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シンガーソングライター

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
シンガーソングライター

シンガーソングライターえい: singer-songwriter)は、音楽家おんがくか職業しょくぎょうであり、ポピュラー音楽おんがくにおいて、自分じぶん作詞さくし作曲さっきょくおこな歌唱かしょうする(本来ほんらい意味いみでの自作じさく自演じえんおこなう)ひと[1]音楽おんがく論評ろんぴょうなどで “SSW” と表記ひょうきされる場合ばあいもある。

概要がいよう

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ポピュラー音楽おんがくにおいてみずかうたきょくの、作詞さくし作曲さっきょく編曲へんきょくみずかおこなことがある)を自分じぶん自身じしんおこな歌手かしゅす。作曲さっきょくしかおこなわず編曲へんきょく他者たしゃ依頼いらいする場合ばあいでも、一般いっぱんてきにはシンガーソングライターというのにたいし、作詞さくししかしない場合ばあいにはシンガーソングライターとはわないことがおおい(後述こうじゅつ[2][3]。また、自作じさくをしていても、自演じえんきょくなか自作じさくきょく割合わりあいちいさい場合ばあいには、シンガーソングライターとはいわないことがおお[注釈ちゅうしゃく 1]ぎゃくに 100%自作じさくきょくでなくても、自作じさくきょく割合わりあいおおきい場合ばあいにはシンガーソングライターとぶこともある[2]。 

楽曲がっきょく制作せいさく方法ほうほうは、歌手かしゅにより様々さまざまである。さき作曲さっきょくのち作詞さくし(「きょくさき(きょくせん)」や「メロさき」、「はめ作詞さくしとうばれる手法しゅほう)という手法しゅほうをとるものもいれば、ぎゃくさき作詞さくしのち作曲さっきょく(こちらは「さき(しせん)」とばれる)するものもいる。作詞さくし作曲さっきょく並行へいこうしておこなものもいる。

語源ごげん背景はいけい

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「シンガーソングライター」という言葉ことばは、1970年代ねんだい初頭しょとうアメリカジェームス・テイラー注目ちゅうもくされ、つづいて英国えいこくエルトン・ジョン、アメリカのキャロル・キングなどのめざましい活躍かつやくもあって[4]かれらが「シンガーソングライター」とばれ、それが日本にっぽんでも普及ふきゅうしたもの[5][6][7][8]

元々もともとポップ・ミュージック(ポップス)世界せかいでは、えいべいでも日本にっぽんでもきょくつくることとうたうことは分業ぶんぎょうおこなわれていた[2][9]えいべいではそれらを今日きょうオールディーズなどとしょうしているが、日本にっぽんでいえば歌謡かようきょくと、どちらも基本きほんてきには分業ぶんぎょうであった[10]。そこへ自作じさく自演じえんながれをんだのはビートルズボブ・ディランらである[2][9][10][11]。1960年代ねんだいにはおおくの自作じさく自演じえんのミュージシャンがたか人気にんきていた。にもかかわらず1970年代ねんだい初頭しょとう、あえてアメリカで「シンガー・ソングライター」という使つかわれた要因よういんは、「ロックてききょうねつとはえんうすいパフォーマンスの価値かちを、うたやソングライティングを強調きょうちょうすることでおぎな必要ひつようがあったから」とレコード・コレクターズ解説かいせつしている[12]えいべいの「シンガー・ソングライター」は、「おおきなゆめいかりではなく、のまわりの出来事できごとけたうたつくってうたう」「誠実せいじつ自己じこ告白こくはくてきうたうたう」というような意味合いみあいがあった[12]ローリング・ストーンのロックでは、「シンガー・ソングライター」は映画えいが卒業そつぎょう』のダスティン・ホフマンのように、スターらしからぬスターが誕生たんじょうしたニューシネマ現象げんしょう関連かんれんづけてかたられているという[12]本来ほんらいの「シンガー・ソングライター」という言葉ことばには「ロックのアンチテーゼ」のような意味いみがあった。しかしこの言葉ことば日本にっぽん輸入ゆにゅうされた当時とうじは、まだ日本にっぽんでロックはメジャーになっておらず、日本にっぽんでの「シンガー・ソングライター」には歌謡かようきょくのアンチテーゼとしての役割やくわり最初さいしょあたえられていたものとかんがえられる[2][13]

欧米おうべいでの歴史れきし

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1960年代ねんだい後半こうはんから1970年代ねんだい前半ぜんはんにかけてのロックかいやソウルでは社会しゃかいてきなメッセージせいつよいヒットきょくおおまれた[14]。1970ねんにジェームズ・テイラーはアルバム『スウィート・ベイビー・ジェームス』を発表はっぴょうしたが、このアルバムはシンガーソングライターによるオリジナルバージョンがヒットしたことで当時とうじとしてはめずらしいれいであり注目ちゅうもくびた[14][15]。また、『ファイアー・アンド・レイン』はジェームズ・テイラーのごくごく私的してき体験たいけん告白こくはくした歌詞かしきょくだったが、『スウィート・ベイビー・ジェームス』に収録しゅうろくされたのちシングルカットされ、1970ねんあきだいヒットとなりこれがシンガーソングライターブームの幕開まくあけとわれている[14][15]

また、フォークブームであった1960年代ねんだいまつにはカナダのシンガーソングライターであるゴードン・ライトフット、レナード・コーエン、イアン&シルビア、トム・ラッシュらも米国べいこく進出しんしゅつした[16]

