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アブヴィル文化ぶんか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

アブヴィル文化ぶんか(アブヴィルぶんか、英語えいご: Abbevillian)またはアブヴィルは、ヨーロッパつかったもっとふる石器せっき製作せいさく伝統でんとう英語えいごばん時代じだい文化ぶんかであり、およそ後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだいの60まんねんから40まんねんまえにさかのぼる。アブヴィルとはフランス地名ちめいである。旧称きゅうしょうは、シェリアン、シェル文化ぶんか(Chellean)。

研究けんきゅう

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名称めいしょうは、フランス税関ぜいかん職員しょくいんだったジャック・ブーシェ・ド・ペルテ英語えいごばんが、アブヴィル近郊きんこうソンムがわ道路どうろ工事こうじ現場げんばから収集しゅうしゅうしたことにちなみ、1836ねんにその成果せいか発表はっぴょうされた。そのパリ人類じんるいがく先史せんし人類じんるいがく教授きょうじゅをしていたルイ・ロラン・ガブリエル・ド・モルティエ英語えいごばん1821ねん - 1898ねん)が『Le Prehistorique, antiquité de l'homme[注釈ちゅうしゃく 1]』を出版しゅっぱんし(1882ねん)、このなかどう時代じだい遺跡いせきのあったアブヴィルのはじめてしるした。のちアンリ・ブルイユのちにアブヴィル文化ぶんかという名前なまえ使用しよう提案ていあんした。

なお、パリ郊外こうがいシェルというまち発見はっけんされた遺物いぶつふくむシェル文化ぶんか(Chellean)という用語ようごがあり、アブヴィルで発見はっけんされたものと類似るいじしていたために人類じんるい学者がくしゃはアブヴィルの名前なまえわってシェルをもちいたが、後者こうしゃ現在げんざいでは使つかわれていない。アブヴィル文化ぶんか名前なまえも1959ねんのオルドワン石器せっき発見はっけん以降いこう次第しだい使つかわれなくなっている。

概要がいよう

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アブヴィル文化ぶんかになはヨーロッパで最初さいしょきゅう人類じんるいにして後期こうきホモ・エレクトス[1]であったホモ・アンテセッサーないしはホモ・ハイデルベルゲンシスであった。1959ねんにリーキー一家いっかルイス・リーキーメリー・リーキー)がオルドヴァイ峡谷きょうこく類似るいじしながらもよりふる遺物いぶつ発見はっけんし、人類じんるい起源きげんをアフリカにもとめるようになる[2]まで、このアブヴィル文化ぶんかという呼称こしょう主流しゅりゅうであったが、1960年代ねんだいになるとすぐにアフリカアジア旧石器時代きゅうせっきじだい表現ひょうげんするさいにオルドワンという言葉ことばがアブヴィルにってわるようになり、アブヴィル文化ぶんかという言葉ことばいまなお使つかわれているものの、現在げんざいではヨーロッパ限定げんていされているうえ、科学かがくてき呼称こしょうとしても人気にんきうしなつづけている。

ルイ・ロラン・ガブリエル・ド・モルティエは、その伝統でんとう年代ねんだいじゅんならべてえがいていた。アブヴィル文化ぶんかあいだ旧石器時代きゅうせっきじだい初期しょき人類じんるいしん使つかい、アシュール文化ぶんかはいると、薄片はくへん使つかうようになった。しかし、オルドワン石器せっきは、最古さいこ旧石器時代きゅうせっきじだい石器せっきにおけるへずへんいしかく区別くべつがあまり明確めいかくでなかったことをしめしている。よって、アブヴィル文化ぶんかはアシュール文化ぶんか初期しょき段階だんかいあつか傾向けいこうつよ[注釈ちゅうしゃく 2]

