イージスかん衝突しょうとつ事故じこ

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イージスかん衝突しょうとつ事故じこ(イージスかんしょうとつじこ)は、2008ねん平成へいせい20ねん2がつ19にち海上かいじょう自衛隊じえいたい所属しょぞくイージスかん漁船ぎょせんとが衝突しょうとつして発生はっせいした海難かいなん事故じこ海難かいなん審判しんぱんでの事件じけんめい護衛ごえいかんあたご漁船ぎょせんせい徳丸とくまる衝突しょうとつ事件じけん[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

事故じこ発生はっせい直後ちょくご護衛ごえいかん「あたご」(2008ねん2がつ24にち撮影さつえい

当時とうじ海上かいじょう自衛隊じえいたいさい新鋭しんえいイージスかんであったあたごがたミサイル護衛ごえいかんあたご」(乗組のりくみいん281めい基準きじゅん排水はいすいりょう7,700トン)としん勝浦かちうら漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあい所属しょぞく漁船ぎょせんせい徳丸とくまる(せいとくまる)」(乗組のりくみいん2めい総トン数そうとんすう7.3トン全長ぜんちょう16.24mはば3.09m、ふかさ1.18m、ディーゼル機関きかん 出力しゅつりょく435kW)が衝突しょうとつせい徳丸とくまる船体せんたいが2つに大破たいは沈没ちんぼつ乗員じょういんであった船主せんしゅ(58さい男性だんせい)と船主せんしゅ長男ちょうなん(23さい男性だんせい)の2めい行方ゆくえ不明ふめいとなった。かずじゅう日間にちかんにおよぶ漁協ぎょきょう関係かんけいしゃ海上保安庁かいじょうほあんちょう海上かいじょう自衛隊じえいたい3しゃ懸命けんめい捜索そうさくをおこなったが発見はっけんできず、2人ふたり同年どうねん5がつ20日はつか認定にんてい死亡しぼうとされた。

この海難かいなん事故じこでは自衛じえいかんがわ過失かしつ情報じょうほう公開こうかい姿勢しせい自衛隊じえいたいいんへの教育きょういく艦船かんせん監視かんしまどしにしかおこなわなかった。)シミュレーターが20ねんまえふるく、5せきしか表示ひょうじできない(実際じっさいには10せき以上いじょう多々たたゆう)についてマスコミにげられ、世間せけんてき話題わだいとなったほか、2がつ21にちには石破いしばしげる防衛ぼうえい大臣だいじんしん勝浦かちうら漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあい川津かわづ支所ししょ遺族いぞくたくおとずれ、直接ちょくせつ謝罪しゃざいをするなど異例いれい事態じたいとなった。

事故じこ回避かいひ義務ぎむについて海難かいなん審判しんぱんではあたごがわに(2009ねん平成へいせい21ねん)1がつ確定かくてい)、刑事けいじ裁判さいばんではせい徳丸とくまるがわに(2011ねん平成へいせい23ねん)5がつ横浜よこはま地裁ちさい)それぞれあったとされ判断はんだんかれた。刑事けいじ裁判さいばんは、だいいちしんだいしんともにあたごがわ無罪むざい判決はんけつくだったのち検察けんさつがわ上告じょうこくおこなわなかったことから2013ねん6がつ26にちづけをもって終息しゅうそくした[2][3]

経緯けいい[編集へんしゅう]

事故じこ発生はっせい[編集へんしゅう]

あたご」はアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでのかん対空たいくうミサイルSM-2」の装備そうび認定にんてい試験しけんえ、2がつ6にち102ふんHAST)にハワイ真珠湾しんじゅわん北緯ほくい2121ふん31びょう 西経せいけい15757ふん12びょう / 北緯ほくい21.35861 西経せいけい157.95333 / 21.35861; -157.95333 (護衛ごえいかんあたご漁船ぎょせんせい徳丸とくまる衝突しょうとつ事件じけん ハワイ真珠湾しんじゅわん))を出港しゅっこうし、2がつ19にち午前ごぜんちゅうにも横須賀よこすかこう神奈川かながわけん横須賀よこすか 北緯ほくい3517ふん35びょう 東経とうけい13939ふん20びょう / 北緯ほくい35.29306 東経とうけい139.65556 / 35.29306; 139.65556 (護衛ごえいかんあたご漁船ぎょせんせい徳丸とくまる衝突しょうとつ事件じけん 横須賀よこすかこう))に寄港きこう予定よていだった。

