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ウォルター・オーウェン・ベントレー

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ウォルター・オーウェン・ベントレーWalter Owen BentleyW.O.1888ねん9月16にち1971ねん8がつ13にち)はベントレー創業そうぎょうしゃで、イギリス自動車じどうしゃ先駆せんくしゃエンジン技術ぎじゅつしゃである[1]

1888ねん9がつ16にちロンドン北部ほくぶリージェントパークちかくでまれた[1]生家せいか裕福ゆうふくで、子供こどもころから大好だいすきなスチームエンジン鉄道てつどう模型もけいかこまれなに不自由ふじゆうなくそだった[1]わかころからエンジニアを目指めざし、その基礎きそ知識ちしきにつけるためクリフトン・カレッジにすすんで物理ぶつりがく化学かがくまなんだ[1]卒業そつぎょうグレート・ノーザン鉄道てつどうにエンジニア見習みならいとして就職しゅうしょく同時どうじキングス・カレッジ・ロンドン工学こうがく理論りろんまなんだ[1]1910ねんにナショナル・モーター・キャブ・カンパニーに転職てんしょく、このころにはバイクレースにも興味きょうみマンとうTTレースにも出場しゅつじょう経験けいけんがある[1]。しかしこの会社かいしゃでの仕事しごとたんなるタクシーの整備せいびであったためあいだもなくらなくなり、1912ねんあにのホレース・ミルナー・ベントレーとともにフランスせい自動車じどうしゃ代理だいりてんラコック&フェルニーに転職てんしょく、DFP(Doriot, Flandrin & Parant )をベースにしたレースカー開発かいはつとワークスドライバーを兼任けんにんした[1]

ハンバーせい航空こうくうようエンジン

だいいち世界せかい大戦たいせんでイギリスぐんから協力きょうりょく要請ようせいけて海軍かいぐん航空こうくうたい所属しょぞく大尉たいいとなり、ロールス・ロイスせい航空こうくうエンジンのアイデアとアルミニウムせいピストンのノウハウを提供ていきょうし、サンビームにも同様どうよう助言じょげんおこない、また問題もんだいおおかったクレルジェせい航空こうくうエンジンの改良かいりょう努力どりょくした[1]。ここでかれ設計せっけいしたハンバーせいエンジンはロータリーエンジンなかでは最良さいりょういちだいという評価ひょうかけている[1]

だいいち世界せかい大戦たいせん1919ねん10月にF・T・バーゲスとH・バーレイをビジネスパートナーとして、ロンドン市内しないベイカー・ストリートはずれのニューストリート・ミューズにみずか自動車じどうしゃメーカーベントレーこした[1]ギアトレーン駆動くどうDOHC4バルブデスモドロミック採用さいようしていた1912ねんせいグランプリプジョーと、ベベルギアヴァーチカルシャフトカム駆動くどうSOHC4バルブの1914ねんせいグランプリメルセデス参考さんこうにEXP1、EXP2、EXP3の試作しさくしゃて1921ねんからベントレー・3リットル量産りょうさんしイギリススポーツカーかい名門めいもんとなったがオーバークオリティであり、経営けいえいくるしくなって1931ねん[2]または1932ねん[1]ロールス・ロイス傘下さんかはいった[1]

保守ほしゅてきなロールス・ロイスのなか実力じつりょく発揮はっきするはなくヘッドハンティングによりラゴンダに移籍いせきしたがラゴンダは1948ねんアストンマーティン合併がっぺい、アストンマーティンの初期しょきエンジン設計せっけい担当たんとうすることとなった[1]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『ワールド・カー・ガイド27ロールス・ロイス&ベントレー』pp.109- 156、「ベントレーとモータースポーツ」。
  2. ^ 世界せかい自動車じどうしゃ-22 ロールス・ロイス ベントレー - 戦後せんご』pp.36-45。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]