ドビュッシー
オペラの題材 だいざい となったエドガー・アラン・ポー の「アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 」のアーサー・ラッカム によるイラスト
『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』(アッシャーけのほうかい、フランス語 ふらんすご : La chute de la maison Usher )は、フランス の作曲 さっきょく 家 か クロード・ドビュッシー による1幕 まく (2部 ぶ に分割 ぶんかつ されている)の未完 みかん のオペラ で、リブレット はエドガー・アラン・ポー の短編 たんぺん 小説 しょうせつ 『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』(1839年 ねん )を素材 そざい としてドビュッシー自身 じしん が作成 さくせい した。本 ほん 作 さく は1908年 ねん から1917年 ねん にかけて作曲 さっきょく されたが、遂 つい に完成 かんせい されなかった。
ドビュッシーはシャルル・ボードレール のフランス語 ふらんすご 訳 やく によってフランスの読者 どくしゃ に親 した しまれているエドガー・アラン・ポーの小説 しょうせつ にかねてより魅了 みりょう されていた。1890年 ねん には、アンドレ・シュアレス (英語 えいご 版 ばん ) がロマン・ロラン に宛 あ てた手紙 てがみ の中 なか で、「クロード・ドビュッシー氏 し は、ポーの物語 ものがたり 、特 とく に『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 」を素材 そざい とした心理 しんり 的 てき な観念 かんねん を発展 はってん させる交響曲 こうきょうきょく を作曲 さっきょく しようとしている」と述 の べている。この試 こころ みは実現 じつげん できなかったが、1902年 ねん に唯一 ゆいいつ 完成 かんせい したオペラ『ペレアスとメリザンド 』の成功 せいこう を受 う けて、ドビュッシーは次 つぎ のオペラ作品 さくひん の素材 そざい としてポーに着目 ちゃくもく していた。ドビュッシーは、ポーの作品 さくひん から着想 ちゃくそう を得 え たオペラの最初 さいしょ の試 こころ みであるオペラ・コミック 『鐘楼 しゅろう の悪魔 あくま (英語 えいご 版 ばん ) 』を数 すう 年間 ねんかん かけて作曲 さっきょく を試 こころ みたのだが、1911年 ねん または1912年 ねん に最終 さいしゅう 的 てき に断念 だんねん した。1908年 ねん の6月 がつ 中旬 ちゅうじゅん には、ドビュッシーはポーの小説 しょうせつ を題材 だいざい にしたもう一 ひと つのオペラ『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』という陰鬱 いんうつ な内容 ないよう のオペラに着手 ちゃくしゅ していた。7月 がつ 5日 にち 、ドビュッシーはニューヨーク のメトロポリタン・オペラ と上演 じょうえん 優先 ゆうせん 権 けん を締結 ていけつ し[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 、計画 けいかく していたポーの2本立 ほんだ ての初演 しょえん ともうひとつの未 み 着手 ちゃくしゅ のオペラ『トリスタンの伝説 でんせつ 』を上演 じょうえん する権利 けんり が保証 ほしょう された[ 3] 。その年 とし の夏 なつ 、彼 かれ は友人 ゆうじん のジャック・デュラン (英語 えいご 版 ばん ) に宛 あ てた手紙 てがみ で「ここ数日 すうじつ 、『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』の作曲 さっきょく に取 と り組 く んでいます。 自分 じぶん の周囲 しゅうい にあるものの感覚 かんかく を失 うしな ってしまう瞬間 しゅんかん があり、もしロデリック・アッシャーの妹 いもうと が私 わたし の家 いえ に入 はい ってきたとしても、それほど驚 おどろ かないでしょう」と記 しる している。
