アグリーメント作戦 さくせん (アグリーメントさくせん、英語 えいご :Operation Agreement)は、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか の1942年 ねん 9月 がつ 13日 にち から14日 にち まで、枢軸 すうじく 軍 ぐん が占領 せんりょう していたトブルク へ敵前 てきぜん 上陸 じょうりく するためイギリス軍 ぐん 、ローデシア軍 ぐん 、ニュージーランド軍 ぐん によって実施 じっし された水陸 すいりく 両用 りょうよう 作戦 さくせん 。ドイツ語 ご に堪能 かんのう な特別 とくべつ 尋問 じんもん グループ(英語 えいご 版 ばん ) の小 しょう 部隊 ぶたい が、敵 てき 戦線 せんせん 背後 はいご における任務 にんむ に参加 さんか した。陽動 ようどう 作戦 さくせん としてベンガジ (ビガミー作戦 さくせん (英語 えいご 版 ばん ) )、ヤロ・オアシス (英語 えいご 版 ばん ) (ナイスティ作戦 さくせん (英語 えいご 版 ばん ) )、マルジュ (キャラヴァン作戦 さくせん )への攻撃 こうげき が同時 どうじ に実施 じっし された[ 3] [ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。アグリーメント作戦 さくせん は完全 かんぜん な失敗 しっぱい に終 お わり、イギリス軍 ぐん は数 すう 百 ひゃく 名 めい の兵士 へいし が戦死 せんし するか捕虜 ほりょ となったほか、軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん 1隻 せき 、駆逐 くちく 艦 かん 2隻 せき 、高速艇 こうそくてい 6隻 せき 、そしていくつかの上陸 じょうりく 用 よう 舟艇 しゅうてい を失 うしな う多大 ただい な損害 そんがい を出 だ した。
アグリーメント作戦 さくせん の目的 もくてき は、トブルクに存在 そんざい する飛行場 ひこうじょう 、港湾 こうわん 施設 しせつ 、輸送 ゆそう 船 せん 、車両 しゃりょう 、大型 おおがた 石油 せきゆ 貯蔵 ちょぞう 所 しょ を破壊 はかい することにより、北 きた アフリカにおける枢軸 すうじく 軍 ぐん の継 つぎ 戦 せん 能力 のうりょく を弱体 じゃくたい 化 か させることであった[ 5] 。また連合 れんごう 国軍 こくぐん はトブルクへの攻撃 こうげき と併 あわ せて、他 た の作戦 さくせん に参加 さんか する地上 ちじょう 部隊 ぶたい が後退 こうたい する際 さい に集合 しゅうごう 地点 ちてん として使用 しよう されることになっていたヤロ・オアシスを占領 せんりょう することも意図 いと していた[ 6] 。
長距離 ちょうきょり 砂漠 さばく 挺身 ていしん 隊 たい (LRDG)のG1およびT1パトロール隊 たい は、50人 にん の隊員 たいいん 、12両 りょう の小型 こがた トラック、5台 だい のジープ で、バルス飛行場 ひこうじょう と主要 しゅよう 兵舎 へいしゃ を襲撃 しゅうげき し、16機 き の航空機 こうくうき を破壊 はかい 、さらに7機 き へ損害 そんがい を与 あた えた[ 8] 。兵舎 へいしゃ への攻撃 こうげき でLRDGは隊員 たいいん 4名 めい と車両 しゃりょう 2両 りょう を失 うしな った。ザプティエ (英語 えいご 版 ばん ) 付近 ふきん でLRDG部隊 ぶたい はイタリア軍 ぐん の自動車 じどうしゃ 化 か 中隊 ちゅうたい によって迎撃 げいげき され、2両 りょう を除 のぞ くすべてのトラックが損傷 そんしょう するか破壊 はかい された。残 のこ ったトラックには特 とく に重傷 じゅうしょう の隊員 たいいん を乗 の せ、他 た の隊員 たいいん は徒歩 とほ で99マイル(160 km)を移動 いどう することになった。イタリア軍 ぐん は負傷 ふしょう したニュージーランド兵 へい 7名 めい とローデシア兵 へい 3名 めい を捕虜 ほりょ として連行 れんこう したが、1年 ねん 後 ご にそのうち4名 めい のニュージーランド兵 へい が脱走 だっそう に成功 せいこう した[ 8] 。
