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キャロル・キング

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
キャロル・キング
Carole King
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのイベントにて (2012ねん12がつ)
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい Carol Joan Klein
生誕せいたん (1942-02-09) 1942ねん2がつ9にち(82さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ニューヨークブルックリン
ジャンル ポップスブルー・アイド・ソウル
職業しょくぎょう シンガーソングライター
担当たんとう楽器がっき ピアノキーボード
活動かつどう期間きかん 1958ねん -
レーベル Ode Records
キャピトル・レコード
アトランティック・レコード
Rhythm Safari
Rockingale
公式こうしきサイト www.caroleking.com

キャロル・キングCarole King1942ねん2がつ9にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくシンガーソングライター

1958ねんに16さいでデビューし、1960年代ねんだい初頭しょとうからはおっとジェリー・ゴフィンとの夫婦ふうふによる作曲さっきょくコンビでヒットきょく連発れんぱつした。1970年代ねんだいのシンガーソングライター・ブームの代表だいひょうてき女性じょせい歌手かしゅとなった。

1960年代ねんだいつくられた初期しょききょくは20きょく以上いじょうチャートインされ、そのおおくがスタンダードきょくとして世界中せかいじゅうおおくの歌手かしゅうたわれている。キング自身じしんがパフォーマーとして成功せいこうしたのは1970年代ねんだいになってからであり、ピアノをきながら一連いちれんのアルバムやコンサートで自作じさくきょくうたった。デビュー・アルバム『ライター』で商業しょうぎょうてき失敗しっぱい経験けいけんしたのち、1972ねんにアルバム『つづれおり』をリリース。『つづれおり』でブレークスルーを記録きろくした[1]

キングは25まいのソロ・アルバムを作成さくせいし、もっと成功せいこうしたのは『つづれおり』であり、20ねん以上いじょうにわたってほとんどのしゅう女性じょせいアーティストによる1記録きろく保持ほじした。彼女かのじょのレコード販売はんばいすう世界中せかいじゅうで7,500まんまいえると推定すいていされている[2][3]

キングはグラミーしょうを4かい受賞じゅしょうしており、ソングライターの殿堂でんどう (Songwriters Hall of Fameはいりおよびロックンロールの殿堂でんどうりをたした[4]。また2013年度ねんどアメリカ議会ぎかい図書館としょかんによるポピュラーソングのためのガーシュウィンしょう受賞じゅしょうした[4]

また、2015ねんに「ケネディ・センター名誉めいよしょう」も受賞じゅしょうしている。民主党みんしゅとう熱心ねっしん支持しじしゃである。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

空母くうぼハリー・S・トルーマン艦内かんないでのライブ (2000ねん12がつ)
NY公演こうえんにてジェームス・テイラー共演きょうえん (2010ねん6がつ)

概要がいよう[編集へんしゅう]

本名ほんなキャロル・クライン(Carol Joan Klein)。ニューヨークブルックリンのユダヤじん家庭かていまれた[5]1958ねん歌手かしゅデビュー。1人ひとりおっと、ジェリー・ゴフィンとのあいだまれた長女ちょうじょルイーズ・ゴフィン英語えいごばんも、シンガーソングライターとして活動かつどうしている。2番目ばんめおっとベーシストのチャールズ・ラーキー。1977ねんには3にんおっととなるリック・エヴァーズと結婚けっこんしたが、翌年よくねんリックの麻薬まやくにより死別しべつしている。

ちと教育きょういく[編集へんしゅう]

キングは、1942ねん2がつ9にちニューヨークマンハッタンユダヤじん家庭かていにキャロル・クラインとしてまれた[6][7][8][9]彼女かのじょ母親ははおや、ユージニア(旧姓きゅうせいカマー)は教師きょうしであり、父親ちちおやのシドニー・N.クラインはニューヨーク消防局しょうぼうきょく消防しょうぼうだった[10][11]化学かがく専攻せんこうしたシドニーと英語えいご演劇えんげき専攻せんこうしたユージニアは、1936ねんブルックリン・カレッジ学生がくせい時代じだいにエレベーターで出会であった[12]:10

かれらはだい恐慌きょうこう終盤しゅうばんの1937ねん結婚けっこんした[12]:10。ユージニアは大学だいがく中退ちゅうたいして世帯せたいりし、シドニーも大学だいがくめてラジオアナウンサーとして短時間たんじかん就職しゅうしょくした[12]:10経済けいざいてきくるしいなか、シドニーはより安定あんていした職業しょくぎょうとしてニューヨークで消防しょうぼうとなった[12]:10。キングがまれたのちかれらはブルックリンにのこり、最終さいしゅうてきかれらは収入しゅうにゅうのためにかいすことができるちいさなかいての世帯せたい住宅じゅうたくうことができた[13][14]

ユージニアは子供こどもころにピアノを方法ほうほうまなび、ピアノをってから練習れんしゅうすることもあった。キャロルはやく3さいころから音楽おんがくくなき好奇心こうきしんっていたため、母親ははおや非常ひじょう基本きほんてきなピアノのかたおしはじめたが、キャロルに実際じっさいてきなレッスンはおこなわなかった。[12]:14

両親りょうしんはキャロルが4さいのときにおとくだけで音符おんぷ正確せいかく名前なまえけることができる絶対ぜったい音感おんかんぬしであることにいた[12]:14[15]。シドニーは訪問ほうもんしてきた友人ゆうじんむすめ特技とくぎ披露ひろうしてたのしんだ:「わたしちち笑顔えがお非常ひじょうひろく、かおした半分はんぶんつつんでいた。ちちしあわせにし、おとただしくあててたのしんだ。」[12]:15

キャロルの母親ははおやは、キャロルが4さいのときに本格ほんかくてき音楽おんがくレッスンをはじめた[12]:16。キャロルはスツールにのぼり、電話でんわちょうすわってさらにたかところすわった[16]。キャロルは母親ははおや一緒いっしょすわって楽譜がくふかた適切てきせつ音符おんぷのタイミングのかたなど、音楽おんがく理論りろん初歩しょほてきなピアノ技術ぎじゅつおそわった。キングはできるだけおおくをまなびたかった:「ははわたし練習れんしゅう強要きょうようしたことはありません。彼女かのじょはする必要ひつようはありませんでした。ラジオからなが人気にんききょくをマスターしたかったのです。」[12]:16

キャロルは4さいとき幼稚園ようちえんかよはじめたが、言葉ことば数字すうじ並外なみはずれた資質ししつっていたので、直接ちょくせつ2年生ねんせい昇級しょうきゅうした[12]:16。1950年代ねんだい彼女かのじょジェームズ・マディソン高校こうこうとおった。キングはCo-Sinesとばれるバンドを結成けっせいし、Carol KleinからCarole Kingに改名かいめいし、1セッション25ドルで友人ゆうじんポール・サイモンとデモレコードを作成さくせいした。[17][18] 彼女かのじょ最初さいしょ公式こうしき録音ろくおんは、1958ねんABCパラマウントからリリースされたプロモーションシングル"The Right Girl"で、自身じしんいたきょくをドン・コスタの編曲へんきょくうたった[19]。しかしながら、そのABCやRCAなどにのこした4さくのシングルはいずれも失敗しっぱいわり、一旦いったん歌手かしゅとしてのキャリアは頓挫とんざすることとなった。

キングはクイーンズカレッジ通学つうがくし、そこでソングライターとしてのパートナーとなるジェリー・ゴフィン出会であった。二人ふたりはキングが最初さいしょむすめルイーズを妊娠にんしんしたのちで、キングが17さいときに1959ねん8がつ、ロングアイランドでのユダヤきょう式典しきてんのっとって結婚けっこんした。[20][21] 二人ふたり大学だいがくめ、昼間ひるま仕事しごとき、ゴフィンは化学かがく助手じょしゅ、キングは秘書ひしょとしてはたらいていた[22]よるには二人ふたり一緒いっしょきょくいた[23]

