(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アグリーメント作戦 - Wikipedia コンテンツにスキップ

アグリーメント作戦さくせん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アグリーメント作戦さくせん

トブルクこうでイギリス海軍かいぐん高速こうそく魚雷ぎょらいてい高速艇こうそくてい砲撃ほうげきするイタリア海軍かいぐん水雷すいらいてい「カストーレ」および「ジェネラーレ・カルロ・モンタナリ」(みぎおくの2せき)。
(1942ねん9がつ14にち撮影さつえい
戦争せんそうだい世界せかい大戦たいせん
年月日ねんがっぴ1942ねん9月13にち-9月14にち
場所ばしょ地中海ちちゅうかいイタリアりょうリビアトブルク周辺しゅうへん
結果けっか枢軸すうじく国軍こくぐん勝利しょうり
交戦こうせん勢力せいりょく
イギリスの旗 イギリス

ニュージーランドの旗 ニュージーランド

イタリア王国の旗 イタリア王国おうこく

ナチス・ドイツの旗 ドイツこく

指導しどうしゃ指揮しきかん
イギリスの旗 ジョン・ハセルデン  イタリア王国の旗 ジュゼッペ・ロンバルディ英語えいごばん[1]
戦力せんりょく
  • 陸軍りくぐんおよび海兵かいへいたい~650–700めい
  • けい巡洋艦じゅんようかん1せき
  • 駆逐くちくかん6せき
  • 高速こうそく魚雷ぎょらいてい16 せき
  • 高速艇こうそくてい英語えいごばん3せき
  • 上陸じょうりくよう舟艇しゅうてい30せき
  • 潜水せんすいかん1せき
[2]
  • イタリアぐん250–300めい
  • ドイツへい30めい
  • 各種かくしゅほう78もん
    (イタリアぐん48もん・ドイツぐん30もん)
  • 水雷すいらいてい3せき
  • Rボート3せき
  • 舟艇しゅうてい8せき
    (イタリアぐん4せき・ドイツぐん4せき)
[2]
損害そんがい
  • 戦死せんし800めい
  • 捕虜ほりょ576めい
  • けい巡洋艦じゅんようかん1せき沈没ちんぼつ
  • 駆逐くちくかん2せき沈没ちんぼつ
  • 高速こうそく魚雷ぎょらいてい4せき
  • 高速艇こうそくてい2せき
  • 上陸じょうりくよう舟艇しゅうていすうせき
  • イタリアへい15めい・ドイツへい1めい戦死せんし
  • イタリアへい43めい・ドイツへい7めい負傷ふしょう[3]
  • 航空機こうくうき30
地中海ちちゅうかいたたか

アグリーメント作戦さくせん(アグリーメントさくせん、英語えいご:Operation Agreement)は、だい世界せかい大戦たいせんなかの1942ねん9がつ13にちから14にちまで、枢軸すうじくぐん占領せんりょうしていたトブルク敵前てきぜん上陸じょうりくするためイギリスぐんローデシアぐんニュージーランドぐんによって実施じっしされた水陸すいりく両用りょうよう作戦さくせんドイツ堪能かんのう特別とくべつ尋問じんもんグループ英語えいごばんしょう部隊ぶたいが、てき戦線せんせん背後はいごにおける任務にんむ参加さんかした。陽動ようどう作戦さくせんとしてベンガジビガミー作戦さくせん英語えいごばん)、ヤロ・オアシス英語えいごばんナイスティ作戦さくせん英語えいごばん)、マルジュキャラヴァン作戦さくせん)への攻撃こうげき同時どうじ実施じっしされた[3][注釈ちゅうしゃく 1]。アグリーメント作戦さくせん完全かんぜん失敗しっぱいわり、イギリスぐんすうひゃくめい兵士へいし戦死せんしするか捕虜ほりょとなったほか、けい巡洋艦じゅんようかん1せき駆逐くちくかん2せき高速艇こうそくてい6せき、そしていくつかの上陸じょうりくよう舟艇しゅうていうしな多大ただい損害そんがいした。

