エムナマエ
エム ナマエ | |
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1948 | |
2019 | |
イラストレーター | |
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ジャンル |
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ようこそ!エム ナマエ |
エム ナマエ(
来歴 ・人物 [編集 ]
- 1969
年 初 の個展 『空 』を開催 。
- 1970
年 - イラストレーターとしてデビュー。
当時 のレギュラー雑誌 は『女学生 の友 』、『中学 二 年 コース』など。
- 1973
年 初 の児童 向 け単行本 『みつや君 のマークX』を渡辺 茂男 と共著 で出版 。イラストレーターに専念 するため大学 を中退 。
- 1974
年 絵本 作家 太田 大八 の勧 めで絵本 作家 集団 『童 美 連 』に入会 。初 の絵本 『ざっくり ぶうぶう がたがた ごろろ』大型 絵本 『機関 車 』など絵本 作家 としての活動 を開始 。この後 、絵本 作家 として失明 までに約 60冊 の児童 図書 を手 がける。
- 1986
年 完全 に失明 。文筆 家 に転 じ、初 の長編 童話 『宇宙 からきたネコ博士 』の執筆 を開始 。
- 1988
年 初 の長編 童話 『UFOリンゴと宇宙 ネコ』(『宇宙 からきたネコ博士 』から改題 )を出版 。
- 1991
年 失明 後 初 の詩 画集 『夢 の翼 をはばたいて』を出版 。
- 1998
年 - ニューヨークで
個展 を開催 。アメリカの子供 服 メーカー、カーターズ社 に社外 アーティストとして採用 される。
- 2000
年 月刊 誌 『さかえ』に『失明 地平線 』連載 開始 。ジョン・レノン・ミュージアムでジョン・レノンの追悼 公式 コンサート(現在 の「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」の原形 )に出演 する。
- 2001
年 個展 開催 。絵本 『幼 い瞳 のふるさとカメラ』を出版 。慶應義塾 連合 三田 会 のチケットおよびプログラムの美術 を担当 。再 びジョン・レノン・ミュージアムでの公式 追悼 コンサートに出演 。歌手 おおたか静 流 の朗読 コンサートにミュージカル童話 『ミズムシの歌 』執筆 。樹原 涼子 と『野 に咲 く花 』を発表 。
- 2003
年 日本 児童 文芸 家 協会 賞 特別 賞 を受賞 。
- 2019
年 - 3月6
日 、心不全 により東京 都 目黒 区 の病院 で死去 。70歳 没 [5][6][7]。 - 9月~10
月 、没後 初 の個展 『エムナマエ追悼 展 ~夢 の力 ~』を長野 県 北佐久 郡 軽井沢 町 の軽井沢 タリアセンにて開催 。
- 2020
年 - 3月、
没後 1年 を迎 え、友人 たちによる個展 『―あなたの時間 をありがとう―』を千代田 区 神田神保 町 の檜 画廊 にて開催 。
主 な著作 [編集 ]
挿絵 [編集 ]
- 『ざっくり ぶうぶう がたがた ごろん』(
文 :かんべじゅんきち、偕成社 、1977年 ) - 『なんでもでんわ』(
文 :ふなざきよしひこ、旺文社 、1977年 ) - 『たぬき
先生 大 じっけん』(文 :寺村 輝夫 、旺文社 、1978年 ) - 『ピンチ・ピンチ・ピンチ』(
文 :坂本 伊都子 、PHP研究所 、1978年 ) - 『おしゃべりランドセル』(
文 :手嶋 悠 介 、太平 出版 社 、1979年 ) - 『タヌ
子 先生 と4人 の名 探偵 』(文 :しかたしん、ポプラ社 、1979年 ) - 『ネズミのたたかい―アメリカの
昔話 』(訳 :亀井 俊介 、小学館 、1979年 ) - 『ぼくたちあいこ』(
文 :黒木 まさお、太平 出版 社 、1980年 ) - 『たぬき