高校こうこう時代じだいにキングとデートしていたニール・セダカ[24]、1959ねんに「おお!キャロル」でヒットをばした。ゴフィンはこのきょくうたとしてあそごころのあるアンサーソング"Oh!Neil"をいた。キングはそのとしにシングルとして録音ろくおんしてリリースした。Bめんには、ゴフィンーキングさくの"A Very Special Boy"が収録しゅうろくされていた。[25][26] このシングルは成功せいこうしなかった[27]黒人こくじんのガールズ・グループによるはつのナンバー1ヒットとなるシュレルズビルボード・ホット100でのナンバー1ヒット「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」をいたのち[28]、ゴフィンとキングは、にちちゅう仕事しごとめてきょくづくりに専念せんねんした[29][30]。「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」はスタンダードナンバーとなった[31][32]

1960年代ねんだい[編集へんしゅう]

60年代ねんだいには、キングが作曲さっきょくしゴフィンが作詞さくしをするかたちで、2人ふたりはさまざまなアーティストのために後々あとあとまでうたがれている数々かずかず作品さくひんいた[33]。キングとゴフィンは、ドン・キルシュナーのディメンション・レコードの作曲さっきょくチームでもあり、「チェインズ」(のちにビートルズが録音ろくおん)、夫妻ふさいのベビーシッターであるリトル・エヴァの「ロコモーション」、キングの最初さいしょのヒットとなる自身じしんが1962ねんにレコーディングした「イット・マイト・アズ・ウェル・レイン・アンティル・セプテンバー」などをふくきょくした[34]。このきょく全米ぜんべいチャート22[35][36]ぜんえいシングルチャート3記録きろくしている。「…セプテンバー」をきっかけになんきょくかのフォローアップシングルをレコーディングしたが、どれもあまりれず、すでに散発さんぱつてきなレコーディング・キャリアは1966ねんまでに完全かんぜん放棄ほうきされた。

キングの初期しょき時代じだい(1967ねんまで)のそのきょくにとしては、"Half Way To Paradise"[トニー・オーランド、イギリスではビリー・フューリーによってレコーディングされた]、ボビー・ヴィーの「浮気うわきなあのむすめ (Take Good Care of My Baby)」、ドリフターズの「アップ・オン・ザ・ルーフ (Up on the Roof)」、アール=ジーンの"I'm into Something Good"(ハーマンズ・ハーミッツ録音ろくおん)、シフォンズの「ワン・ファイン・デイ」、モンキーズの「プレザント・バレー・サンディ」(ニュージャージーしゅうウェストオレンジ郊外こうがいへの移転いてん触発しょくはつされた)[37] そして、アレサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン[38]ふくまれている。二人ふたりダスティ・スプリングフィールドによってレコーディングされた「ゴーイン・バック」や「サム・オヴ・ユア・ラヴィン」などもいている。1960ねんから1963ねんにかけての3年間ねんかんで、2人ふたりべ20きょくあまりの全米ぜんべいトップ40ヒットをおくしている。

1968ねんまでにゴフィンとキングは離婚りこんし、接触せっしょくしなくなっていた[20]。キングは2人ふたりむすめ一緒いっしょロサンゼルスローレル・キャニオンうつり、将来しょうらいおっとであるベースのチャールズ・ラーキー、ギターとボーカルのダニー・コーチマー、およびピアノとボーカルのキングで構成こうせいされる音楽おんがくトリオ"ザ・シティ"を結成けっせいしてレコーディングキャリアを再開さいかいした[33][39][40]。ザ・シティは1968ねんに1まいのアルバム『夢語ゆめがたり』を製作せいさくしたが、キングがライブ演奏えんそういやがった影響えいきょうげはびなかった[41]配給はいきゅう業者ぎょうしゃわったことによりアルバムはすぐに廃盤はいばんとなり、グループは1969ねん解散かいさんした[42]。このアルバムは1980年代ねんだい初頭しょとうにクラシック・ロックのラジオきょくによってさい発見はっけんされ、シングルカットされた「スノークイーン」はすう年間ねんかんたまに放送ほうそうされた。クリーブランドのWMMSは、1981ねんから1985ねんまですう週間しゅうかんごとに演奏えんそうし、絶版ぜっぱんのLPは、音楽おんがくのエッジのいたサウンドがきなキャロル・キングのファンにもとめられた。

1970年代ねんだい - つづれおり[編集へんしゅう]

1970年代ねんだいはいってからはシンガーソングライターとしての活動かつどう本腰ほんごしれ、1970ねんにアルバム『ライター』でふたたびソロ・デビュー。よく1971ねんのソロ・アルバム『つづれおり(Tapestry)は、全米ぜんべいアルバムチャートで15しゅう連続れんぞく1、そのも302しゅう連続れんぞくでトップ100にまるロングセラーとなり、グラミーしょうでも4部門ぶもん制覇せいは現在げんざいまでやく2200まんまいげている。先行せんこうシングル「イッツ・トゥー・レイト」は、全米ぜんべいシングルチャートで5しゅう連続れんぞく1年間ねんかんチャートではだい3記録きろくジェームス・テイラーが、収録しゅうろくきょくきみのともだち」をカバーし、シングルチャート1獲得かくとくしている。そのも、アルバム『ミュージック』『よろこびにつつまれて』、シングル「ジャズマン」など、順調じゅんちょうにヒットを連発れんぱつ。1970年代ねんだい前半ぜんはんから中期ちゅうき代表だいひょうするヒットメーカーの一人ひとりとなり、2つの年代ねんだいにわたって天下てんかった。

また、『つづれおり』がだいヒットちゅう1972ねんには、五輪いつわ真弓まゆみのデビュー・アルバム『少女しょうじょ』の制作せいさくをサポート。その1974ねんまでの3年間ねんかん五輪ごりんのアルバム3作品さくひん手掛てがけたことでもられている。

ローレル・キャニオンにいるあいだに、キングはジェームス・テイラージョニ・ミッチェル、そしてトニ・スターンとった[17]。キングは1970ねんにルー・アドラーのオード・レーベルけにテイラーのアコースティックギター演奏えんそうとバックボーカルを提供ていきょうけた最初さいしょのソロアルバム『ライター』を製作せいさくした[43]。このアルバムはビルボードトップ200で84たっした。同年どうねん、キングはB.B.キングのアルバム『インディアノーラ・ミシシッピ・シーズ』でキーボードを演奏えんそうした。

キングは『ライター』につづいて1971ねんに「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」と、さい解釈かいしゃくした「ナチュラル・ウーマン」、それに新曲しんきょく収録しゅうろくした『つづれおり』をリリースした。アルバムは、テイラーの『マッド・スライド・スリム』とどう時期じき録音ろくおんされ、キング、ダニー・コーチマージョニ・ミッチェルふくむミュージシャンのセットが重複じゅうふくしていた。どちらのアルバムにも「きみともだち」が収録しゅうろくされており、これはテイラーにとってナンバーワンのヒットとなった。キングは1972ねんのインタビューで、「ジェームズや、とくだれかをおもかべていたわけではないの。だけど、ジェームズはこのきょくいて本当ほんとうって、録音ろくおんしたがったの」とべている。[44]

つづれおり』はあっという成功せいこうした。「イッツ・トゥー・レイト」のビルボード・ホット100の1ふく多数たすうのヒットシングルで、『つづれおり』は15しゅう連続れんぞくで1維持いじし、ほぼ6年間ねんかんチャートにのこり、世界中せかいじゅうで2500まん以上いじょうげた。[45] このアルバムは、アルバム・オブ・ザ・イヤー、女性じょせいのベスト・ポップ・ボーカル・パフォーマンス、レコード・オブ・ザ・イヤー(トニ・スターンの作詞さくしによる「イッツ・トゥー・レイト」)、キングがはつ女性じょせい受賞じゅしょうしゃとなる「きみともだち」にたいするソング・オブ・ザ・イヤーの4つのグラミーしょう獲得かくとくした。このアルバムは『ローリング・ストーン』の「史上しじょう最高さいこうの500アルバム」に36ばん掲載けいさいされた。[46] さらに、「イッツ・トゥー・レイト」は、ローリング・ストーンがえらぶオールタイム・グレイテスト・ソング500の469ばんとなった。

