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アドニスの誕生たんじょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
『アドニスの誕生たんじょう
イタリア: La nascita di Adone
英語えいご: The Birth of Adonis
作者さくしゃティツィアーノ・ヴェチェッリオ
製作せいさくねん1505ねんから1510ねんあいだ
種類しゅるい油彩ゆさいいた
寸法すんぽう35 cm × 162 cm (14 in × 64 in)
所蔵しょぞうパドヴァ市立しりつ博物館はくぶつかん英語えいごばんパドヴァ
たい作品さくひんポリュドロスのもり』。パドヴァ市立しりつ博物館はくぶつかん所蔵しょぞう

アドニスの誕生たんじょう』(アドニスのたんじょう、: La nascita di Adone, えい: The Birth of Adonis)は、イタリアルネサンスヴェネツィア巨匠きょしょうティツィアーノ・ヴェチェッリオが1505ねんから1510ねんあいだ制作せいさくした絵画かいがである。油彩ゆさいギリシア神話しんわあい女神めがみアプロディテローマ神話しんわヴィーナス)とアドニス物語ものがたり主題しゅだいとしている。婚礼こんれいよう家具かぐカッソーネ英語えいごばんいたとして制作せいさくされた作品さくひんで、『ポリュドロスのもり』(La Selva di Polidoro)のたい作品さくひん現在げんざいはどちらもパドヴァパドヴァ市立しりつ博物館はくぶつかん英語えいごばん所蔵しょぞうされている[1][2]

主題しゅだい

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オウィディウスによると、アドニスはキプロスとう都市としパフォスおうキニュラスとそのむすめミュラ近親きんしん相姦そうかんとしてまれた[3]一説いっせつによるとアドニスのはははアプロディテを崇拝すうはいしなかったために、この禁断きんだんこいおそわれたという[4]。ミュラは正体しょうたいかくして父親ちちおや関係かんけいち、ごもったが、正体しょうたいあきらかになると逃亡とうぼうし、9かげつあいだ放浪ほうろうしたすえに、自身じしんべつ姿すがたえてくれるようかみねがった。すると彼女かのじょ没薬もつやく変身へんしんした。その変身へんしんしたミュラは身重みおもとなり、出産しゅっさんくるしみにもだえたが、出産しゅっさん女神めがみエイレイテュイアルキナ)があらわれ、みきてて安産あんざんのまじないをとなえた。するとみきれ、そのなかからうつくしい赤子あかごまれた[3][5][6]。この赤子あかごうつくしく、アプロディテとペルセポネプロセルピナ)からあいされた[4]

作品さくひん

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広大こうだい牧歌ぼっかてき風景ふうけい中央ちゅうおう部分ぶぶんで、幼児ようじのアドニスの誕生たんじょうシーンがえがかれている。王女おうじょミュラは完全かんぜん樹木じゅもく変化へんかしている。場面ばめん支配しはいしているのはエイレイテュイアであり、アドニスは女神めがみみちびきでみきから姿すがたあらわし、女神めがみほか3にん男女だんじょ発見はっけんされている[1]。またその光景こうけいすこはなれた場所ばしょから鹿しかうさぎといった野生やせい動物どうぶつたちがつめている。

画面がめん両側りょうがわえがかれたシーンについては解釈かいしゃくかれている。おそらく神話しんわ物語ものがたりかく場面ばめん異時同図いじどうず法的ほうてきえがかれているのであって、画面がめん左端ひだりはしえがかれている男女だんじょはパフォスおうキニュラスおよびちち関係かんけい王女おうじょミュラ、画面がめんみぎはし1人ひとりえがかれている女性じょせいはアドニスの恋人こいびとヴィーナスであり、画面がめん左端ひだりはしからみぎはしへと時間じかんながれている[1][2]べつ解釈かいしゃくでは、ぎゃく画面がめんみぎはし1人ひとりえがかれている女性じょせい王女おうじょミュラであり、画面がめん左端ひだりはしえがかれている男女だんじょはヴィーナスとアドニスではないかという[1]

いたはカッソーネにもちいられたとかんがえられているが、スパッリエーラフリーズ使用しようされた可能かのうせいもある[2]

当初とうしょはジョルジョーネの作品さくひんとされていたが、20世紀せいき初頭しょとうにはほとんど放棄ほうきされ、ジョヴァンニ・カリアーニ帰属きぞくされた。ティツィアーノの非常ひじょう初期しょき作品さくひんとして帰属きぞくされたのは比較的ひかくてき最近さいきんのことで、1942ねんアントニオ・モラッシイタリアばんのジョルジョーネにかんするモノグラフによってであり、ロベルト・ロンギ英語えいごばんロドルフォ・パッルッキーニイタリアばんなどのイタリアの美術びじゅつ史家しか支持しじされたが、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくイギリス美術びじゅつ史家しかのほとんどは否定ひていしている。例外れいがいポール・ジョアニデス英語えいごばんで、2001ねんにティツィアーノの帰属きぞく支持しじし、おそらく1509ねん制作せいさくであるとしている[2]

来歴らいれき

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『アドニスの誕生たんじょう』と『ポリュドロスのもり』は、カルロ・リドルフィがジョルジョーネの作品さくひんとして言及げんきゅうした、ヴェネツィアのヴィドマン宮殿きゅうでんPalazzo Widmann)にあった家具かぐいた同一どういつされている。1864ねんにエモ・カポディリスタ伯爵はくしゃくConte Emo Capodilista)のコレクションとともにパドヴァ市立しりつ博物館はくぶつかん遺贈いぞうされた[2]

ギャラリー

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ディテール

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d La nascita di Adone”. パドヴァ市立しりつ博物館はくぶつかん英語えいごばん公式こうしきサイト. 2023ねん11月23にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e Titian”. Cavallini to Veronese. 2023ねん11月12にち閲覧えつらん
  3. ^ a b オウィディウス『変身へんしん物語ものがたり』10かん
  4. ^ a b アポロドロス、3かん14・4。
  5. ^ 西洋せいよう美術びじゅつ解読かいどく事典じてん』p.33「アドニスの誕生たんじょう」。
  6. ^ 西洋せいよう美術びじゅつ解読かいどく事典じてん』p.58-60「ウェヌス」。

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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