せい徳丸とくまる」は2がつ19にち055ふんマグロはえなわりょう目的もくてき川津かわづ漁港ぎょこう勝浦かつうら東部とうぶ漁港ぎょこう付属ふぞくこう千葉ちばけん勝浦かちうら 北緯ほくい359ふん18びょう 東経とうけい14019ふん48びょう / 北緯ほくい35.15500 東経とうけい140.33000 / 35.15500; 140.33000 (護衛ごえいかんあたご漁船ぎょせんせい徳丸とくまる衝突しょうとつ事件じけん 勝浦かちうら東部とうぶ漁港ぎょこう))を出港しゅっこうし、三宅島みやけじま北方ほっぽうけて航行こうこうちゅうだった。現在げんざいところ父子ふしのどちらが操船そうせんしていたかは特定とくていされていない。
息子むすこ船舶せんぱく免許めんきょ取得しゅとくしていなかったが、港湾こうわんほう海上かいじょう交通こうつう安全あんぜんほう適用てきようされない海域かいいきまた小型こがた船舶せんぱく操縦そうじゅう指導しどういん資格しかくをもつもの同乗どうじょうしている場合ばあいかぎり、免許めんきょ保有ほゆうしゃ操縦そうじゅうみとめられている。これに違反いはんした場合ばあい免許めんきょ所持しょじしゃ免許めんきょ運転うんてん幇助ほうじょ免許めんきょ保有ほゆうしゃ免許めんきょ運転うんてんつみとなる

事故じこ発生はっせい直前ちょくぜん当直とうちょくいん26めい交替こうたいし、事故じこ発生はっせい時点じてん当直とうちょく士官しかん水雷すいらいちょうAであった。前任ぜんにん当直とうちょく士官しかんである航海こうかいちょうBはみぎ前方ぜんぽう漁船ぎょせんだんおもわれる複数ふくすう灯火ともしび発見はっけんしていたが、ほぼ停止ていしちゅうであると確認かくにんしたため、「危険きけんせいなし」として午前ごぜん355ふんごろ、Aに当直とうちょくいだ。

  • 330ふんごろ - あたご当直とうちょくいん灯火ともしび視認しにんし、当直とうちょく士官しかんである航海こうかいちょうBに報告ほうこく
  • 340ふんごろ - Bが漁船ぎょせん視認しにん
  • 345ふんごろ - 交替こうたい当直とうちょくいん艦橋かんきょう集合しゅうごうふく当直とうちょく士官しかんからブリーフィング(説明せつめい
  • 355ふんごろ - 当直とうちょく士官しかんがBから水雷すいらいちょうAに交替こうたい
  • 46ふん - 信号しんごういんが「漁船ぎょせんちかい、ちかい」と発声はっせい自動じどう操舵そうだ停止ていし
  • 47ふんごろ - りょう船舶せんぱく衝突しょうとつせい徳丸とくまる沈没ちんぼつ
  • 事故じこ発生はっせい - あたご乗組のりくみいん探照灯たんしょうとう双眼鏡そうがんきょうもちいて、漁船ぎょせん乗員じょういん捜索そうさく
  • 423ふん - あたごがだいさん管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶ事故じこ連絡れんらく

政府せいふ首相しゅしょう官邸かんてい危機きき管理かんりセンター情報じょうほう連絡れんらくしつ設置せっちした。ただし、情報じょうほう石破いしばしげる防衛ぼうえいしょうのもとまで1あいだはん福田ふくだ康夫やすお首相しゅしょうのもとまで2時間じかんかかっており、批判ひはん槍玉やりだまにあがった。

事故じこ発生はっせい同日どうじつ航海こうかいちょうBはヘリで防衛ぼうえいしょうされ、聴取ちょうしゅおうじた[4]。まただいさん管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶも、乗組のりくみいんらからききと調査ちょうさ開始かいしした。

2がつ29にち事故じこ当時とうじのあたご艦長かんちょう:舩渡けん1とううみ漁船ぎょせん乗員じょういん自宅じたくしん勝浦かちうら漁協ぎょきょう訪問ほうもんし、なみだながらに謝罪しゃざいした。艦長かんちょうは27にちづけ更迭こうてつされている。

事故じこ調査ちょうさ[編集へんしゅう]