1971ねん12月にアルバム『ミュージック』がリリースされ、1971ねん12月9にちにゴールド認定にんていされた。はつ登場とうじょう8でトップ10にはいり、『つづれおり』と『ミュージック』が同時どうじにトップ10りした最初さいしょしゅうとなった。翌週よくしゅうには3上昇じょうしょうし、1972ねん1がつ1にちに1となり、3週間しゅうかん1にとどまった。このアルバムはさらにトップ10ヒット「スウィート・シーズンズ」(米国べいこく9、アダルト・コンテンポラリー2)をした。『ミュージック』は44週間しゅうかんビルボードのポップアルバムチャートにのこり、最終さいしゅうてきにプラチナに認定にんていされた。

よろこびはかなしみののち』(1972)と『ファンタジー』(1973)がのちつづき、それぞれがゴールド認定にんてい取得しゅとくした。『よろこびはかなしみののちに』はさらなるヒット「なつかしきカナン」(米国べいこく24、アダルト・コンテンポラリー1)をし、『ファンタジー』は2つのヒット「ビリーヴ・イン・ヒューマニティ」(米国べいこく28)と「コラゾン」(米国べいこく37、アダルト・コンテンポラリー5)、ホット100でチャートインしたべつきょく「ユー・ライト・アップ・マイ・ライフ」(米国べいこく67、アダルト・コンテンポラリー6)をした。

1973ねん、キングはニューヨークセントラル・パークで10まんにん参加さんかした無料むりょうコンサートをおこなった[47]

1974ねん9がつ、キングはアルバム『よろこびにつつまれて』をリリースした。このアルバムは1974ねん10がつ16にちにゴールド認定にんていされ、1974ねん10がつ19にちに7でトップ10にはいった。2週間しゅうかんには1となり、1週間しゅうかんだけその地位ちいとどまった。『よろこびにつつまれて』からは2きょくのヒットがまれた。シングル「ジャズマン」は11月9にちに2となったが、翌週よくしゅうにはトップ10から脱落だつらくした。12月17にちのシングル「ナイチンゲール」は、1975ねん3がつ1にちに9となった。

1975ねん、キングはモーリス・センダックの『おしゃまなロージー』のアニメされたTV番組ばんぐみようのセンダックによる歌詞かしきょく同名どうめいのアルバムとしてリリースした。

サラブレッド』(1976)は、オードレーベルのした制作せいさくした最後さいごのスタジオアルバムとなった[48]デヴィッド・クロスビーグラハム・ナッシュジェームス・テイラーワディ・ワクテルなどの長年ながねん友人ゆうじんあつめたことにくわえて、キングはゲリー・ゴフィンと再会さいかいしてアルバムの4きょくいた。かれらのパートナーシップは断続だんぞくてきつづいた。キングは1976ねんにアルバムのプロモーションツアーもおこなった。

1977ねん、キングはべつのソングライターであるリック・エヴァースと『シンプル・シングス英語えいごばん』でコラボレーションした。このアルバムはキャピトル・レコードから配給はいきゅうされたあたらしいレーベルの最初さいしょのリリースである。そのまもなく、キングとエバーズは結婚けっこんした。かれは1ねんにコカインの過剰かじょう摂取せっしゅ他界たかいしたが、そのときキングとむすめのシェリーはハワイにいた。『シンプル・シングス』は『つづれおり』以来いらいビルボードのトップ10に到達とうたつできなかったはつのアルバムであり、翌年よくねんのコンピレーションアルバム『グレイテスト・ヒッツ』と2010ねんの『ライヴ・アット・ザ・トルバドール』をのぞくとRIAAによる彼女かのじょ最後さいごのゴールド認定にんていレコードだった。

ゴールド認定にんていのレコードステータスにもかかわらず『シンプル・シングス』はローリング・ストーンによって「1977ねん最悪さいあくのアルバム」にえらばれた[20]:394。アルバムの共同きょうどうプロデューサーとしてデビューした『ウェルカム・ホーム』(1978)および『タッチ・ザ・スカイ』(1979)もトップ100にたっしなかった。『パールズ (Pearls – The Songs of Goffin and King)』(1980)からははヒットシングル、「ワン・ファイン・デイ」のニュー・バージョンがまれた。

1980年代ねんだい[編集へんしゅう]

キングはアルバム『ワン・オン・ワン』(1982ねん)と、1983ねんに『つづれおり』時代じだいのプロデューサーであるルー・アドラー英語えいごばんふたたんだ『スピーディング・タイム英語えいごばん』のためにアトランティック・レコードうつった。1984ねん好評こうひょうはくしたコンサートツアーののちクリスチャン・サイエンス・モニター記者きしゃキャサリン・フォスターは、キングを「ロックの女王じょおう」と名付なづけた。彼女かのじょはまた、キングのパフォーマンスを「すべての勇気ゆうき活気かっきちたもの」とんだ。[49]

1985ねん、キングは『ケア・ベアーズ・ムービー』のテーマである「ケア・ア・ロット」をいて演奏えんそうした。また1985ねんにはマーティン・リット監督かんとく映画えいが『マーフィのロマンス』のサウンドトラックの総譜そうふ作成さくせいし、デビッド・サンボーンととも演奏えんそうした。サウンドトラックはふたたびアドラーがプロデュースし、"Running Lonely""Love For The Last Time(Theme from 'Murphy's Romance')"ふくまれていたが、サウンドトラックアルバムは公式こうしきにはリリースされなかった。[50] キングは映画えいがなか役場やくば従業じゅうぎょういんティリーとしてカメオ出演しゅつえんした[50]

1989ねんにキングはキャピトルレコードにもどり、エリック・クラプトンが2きょくブランフォード・マルサリスが1きょく参加さんかした『シティ・ストリーツ英語えいごばん』(1989ねん)をレコーディングし、つづいてスラッシュ出演しゅつえんする『カラー・オブ・ユア・ドリームス英語えいごばん』(1993)をレコーディングした。キングのきょく「Now and Forever」は、1992ねん映画えいがプリティ・リーグ』のオープニングクレジットにふくまれており、グラミーしょうにノミネートされた。[26]

1988ねん、オフブロードウェイ・プロダクション『Aマイナー・インシデント』に出演しゅつえんし、1994ねんにブロードウェイでの『ブラッド・ブラザーズ英語えいごばん』でジョンストン夫人ふじんえんじた。1996ねん、アイルランドでピーター・シェリダン演出えんしゅつの『おものブライトン・ビーチ (Brighton Beach Memoirs』に出演しゅつえんした。

1990年代ねんだい[編集へんしゅう]

1990ねんにははつ来日らいにち公演こうえん実現じつげんし、ジェリー・ゴフィンと連名れんめいロックの殿堂でんどうりもたした。

1991ねん初頭しょとう、ディナ・キャロルがクォーツのアルバム"Perfect Timing"で「イッツ・トゥー・レイト」をレコーディングした。このカバーは世界中せかいじゅうのダンスチャートで1となり、1991ねんぜんえいシングル・チャートで8たっした。キングもミュージック・ビデオの撮影さつえい出演しゅつえんすることが期待きたいされていたが、そのとききびしいツアース・ケジュールを理由りゆう辞退じたいした。

1991ねん、キングはシンガー・ソングライターであるマライア・キャリーのセカンドアルバム『エモーションズ』で「イフ・イッツ・オーヴァー」を共同きょうどうき、共同きょうどうプロデュースした。キングはキャリーが最初さいしょのシングル「ヴィジョン・オブ・ラヴ」をライブで演奏えんそうするのをて、キャリーと彼女かのじょ楽曲がっきょく興味きょうみはじめた。キングはキャリーに連絡れんらくし、アレサ・フランクリンのためにジェリー・ゴフィンとともにいたきょくナチュラル・ウーマン」のカバーに興味きょうみがあるかどうかたずねた。キングの音楽おんがくてき影響えいきょうの1つが完璧かんぺき実行じっこうされたうたをカバーすることに不安ふあんかんじたので、キャリーは辞退じたいした。それでもキャリーと仕事しごとをしようと決意けついしていたキングは、あるしゅのバラードを作詞さくし作曲さっきょくすることをのぞんで、ニューヨークにむけてった。「イフ・イッツ・オーヴァー」の着想ちゃくそうるまで、2人ふたりのソングライターは1にちとおしてピアノで音楽おんがくのアイデアとメロディを交換こうかんした。