デイヴィッド・スターリング 中佐 ちゅうさ と特殊 とくしゅ 空挺 くうてい 部隊 ぶたい (SAS)の攻撃 こうげき 隊 たい は、LRDGのS1とS2パトロール隊 たい による支援 しえん の下 した でベンガジを強襲 きょうしゅう しようとしたが、到着 とうちゃく が遅 おく れた結果 けっか 、夜明 よあ けに道路 どうろ 障害 しょうがい 物 ぶつ へ衝突 しょうとつ したことで彼 かれ らの存在 そんざい が暴露 ばくろ された。奇襲 きしゅう 効果 こうか が失 うしな われ、さらに暗闇 くらやみ による隠蔽 いんぺい 効果 こうか もなくなったことでスターリングは撤退 てったい を命 めい じた[ 3] 。ヤロ・オアシスへの攻撃 こうげき は、スーダン防衛 ぼうえい 隊 たい (英語 えいご 版 ばん ) とLRDGのS1およびS2パトロール隊 たい によって実行 じっこう された。だが、 9月15日 にち から16日 にち にかけての夜 よる の最初 さいしょ の攻撃 こうげき は、警戒 けいかい を怠 おこた らず強化 きょうか されていた防御 ぼうぎょ 側 がわ によって簡単 かんたん に撃退 げきたい された。イタリア軍 ぐん の救援 きゅうえん 部隊 ぶたい がオアシスに接近 せっきん したため、攻撃 こうげき 隊 たい は9月19日 にち に撤退 てったい した[ 8] 。
アグリーメント作戦 さくせん には、イギリス海兵 かいへい 隊 たい 約 やく 400名 めい 、 アーガイル・アンド・サザーランド・ハイランダーズ (英語 えいご 版 ばん ) (指揮 しき 官 かん :ノーマン・マクフィー大尉 たいい )180名 めい 、ロイヤル・ノーサンバーランド・フュージリアーズ (英語 えいご 版 ばん ) 第 だい I大隊 だいたい Z中隊 ちゅうたい 第 だい 14小隊 しょうたい (指揮 しき 官 かん :アーネスト・レイモンド中尉 ちゅうい )、陸軍 りくぐん 工兵 こうへい 隊 たい 、およびフォースB(指揮 しき 官 かん :ジョン・エドワード・ハセルデン中佐 ちゅうさ )、そして砂漠 さばく から接近 せっきん するSAS約 やく 150名 めい が参加 さんか した。水陸 すいりく 両用 りょうよう 部隊 ぶたい は駆逐 くちく 艦 かん による支援 しえん の下 した でトブルクの北 きた にある半島 はんとう へ海兵 かいへい 隊 たい を上陸 じょうりく させることを目的 もくてき としたフォースAに分割 ぶんかつ され、沿岸 えんがん 部隊 ぶたい で構成 こうせい されるフォースCはトブルク港 こう の東 ひがし の入口 いりくち へ投入 とうにゅう された。フォースBはイタリア軍 ぐん の152mm沿岸 えんがん 砲台 ほうだい を占拠 せんきょ したが、これはサン・マルコ海兵 かいへい 連隊 れんたい (英語 えいご 版 ばん ) によってすぐに奪 うば い返 かえ され、ハセルデンは戦死 せんし した[ 9] 。沿岸 えんがん 砲 ほう と陣地 じんち のほとんどは枢軸 すうじく 軍 ぐん 側 がわ の手 て に残 のこ っていた。
潜水 せんすい 艦 かん 「タークー (英語 えいご 版 ばん ) 」(HMS Taku, N38 )から上陸 じょうりく することになっていたコマンド部隊 ぶたい からなるフォースEは、海 うみ 況 きょう が悪 わる かったためイギリス軍 ぐん の主要 しゅよう 部隊 ぶたい を誘導 ゆうどう するためのビーコンを岸 きし に設置 せっち できなかった。枢軸 すうじく 軍 ぐん の防衛 ぼうえい は強化 きょうか され、フォースAの上陸 じょうりく 部隊 ぶたい を乗 の せてきた駆逐 くちく 艦 かん 「シーク 」(HMS Sikh, F82 )と「ズールー 」(HMS Zulu, F18 )は、予定 よてい された上陸 じょうりく 地点 ちてん のはるか西 にし にある間 あいだ 違 ちが った海岸 かいがん へ彼 かれ らを上陸 じょうりく させた[ 11] 。
