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エサウ

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エサウあか毛深けぶかいことに由来ゆらいする[1])は、旧約きゅうやく聖書せいしょヘブライ聖書せいしょ創世そうせい』25しょう~36しょう登場とうじょうする伝説でんせつじょう人物じんぶつ

概要がいよう

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ちちイサクははリベカ双子ふたごおとうとヤコブ自分じぶんあたえられるはずだった長子ちょうし祝福しゅくふくさずかることにかんしてこれをあらそったが、やがて和解わかいした。エサウの子孫しそんエドムじんばれるようなる。

創世そうせい』によれば、イサクが60さいのときにまれた双子ふたごがエサウとヤコブであった。さきてきたいろあかくて全身ぜんしん毛皮けがわ(セアル)のころものようであったため、エサウとづけられた。

エサウは狩人かりゅうどとなりちちイサクにあいされた。しかし、空腹くうふくのあまりおとうとヤコブのつくっていたレンズマメ煮物にもののぞみ、かる気持きもちで自分じぶん長子ちょうし権利けんりゆずるという口約束くちやくそくをしてしまった。としをとりえなくなっていたイサクは、長子ちょうしエサウに祝福しゅくふくあたえようとした。それをったリベカは自分じぶんあいしたヤコブに知恵ちえをつけ、エサウのふりをさせてイサクの祝福しゅくふくをヤコブにあたえることに成功せいこうする。祝福しゅくふくけられなかったエサウは激怒げきどし、ヤコブをころそうとかんがえる。リベカは危険きけん察知さっちしてリベカのあにラバンもとへヤコブを逃亡とうぼうさせる。

エドムのらしていたエサウのもとに、財産ざいさんきずいたおとうとのヤコブから再会さいかいもとめる使者ししゃおとずれる。エサウはよんひゃくにんきょうをつれてこれをむかえたためヤコブはおそれ、ひたすらてい姿勢しせいでエサウのもとかう。ヤコブのおそれは杞憂きゆうにおわる。エサウはヤコブとの再会さいかいよろこび、二人ふたりともいた。やがてちちイサクが180さいでなくなるとエサウとヤコブの二人ふたりほうむった。

家族かぞく

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つまは、ヘトじんエロンのむすめアダ、ヒビじんツィブオンのむすめオホリバマ、イシュマエルのむすめバセマト。は、エリファズ(ははアダ)、レウエル(ははバセマト)、エウシュ(ははオホリバマ)、ヤラム(ははオホリバマ)、コラ(ははオホリバマ)[2]

創世そうせい』36しょうにはエサウの子孫しそんたちの名前なまえ列挙れっきょされている。かれらはやがてエドムじんばれるようになった。

その

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創世そうせいではエサウの最後さいごべられていないが、旧約きゅうやく聖書せいしょにせてんヨベルしょではべられている。創世そうせい同様どうよう、エサウはいちおとうとヤコブと和解わかいするものの、息子むすこたちに長子ちょうしけんをヤコブにうばわれたこと批判ひはんされ、ヤコブとその一族いちぞくへの復讐ふくしゅう催促さいそくされる。エサウ本人ほんにんはじめは、そのつもりはまったくかったが息子むすこたちにせがまれるうち、次第しだいおとうとへの憎悪ぞうおがよみがえり、一族いちぞくひきいてヤコブとのその家族かぞくおそかる。最後さいごはヤコブにはなたれエサウは死亡しぼうする。ヤコブはあに埋葬まいそうし、エサウの一族いちぞくはヤコブの一族いちぞく奴隷どれいとなる。

イスラーム伝承でんしょうでは、ヨブ(アイユーブ)はエサウ(イスー、アイス)の子孫しそんとされている。

北海道ほっかいどうアイヌ民族みんぞくはエサウの一族いちぞく末裔まつえいで、アイヌ民族みんぞく別名べつめい蝦夷えぞ(エゾ)はエサウに由来ゆらいすると俗説ぞくせつがある。→にちどうろん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 創世そうせい(口語こうごやく) - Wikisource”. ja.wikisource.org. 2021ねん1がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ 創世そうせい 36:2 - 5

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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