だいさん管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶ横浜よこはま)は、業務ぎょうむじょう過失かしつ往来おうらい妨害ぼうがいうたがいがあると強制きょうせい捜査そうさるとともに艦長かんちょうらからくわしい事情じじょう聴取ちょうしゅ海上かいじょう幕僚監部ばくりょうかんぶでは、幕僚ばくりょう副長ふくちょうちょうとする海上かいじょう自衛隊じえいたい艦船かんせん事故じこ調査ちょうさ委員いいんかい設置せっちし、事故じこ調査ちょうさおこなった。

あたごのかんくび右側みぎがわに、事故じこによる傷跡きずあと確認かくにんされた。一方いっぽうせい徳丸とくまる沈没ちんぼつにより、同船どうせん搭載とうさいしていたGPSによる航跡こうせき特定とくてい不可能ふかのうであった。

あたごは、事故じこ横須賀よこすかこうに1かげつ以上いじょう係留けいりゅうされ、乗組のりくみいん外出がいしゅつきんじられていたものの、3月24にち事故じこ当時とうじ当直とうちょくであった海士あまちょう自殺じさつ未遂みすいこした[5]ため、翌日よくじつには乗組のりくみいん外出がいしゅつ許可きょかされることとなった[6]

2008ねん平成へいせい20ねん6月24にちだいさん管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶ当直とうちょく士官しかん2にん業務ぎょうむじょう過失かしつ致死ちし業務ぎょうむじょう過失かしつ往来おうらい危険きけん書類しょるい送検そうけんした。

海難かいなん審判しんぱん[編集へんしゅう]

海難かいなん審判しんぱんとして、2008ねん平成へいせい20ねん6月27にち横浜よこはま地方ちほう海難かいなん審判しんぱん理事りじしょだい63護衛ごえいたいげんだい3護衛ごえいたいぐんだい3護衛ごえいたい)や当直とうちょく士官しかんA・Bとぜん艦長かんちょう戦闘せんとう指揮しきしょ監督かんとく責任せきにんしゃ指定してい海難かいなん関係かんけいじん指定していして、横浜よこはま地方ちほう海難かいなん審判しんぱんちょう[8]審判しんぱん開始かいしもうてた。事故じこ原因げんいんについて「あたごがわ監視かんし不十分ふじゅうぶん」または「漁船ぎょせんがわきゅうみぎてん」かで、海難かいなん審判しんぱん理事りじしょ理事りじかんがわ(=検察けんさつがわ相当そうとう)と指定してい海難かいなん関係かんけいじん(=あたごがわ被告ひこく相当そうとう)の主張しゅちょう対立たいりつ2009ねん平成へいせい21ねん1がつ22にち事故じこ主因しゅいんをあたごがわ認定にんていする裁決さいけつくだり、だい3護衛ごえいたいぐんには安全あんぜん教育きょういく徹底てっていもとめる勧告かんこくがされた。一方いっぽうせい徳丸とくまる警告けいこく信号しんごうおこなわず、衝突しょうとつけるための協力きょうりょく動作どうさらなかったことも一因いちいんとした。水雷すいらいちょうAの過失かしつ認定にんていされたが、航海こうかいちょうBの不備ふび事故じこ因果いんが関係かんけいはないとされている。

ぜん艦長かんちょうは、裁決さいけついわた記者きしゃ会見かいけん死亡しぼうした漁船ぎょせん乗員じょういんたい謝罪しゃざい哀悼あいとうべながらも、漁船ぎょせんみぎてんおおきな要因よういんであるという見解けんかいしめした[9]

海難かいなん関係かんけいじん指定していされたあたごがわにはしん請求せいきゅうけんがなく、どう審判しんぱんしょ理事りじかんがわぜん艦長かんちょう海難かいなん関係かんけいじん改善かいぜん事項じこう指摘してきしたこと、当該とうがいかん所属しょぞく部隊ぶたい勧告かんこくしたことなどを理由りゆう東京とうきょう海難かいなん審判しんぱんしょ高等こうとう海難かいなん審判しんぱんちょう制度せいどはすでに廃止はいし)へのしん請求せいきゅう見送みおくった。これにともない、横浜よこはま地方ちほう海難かいなん審判しんぱんしょ同艦どうかん所属しょぞくするだい3護衛ごえいたい勧告かんこくしょ送付そうふ、2009ねん1がつ30にちをもって裁決さいけつ確定かくていした。

刑事けいじ裁判さいばん[編集へんしゅう]

