アフターマス・エンターテインメント

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アフターマス・エンターテインメント
Aftermath Entertainment
親会社おやがいしゃインタースコープ・レコード
設立せつりつ1996ねん3がつ22にち (28ねんまえ) (1996-03-22)
設立せつりつしゃドクター・ドレー
販売元はんばいもとインタースコープ・ゲフィン・A&Mレコード (アメリカ)
ポリドール (イギリス)
ユニバーサル ミュージック グループ (世界せかい)
ジャンルヒップホップ
くにアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
本社ほんしゃ所在地しょざいちカリフォルニアしゅうサンタモニカ

アフターマス・エンターテインメントAftermath Entertainment)は、1996ねんドクター・ドレーによって設立せつりつされたアメリカレコードレーベルユニバーサル ミュージック グループうちインタースコープ・レコード傘下さんか活動かつどうしている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

ドクター・ドレーは、1996ねん3がつデス・ロウ離脱りだつしてすぐアフターマス・エンターテインメントをげた。その年末ねんまつまでに、げメンバーとともに、コンピレーション・アルバム『ドクター・ドレー・プレゼンツ…ジ・アフターマス』を発表はっぴょうした。

1997ねんドーン・ロビンソンR&Bグループのアン・ヴォーグから脱退だったいし、アフターマスと契約けいやくすることを発表はっぴょうした。しかし、その、ドレーが自分じぶん仕事しごとをなかなかはじめようとしないことを批判ひはんし、突如とつじょレーベルをっていった。1997ねんあき、ヒップホップかいから豪華ごうかかおぶれが結集けっしゅうしたザ・ファームナズAZフォクシー・ブラウン英語えいごばんなど)の唯一ゆいいつのアルバム『ザ・ファーム (The Album)』をインタースコープと共同きょうどう発表はっぴょうした。ドクター・ドレーが楽曲がっきょく提供ていきょうだけでなく、カメオ参加さんかたし、『ビルボードのアルバム・チャートではつ登場とうじょう1記録きろくし、100まんまい売上うりあげプラチナディスク)も達成たっせいしたが、目指めざしていた水準すいじゅん商業しょうぎょうてき成功せいこうにまではいたらなかった。この結果けっかけて、ザ・ファームは解散かいさんすることになった。

アフターマスはつづいてキング・ティー大々的だいだいてきおくすが、だい失敗しっぱいわり、解雇かいこされた。すでに大御所おおごしょだったラキムもアフターマスと契約けいやくむすんだが、法的ほうてき問題もんだいくわえ、復活ふっかつアルバムの製作せいさく過程かていしょうじた衝突しょうとつにより、かれもレーベルをのちにすることになってしまった。このように、旗揚はたあげからしばらくは、アフターマスは順調じゅんちょうとはえないすべしだった。

1998ねん、インタースコープの幹部かんぶジミー・アイオヴィン紹介しょうかいけて、デトロイト拠点きょてんとして活動かつどうしていたエミネム契約けいやくむすんだ。翌年よくねん、エミネムのメジャー・デビューさくザ・スリム・シェイディ LP』が発表はっぴょうされ、全米ぜんべい2・400まんまいだいヒットを記録きろくした。これにより、アフターマスはようやく商業しょうぎょうてきだい成功せいこうべるアルバムをリリースすることができ、以降いこうレーベルは右肩みぎかたがりに成長せいちょうしていく。そのエミネムは2さくの『ザ・マーシャル・マザーズ・LP以降いこう9さく連続れんぞく全米ぜんべい1記録きろくする(継続けいぞくちゅう)など、アフターマスのみならずぜん世界せかい代表だいひょうするラッパーとなり、アフターマスのかおとなる。

おなじく1999ねん、ドクター・ドレーが、1992ねん発売はつばいしたアルバム『ザ・クロニック』以来いらいとなる自身じしんのアルバム『2001(英語えいごばん)』を発表はっぴょうした。ドレーの盟友めいゆうであるスヌープ・ドッグをフィーチャリングしたリード・シングルである「スティル D.R.E.」や、すでにレーベルのかおとなっていたエミネムとフィーチャリングした『フォガット・アボウト・ドレ』のだいヒットもあり、全米ぜんべい800まんまい売上うりあげ記録きろくした。

その、アフターマスは、ヒットマントゥルース・ハーツザ・ラスト・エンペラーなど、続々ぞくぞくあらたなアーティストと契約けいやくし、拡大かくだい路線ろせんはいるが、ほとんどがアルバムを1まい発表はっぴょうしないうちに脱退だったいしている。2003ねんには、エミネムのレーベルであるシェイディー・レコード共同きょうどうで、50セントのデビュー・アルバム『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』を発表はっぴょうし、全米ぜんべい1記録きろく。シングル「イン・ダ・クラブ」は2003ねん年間ねんかん1記録きろくした。その、アフターマスから総計そうけい5まいのアルバムをリリースするが、2014ねんにレーベルを移籍いせきしている[1]

2012ねんには、ドクター・ドレーと同郷どうきょう出身しゅっしんのラッパーであるケンドリック・ラマーとの契約けいやく発表はっぴょう[2]翌年よくねん、メジャー・デビュー作品さくひんである『グッド・キッド、マッド・シティー』を発表はっぴょう全米ぜんべいで100まんまいるなどだいヒットを記録きろくしただけでなく、批評ひひょうからも非常ひじょうたか評価ひょうかけることとなった。その、2015ねんに『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』、2017ねんに『DAMN.』を発表はっぴょうし、いずれもたか評価ひょうかている。

2016ねんアンダーソン・パーク契約けいやく[3]し、アフターマスに加入かにゅうしているのはドクター・ドレー、エミネム、ケンドリック・ラマー、アンダーソン・パークの4にんとなった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 50 Cent Leaves Interscope Records, New Album Coming June 3rd” (英語えいご). AllHipHop.com (2014ねん2がつ20日はつか). 2021ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  2. ^ Kendrick Lamar & Black Hippy Sign To Aftermath & Interscope | Get The…”. archive.vn (2013ねん1がつ25にち). 2021ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  3. ^ Watch Dr. Dre Welcome Anderson .Paak to Aftermath Roster” (英語えいご). Billboard. 2021ねん1がつ14にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • ソーレン・ベイカー『ギャングスター・ラップの歴史れきし スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで』塚田つかだ桂子けいこやく解説かいせつ、DU BOOKS、2019ねん9がつ