日本にっぽんでの歴史れきし

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前史ぜんし

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日本にっぽんにおいても、自作じさくきょくみずかうた歌手かしゅふるくからいた。作詞さくし&演者えんじゃだった[17]添田唖蝉坊そえだあぜんぼうなども広義こうぎではシンガーソングライターといえるかもれない。

1930年代ねんだいには演歌えんか石田いしだ一松いちまつ自作じさく自演じえんした「酋長しゅうちょうむすめ」をヒットさせた。広義こうぎにおける本格ほんかくてきなシンガーソングライターの嚆矢こうしわれるはやし伊佐いさいとぐちは1930年代ねんだいから「出征しゅっせい兵士へいしおくうた」など、自身じしんきょく大半たいはんみずか作曲さっきょく歌唱かしょうした。1950年代ねんだいには大橋おおはし節夫せつお自作じさくきょくうたいヒットしハワイアンブームの先駆せんくとなったほか、1958ねんには「ロカビリー3にんおとこ」とわれた平尾ひらお昌晃まさあき自作じさくきょく「ミヨちゃん」をヒットさせた[18][19]

1960年代ねんだいには森繁もりしげ久彌ひさや加山かやま雄三ゆうぞう荒木あらき一郎いちろう市川いちかわ染五郎そめごろう美輪みわ明宏あきひろといった人気にんき俳優はいゆう自作じさくきょくでヒットをすというケースもてきた[8]

歌謡かようきょくにはふるくからレコード会社かいしゃプロダクション主導しゅどうにより職業しょくぎょう作家さっかつくった楽曲がっきょく歌手かしゅうたうという厳格げんかく分業ぶんぎょうシステムがあったが[10][20]かれ歌手かしゅにも音楽おんがくてき才能さいのうがあるため作曲さっきょく能力のうりょくがあり、知名度ちめいどあいまって自作じさくきょくをリリースすることが出来でき[21]加山かやまのケースでいえば自身じしん主演しゅえんさくハワイのわか大将たいしょう』のげき中歌なかうた自作じさくきょく採用さいようされてヒットしたのち自作じさくきょくおおうたうようになった[22]。しかし加山かやま作曲さっきょくのみ自分じぶんおこない、作詞さくし職業しょくぎょう作詞さくしによるものだったため、そのほとんどがラブソングであり歌謡かようきょくわりがない[23]のちあらわれた「フォークシンガー」や「シンガーソングライター」が、はん体制たいせい歌謡かようきょく志向しこうしたてんや、"自分じぶんたちの言葉ことばうたにしていく"と、自己じこ表現ひょうげんした歌詞かしにも特徴とくちょうがあったてんことなる[24][25][26][27][28]。また音楽おんがくてきベースも加山かやまグループ・サウンズであり、ロックりで、これもの「シンガーソングライター」がボブ・ディランPP&Mなど、アメリカのフォークソングをベースにしたものとはことなる[25][29]加山かやま自身じしんおれ俳優はいゆううた趣味しゅみてきなもの」とはなしており[30]、このてんからも、そのの「シンガーソングライター」と系統的けいとうてきつながってはいないといえる[31]荒木あらき一郎いちろうは「当時とうじでは、おれだけが純粋じゅんすい作詞さくし作曲さっきょくで、しかも商業しょうぎょうてきでなかった。そのまんまだったんだ」とべている[32]岡林おかばやし信康のぶやす吉田よしだ拓郎たくろう小室こむろひとし井上いのうえ陽水ようすいらは、加山かやまらを先達せんだつとはかんがえてはいない[33][34][35]小室こむろひとしは「平尾ひらおさんとかそういうとかひとたちは歌謡かようきょく積極せっきょくてきりそうがたてきたシンガーソングライターだったけど、ぼくらはそのいとってある。かれらとはちがう」「あの当時とうじのフォークソングをはじめた連中れんちゅうというのは、アンチ商業しょうぎょう主義しゅぎだった」[35]吉田よしだ拓郎たくろうは「音楽おんがく世界せかいでのぼくしょ先輩せんぱいかたは、歌謡曲かようきょくグループ・サウンズですから。ソングライティングはしていない。日本にっぽん音楽おんがくかいかんしては、ぼくうえ世代せだいはいない。ぼくがいつも最初さいしょなんです」[34]ひとしべている。1960年代ねんだい後半こうはんからあらわれたフォークけいシンガーソングライターのおおくは、既存きそん歌謡かようきょくとは、ほぼ無縁むえん活動かつどうから誕生たんじょうしたひとたちである[36]

1970年代ねんだい

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「シンガーソングライター」という言葉ことば日本にっぽん認知にんちされたのは1972ねんで、吉田よしだ拓郎たくろうのブレイク以降いこうである[36][37][38][39]。『ニューミュージック・マガジン』1972ねん5がつごう記事きじには「いま、シンガー=ソングライターなんてさわがれてる連中れんちゅうのやっていることは~」という内田うちだ裕也ゆうや発言はつげんられ[40]おなじく1972ねん7がつ刊行かんこうされた『爆発ばくはつするロック』というほんなか富澤とみざわ一誠いっせいかまやつひろし対談たいだんでは、富澤とみざわが「いま話題わだいになっているシンガー・ソングライターなんかどうおもいますか」と、かまやつに質問しつもんする場面ばめんがある[41]。1973ねんの「guts」1がつごうには、「1972年度ねんど日本にっぽんのフォークかいだいニュース」として、「吉田よしだ拓郎たくろうあがたもりぎょなどのシングルばんヒットにより、"シンガー・ソング・ライター"が日本にっぽん音楽おんがくかいにクローズ・アップされた」「"シンガー・ソング・ライター"の大衆たいしゅう~」といった記事きじられる[42][43]吉田よしだ拓郎たくろうがヒットを連発れんぱつするにおよんで、かくレコード会社かいしゃもプロダクションもきそってシンガーソングライターのしにかかった[39][44][45]