上陸 じょうりく の試 こころ みを率 ひき いていた「シーク」は、イタリア軍 ぐん の152 mm(6インチ)の海岸 かいがん 砲 ほう とドイツ軍 ぐん の88mm対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう に襲 おそ われた。「ズールー」が救援 きゅうえん を試 こころ みたが、「シーク」を引 ひ き離 はな すことができず、結局 けっきょく 沈没 ちんぼつ した。「シーク」の乗員 じょういん 122名 めい が戦死 せんし し、生存 せいぞん 者 しゃ のほとんどは後退 こうたい する上陸 じょうりく 用 よう 舟艇 しゅうてい によって海面 かいめん から救出 きゅうしゅつ され、最終 さいしゅう 的 てき に捕虜 ほりょ となった。 アレキサンドリア へ引 ひ き返 かえ す途中 とちゅう だった9月14日 にち の午後 ごご 、防空 ぼうくう 軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん 「コヴェントリー (英語 えいご 版 ばん ) 」(HMS Coventry, D43 )は、クレタ島 とう から飛来 ひらい したドイツ空軍 くうぐん のJu 87 急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき 機 き による空襲 くうしゅう で酷 ひど く損傷 そんしょう し、63名 めい の乗員 じょういん が死亡 しぼう した。「コヴェントリー」は「ズールー」によって処分 しょぶん されたが、程 ほど なくして「ズールー」にもJu 87とJu 88 から投下 とうか された爆 ばく 弾 だん が命中 めいちゅう する[ 12] 。「ズールー」は39名 めい の乗員 じょういん を失 うしな い、曳航 えいこう 中 ちゅう にアレキサンドリアから100海 うみ 里 さと (120 マイル; 190 km)の地点 ちてん で沈没 ちんぼつ した。
アグリーメント作戦 さくせん 中 ちゅう 、Gilf Kebirの巨岩 きょがん の傍 かたわ らで停車 ていしゃ しているLRDGとSASのトラック
アーガイル・アンド・サザーランド・ハイランダーズの分遣 ぶんけん 隊 たい と、ヴィッカース重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう で周囲 しゅうい を防衛 ぼうえい することになっていたロイヤル・ノーサンバーランド・フュージリアーズの機関 きかん 銃 じゅう 小隊 しょうたい を運 はこ ぶ高速艇 こうそくてい (英語 えいご 版 ばん ) と舟艇 しゅうてい による別 べつ の上陸 じょうりく は、トブルク港 こう からの非常 ひじょう に激 はげ しい砲火 ほうか のため一部 いちぶ しか上陸 じょうりく 地点 ちてん に到達 とうたつ できなかった。「MTB 261」と「MTB 314」の2隻 せき の高速 こうそく 魚雷 ぎょらい 艇 てい だけが、目標 もくひょう の入 い り江 え であるMarsa UmmelSciauscに到達 とうたつ できた。 「MTB 314」は浅瀬 あさせ で擱座 かくざ したが、「MTB 261」の方 ほう はなんとか”ダスティ”ミラー軍曹 ぐんそう と彼 かれ のジョーディ・フュージリアーの部隊 ぶたい を上陸 じょうりく させて出航 しゅっこう することができた[ 14] 。
高速艇 こうそくてい 「ML 353」、「ML 352」、「ML 349」および高速 こうそく 魚雷 ぎょらい 艇 てい 「MTB 17」は、防潜網 ぼうせんもう とイタリア海軍 かいぐん 水雷 すいらい 艇 てい 隊 たい および砲兵 ほうへい フェリー によって打 う ち負 ま かされた[ 15] 。3隻 せき の高速 こうそく 魚雷 ぎょらい 艇 てい が港 みなと のイタリア海軍 かいぐん 艦艇 かんてい に魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ したが、命中 めいちゅう しなかった[ 16] 。「ML 353」はイタリア海軍 かいぐん 艦艇 かんてい からの砲撃 ほうげき とMC.200 による機銃 きじゅう 掃射 そうしゃ で火災 かさい を生 しょう じたため自沈 じちん させられ、「ML 352」、「MTB 308」、「MTB 310」、「MTB 312」は枢軸 すうじく 軍 ぐん の航空機 こうくうき に敗 やぶ れた[ 15] 。戦闘 せんとう 中 ちゅう に損傷 そんしょう を受 う けて座礁 ざしょう した高速 こうそく 魚雷 ぎょらい 艇 てい 「MTB 314」は、乗 の っていた117名 めい の水兵 すいへい ・陸 りく 兵 へい とともに夜明 よあ けになってからドイツ海軍 かいぐん のRボート 「R-10」によって捕獲 ほかく された。枢軸 すうじく 軍機 ぐんき は連合 れんごう 軍 ぐん 部隊 ぶたい の帰路 きろ に急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき と機銃 きじゅう 掃射 そうしゃ を頻繁 ひんぱん に行 い ったが、高速 こうそく 魚雷 ぎょらい 艇 てい の大 だい 部分 ぶぶん と生 い き残 のこ った高速艇 こうそくてい はアレキサンドリアに帰投 きとう することができた。
