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アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー

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アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー

アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー(Antoine Laurent de Jussieu、1748ねん4がつ12にち - 1836ねん9月17にち)は、フランス植物しょくぶつ学者がくしゃとく顕花植物けんかしょくぶつ分類ぶんるいかんする著書ちょしょ植物しょくぶつぞく』("Genera plantarum"1789ねん)のなかで、いまでも使つかわれているおおくを定義ていぎしたことでられる。Juss.とりゃくされる。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

ジュシューはリヨンまれで、叔父おじであるベルナール・ド・ジュシュー、またアントワーヌ(Antoine)、ジョゼフ(Joseph)も植物しょくぶつ学者がくしゃであった。1763ねんキンポウゲかんする論文ろんぶん提出ていしゅつして科学かがくアカデミーにみとめられた。パリ医学いがくまなび、1770ねん卒業そつぎょうしてパリ植物しょくぶつえんむかえられた。

1774ねんにベルナール・ド・ジュシューのかんがえを発展はってんさせ、形態けいたいによるあたらしい分類ぶんるい体系たいけい公表こうひょうしたが、完成かんせいにはさらに15ねんようした。かれ以前いぜんリンネによる分類ぶんるいは、雄蕊おしべ雌蕊めしべかずによって植物しょくぶつ分類ぶんるいしていたので不自然ふしぜん部分ぶぶんおおかったが、ジュシューの分類ぶんるい体系たいけいはより自然しぜんなもので、その顕花植物けんかしょくぶつ分類ぶんるいすべての基礎きそとなるものである。著書ちょしょの『植物しょくぶつぞく』についてキュヴィエは、実験じっけん科学かがくにおけるラヴォアジェ業績ぎょうせき匹敵ひってきする画期的かっきてき業績ぎょうせきであると賞賛しょうさんしているが、ジュシュー自身じしんもキュヴィエやオーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール仕事しごとからおおいに影響えいきょうけている。

1794ねんに、前年ぜんねん設立せつりつされた国立こくりつ自然しぜん博物館はくぶつかん館長かんちょう任命にんめいされた。1804ねん医科いか大学だいがく植物しょくぶつがく教授きょうじゅになり、1826ねんまでつとめた。晩年ばんねんはほとんど失明しつめいしたが、息子むすこのアドリアン=アンリ(Adrien-Henri)も植物しょくぶつ学者がくしゃとなり、かれのちいで博物館はくぶつかんちょうつとめた。

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • Genera Plantarum, secundum ordines naturales disposita juxta methodum in Horto Regio Parisiensi exaratam, anno 1774. MS. notes. Parisiis, 1789.

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