1972ねん7がつ荒井あらい由実ゆみをデビューさせた村井むらい邦彦くにひこは、「最初さいしょ荒井あらい作家さっかとして契約けいやくしたが、シンガーソングライターの時代じだいにだんだんわっていくときだったので、荒井あらいをシンガーソングライターとしてデビューさせた」とべている[46]当時とうじはまだ自作じさくきょくうたい、さらにそのきょくをヒットさせることがめずらしかったため、マスメディアも「シンガーソングライター」をおおきくげたとかんがえられる[47]。「シンガーソングライター」という言葉ことば使つかわれはじめたのは1972ねん以降いこうで、それまではとく定着ていちゃくしたはなく、あえていえば「自作じさく自演じえん」といういいかたをされた[31][48][45][49]

「シンガー・ソングライター」という言葉ことば日本にっぽんはいってきた1970年代ねんだいはじめには、高石たかいし友也ともや岡林おかばやし信康のぶやすといった「自作じさく自演じえん」のフォークシンガーが若者わかもの支持しじていた。ただしかれらはマイナーレーベル所属しょぞくであったため、レコード自体じたいはあまりれておらず[50]歌謡かようかいのシステムをらがすまでにはいたらなかった[24][51]。しかし、その吉田よしだ拓郎たくろう小椋おぐらけいかぐやひめ井上いのうえ陽水ようすいら、テレビへの出演しゅつえん拒否きょひアルバム作品さくひん制作せいさくとコンサート活動かつどうおもきをく「自作じさく自演じえん」のフォークシンガーたちは、メガヒットをし、また演歌えんか歌謡かようきょく歌手かしゅ楽曲がっきょく提供ていきょうをおこなうひとしなが話題わだい提供ていきょうして世間せけん注目ちゅうもくあつめ、既存きそん芸能げいのうかい影響えいきょうおよぼすまでになった[10][24][28][52][53][54]小室こむろひとし吉田よしだ拓郎たくろう井上いのうえ陽水ようすい泉谷いずみやしげるの 4にん自分じぶんたちのレコード会社かいしゃフォーライフ・レコード」を設立せつりつした1975ねんには、シンガー・ソングライターによるフォークがレコード・シェアのよんわりちかくを占有せんゆうした[55]。こうして、ものではない、自分じぶん言葉ことばで、個性こせいで、うたうたう、表現ひょうげんする、シンガーソングライターが、若者わかものたちの支持しじ定着ていちゃくしていくことになった[2][10][27][56][57]かれらのおおくがみずか作詞さくし作曲さっきょくした楽曲がっきょくを、ギターきながらうたう「ソロのフォークシンガー」であったため「シンガーソングライター=フォークけいのソロシンガー」のイメージがいた[45][53][58][59]

一方いっぽうで、当時とうじ職業しょくぎょう作詞さくし作曲さっきょくつくるようなレベルの楽曲がっきょく歌手かしゅ容易よういつくれるとはおもわれていなかった。前述ぜんじゅつ内田うちだ裕也ゆうや発言はつげん[40](シンガー=ソングライターは)「ロカビリーがだんだん歌謡かようきょくになったのとおなじ。ながつづかない」といった主旨しゅしだったし、富澤とみざわ一誠いっせいかまやつひろし対談たいだんでは、富澤とみざわが「ぼくからると、作詞さくし作曲さっきょくうたみっつのことをすべてうまくやるってことは、困難こんなんじゃないかとおもえるんですがねえ。だから、みっつのことをそれぞれプロフェッショナルがやったほうが、いいものがまれるとおもうんですけど」とはなしている[41]当事とうじしゃ一人ひとりだったみなみこうせつ自身じしんも「ブームがつづくとはおもってなかった」とはなしており[60]、シンガーソングライターによるフォークブームは短命たんめいわるのではないかという見方みかたもあった。しかし、1970年代ねんだい才能さいのうあるシンガーソングライターがおおつづいたために、一過いっかせいのものではなく、日本にっぽん音楽おんがくかいのメインストリームになっていった[10][53][61][62][63]

とくに1973ねんごろから、五輪いつわ真弓まゆみきむ延幸のぶゆきりりぃ荒井あらい由実ゆみ吉田よしだ美奈子みなこ小坂こさか明子あきこ小坂こさか恭子きょうこ中島なかじまみゆきらが台頭たいとうしたとき[2][64][65]彼女かのじょたちのなかにギターをたずにピアノいてうたうというような、フォークしゅうぜんくないしゃがいたため彼女かのじょらを「女性じょせいフォークシンガー」ともからく、適当てきとうないいかたがなく「女性じょせいシンガーソングライター」といういいかた非常ひじょうおお使つかわれた[45][63]。これも「シンガーソングライター」という言葉ことば認知にんちアップに影響えいきょうがあったとかんがえられる[66]勿論もちろんおおくの「シンガーソングライター」を輩出はいしゅつした「ヤマハポピュラーソングコンテスト」の功績こうせき非常ひじょうおおきい[67][68]。なお、「女性じょせいシンガーソングライター」の原型げんけいは、1967ねんしょうそのこう圭子けいこ自分じぶんきょくをつけた「このひろ野原のはらいっぱい」でデビューした森山もりやま良子りょうこという見方みかたもあるが、森山もりやま職業しょくぎょう作詞さくし作曲さっきょく作品さくひん洋楽ようがくカバーきょくうたうことがおおく1970年代ねんだいなかばまで"歌謡かようきょく歌手かしゅ"というイメージがついていた[2][69]