2009ねん平成へいせい21ねん4がつ21にち横浜よこはま地方ちほう検察庁けんさつちょう事故じこ当時とうじ当直とうちょく士官しかん事故じこ直前ちょくぜん当直とうちょく士官しかん2めい水雷すいらいちょうA、航海こうかいちょうB)を業務ぎょうむじょう過失かしつ致死ちしざいなどで横浜よこはま地方裁判所ちほうさいばんしょ起訴きそした。2めいとも起訴きそ休職きゅうしょくあつかいになる。事故じこ発生はっせい操船そうせんしていないもの起訴きそするのはきわめて異例いれい[10]。また、防衛ぼうえいしょうは5月22にち、Aの不適切ふてきせつ見張みはり・艦橋かんきょうCIC連携れんけい不足ふそく直接的ちょくせつてき要因よういん、Bのぎ・艦長かんちょう指導しどう不足ふそく間接かんせつてき要因よういん断定だんていしたうえで、ぜん艦長かんちょうふく事故じこ関係かんけいしゃ懲戒ちょうかい処分しょぶんおこなったことを公表こうひょうした[11][12]

2010ねん平成へいせい22ねん8がつ23にちひらかれたはつ公判こうはんで、AとBはそれぞれ死亡しぼうした漁船ぎょせん乗員じょういん哀悼あいとうしめしたが、刑事けいじ責任せきにんについては否定ひていし、一貫いっかんして無罪むざい主張しゅちょうした。裁判さいばんにおいては、りょう過失かしつ有無うむおよび航跡こうせき争点そうてんとなった。検察けんさつがわは「Bのあやまったもうおくりをしんじ、Aも適切てきせつ回避かいひ動作どうさをとらなかった」と主張しゅちょうする一方いっぽう弁護べんごがわは、起訴きそ以来いらい終始しゅうし一貫いっかんしてせい徳丸とくまる航跡こうせきについてあらそい、せい徳丸とくまる回避かいひ義務ぎむがあったとして無罪むざい主張しゅちょうした。

2011ねん平成へいせい23ねん)1がつ24にち論告ろんこく期日きじつにおいて、検察官けんさつかんは、被告人ひこくにんたいし、禁固きんこ2ねん求刑きゅうけいした。同年どうねん5がつ11にち横浜よこはま地裁ちさい秋山あきやまたかし裁判さいばんちょう)は、水雷すいらいちょうAおよび航海こうかいちょうBのミスがあったことはみとめた[13]が、航跡こうせきについては、検察けんさつがわ供述きょうじゅつ調書ちょうしょ恣意しいてきだったとして信用しんようせい否定ひていし、弁護べんごがわ主張しゅちょう一部いちぶのぞ依拠いきょできないとした[13]。そのうえ独自どくじ航跡こうせき推定すいていし「回避かいひ義務ぎむせい徳丸とくまるがわにあり、あたごがわ回避かいひ義務ぎむはなかった以上いじょう、Aの注意ちゅうい義務ぎむみとめられず、それを前提ぜんていとしていたBの注意ちゅうい義務ぎむしょうじない」としてAとBりょう無罪むざい判決はんけつくだした[13]。それに先立さきだち、せい徳丸とくまる事故じこ直前ちょくぜんに2かいみぎころが危険きけんしょうじさせたことも指摘してきした[14]

控訴こうそ期限きげん5月25にち横浜よこはま地検ちけん東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ控訴こうそした。同日どうじつ防衛ぼうえいしょう地裁ちさい判決はんけつけ、A・Bりょう復職ふくしょくさせることを発表はっぴょうした。

東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょは、2013ねん6がつ11にち無罪むざいとする判決はんけつ主文しゅぶん維持いじしつつ、その理由りゆうとなる事実じじつ認定にんていにおいては、地裁ちさい独自どくじ航跡こうせき推定すいていして「回避かいひ義務ぎむせい徳丸とくまるがわにあり、あたごがわ回避かいひ義務ぎむはなかった以上いじょう、Aの注意ちゅうい義務ぎむみとめられず、それを前提ぜんていとしていたBの注意ちゅうい義務ぎむしょうじない」と認定にんていしたことを不当ふとうとし、あらためて高裁こうさいとして判断はんだんした結果けっか検察けんさつおよび海保かいほ漁船ぎょせんがわ正確せいかく航路こうろ位置いち特定とくてい立証りっしょうすることが出来できなかった、と認定にんていしたうえで、「うたがわしきはばっせずうたがわしきは被告人ひこくにん利益りえきに」にのっとって被告人ひこくにんがわもっと有利ゆうり航路こうろ位置いち推定すいていせざるをないとし、その航路こうろ位置いちもとづけば被告人ひこくにん刑事けいじ責任せきにん認定にんていできないとして、結論けつろんとして無罪むざいみちびし、検察けんさつ控訴こうそ棄却ききゃくした[15]。2しんでの無罪むざい判決はんけつけて東京とうきょう高検こうけん上告じょうこく断念だんねんする方針ほうしんかためたことをあきらかにし[2]上告じょうこく期限きげんの2013ねん6がつ26にち午前ごぜん0をもって無罪むざい確定かくていした。