1909年 ねん 、ドビュッシーはロデリック・アッシャーの独白 どくはく を概 おおむ ね完成 かんせい させたと書 か いている。「石 いし の嘆 なげ き悲 かな しみ、それを聞 き きとる。つまり、神経 しんけい 衰弱 すいじゃく に陥 おちい った人 ひと が悲 かな し気 き に石 いし を見 み つめ、それが与 あた える心理 しんり 的 てき な影響 えいきょう についての話 はなし なのだ。自家 じか 薬 やく 籠 かご 中 ちゅう にある独自 どくじ の手法 しゅほう であるオーボエ の低 ひく い音 おと とヴァイオリン の倍音 ばいおん を対比 たいひ させることによって、古 ふる くささがむしろ魅惑 みわく 的 てき な表現 ひょうげん となる」。ドビュッシーは自分 じぶん が神経 しんけい 衰弱 すいじゃく にかかっていると信 しん じていたが、この頃 ころ [ 注釈 ちゅうしゃく 2] 、主治医 しゅじい から、後 のち に命 いのち を落 お とすことになる直腸 ちょくちょう 癌 がん を患 わずら っていると診断 しんだん されていた[ 注釈 ちゅうしゃく 3] 。
ロバート・オーリッジ (英語 えいご 版 ばん ) によれば、「ドビュッシーは次第 しだい に自分 じぶん をロデリック・アッシャーと同一 どういつ 視 し するようになり、ロデリック・アッシャーの精神 せいしん 崩壊 ほうかい をポーは崩壊 ほうかい しつつある家 いえ そのものと同一 どういつ 視 し した」ということである。『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』をほぼ完成 かんせい に近 ちか い状態 じょうたい にまで持 も っていこうとしていたドビュッシーは、この運命 うんめい の展開 てんかい を受 う けとめかね、死刑 しけい 囚 しゅう のように苦 くる しんだ。その心情 しんじょう をポール・デュカス に宛 あ てた手紙 てがみ に記 しる している。「『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』は〈クロード・ドビュッシーの崩壊 ほうかい 〉になってしまいそうです。運命 うんめい は、私 わたし がこの作品 さくひん を完成 かんせい することを許 ゆる すべきです。私 わたし は『ペレアスとメリザンド 』だけをもって、未来 みらい の世代 せだい の人 ひと に性急 せいきゅう に判断 はんだん されたくないのですから、、、。音楽家 おんがくか は死 し んでしまってはいけませんね。」(1916年 ねん 8月 がつ 10日 とおか デュカスへの手紙 てがみ )[ 7] 。
ドビュッシーはリブレット の執筆 しっぴつ を3回 かい に亘 わた って試 こころ みた。1916年 ねん から1917年 ねん にかけて、第 だい 1場 じょう と第 だい 2場 じょう の一部 いちぶ の音楽 おんがく の短 みじか いスコア の草案 そうあん を作 つく ったのは、3番目 ばんめ のリブレットに満足 まんぞく できたからであった。1918年 ねん にドビュッシーが死 し ぬまで、『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』の制作 せいさく は進展 しんてん を見 み なかった[ 3] 。現存 げんそん するリブレットの手 て 稿 こう はハリー・ランサム・センター (英語 えいご 版 ばん ) に保管 ほかん されている[ 8] 。
登場 とうじょう 人物 じんぶつ は4人 にん 。ロデリック・アッシャー、その友人 ゆうじん (Ami)、医者 いしゃ (Le Médecin)、そしてマデリン夫人 ふじん 。
ドビュッシーは、この3人 にん の男役 おとこやく をすべてバリトン の声域 せいいき に割 わ り当 あ てた。ジャン・フランソワ・ティボー (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) は次 つぎ のように書 か いている。「ドビュッシーが3人 にん の男役 おとこやく にどのようなバリトン の声域 せいいき を正確 せいかく に使 つか ったのか、あるいは『ペレアスとメリザンド』のように、太 ふと い低音 ていおん のバス 、バス・バリトン 、バリトン・マーティン(軽 かる いバリトン)と段階 だんかい 的 てき に変化 へんか させたのかはわからない。3人 にん の役 やく を同 おな じ声域 せいいき のバリトンに割 わ り当 あ てたことは、これらの配役 はいやく が1つの意識 いしき の3つの分身 ぶんしん であるという強 つよ い可能 かのう 性 せい を開 ひら くという点 てん で重要 じゅうよう である」。