今日きょうつながる「女性じょせいシンガーソングライター」の草分くさわけは、1972ねんにアルバムデビューしたきむ延幸のぶゆき五輪いつわ真弓まゆみ、りりぃあたりで、「女性じょせいシンガーソングライター」による最初さいしょだいヒットきょくヤマハポプコン出身しゅっしん小坂こさか明子あきこが1973ねん12月にした「あなた」である[2][68]。シンガー・ソングライターの台頭たいとうは、職業しょくぎょう作詞さくし作曲さっきょく安定あんているがす存在そんざいになっていく[38][70]。また歌謡かようきょく歌手かしゅにもおおきな影響えいきょうあたえた[71]。1970年代ねんだいなかばになると、フォークという言葉ことばではフォローできない音楽おんがくがたくさんてきて、フォークはニューミュージックというかた吸収きゅうしゅうされていった[62][72]歌謡かようきょくのフィールドでも渡辺わたなべ真知子まちこのように自作じさくきょく日本にっぽんレコード大賞たいしょう最優秀さいゆうしゅう新人しんじんしょう受賞じゅしょうするようなものてきた。1980ねん以降いこうには、シンガーソングライターの影響えいきょうけた職業しょくぎょう作詞さくし作曲さっきょくてくるようになった[58][73]現在げんざい音楽おんがくかいは、シンガーソングライターたちがげた変革へんかくうえっている[52][56]

平尾ひらお昌晃まさあきは「昭和しょうわ40年代ねんだい後半こうはんのアイドルブームに日本にっぽん歌謡かようかいに、沖合おきあいからおおきななみせていた。それが『フォーク・ブーム』である。吉田よしだ拓郎たくろう井上いのうえ陽水ようすいらのヒットを契機けいきに、みなみこうせつとかぐやひめグレープなどの、いわゆる叙情じょじょうてきなフォークソングもヒットし『昭和しょうわ歌謡かよう』のはばはグンとひろがった。このころから、フォークソングは、ニューミュージックとわれる時代じだいはいったのだとおもう。ぼく作曲さっきょくであり、歌手かしゅでもあるけど、正直しょうじきって、かれらの才能さいのうには脱帽だつぼうした。なにしろ、みずか作詞さくし作曲さっきょくし、楽器がっき演奏えんそうしながらうたかれらがひとりではなく、次々つぎつぎ登場とうじょうしてきたのだから。しかも、かれらが自分じぶんうたう『結婚けっこんしようよ』にしろ、『かさがない』にしろ、『神田かんだがわ』『精霊流しょうりょうなが』『なごりゆき』にしろ、それがまた名曲めいきょくであったからである」などとろんじている[74]

小西こにし良太郎りょうたろうは『スタア』1975ねん1がつごうの「うたにつれうたにつれ 『きょうなかの'74ねん歌謡かようきょくやぶにらみこう」という記事きじ[75]、「1974ねん10がつ最終さいしゅうしゅうLPレコードげは「1二色にしき独楽こま』(井上いのうえ陽水ようすい)、2かぐやひめLIVE』(かぐやひめ)、3こおり世界せかい』(井上いのうえ陽水ようすい)、4『NSP III』(NSP)、5陽水ようすいライヴ』(井上いのうえ陽水ようすい)、6『ゴールデン・プライズだい2しゅう』(カーペンターズ)、7追憶ついおく』(沢田さわだ研二けんじ)、8『オン・ステージ』(八代やしろ亜紀あき)、9ぼくがつくったあいのうた』(チューリップ)、10『ライブ3』(五木いつきひろし)と、フォークぜい上位じょうい独占どくせんシングルばんでも話題わだい豊富ほうふで、ガロ、かぐやひめあのねのねなぎらけんいちうみ援隊加藤かとう登紀子ときこ長谷川はせがわきよし、りりぃ、山本やまもとコータローとウィークエンド、NSP、ダ・カーポ三輪車さんりんしゃチェリッシュ、よしだたくろうも健在けんざいだいにぎわい。このほとんどが、自作じさく自演じえんである。かれ彼女かのじょらは年齢ねんれいてきにも、感性かんせいてんでも、ききて若者わかものたちとおなじか、ちかいところにいる。それが自分じぶん素直すなお手作てづくりのうたつくっていくから、ファンの気分きぶんにフィットするりつたかい。そんな要素ようそがファン不在ふざいちかうたづくりにした歌謡かようきょくプロデューサーの失点しってんをうまいぐあいに挽回ばんかいしてしまったといえる。ダークホース大当おおあたりしたのが1974ねんいちねんのヒットきょくさんぶんいち若年寄わかどしよあつかいになりかかった中堅ちゅうけんどころのヒットがさんぶんいちのこさんぶんいちがフォークけいというおおざっぱな計算けいさんつのだから、フォークはいま流行はや世界せかい一大いちだい勢力せいりょくにのしがったとことになる。そこから、歌謡かようしたフォークへの異議いぎまれる。このジャンルがいたのは70ねん安保あんぽひかえての岡林おかばやし信康のぶやす高石たかいしともやあたりからだが、昨今さっこんのフォークの、精神せいしん不在ふざいなげこえるのもムリのないはなしではある。しかしここで大事だいじなのは、ファンをつかみはじめた"支流しりゅう"を排斥はいせきすることではなく、全員ぜんいんがそれぞれの立場たちばから、フォークの意味いみさい確認かくにんし、よってるところをまえなおすことだろう」などとろんじている[75]。5ぺーじおよぶこの記事きじないで、小西こにしいちも「ニューミュージック」という言葉ことば使用しようしていないため、記事きじいたとられる1974ねんれには音楽おんがく関係かんけいしゃあいだでも、まだ「ニューミュージック」という言葉ことば普及ふきゅうしていないものとかんがえられる。

