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B.B.キング

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
B.B.キング
ホワイトハウスにて(2006ねん
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい ライリー・B.キング[1]
生誕せいたん
死没しぼつ
ジャンル
職業しょくぎょう
担当たんとう楽器がっき
活動かつどう期間きかん 1949ねん - 2015ねん
レーベル
公式こうしきサイト www.bbking.com
著名ちょめい使用しよう楽器がっき
ルシール

ライリー・B.キングRiley B. King1925ねん9月16にち - 2015ねん5月14にち)は、B.B.キングB.B. King)のられるアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくシンガーソングライターギタリスト音楽おんがくプロデューサー1950年代ねんだいから晩年ばんねんまで活躍かつやくしたブルースかいきょじん。ブルースかいにただならぬ影響えいきょう業績ぎょうせきのこしたことから、「キング・オブ・ブルース」ともしょうされる[7]

ローリング・ストーンえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100にんのギタリスト」において2003ねんだい3、2011ねん改訂かいていばんではだい6。 「ローリング・ストーンのえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100にんのシンガー」においてだい96[8]

略歴りゃくれき

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1925ねん9月16にちミシシッピしゅう北西ほくせいのイッタベーナのプランテーションまれる[9]幼少ようしょうころ小作こさくじんとしてはたらく。そのギターをにし、おさなくして頭角とうかくあらわはじめる。T-ボーン・ウォーカーロニー・ジョンソンったギタリストの音楽おんがくだけではなく、ゴスペル音楽おんがくにもれていたという。

1943ねんしゅうないインディアノーラ移住いじゅうし、その3ヵ月かげつにはテネシーしゅうメンフィスうつむ。キングはそこで、いとこのブッカ・ホワイトおそわりながらギター・テクニックをみがいていく。

やがてキングはメンフィスのラジオきょくWDIAでDJをするようになった。そのとき愛称あいしょう「Beal Street Blues Boy」(ビール・ストリートはメンフィスの目抜めぬどおり)がのちに「Blues Boy」と省略しょうりゃくされ、さらみじかくなり「B.B.」とりゃくされるようになった[1]。これが芸名げいめい名前なまえ由来ゆらいである[2]

1949ねんナッシュビルのレーベル、ブレット・レコードに4きょくみ、レコード・デビューをたした。翌年よくねんには、ロサンゼルスのモダン/RPMと契約けいやくする[2]1951ねんすえにシングル「3 O'clock Blues」がR&Bチャートの1記録きろく[2]。これを以降いこうすうおおくのヒットをおく存在そんざいとなった。

1964ねんには、のちおおくのアーティストがげるスタンダード・ナンバーとなった「Rock Me Baby」を発表はっぴょう1969ねん発表はっぴょうされた「Thrill Is Gone」のリメイク(原曲げんきょくロイ・ホーキンス)では翌年よくねんグラミーしょう受賞じゅしょうした[10]1971ねん6がつにはロンドンピーター・グリーンクラウス・フォアマンアレクシス・コーナーリンゴ・スターひとしのゲストをむかえてアルバム『In London』を録音ろくおん[11]。そのかれ活躍かつやくつづき、1951ねんから1985ねんまでのあいだじつに74かいビルボードのR&Bチャートにきょくおくんでいる。

1980年代ねんだいから2000ねんまでのあいだは、アルバムのリリースはすくなくなる一方いっぽう、テレビのショーへの出演しゅつえんやライブへの出演しゅつえんおおくなり、とくにライブの回数かいすうとしに300かいにもたっしていたという[2]1988ねんにはU2と「When Love Comes To Town」で共演きょうえんどうきょく翌年よくねんにはシングルとしてヒットした。1993ねんにはおおくのブルース・ミュージシャンをゲストにむかえたアルバム『Blues Summit』を発表はっぴょうし、どうアルバムでグラミーしょう受賞じゅしょう[10]1997ねんのアルバム『Deuces Wild』にはヴァン・モリソンドクター・ジョンローリング・ストーンズウィリー・ネルソンひとし、B.B.キングをしたうアーティストが参加さんか1998ねんにはながいキャリアにおいてはつのセルフ・プロデュース作品さくひんBlues on the Bayou』を発表はっぴょうし、どうアルバムでグラミーしょう受賞じゅしょう[10]2000ねんにはエリック・クラプトンとのアルバム『Riding With the King』を製作せいさくした。また、1998ねん公開こうかいされた映画えいがブルース・ブラザース2000』では、クラプトンと共演きょうえんしている。

