「のぞいてジェラシー!」~単行たんこうほん16かん「ハプニング・キッス!」「かえれないおとこ!」「そしてダ・カーポ!」
  11. ^ 単行本たんこうぼん16かん「そしてダ・カーポ!」P63
  12. ^ のう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょうたたかい6ねん人気にんき漫画まんがふたた活動かつどう開始かいし」(インターネットアーカイブのキャッシュ) MSN毎日まいにちインタラクティブ、2005ねん9がつ3にち
  13. ^ 「ひと――のう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょうからの復帰ふっきをめざす漫画まんが まつもといずみさん(52)」『朝日新聞あさひしんぶん』2010ねん10がつ14にちづけ朝刊ちょうかんだい13はんだい2めん
  14. ^ サイキンのまつもと 「ANIME EXPO AX2011」 2011ねん07がつ15にちづけ
  15. ^ サイキンのまつもと 「YOKOHAMA BLITZZ すぎ真理まり&ドリーマーズ」 2011ねん07がつ27にちづけ
  16. ^ サイキンのまつもと 「カテーテル アプレーション手術しゅじゅつ」 2015ねん03がつ26にちづけ
  17. ^ サイキンのまつもと「のう脊髄せきずいえき減少げんしょうしょう 再発さいはつ」2016ねん8がつ27にちづけ
  18. ^ サイキンのまつもと 『つるひろみく』 2017ねん11月19にちづけ
  19. ^ SPECIAL”. すぎ真理まり40周年しゅうねん記念きねんスペシャルサイト. 2019ねん9がつ3にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]