アブヴィル文化ぶんか標識ひょうしき遺跡いせきは、ソンムがわの150フィートの段丘だんきゅう位置いち[4]、もとは道路どうろ工事こうじ現場げんばであった。同地どうち発見はっけんされた道具どうぐは、47まん8せんねんまえから42まん4せんねんまえ中央ちゅうおうヨーロッパおおっていた更新こうしんエルスターごおり英語えいごばんつくられた荒削あらけずりの両面りょうめんハンドアックスである。アブヴィル文化ぶんかヨーロッパ前期ぜんき旧石器時代きゅうせっきじだい(250まんねんまえ)のわりにちかい(ただしどう時期じきではない)時期じきこったオルドワン石器せっきいち段階だんかいであり、アブヴィル文化ぶんか概念がいねん支持しじする人々ひとびとは、前期ぜんき旧石器時代きゅうせっきじだいわりを中期ちゅうきアシュール文化ぶんかやく60まん〜50まんねんまえ)とんでいる。道具どうぐ制作せいさくにな技術ぎじゅつ進歩しんぽのスピードは地域ちいきによってことなっている[注釈ちゅうしゃく 3]が、ヨーロッパの場合ばあい地質ちしつ学的がくてきには、やく70まんねんまえよりあたらしい中期ちゅうき更新こうしん発生はっせいしており[5]、この時期じきギュンツミンデルという2つのこおりにまたがっていたが、最近さいきん発見はっけんされたイースト・アングリア旧石器時代きゅうせっきじだい(East Anglian Palaeolithic)の石器せっきによって、時期じきはギュンツごおりがわもどり、70まんねんまえちかくなっている。

アブヴィル文化ぶんかになは、ヨーロッパで進化しんかしたのではなく、東方とうほうからヨーロッパにはいってきたのであり、そのために、ホモ・エレクトゥスによるオルドワン石器せっき先行せんこうし、クラクトン文化ぶんかタヤク文化ぶんか英語えいごばんそうとする後期こうきアシュール文化ぶんかがそれにってわったとかんがえられている。こののちはアシュール文化ぶんかからレヴァロワ技法ぎほう英語えいごばんムスティエ文化ぶんか移行いこうし、ネアンデルタールじん(ホモ=ネアンデルターレンシス)と関連かんれんづけてかんがえられている。

遺跡いせき一覧いちらん

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ヨーロッパ発見はっけんされた遺跡いせきをどのような文化ぶんかめい表現ひょうげんすべきかという問題もんだいけるため、シックとトート(Schick and Toth)の共著きょうちょにあるように、「手斧ちょうな」あるいは「手斧ちょうな[注釈ちゅうしゃく 4]」の遺跡いせきといういいかたをするひともいる[6]手斧ちょうな使つかわれるようになったのは50まんねんごろである[注釈ちゅうしゃく 5]手斧ちょうな遺跡いせき手斧ちょうな遺跡いせき同一どういつ遺跡いせきであることがおおく、そのちがいは時間じかん問題もんだいであるか、地理ちりてき場所ばしょことなる場合ばあい識別しきべつ可能かのう傾向けいこうがない。物的ぶってき証拠しょうこ以下いかひょうにまとめた。なお、70まんねんまえ以降いこう年代ねんだいおおきくことなり、科学かがくてき方法ほうほう立証りっしょうされたところのぞくと、暫定ざんていてきかつ投機とうきてき推測すいそくいきいまない。