1987ねんロックの殿堂でんどうりをたし、授賞じゅしょうしきにはスティングがプレゼンターとして出向でむいた[12]。また1991ねんにはべい国立こくりつ芸術げいじゅつ基金ききん(NEA)の選定せんていするNational Heritage Fellowship(日本にっぽん人間にんげん国宝こくほう相当そうとう)にもえらばれている[13]

2015ねん5月1にち自身じしんのホームページおよFacebookラスベガス自宅じたく在宅ざいたく介護かいごけていることを表明ひょうめいした。

2015ねん5がつ14にち死去しきょ[14][15]。89さいぼつ

5月25にちネバダしゅうクラークぐん検視けんしきょくは、殺人さつじん可能かのうせい捜査そうさおこなわれると発表はっぴょうした[16]司法しほう解剖かいぼう結果けっか殺害さつがいたる証拠しょうこみとめられず、アルツハイマーびょうくわながらくわずらっていた糖尿とうにょうびょう冠動脈かんどうみゃく疾患しっかんといった要因よういんふくあわしていたことがあきらかとなった。

ルシール

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みずからのギターにルシールづけている。1950年代ねんだいにキングがアーカンソーしゅうトゥイストのクラブに出演しゅつえんしたさいにん男性だんせい喧嘩けんかはじめ、かれらはストーブたおしてクラブはだい火事かじとなってしまった。キングと観客かんきゃくそと避難ひなんしたが、そとてからキングは愛用あいようのアコースティック・ギターをクラブにわすれてきてしまったことおもし、みずからのいのち危険きけんかえりみずにさか建物たてものもどり、ギターをすくした。その直後ちょくご建物たてものちてしまったという。翌日よくじつ、キングは火事かじこした男性だんせいたちが「ルシール」という女性じょせいをめぐってそうっていたことり、女性じょせいをめぐってあらそうような馬鹿ばかなことを二度にどとしないようにと以後いごかれのギターに「ルシール」というをつけたのだという[17][18]

最初さいしょの「ルシール」はギブソンL-30で、キングはそれにディアルモンドしゃせいのピックアップをけて使用しようしていたがのちくるまじょうらしにってぬすまれてしまう。そののルシールは不明ふめいながら、ギブソンES-125の可能かのうせいたかい。そのにもギブソンES-5 Switchmaster、ES-175、バードランドといったギブソンのギターを使用しようしていたが、どのギターに「ルシール」と名付なづけていたかはさだかではない。このほかにもフェンダー・ストラトキャスターフェンダー・エスクワイアギブソン・レスポール使用しようしていたことが確認かくにんされている。1958ねんギブソン・ES-335とそのバリエーションモデルであるES-345、ES-355が登場とうじょうすると、キング本人ほんにんもこれらのギターを使用しようはじめるようになる。とくにES-355は後述こうじゅつするバリトーンスイッチがっていたようで、ながらくステージで愛用あいようしていた。これがこうのB.B.キングモデル「ルシール」の原型げんけいとなってく。[19]