当初とうしょは「歌謡かようきょくのアンチテーゼ」としての意味いみふくまれていた「シンガーソングライター」という言葉ことばだったが、ニューミュージックが、フォーク以上いじょう歌謡かようきょくとの区別くべつがつきつらいこともあって、1970年代ねんだい後半こうはんには、歌謡曲かようきょくがわ自作じさく自演じえん歌手かしゅふくめ、みずかいたうたみずかうたひとジャンルにかかわらず全員ぜんいん「シンガーソングライター」とぶようになった[76]

ところジョージは1977ねんのデビューから"シンガーソング・コメディアン"と名乗なの[77]、1981ねん週刊しゅうかんは、俳優はいゆう寺尾てらおさとしだいヒットを"大人おとなあじったシンガーソングライター"[78]、『おとこどう』という自作じさくきょくのレコードをしたプロ野球やきゅう選手せんしゅ松岡まつおかひろしを"プロ野球やきゅうかいはつのシンガーソングライター誕生たんじょう!"と紹介しょうかいした[79]土田つちた明人あきとという本職ほんしょく小学校しょうがっこう先生せんせいがレコードをしたときは"シンガーソングティーチャー登場とうじょう"といている[79]。またそれまでの「自作じさく自演じえん」といういいかたよりも、ちょうど「シンガーソングライター」という「自作じさく自演じえん」そのままの意味いみ語感ごかんのいい言葉ことば定着ていちゃくしたため、単純たんじゅんに「うたつくってうたひと」は全員ぜんいん「シンガー・ソングライター」、さかのぼって、あのひとむかしうたつくってうたっていたから「シンガー・ソングライター」としたものとかんがえられる。こうした理由りゆうもあって現在げんざい前述ぜんじゅつした人物じんぶつおおくが、文献ぶんけんやネットで「シンガーソングライターだい1ごう」「シンガーソングライターの草分くさわけ」とう紹介しょうかいされている[19][80]

さきげたように「シンガーソングライター」という言葉ことば使つかわれはじめたのは1971ねん、1972ねん以降いこうで、これ以前いぜん活躍かつやくした前述ぜんじゅつ加山かやま雄三ゆうぞう荒木あらき一郎いちろう、1960年代ねんだい後半こうはんあらわれた高石たかいし友也ともや岡林おかばやし信康のぶやすといったひとたちは、リアルタイムでは「シンガーソングライター」とばれず、のちにそうばれるようになった[7][8]高石たかいしは「フォークシンガーです。と自己じこ紹介しょうかいすると『シンガーソングライターですよね』とききかえされる。そんな大層たいそうなもんじゃないんですけど」とはなしている[81]高石たかいしにとっては「シンガーソングライター」というばれかたには馴染なじみもなく違和感いわかんがあるのか、あるいは、商業しょうぎょうてきおおきな成功せいこうにした1970年代ねんだい以降いこうの(一部いちぶの)「シンガーソングライター」たちは、自分じぶんたち「フォークシンガー」とはちがうという意識いしきがあったのかもしれない。なぎら健壱けんいちは「(1970年代ねんだい後半こうはん出現しゅつげんしたシンガーソングライター)と自分じぶんのやっていたフォークとのむすびつきはかんじられない。拓郎たくろうさんやかぐやひめにはつながりがあったかもしれないけど、それがすごくメジャーになって、商業しょうぎょう資本しほんむすびついて、すごく人気にんきて、おおきな音楽おんがくになってゆくにつれ、フォークだった部分ぶぶんくなっていったとおもいます。なまギターがはいっていたり、曲調きょくちょううた内容ないようがそうだったとしても、精神せいしんそのものがフォークじゃなくなっていったとおもう」などとべている[82]

現在げんざい、「シンガーソングライター」を「歌手かしゅねる作曲さっきょく」とこたえるひとはいないとおもわれるが、かつてはちがった。毎日新聞社まいにちしんぶんしゃが1978ねんした『別冊べっさついちおくにん昭和しょうわ 昭和しょうわ流行りゅうこう歌手かしゅ』というほんに「ちかごろは、シンガー・ソング・ライターなどといって、自作じさく自演じえんするものえたが、戦前せんぜん大変たいへんめずらしかった。とくに作曲さっきょくが、歌手かしゅねて、どちらもヒットする、などということは、まったくマレなことだった」という記述きじゅつがあり、ここではやし伊佐いさいとぐち紹介しょうかいしている[83]はやし作詞さくしはしない作曲さっきょくけん歌手かしゅであり「シンガー・ソング・ライター」とばれる以前いぜんは「自作じさく自演じえん歌手かしゅ」は「作詞さくし作曲さっきょくもする歌手かしゅ」はもちろん「作曲さっきょくだけする歌手かしゅ」の両方りょうほうしていたものとかんがえられる。そして現在げんざいでも「作詞さくし作曲さっきょくのうち、作曲さっきょくのみしかしていない場合ばあいでも、一般いっぱんてきにはシンガーソングライターというのにたいし、作詞さくしのみしかしていない場合ばあいには、シンガーソングライターとはわない」ことがおお[23]