ロデリック・アッシャーは一族 いちぞく 最後 さいご の男 おとこ の子孫 しそん である。彼 かれ は朽 く ちかけた先祖 せんぞ 代々 だいだい の屋敷 やしき に、双子 ふたご の妹 いもうと で消耗 しょうもう 性 せい 疾患 しっかん を患 わずら っているマデリン夫人 ふじん と主治医 しゅじい と共 とも に暮 く らしている。ロデリックの友人 ゆうじん (語 かた り手 て )はこの家 いえ に招待 しょうたい されている。彼 かれ が訪問 ほうもん している間 あいだ にマデリン夫人 ふじん が亡 な くなっているのが見 み つかり、屋敷 やしき の地下 ちか の納 おさめ 体 からだ 堂 どう に埋葬 まいそう される。外 そと で嵐 あらし が吹 ふ きすさぶ中 なか 、友人 ゆうじん はロデリックを慰 なぐさ めるために中世 ちゅうせい のロマンス の物語 ものがたり を読 よ み聞 き かせる。友人 ゆうじん が物語 ものがたり を読 よ み進 すす め、クライマックスに到達 とうたつ すると、血 ち にまみれたマデリン夫人 ふじん が姿 すがた を現 あらわ す。生 い き埋 う めにされていた彼女 かのじょ は、今度 こんど は兄 あに に襲 おそ いかかり、彼 かれ を死 し に引 ひ きずり込 こ む。友人 ゆうじん が家 いえ から脱出 だっしゅつ すると、アッシャー家 か は鮮血 せんけつ のごとく真 ま っ赤 か な月光 げっこう に照 て らされる中 なか で崩壊 ほうかい して姿 すがた を消 け す。
ドビュッシーはポーの物語 ものがたり を踏襲 とうしゅう しながらも、ロデリックの妹 いもうと への近親 きんしん 相姦 そうかん 的 てき な感情 かんじょう をより強調 きょうちょう し、マデリンの愛情 あいじょう をめぐるロデリックのライバルでもある医師 いし により重要 じゅうよう 性 せい をもたせ、より不気味 ぶきみ な人物 じんぶつ に仕立 したて て上 あ げている。
青柳 あおやぎ いづみこ によれば、ドビュッシーが『鐘楼 しゅろう の悪魔 あくま 』のために書 か いたシナリオは、多少 たしょう の変更 へんこう や敷衍 ふえん があるにしても、原作 げんさく の大筋 おおすじ は捉 とら えているのに対 たい して、『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』の台本 だいほん のほうには、ポーの意図 いと まで損 そこ なってしまうような、根本 こんぽん 的 てき な意味 いみ のとり違 ちが えや、明 あき らかな説明 せつめい 過多 かた の傾向 けいこう が認 みと められる。ドビュッシーが書 か いた『アッシャー家 か の崩壊 ほうかい 』の台本 だいほん の主 おも な変更 へんこう 内容 ないよう は次 つぎ の通 とお りである。
原作 げんさく ではマデリンと生 い き写 うつ しの双生児 そうせいじ となっているロデリックの年齢 ねんれい をずっと引 ひ き上 あ げて、容姿 ようし もエドガー・アラン・ポー自身 じしん に似 に せたこと。
この2人 ふたり の間 あいだ に、原作 げんさく 者 しゃ が明言 めいげん を避 さ けた近親 きんしん 相関 そうかん 関係 かんけい を設定 せってい したこと。
原作 げんさく では、わずか3行 ぎょう しか登場 とうじょう しないアッシャー家 か の主治医 しゅじい の役割 やくわり を大幅 おおはば に拡大 かくだい し、マデリンに横恋慕 よこれんぼ し、ロデリックを差 さ し置 お いて、彼女 かのじょ を勝手 かって に生 い き埋 う めにしてしまうというグロテスクな役柄 やくがら に仕立 したて て上 あ げたこと。
壁 かべ 石 せき に関 かん するロデリックの空想 くうそう を具現 ぐげん 化 か し、アッシャー家 か の壁 かべ に向 む かって長々 ながなが と独白 どくはく させたこと。
同 おな じく原作 げんさく では、ただ部屋 へや の奥 おく を通 とお り過 す ぎるだけのマデリンに、本 ほん 作 さく ではロデリックが即興 そっきょう で演奏 えんそう することになっている〈幽霊 ゆうれい 宮殿 きゅうでん 〉のアリア を歌 うた わせたこと。
医者 いしゃ の口 くち を借 か りて、はっきりロデリックを狂人 きょうじん と断定 だんてい したこと。
これらの中 なか で、特 とく に重要 じゅうよう なのは、はじめの3点 てん だろう。これらは作曲 さっきょく 家 か が意識 いしき していたにせよ、していなかったにせよ、物語 ものがたり の本質 ほんしつ にかかわる、重要 じゅうよう な変更 へんこう だったように思 おも われる[ 11] 。
1970年代 ねんだい 、2人 ふたり の作曲 さっきょく 家 か がこの未完 みかん の本 ほん 作 さく の完成 かんせい 版 ばん を作 つく ることを試 こころ みた。1977年 ねん 2月 がつ 25日 にち 、イェール大学 だいがく でキャロリン・アバテ (英語 えいご 版 ばん ) が作曲 さっきょく し、ロバート・カイル (英語 えいご 版 ばん ) がオーケストレーション を担当 たんとう したものが上演 じょうえん された。