背景はいけい

[編集へんしゅう]

アグリーメント作戦さくせん目的もくてきは、トブルクに存在そんざいする飛行場ひこうじょう港湾こうわん施設しせつ輸送ゆそうせん車両しゃりょう大型おおがた石油せきゆ貯蔵ちょぞうしょ破壊はかいすることにより、きたアフリカにおける枢軸すうじくぐんつぎせん能力のうりょく弱体じゃくたいさせることであった[5]。また連合れんごう国軍こくぐんはトブルクへの攻撃こうげきあわせて、作戦さくせん参加さんかする地上ちじょう部隊ぶたい後退こうたいするさい集合しゅうごう地点ちてんとして使用しようされることになっていたヤロ・オアシスを占領せんりょうすることも意図いとしていた[6]

序盤じょばん

[編集へんしゅう]

長距離ちょうきょり砂漠さばく挺身ていしんたい(LRDG)のG1およびT1パトロールたいは、50にん隊員たいいん、12りょう小型こがたトラック、5だいジープで、バルス飛行場ひこうじょう主要しゅよう兵舎へいしゃ襲撃しゅうげきし、16航空機こうくうき破壊はかい、さらに7損害そんがいあたえた[7][8]兵舎へいしゃへの攻撃こうげきでLRDGは隊員たいいん4めい車両しゃりょう2りょううしなった。ザプティエ英語えいごばん付近ふきんでLRDG部隊ぶたいイタリアぐん自動車じどうしゃ中隊ちゅうたいによって迎撃げいげきされ、2りょうのぞくすべてのトラックが損傷そんしょうするか破壊はかいされた。のこったトラックにはとく重傷じゅうしょう隊員たいいんせ、隊員たいいん徒歩とほで99マイル(160 km)を移動いどうすることになった。イタリアぐん負傷ふしょうしたニュージーランドへい7めいとローデシアへい3めい捕虜ほりょとして連行れんこうしたが、1ねんにそのうち4めいのニュージーランドへい脱走だっそう成功せいこうした[8]

デイヴィッド・スターリング中佐ちゅうさ特殊とくしゅ空挺くうてい部隊ぶたい(SAS)の攻撃こうげきたいは、LRDGのS1とS2パトロールたいによる支援しえんしたでベンガジを強襲きょうしゅうしようとしたが、到着とうちゃくおくれた結果けっか夜明よあけに道路どうろ障害しょうがいぶつ衝突しょうとつしたことでかれらの存在そんざい暴露ばくろされた。奇襲きしゅう効果こうかうしなわれ、さらに暗闇くらやみによる隠蔽いんぺい効果こうかもなくなったことでスターリングは撤退てったいめいじた[3]。ヤロ・オアシスへの攻撃こうげきは、スーダン防衛ぼうえいたい英語えいごばんとLRDGのS1およびS2パトロールたいによって実行じっこうされた。だが、 9月15にちから16にちにかけてのよる最初さいしょ攻撃こうげきは、警戒けいかいおこたらず強化きょうかされていた防御ぼうぎょがわによって簡単かんたん撃退げきたいされた。イタリアぐん救援きゅうえん部隊ぶたいがオアシスに接近せっきんしたため、攻撃こうげきたいは9月19にち撤退てったいした[8]

しゅたる攻撃こうげき

[編集へんしゅう]