ヤマハポピュラーソングコンテスト」でプロデビューしたアーティストが所属しょぞくするヤマハ音楽振興会やまはおんがくしんこうかいげんヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)は[84]ゴダイゴらが所属しょぞくするABCプロモーションとともに、1979ねん所属しょぞくアーティスト・歌手かしゅのレコード・テープのそう売上うりあが1969ねん創立そうりつ以来いらい"タレント帝国ていこく"のをほしいままにしてきた渡辺わたなべプロダクション(ナベプロ)をいて1・2となった[84]。これは芸能げいのうかい支配しはい構造こうぞうさい編成へんせい象徴しょうちょうする出来事できごとだった[84]膨大ぼうだい利権りけん構造こうぞう独占どくせんする大手おおて芸能げいのうプロ中心ちゅうしんとする芸能げいのう共同きょうどうたい反旗はんきひるがえしたもっと有名ゆうめい事件じけんが、先述せんじゅつした1975ねんのシンガーソングライター4にんによるフォーライフ・レコード設立せつりつであるが[84]、これをきっかけとして芸能げいのうかい利権りけん仕組しくみをったおおくのシンガーソングライターが以降いこう個人こじん事務所じむしょなどを設立せつりつした[84]世良せら公則まさのり&ツイスト(のちツイスト)は最初さいしょはヤマハに所属しょぞくしていたが、1979ねん9がつにヤマハから独立どくりつし、個人こじん事務所じむしょ・MRT(ミュージシャン・レヴォリューション・トレイン)をげた[84]出演しゅつえん契約けいやく業務ぎょうむはヤマハに委嘱いしょくしたものの原盤げんばんけん著作ちょさくけん自分じぶんたちでにぎり、人気にんき自体じたい下降かこうしていったが、利益りえき莫大ばくだいになったといわれる[84]。シンガーソングライターは上手うまくやれば、100%利益りえき独占どくせんすることも可能かのうといわれる[84]当時とうじ公表こうひょうされていた長者ちょうじゃ番付ばんづけ歌手かしゅ部門ぶもんで、ニューミュージックけいのシンガーソングライターが上位じょうい独占どくせんしたのはこのような事情じじょうがあった[84]

1980年代ねんだい

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作詞さくし作曲さっきょくのうち、作曲さっきょくのみしかしていない場合ばあいでも、一般いっぱんてきにはシンガーソングライターというのにたいし、作詞さくしのみしかしていない場合ばあいには、シンガーソングライターとはわないことがおお理由りゆうとして、そのこたえのような阿久あくゆう言及げんきゅうが1985ねん和田わだまこととの共著きょうちょなかにある。ここで阿久あくは「GS流行はやってきてギターが普及ふきゅうして、素人しろうときょくをつくるようになりましたね。で、それからずーっとフォークの段階だんかいがきて、5ねんぐらいまえまでは、やっぱりきょくのほうが専門せんもんてきだれでもけるという意識いしきがあったわけです。けますから。なんとなくらしきものはできる。そのわり、きょく専門せんもんてき知識ちしきとか才能さいのう必要ひつようだっておもみがあったんですけどね。近頃ちかごろすっかりぎゃくになってきちゃってね、きょくほう簡単かんたんになってきてるんですね。で、けるじんがいないんですよ」と発言はつげんしている[85]

シンガーソングライターが主流しゅりゅうとなった1980年代ねんだい以降いこう[86]はあまりられなくなったが、かつてはラジオや歌謡かようなどで一般いっぱん素人しろうと)から募集ぼしゅうしたたいして作曲さっきょくきょくけてプロの歌手かしゅうたうということがよくあった。ぎゃく素人しろうとからきょく募集ぼしゅうして作詞さくしけるということはなかった。こうした影響えいきょうもあって、かつては作詞さくし作曲さっきょくよりした、「作詞さくしだけする歌手かしゅ」をシンガーソングライターとはべない、という感覚かんかくがあったものとかんがえられる[87]

しかし2000年代ねんだいごろからはむしろ作詞さくし注目ちゅうもくされる機会きかいえている[88][89]。とうよりも、作曲さっきょくうた功績こうせき無視むしして、作詞さくし時代じだいつくったかのような論調ろんちょうえている。またふるくから存在そんざいする「作曲さっきょくだけする歌手かしゅ」にくらべ「作詞さくしだけする歌手かしゅ」の出現しゅつげん比較的ひかくてき最近さいきんのことで、まだ評価ひょうかさだまっていないともかんがえられる。この「作詞さくしだけする歌手かしゅ」は、シングルレベルでは森高もりたか千里せんりあたりが最初さいしょおもわれ、森高もりたか歌詞かし当時とうじのマスメディアがユニークとう好意こういてき紹介しょうかいしたことも「作詞さくしだけする女性じょせい歌手かしゅ」のその急増きゅうぞうつながったかもれない。金澤かなざわ寿和としかずは「重要じゅうようなのは、自己じこ表現ひょうげん手段しゅだんとして有効ゆうこう機能きのうしているかか。シンガーなのだから、きょくけるのが基本きほん森高もりたか千里せんりのように、作詞さくしはするが作曲さっきょく人任ひとまかせというケースは、広義こうぎではシンガーソングライターにてはまるものの、えてそうびたくない。つまり、おと旋律せんりつ自分じぶん表現ひょうげんする欲求よっきゅうつのが、シンガーソングライターの第一歩だいいっぽさら自分じぶん自身じしん言葉ことばっていれば、それが理想りそうてきなシンガーソングライターということになる」などとろんじている[2]。2013ねん『Disc Collection 日本にっぽん女性じょせいシンガー・ソングライター』というしょは、「自身じしん作曲さっきょく作詞さくしだけではなく)をしているシンガー」のみを掲載けいさいしており、「作詞さくしだけするシンガー」をシンガー・ソングライターとみとめていない[3]