1997ねんに、キングはソラヤの1997ねんのアルバムTorre De Marfilのためにソラヤととも"Wall Of Smiles / Torre De Marfil"いた。同年どうねん、キングはセリーヌ・ディオンのアルバム『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』のために「ザ・リーズン」をき、バッキング・ボーカルをレコーディングした。このきょくはフランスでの100まんまいふく世界中せかいじゅうげをばした。フランスでは1、イギリスでは11、アイルランドでは13になった。このペアは、最初さいしょのVH1ディーヴァズ・ライヴ慈善じぜんコンサートでデュエットした。

キングはまた、アレサ・フランクリンマライア・キャリーなどと「ナチュラル・ウーマン」をうたったように、セリーヌ・ディオン、グロリア・エステファンシャナイア・トゥエインと「きみともだち」を演奏えんそうした。1998ねんに、キングは"Anyone at All"き、トム・ハンクスメグ・ライアン主演しゅえんの『ユー・ガット・メール』で演奏えんそうした。

1996ねんにはみずからの半生はんせいをモデルにした架空かくう伝記でんき映画えいがグレイス・オブ・マイ・ハート」が公開こうかいされた。げきちゅうきょくをオファーされたがことわっている。

2000年代ねんだい[編集へんしゅう]

2000ねんに、キングは彼女かのじょのヒットきょく"Where You Lead"のバージョンをテレビ番組ばんぐみギルモア・ガールズ』のテーマソングとしてレコーディングするようにもとめられた。キングはははむすめはなしうようにいくつかの歌詞かしなおした。キングはこのうたむすめのルイーズ・ゴフィンとよく演奏えんそうしている。このうた歌詞かし背後はいごにある感情かんじょうがったウーマン・リブ台頭たいとう好意こういからはずれたため、オリジナルのリリースうた演奏えんそうすることはめったになかった。キングは、「より関連かんれんせいたかいもの」になるようにきょく修正しゅうせいすることに同意どういした。このきょく女性じょせい友情ゆうじょう家族かぞくつよむすびついた。[51]

2001ねん、キングはむすめのルイーズゴフィンとともに、GAPのテレビ広告こうこく出演しゅつえんした[52]。キングは新曲しんきょく「ラヴ・メイクス・ザ・ワールド」(Love Makes the World)を演奏えんそうし、2001ねんあきにコッホ・レコードが配給はいきゅうした自身じしんのレーベル、Rockingaleでのスタジオ・アルバムのタイトル・トラックとなった。アルバムには、1990年代ねんだいなかばにキングがのアーティストのためにいたきょくふくまれており、セリーヌ・ディオン、スティーヴン・タイラーベイビーフェイスk.d.ラング らをフィーチャーしている。『ラヴ・メイクス・ザ・ワールド』は米国べいこくで158、英国えいこくで86になり、ビルボードのトップ・インディペンデント・アルバム・チャートおよびトップ・インターネット・アルバム・チャートに20はつ登場とうじょうした。[3][53][54] アルバムの拡張かくちょうばんは6ねん発行はっこうされ、「Love Makes the World Deluxe Edition」とばれた。トニ・スターンとともさくした"Where You Lead(I Will Follow)"のリメイクをふくむ、5つの追加ついかトラックをふくむボーナスディスクがふくまれている。[55]

同年どうねん、キングとスターンは、日本にっぽんのバンド、JUDY AND MARYもとリードボーカリストであるYUKIがレコーディングした「サヨナラダンス」を翌年よくねんはつのソロアルバム『PRISMIC』のためにいた。また2001ねん、キングはセミソニック英語えいごばんのフロントマンであるダン・ウィルソンとアルバムAll About Chemistryきょく作曲さっきょくした。

キングは、2004ねん7がつシカゴのオーディトリアム・シアターでリヴィング・ルーム・ツアーをスタートした。そのショーは、ロサンゼルスグリーク・シアター英語えいごばんとケープコッド・メロディテント(マサチューセッツしゅうハイアニス)でのショーとともに、2005ねん7がつにライブアルバム『リヴィング・ルーム・ツアー英語えいごばん』としてレコーディングされた。このアルバムは、米国べいこくでの最初さいしょしゅうに44,000まいげ、ビルボード200に17登場とうじょうした。1977ねん以来いらい最高さいこうのチャート順位じゅんいのアルバムとなった。アルバムはオーストラリアでも51となり、米国べいこくでは330,000まいげた。[56][57][58] 2006ねん8がつ、アルバムは151でビルボード200にふたたびチャートインした[59]。ツアーはカナダ、オーストラリア、ニュージーランドで終了しゅうりょうした。ツアーのDVDは"Welcome to My Living Room"というタイトルで2007ねん10がつにリリースされた。[60]

2007ねん11月、キングはキッコーマン北米ほくべい進出しんしゅつ50周年しゅうねん記念きねんイベントの一環いっかんで、1990ねん以来いらい17ねんりにメアリー・J・ブライジおよびブラック・アイド・ピーズファーギーとともに日本にっぽんでツアーをおこなった。13にち日本武道館にほんぶどうかん公演こうえんが、2008ねん4がつ11にちNHK-BShiにて放映ほうえいされた。日本にっぽんのレコードレーベルのソニービクターは、以前いぜんはコンパクトディスクで入手にゅうしゅできなかった1970年代ねんだい後半こうはん作品さくひんふくむキングのアルバムのほとんどをさい発行はっこうした。キングは、アン・マレーの2007ねんのアルバム『アン・マレー・デュエット:フレンズ&レジェンズ (Anne Murray Duets: Friends and Legends』で、アン・マレーとゴフィン/キングさくの「タイム・ドント・ラン・アウト・オン・ミー」のデュエットを録音ろくおんした。このうた以前いぜん、マレーによって1984ねんのアルバム『ハート・オーバー・マインド英語えいごばん』のために録音ろくおんされている。

ケネディ・センター名誉めいよしょう授賞じゅしょうしきにて小澤おざわ征爾せいじらと (2015ねん12がつ)

2010ねん4がつから、ジェイムス・テイラー、ザ・セクション(ダニー・コーチマー:G/ラン・カスケル:G/リー・スカラー:B)らによる「トルバドール・リユニオン」ツアーで来日らいにちたした。

2010ねん - 現在げんざい[編集へんしゅう]

2010ねんのトルバドール・リユニオン・ツアーで演奏えんそうするキングとジェームス・テイラー

2010ねん、キングとジェームス・テイラーは、1970ねんウェスト・ハリウッドのトルバドール (The Troubadour, West Hollywoodはじめて共演きょうえんしたことをおもして、トルバドール・リユニオン・ツアーをおこなった。二人ふたりは、2007ねんにクラブの創立そうりつ50周年しゅうねん記念きねんして1970ねん使つかったバンドと再会さいかいした。これが非常ひじょうたのしめたので、かれらは2010ねんにこのバンドでツアーをおこなうことにした。ツアーバンドは、そのオリジナルバンドのプレーヤーであるラス・カンケルリーランド・スカラーダニー・コーチマーをフィーチャーした。また、キングの義理ぎり息子むすこ、ロビー・コンドールも参加さんかした。おたがいのきょくでキングがピアノをきテイラーがギターを演奏えんそうし、かれらはおたがいに関係かんけいのあるなんきょくかを一緒いっしょうたった。ツアーは3がつにオーストラリアではじまり、5月に米国べいこくもどった。キングは彼女かのじょのキャリアの最大さいだいクラスの聴衆ちょうしゅうまえ演奏えんそうし、おおきな商業しょうぎょうてき成功せいこうおさめた。チケットのそうげは70まんまいえ、ツアーのげは5900まんドルをえて、年間ねんかんもっと成功せいこうしたツアーの1つとなっている。[61]