アグリーメント作戦さくせんには、イギリス海兵かいへいたいやく400めいアーガイル・アンド・サザーランド・ハイランダーズ英語えいごばん指揮しきかん:ノーマン・マクフィー大尉たいい)180めいロイヤル・ノーサンバーランド・フュージリアーズ英語えいごばんだいI大隊だいたいZ中隊ちゅうたいだい14小隊しょうたい指揮しきかん:アーネスト・レイモンド中尉ちゅうい)、陸軍りくぐん工兵こうへいたい、およびフォースB(指揮しきかん:ジョン・エドワード・ハセルデン中佐ちゅうさ)、そして砂漠さばくから接近せっきんするSASやく150めい参加さんかした。水陸すいりく両用りょうよう部隊ぶたい駆逐くちくかんによる支援しえんしたでトブルクのきたにある半島はんとう海兵かいへいたい上陸じょうりくさせることを目的もくてきとしたフォースAに分割ぶんかつされ、沿岸えんがん部隊ぶたい構成こうせいされるフォースCはトブルクこうひがし入口いりくち投入とうにゅうされた。フォースBはイタリアぐんの152mm沿岸えんがん砲台ほうだい占拠せんきょしたが、これはサン・マルコ海兵かいへい連隊れんたい英語えいごばんによってすぐにうばかえされ、ハセルデンは戦死せんしした[9]沿岸えんがんほう陣地じんちのほとんどは枢軸すうじくぐんがわのこっていた[10]

フォースA

[編集へんしゅう]

潜水せんすいかんタークー英語えいごばん」(HMS Taku, N38)から上陸じょうりくすることになっていたコマンド部隊ぶたいからなるフォースEは、うみきょうわるかったためイギリスぐん主要しゅよう部隊ぶたい誘導ゆうどうするためのビーコンをきし設置せっちできなかった。枢軸すうじくぐん防衛ぼうえい強化きょうかされ、フォースAの上陸じょうりく部隊ぶたいせてきた駆逐くちくかんシーク」(HMS Sikh, F82)と「ズールー」(HMS Zulu, F18)は、予定よていされた上陸じょうりく地点ちてんのはるか西にしにあるあいだちがった海岸かいがんかれらを上陸じょうりくさせた[11]

上陸じょうりくこころみをひきいていた「シーク」は、イタリアぐんの152 mm(6インチ)の海岸かいがんほうとドイツぐん88mmたい戦車せんしゃほうおそわれた。「ズールー」が救援きゅうえんこころみたが、「シーク」をはなすことができず、結局けっきょく沈没ちんぼつした。「シーク」の乗員じょういん122めい戦死せんしし、生存せいぞんしゃのほとんどは後退こうたいする上陸じょうりくよう舟艇しゅうていによって海面かいめんから救出きゅうしゅつされ、最終さいしゅうてき捕虜ほりょとなった。 アレキサンドリアかえ途中とちゅうだった9月14にち午後ごご防空ぼうくうけい巡洋艦じゅんようかんコヴェントリー英語えいごばん」(HMS Coventry, D43)は、クレタとうから飛来ひらいしたドイツ空軍くうぐんJu 87急降下きゅうこうか爆撃ばくげきによる空襲くうしゅうひど損傷そんしょうし、63めい乗員じょういん死亡しぼうした。「コヴェントリー」は「ズールー」によって処分しょぶんされたが、ほどなくして「ズールー」にもJu 87とJu 88から投下とうかされたばくだん命中めいちゅうする[12]。「ズールー」は39めい乗員じょういんうしない、曳航えいこうちゅうにアレキサンドリアから100うみさと(120 マイル; 190 km)の地点ちてん沈没ちんぼつした[13]

フォースC

[編集へんしゅう]
アグリーメント作戦さくせんちゅう、Gilf Kebirの巨岩きょがんかたわらで停車ていしゃしているLRDGとSASのトラック

アーガイル・アンド・サザーランド・ハイランダーズの分遣ぶんけんたいと、ヴィッカースじゅう機関きかんじゅう周囲しゅうい防衛ぼうえいすることになっていたロイヤル・ノーサンバーランド・フュージリアーズの機関きかんじゅう小隊しょうたいはこ高速艇こうそくてい英語えいごばん舟艇しゅうていによるべつ上陸じょうりくは、トブルクこうからの非常ひじょうはげしい砲火ほうかのため一部いちぶしか上陸じょうりく地点ちてん到達とうたつできなかった。「MTB 261」と「MTB 314」の2せき高速こうそく魚雷ぎょらいていだけが、目標もくひょうであるMarsa UmmelSciauscに到達とうたつできた。 「MTB 314」は浅瀬あさせ擱座かくざしたが、「MTB 261」のほうはなんとか”ダスティ”ミラー軍曹ぐんそうかれのジョーディ・フュージリアーの部隊ぶたい上陸じょうりくさせて出航しゅっこうすることができた[14]