1980ねん前後ぜんこうに"軟弱なんじゃく""ネクラ"などと世間せけんからたたかれてイメージをわるくした「ニューミュージック」という言葉ことばくらべると[90]、「シンガーソングライター」という言葉ことばこうイメージが持続じぞくした[91][92]。1980ねん突如とつじょ漫才まんざいブーム勃興ぼっこうしたが[93]人気にんきあつめた当時とうじの(若手わかて表現ひょうげんされた)B&Bツービート紳助しんすけ竜介りゅうすけたちは、それまでの漫才まんざい台本だいほん作家さっかいたネタをえんじていたのにくらべて[91][94][95]自分じぶんたちでネタをいた[91][94][95]。これを当時とうじのマスメディアが「かれらはそれぞれが自分じぶんたちでかんがえたネタで勝負しょうぶ。いわばシンガーソング・ライター。かれらの本音ほんねをぶつけたネタがヤングの共鳴きょうめいけている」と、「シンガーソング・ライター」という言葉ことば自作じさく自演じえんたとえとして使用しようしている[91]

また映画えいがかいでも1980ねん前後ぜんこう日本にっぽん映画えいがかい石井いしいさとしわた大森おおもり一樹かずきら、あたらしい才能さいのう続々ぞくぞく輩出はいしゅつされた状況じょうきょうについて、長谷川はせがわ和彦かずひこ高林たかばやし陽一よういちは『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1981ねん5がつ下旬げじゅんごうで、長谷川はせがわ音楽おんがくでいえば、フォークソングフォークとかニューミュージックとわれて、シンガーソング・ライターがてきた状況じょうきょうているんじゃないかね」、高林たかばやしぼくはそっくりだとおもう」などとべている[92]

1970年代ねんだいに「シンガーソングライター」という言葉ことば定着ていちゃくしたものの、1980年代ねんだい以降いこうわれはじめた「J-POP」というカテゴリーでは、自作じさく自演じえんであることが強調きょうちょうされなくなった時期じきもあった。ビーイング小室こむろ哲哉てつやつんく♂ひとしのプロデューサー主導しゅどうによる楽曲がっきょくや、バンドブーム以降いこうロックバンドヒップホップグループによるグループ単位たんいでの音楽おんがく活動かつどう目立めだったため、ソロシンガーのイメージがある「シンガーソングライター」とはあまりばれなかったのかもれない[2]。しかし現在げんざいのミュージシャンは大抵たいていきょく自作じさくしており、むしろ自分じぶんきょくつくらないひと少数しょうすうになっている[53][64]宇崎竜童うざきりゅうどうは「ここ20ねんくらいは、みんながシンガーソングライターになって、演歌えんか以外いがい職業しょくぎょう作家さっかへのオファーがすくなくなりましたね。『歌謡かようきょく』というものはいちかいほろびたのかなとおもいます」とべている[96]。「歌謡かようきょく流行りゅうこう」「昭和しょうわ流行りゅうこう歌謡かようきょく」「歌謡かようきょく昭和しょうわ終焉しゅうえんした」などと定義付ていぎづけるなかにしあや[97]、「アルファレコード村井むらい邦彦くにひこ川添かわぞえぞうろう松任谷まつとうや由実ゆみをデビューさせたように、1970年代ねんだいすくなからぬシンガーソングライターをおくしたのは、われわれの世代せだいクリエイターたちである。ところがおくされる当人とうにんたちは『自分じぶんたちのつくる自分じぶんたちのうたうたいたい』と主張しゅちょうしたという。その時代じだいのムードにわれわれのすヒットきょくはそぐわないと、かれらはかんじたのだろう(中略ちゅうりゃく)そのうちのあるものは若者わかものたちに熱狂ねっきょうてき支持しじけた。しかし、ではそこにどれだけの名曲めいきょくがあるかとなると、はなしあやしくなる。フォークやニューミュージックは、ひとつのムーブメントをつくりはしたものの、そこからまれる名曲めいきょくはそれほどおおくない(中略ちゅうりゃく)たいていはいちきょくかせいぜいきょくであとがつづかないのがシンガーソングライターの特徴とくちょうえるかもしれない。一人ひとりひとりはそれほどおおくの名曲めいきょく、ヒットきょくしたわけではなくとも、かれらのうた社会しゃかいたいする姿勢しせいが、ひとかたまりのムーブメントとして意識いしきされていたことは間違まちがいない(中略ちゅうりゃくかれらが本当ほんとう意味いみにおいて"自力じりき"でみずからのうたおくしたかというと、そんなことはない。そもそもレコードをつくり、それをるという作業さぎょう企業きぎょうたいがやる仕事しごとであって、個人こじんでやれることではない。ようするにかれらは、すべ自分じぶんちからでやっているというポーズをとった、あたらしいタイプのスターだったのである。かれらのヒットきょくも、うたそのもののパワーというより"既成きせいのものにびないシンガーソングライターとしてのかた"という一種いっしゅブランドによるところがおおきかったのではないか、かれらの音楽おんがく活動かつどう商売しょうばいとしてささえたのは、芸能げいのう事務所じむしょテレビ局てれびきょくつくった音楽おんがく出版しゅっぱんしゃレコード会社かいしゃであった事実じじつわすれてはならない」などとべている[97]