楽器がっき特長とくちょう

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あいの「ルシール」は、ギブソン・ES-355TDSVをもと製造せいぞうされた。かたちはES-355にているがES-355にはFホール本体ほんたい表面ひょうめんけてあるあな)があるのにたいし、「ルシール」にはそれがない。Fホールがあるとライブハウリング発生はっせいしやすくなるため、その対策たいさくのためのアイデアである。空洞くうどう本来ほんらいとおいており、金属きんぞくパーツはすべてゴールドメッキ仕様しようとなっている。テールピースにはファインチューナーがもうけられたタイプがけられており、演奏えんそうちゅうのチューニングのほろ調整ちょうせい可能かのう

またこのルシールはボディの材質ざいしつにも特徴とくちょうがあり、通常つうじょうの ES-355 がボディ:メイプル(サトウカエデ)、ネック:マホガニー、フレットボード:エボニー(黒檀こくたん)のわせによりウォームなサウンドを出力しゅつりょくするのにたいして、ルシールはボディもネックもメイプルで作成さくせいされている(フレットボードはES-355と同様どうようエボニー使用しようため、トレブリーな音色ねいろとなっている。

また、ソリッド・ボディの特別とくべつひん製作せいさくされており、[よう出典しゅってん]かれ取材しゅざいしたYOUNG GUITARのライターは、しんじられないくらいおもかった」証言しょうげんしている。[よう出典しゅってん]

さらにピックアップも ES-345 とはことなっており、ルシールにマウントされているものは 490T & 490R というややちゅう音域おんいき強調きょうちょうされたモデルになっている。これらのわせにより、ルシールが出力しゅつりょくするおとは B.B.キングのこえによくたアタックとりのある骨太ほねぶとなサウンドになっている。さらにルシールにはES-345同様どうようのロータリーしきスイッチの「バリトーンスイッチ」がけられており、さらに前後ぜんごピックアップをえるトグルスイッチにくわえ、バリトーンスイッチの操作そうさによって多彩たさい音色ねいろられるようになっている。

Fホールがないため電装でんそう関連かんれん設置せっちできないのでボディ裏面りめんにレスポールなどと同様どうようのメンテナンスホールがひらいており、ここにすべての電装でんそうるい収納しゅうのうされている。

基本きほんてき仕様しようほかにもゆびばんに「B.B.KING」のネームのインレイほどこしたモデルを使用しようしていた。かれが80さいむかえた2005ねんにはヘッドからギブソンのロゴをのぞいて「B.B.KING 80」の文字もじ王冠おうかんのインレイをほどこし、ピックアップカバーやピックガードに彫金ちょうきんほどこした特別とくべつ仕様しようのルシールが登場とうじょう。その1号機ごうきかれ贈呈ぞうていされ、メインギターとして使用しようされた(少数しょうすう限定げんてい市販しはんされている)が、2009ねんなつ盗難とうなんってしまう。同年どうねんあきラスベガス質屋しちやでヘッドに「B.B.KING 80」とインレイがほどこされているルシールがられていたのをつけたアマチュアギタリストのエリック・ダールがこのギターを購入こうにゅうしたところ、ヘッドのうらに「PROTOTYPE 1」と銘打めいうたれていたことから不審ふしんおもいギブソンに連絡れんらくして確認かくにんすると、その盗難とうなんったキング本人ほんにんのギターであることが判明はんめい。ダールはギブソンをつうじてそのルシールを返却へんきゃくし、キングはかれ感謝かんしゃ意味いみめてあたらしいルシールをおくった。そのダールは2013ねんにキングが愛用あいようしたギターの変遷へんせんをまとめた「B.B.King's Lucille and The Loves Before Her」という書籍しょせき出版しゅっぱんしている。[19]

音楽おんがくせい

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初期しょきのキングのプレイスタイルには、あきらかにT-ボーン・ウォーカー影響えいきょうられる。本人ほんにんもそれはみとめており、T-ボーンのヒットきょくである「(Call it)Stormy Monday」などをカバーしている。しかしキャリアをむごとに次第しだいかれ独自どくじのプレイスタイルを確立かくりつしていき、ぞくう「スクイーズ・チョーキング」という、ロングトーンからきゅうにスッとしぼむような独特どくとくヴィブラートチョーキング・テクニックを特徴とくちょうとする、キレのあるプレイスタイルが完成かんせいする。