高速艇こうそくてい「ML 353」、「ML 352」、「ML 349」および高速こうそく魚雷ぎょらいてい「MTB 17」は、防潜網ぼうせんもうイタリア海軍かいぐん水雷すいらいていたいおよび砲兵ほうへいフェリーによってかされた[1][15]。3せき高速こうそく魚雷ぎょらいていみなとのイタリア海軍かいぐん艦艇かんてい魚雷ぎょらい発射はっしゃしたが、命中めいちゅうしなかった[16]。「ML 353」はイタリア海軍かいぐん艦艇かんていからの砲撃ほうげきMC.200による機銃きじゅう掃射そうしゃ火災かさいしょうじたため自沈じちんさせられ、「ML 352」、「MTB 308」、「MTB 310」、「MTB 312」は枢軸すうじくぐん航空機こうくうきやぶれた[1][15]戦闘せんとうちゅう損傷そんしょうけて座礁ざしょうした高速こうそく魚雷ぎょらいてい「MTB 314」は、っていた117めい水兵すいへいりくへいとともに夜明よあけになってからドイツ海軍かいぐんRボート「R-10」によって捕獲ほかくされた。枢軸すうじく軍機ぐんき連合れんごうぐん部隊ぶたい帰路きろ急降下きゅうこうか爆撃ばくげき機銃きじゅう掃射そうしゃ頻繁ひんぱんったが、高速こうそく魚雷ぎょらいていだい部分ぶぶんのこった高速艇こうそくていはアレキサンドリアに帰投きとうすることができた[17]

その

[編集へんしゅう]
上陸じょうりく演習えんしゅうちゅうのコマンドス

すうじゅうめいのイギリス海軍かいぐん水兵すいへい海兵かいへい隊員たいいんが、イタリアの水雷すいらいていカストーレ」、「ジェネラーレ・カルロ・モンタナリ」、武装ぶそう曳船えいせん「ヴェガ」、ドイツのRボートたい、およびすうせきのドイツとイタリアの舟艇しゅうていによってうみから救出きゅうしゅつされ捕虜ほりょになった[2]非常ひじょう低速ていそくでアレキサンドリアへ離脱りだつしようとしていた、フォースAから落伍らくごしたすうせき上陸じょうりくよう舟艇しゅうてい乗員じょういんともらえられた[18][19][20]沈没ちんぼつした駆逐くちくかん「シーク」のジョン・ミックレスウェイト艦長かんちょうは、イタリアの舟艇しゅうていがイギリス海兵かいへいたい上陸じょうりくよう舟艇しゅうていの1せきと、モーターボートが曳航えいこうしていた2せきはしけ拿捕だほしたとき捕虜ほりょとなった[21]おな脱出だっしゅつルートを辿たどっていた「ML 352」の生存せいぞんしゃディンギーは、正午しょうごに「カストーレ」によってらえられた[22]

結果けっか

[編集へんしゅう]