マスコミ報道ほうどうをめぐって[編集へんしゅう]

事故じこ発生はっせい当初とうしょより、マスコミは『あたごがわにすべての過失かしつがある』と断定だんていする報道ほうどうかえした[16]。こうした報道ほうどうたい陸自りくじOBで軍事ぐんじ評論ひょうろん西元にしもと徹也てつや憂慮ゆうりょ表明ひょうめい[17]、また匿名とくめいせい徳丸とくまるにも過失かしつがあると反論はんろんした海自かいじOBもいた[18]

たとえば、朝日新聞あさひしんぶん海難かいなん審判しんぱんまえ2008ねん平成へいせい20ねん)6がつ26にち社説しゃせつで「そもそも双方そうほう位置いち関係かんけいから、衝突しょうとつ回避かいひ一義的いちぎてき義務ぎむはイージスかんがわにあった」と断定だんていしている[19]海難かいなん審判しんぱんでは、社説しゃせつのとおり事故じこしゅたる要因よういんがあたごがわにあると認定にんていしている。また、地裁ちさい判決はんけつ2011ねん平成へいせい23ねん)5がつ12にち信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶん社説しゃせつでイージスかん漁船ぎょせんより巨大きょだいであることを理由りゆうに「危険きけん回避かいひ責任せきにんはまず、海自かいじにあるとかんがえるのが自然しぜんだろう」とした[20]

事故じこ直後ちょくご高性能こうせいのうレーダーをそなえた「さい新鋭しんえいイージスかん」が、なぜ漁船ぎょせん回避かいひできなかったかというてん非難ひなん集中しゅうちゅうした[21][22]が、さい新鋭しんえいのイージスかんであろうと、旧式きゅうしき護衛ごえいかんであろうと、近距離きんきょりでは目視もくし基本きほんであるということがこの事件じけんによって周知しゅうちのものとなった。海上かいじょう自衛隊じえいたい艦橋かんきょうシステム自体じたいは、商船しょうせんよりすうめい見張みはいんおお程度ていどで、予算よさん人員じんいん削減さくげん進行しんこうしている海上かいじょう自衛隊じえいたいでは、艦橋かんきょうシステムや護衛ごえいかん海上かいじょう幕僚監部ばくりょうかんぶとの組織そしきない情報じょうほう交換こうかんシステムの近代きんだい大幅おおはばおくれていることも露見ろけんした。

『あたごがわ回避かいひ義務ぎむがあること』とした報道ほうどう影響えいきょうけて、見張みはりが不十分ふじゅうぶんであった・回避かいひおくれた・乗組のりくみいんゆるみ・おごりがあったひとしとの批判ひはんかえされた。このほか、しばしば感情かんじょうろん先行せんこうし、死亡しぼう漁師りょうし一部いちぶ遺族いぞく漁協ぎょきょう関係かんけいしゃ発言はつげんおお紹介しょうかいされた。

影響えいきょう[編集へんしゅう]

当時とうじ海上かいじょう自衛隊じえいたいは、イージスかん情報じょうほう漏出ろうしゅつ事件じけんや「しらね」の火災かさい事故じこなどがつづいており、これらの責任せきにんって3月24にち海上かいじょう幕僚ばくりょうちょう吉川よしかわ榮治えいじ退任たいにんさせ、石破いしばしげる防衛ぼうえい大臣だいじんが2かげつぶん給与きゅうよ返納へんのう増田ますだこうたいら防衛ぼうえい事務次官じむじかん減給げんきゅう2かげつなど、けい88にん処分しょぶんした[23]