トルバドール・リユニオン・ツアーの期間きかんちゅう、キャロル・キングは2まいのアルバムをリリースした。2010ねん4がつ27にちにリリースされた最初さいしょThe Essential Carole Kingは2まいぐみのコンピレーションアルバムである。2まいぐみの1まいのディスクには、キャロル・キングが録音ろくおんしたおおくのきょく収録しゅうろくされており、そのほとんどがヒットシングルだった。2まいのディスクには、キングがいたほかのアーティストによるレコードが収録しゅうろくされており、そのほとんどがトップ40になり、そのおおくがNo.1にたっしていた。[62] 2つのアルバムは2010ねん5がつ4にちにリリースされたキングとジェームス・テイラーのコラボレーションの『トルバドール・リユニオン英語えいごばん』で、米国べいこくで4まん8000まいげで4でチャートはつ登場とうじょうした[63]。その、『トルバドール・リユニオン』は、米国べいこくでの500,000まいえる出荷しゅっかについてRIAAからゴールドレコードをり、34週間しゅうかんチャートにまった。

2010ねん12月22にち、キャロル・キングの母親ははおや、ユージニア・ギンゴールドは、94さいでフロリダしゅうデルレイビーチのデルレイ・メディカル・センターのホスピスケア・ユニットでくなった。キングは、死因しいんはうっけつせい心不全しんふぜんであるとべた。ギンゴールドの死去しきょは、2011ねん1がつ1にちにマイアミ・ヘラルドによってほうじられた。[64]

2011ねんあきに、キングはホリデーシーズンのスタンダードきょくと、アルバムのプロデューサーでもあるむすめのルイーズ・ゴフィンがいた新曲しんきょくふくまれている『ホリデイ・キャロル(A Holiday Carole)』をリリースした[65]。アルバムは、ベスト・トラディショナル・ポップ・アルバムのグラミーしょうにノミネートされた。

キングの自伝じでん『ナチュラル・ウーマン』は、2012ねん4がつ10日とおか米国べいこくのグランド・セントラル出版しゅっぱんから出版しゅっぱんされた(日本にっぽんでは河出かわで書房しょぼうから2013/2/23刊行かんこうISBN 4309273823, 978-4309273822)。このほんニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに登録とうろくされた。[66][67]

2012ねん5がつ10にち木曜日もくようび、キャロル・キングが音楽おんがくから引退いんたいし、音楽おんがく日々ひびわった可能かのうせいもっとたかいと発表はっぴょうされた。キング自身じしんあらたにきょくつくることに疑問ぎもんいだき、ジェームス・テイラーとの2010ねんのトルバドール・レユニオン・ツアーはおそらく彼女かのじょ人生じんせい最後さいごのツアーであり、「くのには方法ほうほうだ」とった。キングはまた、おそらくあたらしい楽曲がっきょくつくったりレコーディングしたりしないだろうともべた。[68][69] しかし、5月22にち、キングはFacebookページで、実際じっさい引退いんたいしたとはけっしてわず、「休憩きゅうけいちゅう」だと主張しゅちょうした。

キングは2012ねんにアイダホのニコール・ルファヴォール英語えいごばんバラク・オバマ選挙せんきょ活動かつどう参加さんかした。

2012ねん12がつ上旬じょうじゅん、キングはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームほし獲得かくとくした[70]。キングは2013ねん2がつにオーストラリア・ツアーを実施じっしした[71]。2013ねん4がつボストンマラソンばくだんテロ事件じけんのち、キングはボストンでジェームス・テイラーと共演きょうえんし、テロの犠牲ぎせいしゃ支援しえんした[72]

"キャロル・キングはわたしたちの時代じだいもっと影響えいきょうりょくのあるソングライターの一人ひとりです。50ねん以上いじょうにわたり、彼女かのじょ幅広はばひろ聴衆ちょうしゅうのためにおおくのことなるタイプのアーティストのためにきょくつくってレコーディングし、尊厳そんげん普遍ふへんてき人間にんげん感情かんじょうつたえてきました。彼女かのじょ作品さくひんはガーシュウィンしょう精神せいしん反映はんえいしており、その独創どくそうせい長寿ちょうじゅ多様たようせいうったえています。"
ジェームズ・H・ビリントン
米国べいこく議会ぎかい図書館としょかんちょう[73]

2012ねん後半こうはん議会ぎかい図書館としょかんは、2013年度ねんどガーシュウィンしょうを、キャロル・キングが女性じょせいとしてははじめて受賞じゅしょうすることを発表はっぴょうした[74]2013ねん2がつ長年ながねん音楽おんがくかい功績こうせきによりグラミーしょう功労賞こうろうしょうけた。バラク・オバマ大統領だいとうりょう夫人ふじんは2013ねん5がつ22にちホワイトハウス授賞じゅしょうコンサートを開催かいさいし、大統領だいとうりょうしょう授与じゅよし、引用いんようげた。[75] 2013ねん5がつ、キングはバークリー音楽おんがく大学だいがくから名誉めいよ音楽おんがく博士はかせごう授与じゅよされた[76]。2013ねん6がつマサチューセッツしゅうで、国務こくむ長官ちょうかん辞任じにんしたジョン・ケリー空席くうせきめるアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく上院じょういん議員ぎいん補欠ほけつ選挙せんきょで、民主党みんしゅとう指名しめい候補こうほであるエド・マーキー英語えいごばん議員ぎいん選挙せんきょ運動うんどうおこなった。

2013ねんには彼女かのじょ半生はんせいをその名曲めいきょくとともにえがいたミュージカル『ビューティフル』がサンフランシスコで上演じょうえん2014ねんにブロードウェイ公演こうえんおこなうとトニーしょう主演しゅえん女優じょゆうしょうをはじめ、グラミーしょうローレンス・オリヴィエしょう受賞じゅしょうするなど好評こうひょうはくし、ロンドン公演こうえん全米ぜんべいツアーもおこなわれ、各地かくちでロングラン公演こうえんつづけられている。日本にっぽんでも2017ねん7〜8がつ帝国ていこく劇場げきじょうで、キャロルやく水樹みずき奈々なな平原ひらはら綾香あやかのダブルキャストで上演じょうえんされた。

2014ねん1がつにキングはミュージケアーズ・パーソン・オブ・ザ・イヤーとして表彰ひょうしょうされた[77]。2015ねん12月6にち、キングはケネディ・センター名誉めいよしょう受賞じゅしょうしゃとして表彰ひょうしょうされた[78]

2016ねん、7がつ3にちロンドンハイドパーク開催かいさいされたブリティッシュ・サマー・タイム・フェスティバル (British Summer Time (concerts)のヘッドパフォーマーとして『つづれおり』の全曲ぜんきょくはじめてライブで演奏えんそうした[79]。つづれりのライブレコーディングされたコンサートは、2016ねん10がつにイギリスSkyArts TVで放送ほうそうされた。アルバムは2017ねんにリリースされている。

2018ねん10がつに、キングは自身じしんきょく“One”のしんバージョンをリリースした。2011ねん以来いらい最初さいしょあたらしい録音ろくおんで、キングは“One”(オリジナルは1977ねんのアルバム『シンプル・シングス』)の歌詞かしを“One(2018)”として11月6にち(米国べいこくなかあいだ選挙せんきょ)のために「あいった」となおすべくインスパイアされた。[80]

俳優はいゆうとしての出演しゅつえん[編集へんしゅう]

キングは時々ときどき俳優はいゆうとしても出演しゅつえんしている。キングのもっと初期しょき出演しゅつえんは、モーリス・センダック作品さくひんもとづいたアニメーションTVスペシャルである1975ねんの『おしゃまなロージー』の主役しゅやくえ(うたも)だった。また1975ねん当時とうじ結婚けっこんめいのキャロル・ラーキーとしてメアリー・タイラー・ムーア・ショーのエピソード「子供こどもいぬきらいなひと」に出演しゅつえんした。1984ねん、キングはフェアリーテール・シアターのエピソード「ゴルディロックスと3びきのくま」に、テイタム・オニールホイト・アクストンアレックス・カラス英語えいごばんジョン・リスゴーならんで出演しゅつえんした。キングはのちに、テレビシリーズ『ギルモア・ガールズ』のゲストスターとして、スターズ・ホロー・ミュージック・ストアの所有しょゆうしゃであるソフィーとして3かい出演しゅつえんした。キングのきょく"Where You Lead (I Will Follow)"のむすめのルイーズとうたったバージョンがシリーズのテーマソングとして使つかわれている。[81] キングは、2016ねんのギルモア・ガールズNetflixでのリバイバル、『ギルモア・ガールズ:ア・イヤー・イン・ザ・ライフ』でおなやくさい出演しゅつえんした。キングはまた、オリジナル・ブロードウェイ・プロダクション『ブラッド・ブラザーズ』でジョンストン夫人ふじんやく代役だいやくとして出演しゅつえんした。