上陸 じょうりく 演習 えんしゅう 中 ちゅう のコマンドス
数 すう 十 じゅう 名 めい のイギリス海軍 かいぐん の水兵 すいへい と海兵 かいへい 隊員 たいいん が、イタリアの水雷 すいらい 艇 てい 「カストーレ 」、「ジェネラーレ・カルロ・モンタナリ 」、武装 ぶそう 曳船 えいせん 「ヴェガ」、ドイツのRボート 隊 たい 、および数 すう 隻 せき のドイツとイタリアの舟艇 しゅうてい によって海 うみ から救出 きゅうしゅつ され捕虜 ほりょ になった[ 2] 。非常 ひじょう に低速 ていそく でアレキサンドリアへ離脱 りだつ しようとしていた、フォースAから落伍 らくご した数 すう 隻 せき の上陸 じょうりく 用 よう 舟艇 しゅうてい も乗員 じょういん と共 とも に捕 と らえられた[ 18] [ 19] [ 20] 。沈没 ちんぼつ した駆逐 くちく 艦 かん 「シーク」のジョン・ミックレスウェイト艦長 かんちょう は、イタリアの舟艇 しゅうてい がイギリス海兵 かいへい 隊 たい の上陸 じょうりく 用 よう 舟艇 しゅうてい の1隻 せき と、モーターボートが曳航 えいこう していた2隻 せき の艀 はしけ を拿捕 だほ した時 とき に捕虜 ほりょ となった[ 21] 。同 おな じ脱出 だっしゅつ ルートを辿 たど っていた「ML 352」の生存 せいぞん 者 しゃ が乗 の るディンギー は、正午 しょうご に「カストーレ」によって捕 と らえられた[ 22] 。
アグリーメント作戦 さくせん での損失 そんしつ はイギリス海兵 かいへい 隊員 たいいん 約 やく 300名 めい 、陸 りく 兵 へい 160名 めい 、海軍 かいぐん 兵 へい 280名 めい 、防空 ぼうくう 軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん 「コヴェントリー」、駆逐 くちく 艦 かん 「シーク」、「ズールー」、高速艇 こうそくてい 2隻 せき 、高速 こうそく 魚雷 ぎょらい 艇 てい 4隻 せき 、および数 すう 隻 せき の小型 こがた 上陸 じょうりく 用 よう 舟艇 しゅうてい であった[ 3] 。イギリス海兵 かいへい 隊 たい は81名 めい の死者 ししゃ を出 だ し、海軍 かいぐん は艦艇 かんてい の沈没 ちんぼつ でさらに217名 めい の兵士 へいし を失 うしな った。約 やく 576名 めい の生存 せいぞん 者 しゃ が捕虜 ほりょ となった[ 23] 。一方 いっぽう 、枢軸 すうじく 軍 ぐん の損失 そんしつ はイタリア兵 へい 15名 めい とドイツ兵 へい 1名 めい が戦死 せんし 、イタリア兵 へい 43名 めい とドイツ兵 へい 7名 めい の負傷 ふしょう のみであった[ 3] 。
^ 一連 いちれん の作戦 さくせん を「ダッフォーディル」、「スノードロップ」、「チューリップ」、「ヒヤシンス」とするものがあるが、これらは架空 かくう のコードネームで、1945年 ねん に出版 しゅっぱん された本 ほん の著者 ちょしゃ によって作成 さくせい された。当時 とうじ 、作戦 さくせん の正式 せいしき な名前 なまえ は秘密 ひみつ であり、これらの呼称 こしょう が一般 いっぱん 的 てき に使用 しよう されていたのである。
^ a b c L'operazione Daffodil nel piano Agreement (イタリア語 ご )
^ a b c d e Molinari & Anderson 2007 , p. 71.
^ Smith, pp. 22–23
^ Molinari & Anderson 2007 , p. 70.
^ a b c Molinari & Anderson 2007 , p. 72.
