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イエジー・スコリモフスキ

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イエジー・スコリモフスキ
Jerzy Skolimowski
Jerzy Skolimowski
生年月日せいねんがっぴ (1938-05-05) 1938ねん5月5にち(86さい
出生しゅっしょう ポーランドの旗 ポーランド ウッチ
職業しょくぎょう 映画えいが監督かんとく脚本きゃくほん俳優はいゆう
配偶はいぐうしゃ エルジュビェタ・チジェフスカ英語えいごばん(1959ねん - 1965ねん離婚りこん
おも作品さくひん
監督かんとく
出発しゅっぱつ
アンナとごした4日間にちかん
エッセンシャル・キリング
イレブン・ミニッツ
EO イーオー
脚本きゃくほん
みずなかのナイフ
出演しゅつえん
イースタン・プロミス
アベンジャーズ
 
受賞じゅしょう
カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい
審査しんさいん特別とくべつグランプリ
1978ねん『ザ・シャウト/さまよえるまぼろしひびき
脚本きゃくほんしょう
1982ねん『ムーンライティング』
審査しんさいんしょう
2022ねんEO イーオー
ヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい
審査しんさいん特別とくべつしょう
1985ねん『ライトシップ』
2010ねんエッセンシャル・キリング
栄誉えいよきん獅子しししょう
2016ねん
ベルリン国際こくさい映画えいがさい
きむくましょう
1967ねん出発しゅっぱつ
東京国際映画祭とうきょうこくさいえいがさい
審査しんさいん特別とくべつしょう
2008ねんアンナとごした4日間にちかん
全米ぜんべい映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
外国がいこく作品さくひんしょう
2022ねん『EO イーオー』 
ニューヨーク映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
外国がいこく映画えいがしょう
2022ねん『EO イーオー』 
ロサンゼルス映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
外国がいこく映画えいがしょう
2022ねん『EO イーオー』
そのしょう
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イエジー・スコリモフスキJerzy Skolimowski, 1938ねん5月5にち - )は、ポーランドウッチ出身しゅっしん映画えいが監督かんとく脚本きゃくほん俳優はいゆう世界せかいさんだい映画えいがさいすべてでしょう獲得かくとくしている。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

ワルシャワ大学だいがく卒業そつぎょう1960ねんアンジェイ・ワイダ監督かんとくの『よるおわりに』の脚本きゃくほんをイエジー・アンジェウスキーと共同きょうどう執筆しっぴつ1962ねん脚本きゃくほん担当たんとうしたロマン・ポランスキー監督かんとくの『みずなかのナイフ』はだい23かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい国際こくさい映画えいが批評ひひょう連盟れんめいしょう受賞じゅしょうし、アカデミー外国がいこく映画えいがしょうにもノミネートされた。

そのねん1964ねんウッチ映画えいが大学だいがく在学ざいがくちゅう製作せいさくした『身分みぶん証明しょうめいしょ』で長編ちょうへん映画えいが監督かんとくとしてデビュー。この作品さくひん1965ねんの『不戦勝ふせんしょう』、1967ねんの『げろ!』はスコリモフスキ自身じしん主人公しゅじんこうアンジェイをえんじており、「アンジェイものさんさく」とばれている。

1967ねんには『出発しゅっぱつ』がだい17かいベルリン国際こくさい映画えいがさいきむくましょう受賞じゅしょう。この作品さくひんはじめてポーランド以外いがいくに製作せいさくされており、前年ぜんねんジャン=リュック・ゴダール監督かんとく映画えいが男性だんせい女性じょせい』に出演しゅつえんしたジャン=ピエール・レオとカトリーヌ=イザベル・デュポールが出演しゅつえんし、作風さくふう当時とうじフランスでこっていた映画えいが運動うんどうヌーヴェル・ヴァーグ影響えいきょうけたものとなっている。

1970ねんの『早春そうしゅん』は、ジェーン・アッシャーとジョン・モルダー・ブラウンの共演きょうえんで、メディアの評価ひょうかたかく、スコリモフスキの代表だいひょうさくとなった[1]