私生活しせいかつ家族かぞく[編集へんしゅう]

キングは、ジェリー・ゴフィン、チャールズ・ラーキー、リック・エヴァーズ、リック・ソレンソンと4かい結婚けっこんしている。2012ねん自伝じでんで、キングは3番目ばんめおっとであるリック・エヴァーズに定期ていきてき身体しんたいてき虐待ぎゃくたいけたといている[12]:282。エヴァーズは、2人ふたりわかれたのちの1978ねんにコカインの過剰かじょう摂取せっしゅ死亡しぼうしている[12]:310–311

彼女かのじょ子供こどもたちはミュージシャンのルイーズ・ゴフィン英語えいごばんとシェリー・ゴフィン・コンドール、アーティストのモリー・ラーキー英語えいごばん、リーヴァイ・ラーキーである[82]

2018ねん11がつ現在げんざい、キングはアイダホしゅうんでいる[83]

彼女かのじょ正式せいしきめいはキャロル・キング・クライン (Carole King Klein) である[84]

政治せいじおよび環境かんきょう活動かつどう[編集へんしゅう]

1977ねんアイダホしてからキングは環境かんきょう問題もんだい関与かんよするようになった。1990ねん以来いらい、キングは北部ほくぶロッキー生態せいたいけい保護ほごほう (Northern Rockies Ecosystem Protection Act(NREPA)の成立せいりつけて、野生やせいのロッキーのための野生やせい連合れんごうおよびそののグループと協力きょうりょくしてきた。キングはNREPAのためにキャピトル・ヒルで1994ねん、2007ねん、2009ねんの3かい証言しょうげんした。[85][86]

キングはまた、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく民主党みんしゅとう政治せいじてき活動かつどうしている。2003ねんジョン・ケリーのための選挙せんきょ運動うんどう開始かいしし、民主党みんしゅとう予備よび選挙せんきょちゅう党員とういん集会しゅうかい代議員だいぎいんのために自宅じたく演奏えんそうした。2004ねん7がつ29にち、ケリーが大統領だいとうりょうへの民主党みんしゅとう指名しめいのためのれスピーチをおこなやく2あいだまえに、みじかいスピーチをして民主党みんしゅとう全国ぜんこく大会たいかいうたった。[87] キングはそう選挙せんきょとおしてケリーへの支援しえんつづけた。ケリーが2013ねん国務こくむ長官ちょうかん指名しめいされたとき、キングは補欠ほけつ選挙せんきょでケリーののちがせるべく、民主党みんしゅとう候補者こうほしゃであるエド・マーキーと選挙せんきょ運動うんどうおこなった。

2008ねん、キングは『コルベア・レポー』の3がつ18にちのエピソードに出演しゅつえんし、ふたた彼女かのじょ政治せいじ活動かつどう言及げんきゅうした。キングはヒラリー・クリントン支持しじしていると発言はつげんし、その選択せんたく性別せいべつとは関係かんけいないとべた。キングはまた、バラク・オバマ選挙せんきょてば問題もんだいはないとべた。ショーの結論けつろんまえに、彼女かのじょ舞台ぶたいもどり、「そらちてくる (I Fell the Earth Move)」を演奏えんそうした。[88]

2014ねん10がつ6にち、キングはジョー・バイデンふく大統領だいとうりょう出席しゅっせきした、カリフォルニアしゅうビバリーヒルズにあるビバリー・ウィルシャー・ホテルでの民主党みんしゅとう募金ぼきん活動かつどう参加さんかした。[89]

2017ねん1がつ21にち、キングはアイダホしゅうスタンリーで開催かいさいされた2017ねん女性じょせい大会たいかい参加さんかし、「ちいさなこえ」とかれた看板かんばんかかげた。ハフィントン・ポストへの寄稿きこうで「1つのちいさなこえすうひゃくまんほかちいさなこえが、まさにわたしたちが世界せかいえる方法ほうほうであるとしんじることをめたことはなかった」ので、キングはそのメッセージをかかげたといた。[90]

トリビュートとカバー[編集へんしゅう]

2012ねん4がつ12にち、マサチューセッツしゅうボストンのジョン・F・ケネディ図書館としょかんでのインタビューちゅうのキング

アーティスト・オールスター名鑑めいかんは、1995ねんのアルバムTapestry Revisited:A Tribute to Carole Kingでキングに敬意けいいあらわした。アルバムから、ロッド・スチュワート・バージョンの「りゆく恋人こいびと」とセリーヌ・ディオンの「ナチュラル・ウーマン」のレコーディングは、どちらもアダルト・コンテンポラリーチャート・ヒットした。アルバムに登場とうじょうしたほかのアーティストには、エイミー・グラント(「イッツ・トゥー・レイト」)、リチャード・マークス(「ビューティフル」)、アレサ・フランクリン(「きみともだち」)、フェイス・ヒル(「てまでも」)、ビージーズ(「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」)などがふくまれている。

もとモンキーズミッキー・ドレンツは、2010ねんにキングが単独たんどくまたは共同きょうどういたきょく構成こうせいされるトリビュート・アルバム『キング・フォー・ア・デイ』をリリースした[91]。アルバムには、1967ねんにモンキーズによって最初さいしょ録音ろくおんされたキングさくきょくであるSometime in the Morningふくまれている。ドレンツは以前いぜんかれ子守こもりうたをテーマにしたCDMicky Dolenz Puts You to Sleepに、キングさくべつのモンキーズのきょく「ポルポワーズのうた」を録音ろくおんしていた。[92]

ニール・セダカのヒットきょく「おおキャロル」は、キャロル・キングのことをうたったもので、おかえしに彼女かのじょは、アンサーソング「おおニール」を発表はっぴょうしたエピソードがある。

Kingの作品さくひんほかおおくのカバーバージョンは、長年ながねんにわたって登場とうじょうしている。

  • A-haは1989ねん録音ろくおんし、1990ねんにリリースしたアルバム『イースト・オブ・ザ・サン、ウェスト・オブ・ザ・ムーン』でCrying in the Rainをカバーした。
  • きみともだち」は、1971ねんのジェームス・テイラーのナンバーワンヒットであり、同年どうねんロバータ・フラックダニー・ハサウェイのトップ40ヒットだった。
  • アレサ・フランクリンは、「ナチュラル・ウーマン」と「きみともだち」をカバーした。
  • アイザック・ヘイズは、No.1 R&BライブアルバムLive at the Sahara Tahoeで「イッツ・トゥー・レイト」をレコーディングした。このきょくは、1972ねんビリー・ポールのベストセラーアルバム『360ビリーポール (360 Degrees of Billy Paul)』にも収録しゅうろくされており、そのとしのアルバム『ブラザー、ブラザー』にアイリー・ブラザース英語えいごばん収録しゅうろくしたキャロル・キングの3きょくのうちの1きょくだった(のこりは「ブラザー・ブラザー」と「スウィート・シーズンス」)。
  • 1972ねんバーブラ・ストライサンドは「てまでも (Where You Lead)」で2かい、トップ40ヒットを記録きろくした - それ自体じたいで、また「Sweet Inspiration」でのライブメドレーの一部いちぶとして。に、1971ねんに"No Easy Way Down"、1972ねんに「ビューティフル」と「きみともだち」、そして1974ねんに「あい (Being At War With Other Other)」をげている。
  • ヘレン・レディは2きょくのキャロル・キングさくをカバーしている。最初さいしょきょくは1971ねんの"No Sad Song"。 2きょくは1976ねんの"en:I Can't Hear You No More"。
  • カーペンターズは1972ねんにキングの「ちいさなあいねが」を録音ろくおんし、ビルボードチャートで12たっした。
  • リチャード・カーペンターは、1989ねんに10代の歌手かしゅ/俳優はいゆうのスコット・グリムズと「きみともだち」のバージョンを制作せいさくした。マルティカは1989ねんに「そらちてくる」で25のヒットを記録きろくし、1995ねんグロリア・エステファンによってアダルト・コンテンポラリー・チャートに「イッツ・トゥー・レイト」がさい登場とうじょうした。
  • リンダ・ロンシュタットは1993ねんに「オー!ノー・ノット・マイ・ベイビー」のしんバージョンを録音ろくおんした。セリーヌ・ディオンは、1997ねんのアルバム『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』でキングのきょく「ザ・リーズン」をキングのバックアップボーカルとともにレコーディングした。このリメイクは、フランスでダイヤモンドの認定にんていけた。キングのむすめをとともにさい録音ろくおんされた「てまでも (Where You Lead)」(トニ・スターン作詞さくし)は、テレビ番組ばんぐみギルモア・ガールズのタイトルきょくとなった。
  • マンディ・ムーアは、2003ねんのアルバム『カヴァレッジ英語えいごばん』で「そらちてくる」をげた。また、ザ・クルセイダーズかれらの1971ねんのアルバム『クルセイダーズ1』から「りゆく恋人こいびと (So Far Away)」でインストゥルメンタル・ヒットをばした。
  • ブライアン・フェリーは、1993ねんのアルバム"Taxi"で「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」をげた。