2000年代ねんだい

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「シンガーソングライター」という表現ひょうげん使つかわれはじめて長年ながねん経過けいかしたが、この表現ひょうげんふたたほこりをって非常ひじょうおお使つかわれるようになった。2000年代ねんだいごろよりテレビ朝日てれびあさひミュージックステーション』は、自作じさく自演じえん歌手かしゅをシンガーソングライターと紹介しょうかいすることがおおく、オリコンがCDのげ1記録きろくを「女性じょせいシンガー・ソングライターとして○○以来いらい快挙かいきょとう報道ほうどうしたり[98]専門せんもん学校がっこう音楽おんがくスクールに「シンガーソングライターとうかれたりするのは[99]、「シンガーソングライター」という言葉ことば自体じたい定着ていちゃくしているといえる[100]。また、モーニングむすめ市井しせいしゃ耶香が「シンガーソングライターになりたい」と、モーニングむすめ。を卒業そつぎょうしたり[101]中村なかむらあゆみのシンガーソングライターの名曲めいきょくカバーアルバムの発売はつばい[102]ひとしは、シンガーソングライターの先人せんじんをリスペクトする事例じれいえる。日本経済新聞にほんけいざいしんぶんは、ポール・マッカートニーを"えいシンガー・ソングライター"と紹介しょうかいしている[103]。また、現在げんざいわかいシンガーは、肩書かたがきを「シンガーソングライター○○」としょうしたり、「○さいときに、シンガーソングライターになろうとめた」「生涯しょうがいシンガー・ソングライター」とうはなものおお[104]、ベテランミュージシャンのなかにも肩書かたがきを「シンガーソングライター○○」としょうするひとえてきた[105]2022ねん松任谷まつとうや由実ゆみ文化ぶんか功労こうろうしゃ選出せんしゅつされたが、文部もんぶ科学かがくしょう松任谷まつとうやの「職名しょくめいとう」に「シンガーソングライター」といた[106]くにからシンガーソングライターが職業しょくぎょうとしてみとめられたとられる。ほんこうのシンガーソングライターの説明せつめいは"ソロ形態けいたい"とかれているが、"職業しょくぎょう"とえてもいいのかもしれない。ホコてんがりのもとバンドマンでプロデューサーの寺岡てらおか呼人よびとは、こうした傾向けいこうを「シンガーソングライター至上しじょう主義しゅぎ」と表現ひょうげんし「1970年代ねんだい分業ぶんぎょうせいほう結果けっかてき後生ごしょうのこるようなものをつくってるがする」と疑問ぎもんていしている[107]寺岡てらおかは「シンガーソングライターという言葉ことば意味合いみあいがどんどんわってきているなとかんじる。もともとは『歌謡かようきょくをぶっつぶそう』みたいなかたちでシンガーソングライターがてきて、専業せんぎょう作家さっかやアレンジャーをはらっていったとおもうんです。でもいまいろんなひとたちと仕事しごとしていると、自分じぶんうた歌詞かし直前ちょくぜんまでできあがっていないみたいなのって本末転倒ほんまつてんとうだな(プロデューサーと最初さいしょから共同きょうどう作業さぎょうをしようとしている)とおもう」などとはなしている[13]

ライブハウスストリートなどで活躍かつやくしているアーティストなかにも、インディーズ事務所じむしょぞくするしないをわず、多数たすうのシンガー・ソングライターと自称じしょうする若者わかものたちもいる。みずからの演奏えんそう歌声うたごえでメッセージをダイレクトに観客かんきゃくつたえるというこのムーブメントにかかわる個々ここのアーティストの動機どうき年齢ねんれいそう様々さまざまで、メジャーデビュー夢見ゆめみもの趣味しゅみとしてつづけていくものなど多岐たきにわたる。また、この背景はいけいにはかつて音源おんげん制作せいさくやその音楽おんがく配信はいしん膨大ぼうだい資本しほん組織そしき必要ひつようとしたのにたいし、インターネットによる様々さまざま技術ぎじゅつやサービスによって音楽おんがく配信はいしん個人こじんもしくは小規模しょうきぼレーベルひとしのレベルで可能かのうになったことがおおきい。これらのことが「次世代じせだいのシンガーソングライター」を要因よういんとなりつつある。

なお演歌えんか業界ぎょうかいでは、21世紀せいきはいってからも作曲さっきょく大御所おおごしょ歌手かしゅへの弟子でしりなどをデビューという事実じじつじょう徒弟とていせいのこっており、よし幾三いくぞうのように自分じぶん作詞さくし作曲さっきょくできる一部いちぶ例外れいがいのぞき、おおくの歌手かしゅベテランになっても師匠ししょう外部がいぶからきょくもらえるのをつしかない状態じょうたいである。

各国かっこくのシンガーソングライター

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ たとえば、後述こうじゅつはやし伊佐いさいとぐちどう世代せだい藤山ふじやま一郎いちろうは、作曲さっきょく仕事しごと多数たすうおこなっており「ラジオ体操たいそうのうた」をはじめみずか歌唱かしょうしたきょく存在そんざいするが、藤山ふじやまのヒットきょく数々かずかず他人たにん作曲さっきょくであり藤山ふじやまが「シンガーソングライター」といわれることはほとんどなかった。

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    Special -これまでの放送ほうそう&more- アンジェラ・アキ |こころの遺伝子いでんし
    PROFILE - 植村うえむらはなさい Official web site
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    シンガー・ソングライター 遠藤えんどう賢司けんじ/いまこのひと/デイリースポーツ online
    佐渡さど山豊やまとよブログ 沖縄おきなわシンガーソングライターといえば
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    嘉門かもん 達夫たつお TATSUO KAMON
    関口せきぐち誠人まさと ちょう個人こじんてき日記にっき
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関連かんれん項目こうもく

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