1972ねんには『King, Queen,Knave』ではじめてカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいのコンペティション部門ぶもんへの出品しゅっぴんたし、1978ねんには『ザ・シャウト/さまよえるまぼろしひびき』でどう映画えいがさい審査しんさいん特別とくべつしょう受賞じゅしょう1982ねんにも『Moonlighting』でどう映画えいがさい脚本きゃくほんしょう受賞じゅしょうしている。

1985ねんの『ライトシップ』ははじめてアメリカ製作せいさくされた映画えいがであり、ロバート・デュヴァルクラウス・マリア・ブランダウアー出演しゅつえんした。この作品さくひんだい42かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい審査しんさいん特別とくべつしょう受賞じゅしょうした。

1991ねんの『Ferdydurke』以降いこうは、ティム・バートン監督かんとくの『マーズ・アタック!』(1996ねん)やデイヴィッド・クローネンバーグ監督かんとくの『イースタン・プロミス』(2007ねん)などに出演しゅつえんし、おも俳優はいゆうとして活動かつどうする。

2008ねん、17ねんぶりの監督かんとく復帰ふっきさくとなる祖国そこくポーランドを舞台ぶたいとした映画えいがアンナとごした4日間にちかん』でだい21かい東京国際映画祭とうきょうこくさいえいがさい審査しんさいん特別とくべつしょう受賞じゅしょう

2009ねんにはだい22かい東京国際映画祭とうきょうこくさいえいがさいのコンペティション部門ぶもん審査しんさいんつとめた。また、どう映画えいがさいで「スコリモフスキ監督かんとく60年代ねんだい傑作けっさくせん」として『身分みぶん証明しょうめいしょ』、『不戦勝ふせんしょう』、『バリエラ』、『げろ!』の4作品さくひん特別とくべつ上映じょうえいされた。

2010ねんの『エッセンシャル・キリング』はだい67かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい度目どめとなる審査しんさいん特別とくべつしょう受賞じゅしょうしたほか、逃亡とうぼうするアラブじんテロリストをセリフなしでえんじきったヴィンセント・ギャロどう映画えいがさい男優だんゆうしょう受賞じゅしょうした。

2012ねんアメリカ映画えいがアベンジャーズ』では、俳優はいゆうとして参加さんかしている。

2016ねんだい73かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい生涯しょうがい功労こうろうきん獅子しししょう受賞じゅしょう[2]

2022ねんの『EO イーオー』がだい75かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい審査しんさいんしょう受賞じゅしょうだい95かいアカデミーしょうでは国際こくさい長編ちょうへん映画えいがしょうにノミネートされた。

おもなフィルモグラフィ[編集へんしゅう]

  • よるおわりに Niewinni czarodzieje (1960ねん脚本きゃくほん
  • みずなかのナイフ Nóż w wodzie (1962ねん脚本きゃくほん
  • 身分みぶん証明しょうめいしょ Rysopis (1964ねん監督かんとく脚本きゃくほん出演しゅつえん
  • 不戦勝ふせんしょう Walkower (1965ねん監督かんとく脚本きゃくほん出演しゅつえん
  • バリエラ Bariera (1966ねん監督かんとく脚本きゃくほん
  • 出発しゅっぱつ Le Départ (1967ねん監督かんとく脚本きゃくほん
  • げろ! Rece Do Gory (1967ねん監督かんとく脚本きゃくほん出演しゅつえん
  • 勇将ゆうしょうジェラールの冒険ぼうけん The Adventures of Gerard (1970ねん監督かんとく
  • 早春そうしゅん Deep End (1970ねん監督かんとく脚本きゃくほん
  • ザ・シャウト/さまよえるまぼろしひびき The Shout (1978ねん監督かんとく脚本きゃくほん
  • ムーンライティング Moonlighting (1982ねん監督かんとく脚本きゃくほん
  • ライトシップ The Lightship (1985ねん監督かんとく
  • アンナとごした4日間にちかん 4 Nights with Anna (2008ねん監督かんとく脚本きゃくほん製作せいさく
  • エッセンシャル・キリング Essential Killing (2010ねん監督かんとく脚本きゃくほん製作せいさく
  • イレブン・ミニッツ 11 minut (2015ねん監督かんとく脚本きゃくほん製作せいさく
  • EO イーオー IO (2022ねん監督かんとく脚本きゃくほん製作せいさく

出演しゅつえんのみ[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]