伝記でんき映画えいが[編集へんしゅう]

1996ねん、キングの人生じんせい非常ひじょうおおまかにもとづいた映画えいが、『グレイス・オブ・マイ・ハート』が、アリソン・アンダース脚本きゃくほん監督かんとくによって製作せいさくされた。この映画えいがでは、有名ゆうめいになりたい歌手かしゅ自分じぶん歌手かしゅとしてのキャリアを犠牲ぎせいにして、歌手かしゅのキャリアをスタートさせるヒットきょくつくる。キングの人生じんせい反映はんえいして、映画えいが彼女かのじょ最初さいしょのブレークにはじまり、レコード業界ぎょうかいからの拒絶きょぜつ不幸ふこう結婚けっこんいたみをて、自分じぶん自身じしんのヒットアルバムをレコーディングするという彼女かのじょゆめ実現じつげんすることで最終さいしゅうてき勝利しょうりつづいている。[93]

ストーリーには、キングの作詞さくし作曲さっきょく仲間なかまと、かれらが楽曲がっきょくいた歌手かしゅ、1958ねんから1964ねんにかけてのブリル・ビルディングと、1965ねんから1971ねんのカリフォルニアの音楽おんがくシーンに存在そんざいした、創造そうぞうてき環境かんきょう関与かんよしたさまざまなプロデューサーにもとづいた楽曲がっきょくとキャラクターがふくまれている。

ブロードウェイの伝記でんきミュージカル[編集へんしゅう]

キングの人生じんせいとキャリアのミュージカル・バージョンは、2013ねん9がつにサンフランシスコで開催かいさいされたブロードウェイまえのトライアウトで、『ビューティフル』(Beautiful:The Carole King Musical)というタイトルで開幕かいまくした。主役しゅやくはジェシー・ミューラーがつとめた。[94] ブロードウェイのプレビューは、2013ねん11月21にちスティーヴン・ソンドハイム劇場げきじょうでスタートし、2014ねん1がつ12にち正式せいしき開幕かいまくした。脚本きゃくほんダグラス・マクグラスによる。[95] レビューはまちまちだったが、おおむね好意こういてきだった[96]。ジェシー・ミューラーは、キングの描写びょうしゃミュージカル主演しゅえん女優じょゆうしょうでトニーしょう受賞じゅしょうし、ブライアン・ロナンはミュージカル音響おんきょうデザインしょうでトニーしょう受賞じゅしょうした[97]

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

グラミーしょう[編集へんしゅう]

とし ノミネート対象たいしょう しょう 結果けっか
1972 つづれおり 最優秀さいゆうしゅうアルバムしょう 受賞じゅしょう
イッツ・トゥー・レイト 最優秀さいゆうしゅうレコードしょう 受賞じゅしょう
きみともだち 最優秀さいゆうしゅう楽曲がっきょくしょう 受賞じゅしょう
『つづれおり』 最優秀さいゆうしゅう女性じょせいポップ・ヴォーカル・パフォーマンスしょう 受賞じゅしょう
1975 「ジャズマン」 ノミネート
1976 おしゃまなロージー 最優秀さいゆうしゅう子供こどものためのアルバムしょう ノミネート
1993 "Now and Forever" 最優秀さいゆうしゅう楽曲がっきょくしょう映画えいが、テレビ、その映像えいぞう部門ぶもん ノミネート
1998 『つづれおり』 グラミーの殿堂でんどう 殿堂でんどう
2002 きみともだち」 殿堂でんどう
2002 「イッツ・トゥー・レイト」 殿堂でんどう
2004 Carole King 特別とくべつ功労賞こうろうしょう理事りじかいしょう Honored
2013 Lifetime Achievement 特別とくべつ功労賞こうろうしょう生涯しょうがい業績ぎょうせきしょう Honored
A Holiday Carole 最優秀さいゆうしゅうトラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバムしょう ノミネート
2014 ビューティフル 最優秀さいゆうしゅうミュージカル・ショー・アルバムしょう 受賞じゅしょう
Carole King ミュージケアしょう Honored

プライムタイム・エミーしょう[編集へんしゅう]

とし ノミネート対象たいしょう しょう 結果けっか
2000 "Song of Freedom" 歌曲かきょく部門ぶもん ノミネート

サテライトしょう[編集へんしゅう]

とし ノミネート対象たいしょう しょう 結果けっか
1998 "Anyone At All" 主題歌しゅだいかしょう ノミネート

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

  • 1987ねん、ゴフィンとキングはソングライターの殿堂でんどうりした。
  • 1988ねん、ゴフィンとキングは、全米ぜんべいソングライターアカデミー生涯しょうがい功労賞こうろうしょう受賞じゅしょうした[98]
  • 1990ねん、キングはゴフィンとともに、彼女かのじょ作詞さくし作曲さっきょく功績こうせきにより、演者えんじゃ部門ぶもんロックの殿堂でんどうりをはたした。
  • 2002ねん、キングはソングライターの殿堂でんどうから「ジョニー・マーサーしょう」を授与じゅよされた。
  • 2004ねん、ゴフィンとキングはグラミーしょう特別とくべつ功労賞こうろうしょう理事りじかいしょう受賞じゅしょうした。
  • キングは2007ねんにロングアイランド音楽おんがく殿堂でんどうりした[99]
  • 2012ねん12月3にち、キングはハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムで2,486番目ばんめほし獲得かくとくした[100]
  • 2013ねん2がつ9にちに、キングはグラミーしょう特別とくべつ功労賞こうろうしょう生涯しょうがい業績ぎょうせきしょう受賞じゅしょうした[101]
  • 2013ねん5がつ21にち火曜日かようび議会ぎかい図書館としょかんはキャロル・キングに敬意けいいあらわして、クーリッジ音楽おんがくどう招待しょうたいせいコンサートを開催かいさいした。オールスターのトリビュートには、サイーダ・ギャレットコルビー・キャレイ、ヒアン・マルコ (Gian Marco、シェルビー・リン (Shelby Lynneパティ・オースティンアルトゥーロ・サンドヴァル、およびキングのむすめであるルイーズ・ゴフィンによる公演こうえんふくまれていた。[102]
  • 翌晩よくばんの2013ねん5がつ22にちにはホワイトハウスで、キングはジェームス・テイラー、グロリア・エステファンエミリー・サンデー、トリーシャ・イヤーウッド、ジェシー・マッカートニービリー・ジョエルふくほかのスターパフォーマーと共演きょうえんした[103]バラク・オバマ大統領だいとうりょうはキャロル・キングに女性じょせい歌手かしゅ最初さいしょ授与じゅよされただい5かいポピュラー・ソングの議会ぎかい図書館としょかんガーシュウィンしょう授与じゅよした[104][105]。ホワイトハウスのコンサートと授賞じゅしょうしきは、キャロル・キングをいわうイベントの2日間にちかんめくくった。
  • 2014ねん、キングはアメリカン・アカデミー・オブ・アチーブメントのゴールデンプレートしょう受賞じゅしょうした[106]
  • 2015ねん12月6にち、キングは舞台ぶたい芸術げいじゅつつうじてアメリカ文化ぶんか生涯しょうがい貢献こうけんしたことをとなえてケネディ・センター名誉めいよしょうおくられた[107][108]