遺跡いせきめい 所在地しょざいち ノート
アラゴ洞窟どうくつ(Arago Cave) フランスラングドック=ルシヨン地方ちほうトータヴェルむらちか アンリ・ド・ラムリーの指揮しきした中央ちゅうおうヨーロッパ歴史れきし研究けんきゅうセンター(Centre Européen de Recherches Préhistoriques)のチームが長年ながねんにわたってった洞窟どうくつ発掘はっくつ調査ちょうさによって発見はっけんされた、100にん規模きぼ集落しゅうらく遺構いこう。1964ねん発掘はっくつはじまり、1969ねんしも顎骨がっこつが、1971ねん最初さいしょの「タウタベルじん(Tautavel Man)」が発見はっけんされ、そのもそのおおくのタウタベルじん男女だんじょ発掘はっくつされた。年代ねんだいは、おおくの方法ほうほうによって69まんねんまえ〜30まんねんまえしめされかなり確実かくじつなものとなっている。一般いっぱんてき見方みかたでは、ネアンデルタールじんなかあいだてき化石かせきであるというものである。かれらがもちいた道具どうぐつかっている[よう出典しゅってん]
バーンフィールド・ピット(Barnfield Pit) イギリスケントスウォンズコーム付近ふきん 1935ねん - 1936ねんにアルヴィン・T・マーストン(Alvin T. Marston)によって砂利じゃり採取さいしゅじょうから発掘はっくつされた頭蓋骨ずがいこつ一部いちぶ、そして手斧ちょうなおよび動物どうぶつほねつかっている。 また、1955ねんジョン・ワイマー英語えいごばんによって2つの欠片かけら木炭もくたん発見はっけんされた(推定すいてい25まんねんまえ)。[よう出典しゅってん]
ボックスグローヴ英語えいごばん イギリス、チチェスター郊外こうがい おおよそ50まんねんまえ動物どうぶつほね手斧ちょうな脛骨けいこつと2ほん1994ねん1996ねん採石さいせきじょう発見はっけんされた[よう出典しゅってん]
マウアー ドイツ、ハイデルベルク近郊きんこう マウアー1英語えいごばんではしもあご1907ねん砂利じゃり採取さいしゅじょう発見はっけんされた[7]。600,000〜250,000ねんまえ[よう出典しゅってん]
ペトラロナ洞窟どうくつ英語えいごばん ギリシャハルキディキ 動物どうぶつほね石器せっき使用しよう証拠しょうこつかっていた周辺しゅうへん洞窟どうくつで、1960ねん頭蓋骨ずがいこつ発見はっけんされた。アリス・ポウリアーノス英語えいごばん研究けんきゅうおこない、様々さまざま年代ねんだいしめされた。電子でんしスピン共鳴きょうめい(ESR)によると、24まん〜16まんねんまえであるが、関連かんれんするほかのすべての化石かせきは、80まんねんまえ前後ぜんこうしめしている[8][9][10]
ほねあな英語えいごばん スペインカスティーリャ・イ・レオンしゅうのアタプエルカのおか付近ふきん 1970年代ねんだいなかばからやく30たいヒトほね復元ふくげんされ、そのほね合計ごうけいやく4,000ほんにのぼる。肉食にくしょく動物どうぶつほねざっており、1998ねんには手斧ちょうな発見はっけんされた。年代ねんだいは50まん〜35まんねんまえ[よう出典しゅってん]
シュタインハイム・アン・デア・ムル ドイツ、シュトゥットガルトきた 頭蓋骨ずがいこつ1933ねんにKarl Sigristによって発見はっけんされ[11]現在げんざいやく250,000ねんまえとされている[よう出典しゅってん]
ヴェルテスゾロス英語えいごばん ブダペストちか 1964ねんから1965ねんにかけて、László Vértesが野外やがい採石さいせきじょうあと発掘はっくつしたのち頭骨とうこつすうほんつかっている。人骨じんこつ化石かせきがわには、囲炉裏いろり住居じゅうきょ道具どうぐ足跡あしあと植物しょくぶつ動物どうぶつ化石かせきがあったという[よう出典しゅってん]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ タイトルは「先史せんし時代じだい人間にんげん古代こだい」の意味いみ
  2. ^ ただしアシュール文化ぶんか石器せっきやく176まんねんまえ最初さいしょ開発かいはつされたとかんがえられている[3]
  3. ^ たとえば、アブヴィル文化ぶんかのものとみなされる道具どうぐ制作せいさく様式ようしきがとられた時期じきは、アフリカとヨーロッパでことなっている。
  4. ^ ハンドアックスの和名わみょう
  5. ^ 後期こうきアシュール文化ぶんかは50まんねんまえから10まんねんまえごろまでである。