キングのきょくはブルースに典型てんけいてき泥臭どろくさ印象いんしょうきょく(6/8 拍子ひょうし主体しゅたいの、いわゆる"ハチロク"ブルース)だけではなく、「Thrill is gone」のような洗練せんれんされた都会とかいてきなメロディーや構成こうせいきょくおおい。

キングは幼少ようしょう教会きょうかいゴスペルうたっていた経験けいけんがあることから、ゴスペルシンガーのような強力きょうりょく歌声うたごえっている。この特徴とくちょうてきなボーカル・スタイルは、どう時代じだいのブルース・ミュージシャンとのおおきなちがいの1つになっている。また、以前いぜんにラジオDJを経験けいけんしていたこともあり、ライブでのトークも得意とくいとする。

かれうたっているときにはギターを一切いっさいかないが、これは本人ほんにんによると「うたいながらギターをくことはむずかしい」「なんともバカなってまれてしまったものでね」ということである。[よう出典しゅってん]

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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ライヴ・アルバム

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コンピレーション・アルバム

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  • 1971ねん Back in the Alley (Bluesway)
  • 1995ねん Lucille & Friends(MCA)

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ a b ‘キング・オブ・ブルース’B.B.キングをしのんで”. uDiscovermusic. ユニバーサルミュージック (2017ねん8がつ3にち). 2021ねん11月30にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i Dahl, Bill. B.B. King Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021ねん11月30にち閲覧えつらん
  3. ^ Scapelliti, Christopher (2015ねん5がつ15にち). “B.B. King Defined the Electric Blues on His Own Terms”. Guitar World. 2021ねん11月30にち閲覧えつらん
  4. ^ a b Roberts, Rabdall (2015ねん5がつ15にち). “Appreciation: B.B. King built a bridge to the blues for the world”. 2021ねん11月30にち閲覧えつらん
  5. ^ Adelt, Ulrich (2010). Blues Music in the Sixties: A Story in Black and White. Rutgers University Press. pp. 24 and 26. ISBN 978-0-8135-4750-3. https://archive.org/details/bluesmusicsixtie00adel 
  6. ^ Neal, Mark Anthony (2015ねん5がつ16にち). “B.B. King And The Majesty Of The Blues”. NPR. 2021ねん11月30にち閲覧えつらん
  7. ^ Blues Legend B.B. King Gets the Royal Treatment From Biographer Daniel de Visé”. Nashville Scene (2021ねん9がつ30にち). 2021ねん10がつ12にち閲覧えつらん
  8. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: B.B. King”. 2013ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  9. ^ B.B. King”. The Rock and Roll Hall of Fame and Museum. 2017ねん5がつ4にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c B.B. King - Awards : AllMusic
  11. ^ Dahl, Bill. “In London - B.B. King”. AllMusic. 2015ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  12. ^ B.B. King: inducted in 1987”. The Rock and Roll Hall of Fame and Museum. 2015ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  13. ^ Lifetime Honors: National Heritage Fellowships
  14. ^ ブルースの巨匠きょしょうB.B.キング、死去しきょ”. BARKS (2015ねん5がつ15にち). 2020ねん10がつ29にち閲覧えつらん
  15. ^ 「ブルースの王様おうさま」B・B・キングさん死去しきょ NHKニュース 2015ねん5がつ15にち閲覧えつらん
  16. ^ B・B・キングさんの殺人さつじん可能かのうせい司法しほう解剖かいぼう”. AFPBB News (2015ねん5がつ26にち). 2015ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  17. ^ The King of the Blues - B.B. King: Lucille Speaks
  18. ^ B.B. King biography from the official site
  19. ^ a b リットーミュージック「Guitar Magazine」2015ねん8がつごう特集とくしゅう「Featured Guitarist B.B.キング」

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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