同年 どうねん 、チリ の作曲 さっきょく 家 か フアン・アレンデ=ブリン (英語 えいご 版 ばん ) が補筆 ほひつ したものがドイツ のラジオで放送 ほうそう された。1979年 ねん 10月5日 にち 、ベルリン国立 こくりつ 歌劇 かげき 場 じょう でヘスス・ロペス=コボス の指揮 しき 、バリトンのジャン=フィリップ・ラフォン (英語 えいご 版 ばん ) のロデリック・アッシャー役 やく 、ソプラノのコレット・ロラン (英語 えいご 版 ばん ) のマデリン夫人 ふじん 役 やく 、バリトンのバリー・マクダニエル (英語 えいご 版 ばん ) の医者 いしゃ 役 やく 、バスのウォルトン・グロンルース (スウェーデン語 ご 版 ばん ) のロデリックの友人 ゆうじん 役 やく で、ブリンの補筆 ほひつ 版 ばん が上演 じょうえん された。ブリンの再 さい 構成 こうせい 版 ばん は後 のち にEMI に録音 ろくおん されたもので、演奏 えんそう 時間 じかん は約 やく 22分 ふん [ 14] 。
2004年 ねん 、ロバート・オーリッジがドビュッシーの草稿 そうこう をもとに作品 さくひん を完成 かんせい させ、オーケストレーション を行 おこな った[ 15] 。また、DVDにも収録 しゅうろく されている。
2014年 ねん 6月 がつ にウェールズ・ナショナル・オペラ により行 おこな われたイギリス 初演 しょえん はローレンス・フォスター の指揮 しき 、ロバート・ヘイワードのロデリック・アッシャー、アンナ・ゴルヴァチョワのマデリン夫人 ふじん 、マーク=ル・ブロックが医者 いしゃ 役 やく 、ウィリアム・ダズリーのロデリックの友人 ゆうじん 役 やく 、演出 えんしゅつ はデイヴィッド・パウントニー (英語 えいご 版 ばん ) となっていた[ 16] [ 17] [ 18] 。
2015年 ねん 12月のサンフランシスコ歌劇 かげき 場 じょう によるアメリカ 初演 しょえん はローレンス・フォスターの指揮 しき 、ブライアン・マリガンのロデリック・アッシャー、ジャクリーン・ピッコリーノのマデリン夫人 ふじん 、ジョエル・ソレンセンが医者 いしゃ 役 やく 、エドワード・ネルソンのロデリックの友人 ゆうじん 役 やく 、演出 えんしゅつ はデイヴィッド・パウントニーとなっていた[ 19] 。
2019年 ねん にマンハイム で行 おこな われたオーリッジの補筆 ほひつ 版 ばん のドイツ 初演 しょえん は、ドビュッシーの他 ほか の音楽 おんがく を加 くわ えて90分 ふん に拡大 かくだい された[ 20] 。
他 ほか にも2019年 ねん 1月 がつ 11日 にち に東京 とうきょう のHakuju Hall で初演 しょえん された、市川 いちかわ 景 けい 之 の による試 ためし 補筆 ほひつ 版 ばん が存在 そんざい し、ピアニストの青柳 あおやぎ いずみこ のYoutubeチャンネルで公開 こうかい されている。[ 21]
^ メトロポリタン・オペラおよびボストン・オペラ・カンパニー を含 ふく む系列 けいれつ 歌 か 劇場 げきじょう とも契約 けいやく していた[ 2] 。
^ 11月26日 にち のこと。
^ 12月7日 にち には手術 しゅじゅつ を受 う けている。
Holden, Amanda, ed (2001). The New Penguin Opera Guide . New York: Penguin Putnam. ISBN 0-14-029312-4
Holmes, Paul (1991). Debussy . Omnibus
Orledge, Robert (1982). Debussy and the Theatre . Cambridge University Press. ISBN 9780521228077
Thibault, Jean-François (1994). “Debussy's Unfinished American Opera”. In John Louis DiGaetani. Opera and the Golden West . Fairleigh Dickinson University Press
Tresize, Simon, ed (2003). The Cambridge Companion to Debussy . Cambridge Companions to Music. Cambridge University Press
青柳 あおやぎ いづみこ (著 ちょ )、『ドビュッシー 想念 そうねん のエクトプラズム 』東京書籍 とうきょうしょせき 、単行本 たんこうぼん 1997年 ねん (ISBN 978-4487792962 )
フランソワ・ルシュール(編 へん )、『ドビュッシー書簡 しょかん 集 しゅう 1884‐1918』 笠 かさ 羽 わ 映子 えいこ (翻訳 ほんやく )、音楽之友社 おんがくのともしゃ 、1999年 ねん (ISBN 978-4276131644 )