出典しゅってん

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  1. ^ Rohrer 1983, p. 1 "While the type is identified as Homo erectus, there are modifications that suggest it is filling a gap between Homo erectus and the Neanderthal."
  2. ^ Daniel 1973, p. 105
  3. ^ Wood, B, 2005, p87.
  4. ^ Hoiberg 2010, p. 11
  5. ^ Hoiberg 2010, p. 11
  6. ^ Schick & Toth 1993
  7. ^ Cohen 1998, p. 1920
  8. ^ Kurtén 1983, p. 58
  9. ^ Poulianos 1983[ようページ番号ばんごう]
  10. ^ Cohen 1998a, p. 2418
  11. ^ Cohen 1998b, p. 3020

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Cohen, Saul B., ed. (1998). "Mauer". The Columbia Gazetteer of the World. Vol. 2: H to O. New York, NY: Columbia University Press. ISBN 978-0-231-11040-2. LCCN 98071262
  • Cohen, Saul B., ed. (1998a). "Petralona Cave". The Columbia Gazetteer of the World. Vol. 3: P to Z. New York, NY: Columbia University Press. ISBN 978-0-231-11040-2. LCCN 98071262
  • Cohen, Saul B., ed. (1998b). "Steinheim an der Murr". The Columbia Gazetteer of the World. Vol. 3: P to Z. New York, NY: Columbia University Press. ISBN 978-0-231-11040-2. LCCN 98071262
  • Daniel, Glyn (1973). Gillispie, Charles Coulston (ed.). Dictionary of Scientific Biography. Vol. VIII: Jonathon Homer Lane - Pierre Joseph Macquer. New York, NY: Charles Scribner's Sons. ISBN 978-0-684-10119-4. LCCN 69018090 {{cite encyclopedia}}: |title=必須ひっすです。 (説明せつめい)
  • Hoiberg, Dale H., ed. (2010). "Abbevillian". Encyclopædia Britannica. Vol. 1: A-ak Bayes (15th ed.). Chicago, IL: Encyclopædia Britannica, Inc. ISBN 978-1-5933-9837-8. LCCN 2008934270
  • Kurtén, Björn (1983). “Faunal Sequence in Petralona Cave”. Anthropos 10: 53–59. http://www.aee.gr/hellenic/1st%20month/10/100401/Kurten%20%281983%29%20Faunal%20sequence%20in%20Petralona%20Cave.%20Anthropos,%2010%2053-59.pdf 2012ねん2がつ25にち閲覧えつらん. 
  • Poulianos, N. Aris (December 1983). “Faunal and Tool Distribution in the Layers of Petralona Cave”. Journal of Human Evolution 12 (8): 743–746. doi:10.1016/S0047-2484(83)80129-8. 
  • Rohrer, George W. (Winter 1983). “The First Settlers in France”. Old World Archaeologist: 1–9. http://www.boneandstone.com/articles/rohrer_09.pdf. 
  • Schick, Kathy Diane; Toth, Nicholas (1993). Making Silent Stones Speak: Human Evolution and the Dawn of Technology. New York, NY: Simon & Schuster. ISBN 978-0-671-69371-8. LCCN 92-35337 
  • Hennig, G. J.; Herr, W.; Weber, E.; Xirotiris, N. I. (August 6, 1981). “ESR-Dating of the Fossil Hominid Cranium from Petralona Cave, Greece”. Nature 292 (5823): 533–536. Bibcode1981Natur.292..533H. doi:10.1038/292533a0. 
  • Wintle, A. G. (July 14, 1983). “Hominid Evolution: Dating Tautavel Man”. Nature 304 (5922): 118–119. Bibcode1983Natur.304..118W. doi:10.1038/304118b0. ISSN 0028-0836. PMID 6408487. 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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