内閣ないかく改造かいぞうひかえた2008ねん8がつ1にち石破いしばは「(イージスかん漁船ぎょせんの)衝突しょうとつ事故じこ以来いらい、けじめをつけたいとおもっていた」[24]かたり、この事件じけんをきっかけにしょくするかんがえをかためていたことをあきらかにした。さらに、内閣ないかく官房かんぼうの「防衛ぼうえいしょう改革かいかく会議かいぎ」で改革かいかくあん策定さくていされたことにれ、石破いしばは「改革かいかく会議かいぎ報告ほうこくしょがけじめになるという気持きもちを間接かんせつてき首相しゅしょうつたえていた」[24]べた。内閣ないかく総理そうり大臣だいじん福田ふくだ康夫やすお石破いしばからのもうれ、福田ふくだ改造かいぞうないかくでは石破いしば留任りゅうにんさせず、後任こうにんはやし芳正よしまさ任命にんめいした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 横浜よこはま地方ちほう海難かいなん審判しんぱんしょ 裁決さいけつ 平成へいせい20ねん横審よこしんだい29ごう
  2. ^ a b “イージスかんの2自衛じえいかん無罪むざい確定かくていへ、検察けんさつ上告じょうこく断念だんねん方針ほうしん. 47NEWS. 共同通信きょうどうつうしん. (2013ねん6がつ24にち). オリジナルの2013ねん6がつ27にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130627141643/http://www.47news.jp/CN/201306/CN2013062401002365.html 
  3. ^ 船舶せんぱく衝突しょうとつ事故じこ過失かしつ認定にんてい”. 公益社こうえきしゃだん法人ほうじん 日本にっぽん航海こうかい学会がっかい. 2017ねん5がつ17にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2016ねん6がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ せい徳丸とくまるをレーダー探知たんちせず 衝突しょうとつ事故じこ、あたご航海こうかいちょう供述きょうじゅつ防衛ぼうえいしょう聴取ちょうしゅ”. 読売新聞よみうりしんぶん. (2008ねん2がつ29にち) 
  5. ^ “イージスかん海士あもうちょう自殺じさつ未遂みすい漁船ぎょせん衝突しょうとつ当直とうちょくいん. 朝日新聞あさひしんぶん. (2008ねん3がつ25にち). http://www.asahi.com/special/080219/TKY200803250166.html 
  6. ^ “「あたご」乗組のりくみいんカ月かげつぶり上陸じょうりくOK、休暇きゅうかも 海自かいじ方針ほうしん. 朝日新聞あさひしんぶん. (2008ねん3がつ25にち). http://www.asahi.com/special/080219/TKY200803250480.html 
  7. ^ 2008ねん平成へいせい20ねん)10がつ国土こくど交通省こうつうしょう外局がいきょくである「海難かいなん審判しんぱんちょう」から、同省どうしょう特別とくべつ機関きかんである「海難かいなん審判しんぱんしょ」に改組かいそ
  8. ^ 事故じこ発生はっせいよく年度ねんどの10がつ廃止はいしとなり、それ以降いこう横浜よこはま地方ちほう海難かいなん審判しんぱんしょ[7]
  9. ^ 組織そしき勧告かんこく戸惑とまど海自かいじ ぜん艦長かんちょう、なお「漁船ぎょせん要因よういん」”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2009ねん1がつ23にち) 
  10. ^ 海自かいじイージスかん漁船ぎょせん衝突しょうとつ:あたご2士官しかんごう致死ちしざい起訴きそ--横浜よこはま地検ちけん”. 毎日新聞まいにちしんぶん. (2009ねん4がつ22にち) 
  11. ^ 護衛ごえいかん「あたご」と漁船ぎょせんせい徳丸とくまる」の衝突しょうとつ事故じこかんする懲戒ちょうかい処分しょぶんとうについて』(報道ほうどう資料しりょう防衛ぼうえいしょう、2009ねん5がつ22にちhttp://www.mod.go.jp/j/press/news/2009/05/22b.html2016ねん5がつ8にち閲覧えつらん 
  12. ^ 別紙べっし」(PDF)『護衛ごえいかん「あたご」と漁船ぎょせんせい徳丸とくまる」の衝突しょうとつ事故じこかんする懲戒ちょうかい処分しょぶんとうについて』、防衛ぼうえいしょう、2009ねん5がつ22にちhttp://www.mod.go.jp/j/press/news/2009/05/22b.pdf2016ねん5がつ8にち閲覧えつらん 
  13. ^ a b c “あたご衝突しょうとつ事故じこ 判決はんけつ要旨ようし”. 読売新聞よみうりしんぶん. (2011ねん5がつ12にち) 
  14. ^ 当直とうちょく士官しかん無罪むざい判決はんけつ=「回避かいひ義務ぎむない」と判断はんだん-イージスかん衝突しょうとつ事故じこ横浜よこはま地裁ちさい. 時事じじドットコム. (2011-05-11-13:38). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201105/2011051100209 [リンク]