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

スタジオ・アルバム[編集へんしゅう]

  • ライター』 - Writer (1970ねん)
  • つづれおり』 - Tapestry (1971ねん)
  • ミュージック』 - Music (1971ねん)
  • よろこびはかなしみののち』 - Rhymes and Reasons (1972ねん)
  • ファンタジー』 - Fantasy (1973ねん)
  • よろこびにつつまれて』 - Wrap Around Joy (1974ねん)
  • サラブレッド』 - Thoroughbred (1976ねん)
  • 『シンプル・シングズ』 - Simple Things (1977ねん)
  • 『ウェルカム・ホーム』 - Welcome Home (1978ねん)
  • 『タッチ・ザ・スカイ』 - Touch the Sky (1979ねん)
  • 『パールズ』 - Pearls (1980ねん)
  • 『ワン・トゥ・ワン』 - One To One (1982ねん)
  • 『スピーディング・タイム』 - Speeding Time (1983ねん)
  • 『シティ・ストリーツ』 - City Streets (1989ねん)
  • 『カラー・オヴ・ユア・ドリームス』 - Colour Of Your Dreams (1993ねん)
  • 『ラヴ・メイクス・ザ・ワールド』 - Love Makes The World (2001ねん)
  • 『ホリデイ・キャロル』 - A Holiday Carole (2011ねん)

ライブ・アルバム[編集へんしゅう]

  • 『イン・コンサート』 - In Concert (1994ねん)
  • 『カーネギーホール・コンサート』 - The Carnegie Hall Concert June 18,1971 (1996ねん)
  • 『リヴィング・ルーム・ツアー』 - Living Room Tour (2005ねん)
  • 『トルバドール・リユニオン』 - Live at the Troubadour (2010ねん)
  • 『つづれおり:ライヴ・イン・ハイド・パーク』 - Tapestry : Live at Hyde Park (CD + Blu-ray) (2016ねん)

コンピレーション[編集へんしゅう]

  • Dimension Dolls (1963ねん/Dimension LP 6001)
  • おしゃまなロージー』 - Really Rosie (1975ねん) ※サウンドトラック
  • 『グレイテスト・ヒッツ』 - Her Greatest Hits -Songs Of Long Ago (1978ねん)
  • わたしはなしゅう』 - A Natural Woman -Ode Collection 1968-1976 (1994ねん)
  • 『タイム・ゴーン・バイ』 - Time Gone By (1994ねん)
  • 『ナチュラル・ウーマン〜ヴェリー・ベスト・オブ』 - A Natural Woman -The Very Best Of- (1999ねん)
  • 『ブリル・ビルディング・レジェンズ』 - Brill Building Legends - Complete Recordings 1958-1966 (1999ねん)

シングル[編集へんしゅう]

  • "Right Girl" / "Goin' Wild" (1958ねん、ABC-Paramount 9921)
  • "Under The Stars" / "Baby Sittin'" (1958ねん、ABC-Paramount 9986)
  • "Short Mort" / "Queen Of The Beach" (1959ねん、RCA 47-7560)
  • "Oh Neil" / "A Very Special Boy" (1959ねん、Alpine 57)
  • "It Might As Well Rain Until September" / "Nobody's Perfect" (1962ねん、Companion 2000)
  • "It Might As Well Rain Until September" / "Nobody's Perfect" (1962ねん、Dimension 2000)
  • "School Bells Are Riging" / "I Didn't Have Any Summer Romance" (1962ねん、Dimension 1004)
  • "He's A Bad Boy" / "We Grew Up Together" (1963ねん、Dimension 1009)
  • "A Road To Nowhere" / "Some Of Your Lovin'" (1966ねん、Tomorrow 7502)

シティ[編集へんしゅう]

  • 夢語ゆめがたり』 - Now That Everything's Been Said (1968ねん)

おも作品さくひん[編集へんしゅう]

日本にっぽん公演こうえん[編集へんしゅう]

3月7にち,8にち NHKホール、9にち 名古屋なごや市民しみん会館かいかん10日とおか 大阪おおさか厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん
共演きょうえんメアリー・J. ブライジファーギー
11月5にち,6にち 大阪城おおさかじょうホール10日とおか さいたまスーパーアリーナ、12にち,13にち 日本武道館にほんぶどうかん
  • 2008ねん WELCOME TO MY LIVING ROOM TOUR JAPAN 2008 - HER BEST HITS LIVE
11月10にち,11にち Bunkamuraオーチャードホール、14にち,15にち 大阪おおさか厚生こうせい年金ねんきん会館かいかんだいホール、17にち 名古屋なごや国際こくさい会議かいぎじょうセンチュリーホール、21にち,22にち 東京とうきょう国際こくさいフォーラム・ホールA、24にち 神戸こうべ国際こくさい会館かいかんこくさいホール
4がつ14にち,16にち 日本武道館にほんぶどうかん、17にち パシフィコ横浜ぱしふぃこよこはま国立こくりつだいホール

フィルモグラフィー[編集へんしゅう]

映画えいが
とし タイトル 役割やくわり メモ
1975 Chicken Soup with Rice ロージー(こえ ショートフィルム
1977 Bionic Boy
1985 マーフィのロマンス (Murphy's Romance ティリー
1987 ラスキーズ英語えいごばん コヴァック夫人ふじん
1989 ザ・ハウス/屋根裏やねうら悪魔あくま英語えいごばん トムの母親ははおやこえ
テレビ
とし タイトル 役割やくわり メモ
1975 おしゃまなロージー ロージー(こえ テレビ映画えいが
1975 メアリー・タイラー・ムーア・ショウ (The Mary Tyler Moore Show ヘレンおばさん 子供こどもいぬきらひと」(シーズン5エピソード24)
1984 フェアリーテール・シアター かあさん 「ゴルディロックスと3びきのくま」(シーズン3、エピソード1)
1989 トレイシー・ウルマン・ショー (The Tracey Ullman Show ジョアン、匿名とくめいもの中毒ちゅうどくしゃのメンバー あいのホランドトンネル」(シーズン4、エピソード8)
1991 おんな弁護士べんごしロージー・オニール英語えいごばん トビー・カロウ "The Reunion" (Season 1, Episode 15)
1991 ABC Afterschool Specials Johanna Martin "It's Only Rock & Roll" (Season 19, Episode 5)
2002–05 ギルモア・ガールズ ソフィー・ブルーム 有能ゆうのう秘書ひしょもとむ!」(シーズン2、エピソード20)

「スターズ・ホロー博物館はくぶつかん」(シーズン5、エピソード18) 「感謝かんしゃさいしいもの」 (シーズン6、エピソード10)

2016 Gilmore Girls: A Year in the Life ソフィー・ブルーム ゲスト

認定にんてい[編集へんしゅう]

あたえられたとしはアルバムとシングルがリリースされたとしであり、かならずしもピークにたっしたとしではない

米国べいこくビルボード・トップ10アルバム[3]

米国べいこくビルボード・トップ10・ポップ・シングル[3]

アルバムとシングルの認定にんてい

きょくのタイトル 認定にんてい
「イッツ・トゥー・レイト - It's Too Late」 ゴールド
アルバム・タイトル 認定にんてい
『つづれおり』 Tapestry' ダイヤモンド
『ミュージック』 Music プラチナ
よろこびはかなしみののちに』 Rhymes and Reasons ゴールド
『ファンタジー』 Fantasy ゴールド
よろこびにつつまれて』 Wrap Around Joy ゴールド
『サラブレッド』 Thoroughbred ゴールド
『シンプル・シングス』 Simple Things ゴールド
『グレイテスト・ヒッツ』 Her Greatest Hits プラチナ
『トルバドール・リユニオン』 Live at the Troubadour ゴールド

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 'Tapestry' Jumps from number 15 to number 7 on Billboard's Top Pop Catalog Chart”. Carole King (2001ねん10がつ12にち). 2015ねん8がつ25にち閲覧えつらん
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]