アグリーメント作戦さくせんでの損失そんしつはイギリス海兵かいへい隊員たいいんやく300めいりくへい160めい海軍かいぐんへい280めい防空ぼうくうけい巡洋艦じゅんようかん「コヴェントリー」、駆逐くちくかん「シーク」、「ズールー」、高速艇こうそくてい2せき高速こうそく魚雷ぎょらいてい4せき、およびすうせき小型こがた上陸じょうりくよう舟艇しゅうていであった[3]。イギリス海兵かいへいたいは81めい死者ししゃし、海軍かいぐん艦艇かんてい沈没ちんぼつでさらに217めい兵士へいしうしなった。やく576めい生存せいぞんしゃ捕虜ほりょとなった[23]一方いっぽう枢軸すうじくぐん損失そんしつはイタリアへい15めいとドイツへい1めい戦死せんし、イタリアへい43めいとドイツへい7めい負傷ふしょうのみであった[3]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 一連いちれん作戦さくせんを「ダッフォーディル」、「スノードロップ」、「チューリップ」、「ヒヤシンス」とするものがあるが、これらは架空かくうのコードネームで、1945ねん出版しゅっぱんされたほん著者ちょしゃによって作成さくせいされた。当時とうじ作戦さくせん正式せいしき名前なまえ秘密ひみつであり、これらの呼称こしょう一般いっぱんてき使用しようされていたのである[4]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c Bragadin 1957, p. 220.
  2. ^ a b c L'operazione Daffodil nel piano Agreement (イタリア)
  3. ^ a b c d e Molinari & Anderson 2007, p. 71.
  4. ^ O'Carroll 2005, pp. 25–26.
  5. ^ Smith, pp. 22–23
  6. ^ Molinari & Anderson 2007, p. 70.
  7. ^ O'Carroll 2005, p. 62.
  8. ^ a b c Molinari & Anderson 2007, p. 72.
  9. ^ N., Anthony (2013ねん2がつ7にち). “Operation Agreement: Victory Over Allied Commando Forces” (英語えいご). Comando Supremo. 2021ねん4がつ30にち閲覧えつらん
  10. ^ Playfair et al. 2004, pp. 20–23.
  11. ^ Smith, pp. 90–95
  12. ^ Smith, p. 189
  13. ^ Playfair et al. 2004, p. 22.
  14. ^ Smith, p. 111
  15. ^ a b Sadler (2008), pp. 266–68
  16. ^ Smith, p. 119
  17. ^ Rohwer 2005, p. 196.
  18. ^ Smith, pp. 122, 144
  19. ^ Smith, p. 213
  20. ^ Sadler (2008), pp. 231–32
  21. ^ Landsborough, Gordon (2015). Tobruk Commando: The Raid to Destroy Rommel's Base. Frontline Books. ISBN 978-1-84832-245-5. https://books.google.com/books?id=GQ63CwAAQBAJ&pg=PT174 
  22. ^ Sadler (2008), p. 269
  23. ^ Operation "Agreement"”. 21 August 2018てんオリジナルよりアーカイブ。28 January 2015閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • Bragadin, Marc'Antonio (1957). The Italian Navy in World War II. Annapolis, MD: United States Naval Institute. ISBN 978-0-405-13031-1 
  • Landsborough, Gordon (1989). Tobruk Commando: The Raid to Destroy Rommel's Base. London: Presidio Press. ISBN 1-85367-025-1 
  • Molinari, Andrea; Anderson, Duncan (2007). Desert Raiders: Axis and Allied Special Forces 1940–43. Oxford: Osprey. pp. 68–73. ISBN 978-1-84603-006-2 
  • O'Carroll, Brendan (2005). The Barce Raid. Wellington, NZ: Ngaio Press. ISBN 0-9582243-8-2 
  • Playfair, I. S. O. et al. (2004). Butler, J. R. M.. ed. The Mediterranean and Middle East: The Destruction of the Axis Forces in Africa. History of the Second World War United Kingdom Military Series. IV (Naval & Military Press ed.). London: HMSO. ISBN 1-84574-068-8 
  • Rohwer, Jürgen; Hümmelchen, Gerhard; Weis, Thomas (2005). Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two (3rd rev. ed.). London: Chatham. ISBN 1-86176-257-7 
  • Sadler, John (2016). Operation Agreement: Jewish Commandos and the Raid on Tobruk. London: Bloomsbury. ISBN 978-1-4728-1489-0 
  • Smith, Peter Charles (1987). Massacre at Tobruk: The Story of Operation Agreement. London: Kimber. ISBN 0-7183-0664-3 

その文献ぶんけん

[編集へんしゅう]