  15. ^ “イージスかん「あたご」衝突しょうとつ事故じこ、2しん無罪むざい判決はんけつ. 読売新聞よみうりしんぶん. (2013ねん6がつ11にち). https://web.archive.org/web/20130616072701/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130611-OYT1T00695.htm 2013ねん6がつ11にち閲覧えつらん 
  16. ^ “(産経さんけいしょう)”. 産経新聞さんけいしんぶん. (2011ねん5がつ13にち) 
  17. ^ “MILITARY イージスかん衝突しょうとつ事故じこせて 海自かいじ"ぜん否定ひてい"の非難ひなん憂慮ゆうりょする”. 時事じじトップ・コンフィデンシャル: 2-6. (2008-04-11). 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:00119086. http://www.jiji.com/service/senmon/current/backnumber_doc/t080411.html. 
  18. ^ “「イージスかん衝突しょうとつ水面すいめんぜん情報じょうほう”. 週刊文春しゅうかんぶんしゅん (文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう) 50 (9): 150-157. (2008-03-06). NAID 40015874283. "もと艦長かんちょうたちのホンネ「漁船ぎょせん暴走ぼうそうぞくなんです」" 
  19. ^ “(社説しゃせつ当直とうちょく士官しかん送検そうけん 2にんだけの責任せきにんなのか”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2008ねん6がつ26にち) 
  20. ^ “(社説しゃせつ)イージスかん判決はんけつ 海自かいじ責任せきにんえない”. 信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶん. (2011ねん5がつ12にち) 
  21. ^ “(社説しゃせつ)イージス衝突しょうとつ なぜけられなかったか”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2008ねん2がつ20日はつか) 
  22. ^ “(社説しゃせつ)イージスかん衝突しょうとつ どこを見張みはっていたのか”. 毎日新聞まいにちしんぶん. (2008ねん2がつ20日はつか) 
  23. ^ 海自かいじ不祥事ふしょうじで88にん大量たいりょう処分しょぶん イージス事故じこ情報じょうほう流出りゅうしゅつで”. 共同通信きょうどうつうしん. 47NEWS. (2008ねん3がつ21にち). http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008032101000389.html 2012ねん11月29にち閲覧えつらん 
  24. ^ a b 石破いしばり『骨抜ほねぬき』も――防衛ぼうえいしょう”. 読売新聞よみうりしんぶん. (2008ねん8がつ3にち) 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • 海上かいじょう衝突しょうとつ予防よぼうほう
  • 防衛ぼうえい不祥事ふしょうじ
  • なだしお事件じけん - 1988ねん昭和しょうわ63ねん)に発生はっせいした海自かいじ潜水せんすいかん民間みんかん船舶せんぱく衝突しょうとつした事件じけん事故じこ主因しゅいん海自かいじ潜水せんすいかんがわにあったと認定にんていされ、潜水せんすいかん艦長かんちょう禁錮きんこ2ねん6箇月かげつ執行しっこう猶予ゆうよ4ねん民間みんかん船舶せんぱく船長せんちょう禁錮きんこ1ねん6箇月かげつ執行しっこう猶予ゆうよ4ねん判決はんけつ確定かくてい関連付かんれんづけてほうじられることがあった。
  • べいかんコール襲撃しゅうげき事件じけん - アルカイダによって民間みんかん偽装ぎそうされた小型こがたボートでの自爆じばくテロにより12mの亀裂きれつがイージスかんコールに発生はっせいべい水兵すいへい17めい死亡しぼう、39めい負傷ふしょうした事件じけん本件ほんけんによりイージスシステムの小型こがたボートにたいする脆弱ぜいじゃくせいあきらかになった。
    • 沿海えんかいいき戦闘せんとうかん - べいかんコール襲撃しゅうげき事件じけんにより判明はんめいしたイージスかん弱点じゃくてん克服こくふくするために研究けんきゅう開発かいはつされた小型こがた艦艇かんていによる戦闘せんとうかん実証じっしょう試験しけん艦艇かんてい開発かいはつ

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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