^ N., Anthony (2013年 ねん 2月 がつ 7日 にち ). “Operation Agreement: Victory Over Allied Commando Forces ” (英語 えいご ). Comando Supremo . 2021年 ねん 4月 がつ 30日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Smith, pp. 90–95
^ Smith, p. 189
^ Smith, p. 111
^ a b Sadler (2008), pp. 266–68
^ Smith, p. 119
^ Smith, pp. 122, 144
^ Smith, p. 213
^ Sadler (2008), pp. 231–32
^ Landsborough, Gordon (2015). Tobruk Commando: The Raid to Destroy Rommel's Base . Frontline Books. ISBN 978-1-84832-245-5 . https://books.google.com/books?id=GQ63CwAAQBAJ&pg=PT174
^ Sadler (2008), p. 269
^ “Operation "Agreement" ”. 21 August 2018時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。28 January 2015 閲覧 えつらん 。
Bragadin, Marc'Antonio (1957). The Italian Navy in World War II . Annapolis, MD: United States Naval Institute. ISBN 978-0-405-13031-1
Landsborough, Gordon (1989). Tobruk Commando: The Raid to Destroy Rommel's Base . London: Presidio Press. ISBN 1-85367-025-1
Molinari, Andrea; Anderson, Duncan (2007). Desert Raiders: Axis and Allied Special Forces 1940–43 . Oxford: Osprey. pp. 68–73. ISBN 978-1-84603-006-2
O'Carroll, Brendan (2005). The Barce Raid . Wellington, NZ: Ngaio Press. ISBN 0-9582243-8-2
Playfair, I. S. O. et al. (2004). Butler, J. R. M. . ed. The Mediterranean and Middle East: The Destruction of the Axis Forces in Africa . History of the Second World War United Kingdom Military Series. IV (Naval & Military Press ed.). London: HMSO . ISBN 1-84574-068-8
Rohwer, Jürgen; Hümmelchen, Gerhard; Weis, Thomas (2005). Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two (3rd rev. ed.). London: Chatham. ISBN 1-86176-257-7
Sadler, John (2016). Operation Agreement: Jewish Commandos and the Raid on Tobruk . London: Bloomsbury. ISBN 978-1-4728-1489-0
Smith, Peter Charles (1987). Massacre at Tobruk: The Story of Operation Agreement . London: Kimber. ISBN 0-7183-0664-3
H. M. Ships Damaged or Sunk by Enemy Action, 3rd September, 1939 to 2nd September, 1945 . London: Admiralty: Director of Naval Construction. (1952). OCLC 38570200 . オリジナル の10 June 2016時点 じてん におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160610105459/http://www.navy.gov.au/sites/default/files/documents/Ships%20Damaged%20or%20Sunk%20by%20Enemy%20Action_opt_0.pdf 26 November 2018 閲覧 えつらん 。
Landsborough, Gordon (2015) [1956]. Tobruk Commando: The Raid to Destroy Rommel's Base . Barnsley: Frontline Books ISBN 978-1848322448 .
Lewis, Damien (2017). SAS Ghost Patrol: The Ultra-Secret Unit That Posed As Nazi Stormtroopers . Hachette UK. ISBN 978 1786483133 .
Pitt, B. (2001). The Crucible of War: Montgomery and Alamein . III (Three volume pbk. edition of the two volumes published in 1980 and 1982 ed.). London: Cassell & Co.. ISBN 978-0-304-35952-3 . https://archive.org/details/crucibleofwarmon00barr
Richards, D.; St G. Saunders, H. (1975). Royal Air Force 1939–45: The Fight Avails . II (repr. ed.). London: HMSO. ISBN 978-0-11-771593-6 . https://www.ibiblio.org/hyperwar/UN/UK/UK-RAF-II/index.html 13 December 2015 閲覧 えつらん 。
Roskill, S. W. (1956). The Period of Balance . History of the Second World War United Kingdom Military Series: The War at Sea 1939–1945. II . London: HMSO . OCLC 174453986 . http://www.ibiblio.org/hyperwar/UN/UK/UK-RN-II/index.html 26 November 2018 閲覧 えつらん 。
Sadler, John (2016). Operation Agreement: Jewish Commandos and the Raid on Tobruk . Osprey Publishing. ISBN 978-1472814883 .
Smith, Peter C. (1987). Massacre at Tobruk . William Kimber. ISBN 978-0718306649 .
Sugarman, Martin. 'The SIG: behind enemy lines with Jewish Commandos' in Jewish Historical Studies Vol. 35 (1996-1998) pp. 287-307.
Swindon, Arthur (1974) [1968]. The Raiders: Desert Strike Force . London: Pan Books. ISBN 0330240064 . pp. 118-49.