先生 だいぼうけん』(文 :寺村 輝夫 、旺文社 、1980年 ) - 『はしれおんぼろきかんしゃ』(
文 :鶴見 正夫 、PHP研究所 、1981年 ) - 『オットはかせのおばけやさん』(
文 :寺村 輝夫 、金 の星 社 、1981年 ) - 『オットはかせのおふろやさん』(
文 :寺村 輝夫 、金 の星 社 、1981年 ) - 『
大 きくなれ竜太 』(文 :平方 浩 介 、学校 図書 、1982年 ) - 『
名 たんていピンチ博士 』(文 :寺村 輝夫 、学校 図書 、1982年 ) - 『
寺村 輝夫 童話 全集 』(文 :寺村 輝夫 、ポプラ社 、1982年 )- 13 ゆかいなおじさん
- 17
子 どもの時間
- 『ピンチ
博士 の大 ぼうけん』(文 :寺村 輝夫 、ポプラ社 、1983年 ) - 『ピンチ
博士 アフリカへとぶ』(文 :寺村 輝夫 、ポプラ社 、1984年 ) - 『しょうぼうじどうしゃドコデモくん』
ポプラ社 、1984年 ) - 『みつやくんのマークX』(
文 :渡部 茂男 、あかね書房 、1984年 ) - 『まほうのけしごむ』(
文 :岡 信子 、佼成出版社 、1985年 ) - 『ねずみのよねいり』(
文 :福島 のり子 、教育 画 劇 、1986年 ) - 『ポテトサラダのすきな
王 さま』(文 :名倉 有子 、教育 画 劇 、1988年 ) - 『
二人三脚 プラスワン―僕 らはいつもファンタジー』(文 ・絵 :エムナマエ、佼成出版社 、1996年 ) - 『あしたのねこ』(
文 :きむらゆういち、金 の星 社 、2006年 ) - 『ありがとう』(
文 :絵 門 ゆう子 、PHP研究所 、2006年 ) - 『まちがしあわせになったよる』(
文 ・絵 :エムナマエ、毎日新聞社 、2007年 )
その他 [編集 ]
- 『UFOリンゴと
宇宙 ネコ』(絵 :ヒサクニヒコ、あかね書房 、1988年 ) - 『ナクーラ
伝説 の森 』(絵 :太田 大八 、教育 画 劇 、1990年 ) - 『いつか
誰 でも』(愛育 社 、2002年 ) - 『
失明 地平線 』(祥伝社 、2002年 ) - 『とんでけホルモ』(
小学館 、2004年 ) - 『エンジェルピッグのおはなし まちがしあわせになったよる』(
毎日新聞社 、2007年 )
脚注 [編集 ]
- ^ “イラストレーター エムナマエの
作品 展 見 えない色 のファンタジー”. Internet Museum.丹青社 (2004年 ). 2019年 3月 17日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2019年 3月 18日 閲覧 。 - ^ 『
読売 年鑑 2016年版 』(読売新聞 東京 本社 、2016年 )p.474 - ^ 「
全盲 のイラストレーター、エムナマエさん死去 70歳 」『時事 ドットコム』(時事通信 )、2019年 3月 13日 。2019年 3月 18日 閲覧 。オリジナルの2019年 3月 13日 時点 におけるアーカイブ。 - ^ “エム ナマエの
秘密 -どうしてボクは絵 をかくのか-” (2001年 2月 3日 ). 2020年 6月 21日 閲覧 。 - ^ 「
全盲 のイラストレーター、エムナマエさん死去 70歳 」『毎日新聞 』、2019年 3月 13日 。2019年 3月 18日 閲覧 。オリジナルの2019年 3月 17日 時点 におけるアーカイブ。 - ^ Henri Kenji OIKAWA (2019
年 3月 17日 ). “「全盲 のイラストレーター」エムナマエさんが死去 ”.日 仏 共同 テレビ局 フランス10. 2019年 3月 17日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2019年 3月 18日 閲覧 。 - ^ 「エムナマエ
氏 死去 イラストレーター」『山陽 新聞 』、2019年 3月 13日 。2019年 3月 18日 閲覧 。オリジナルの2019年 3月 17日 時点 におけるアーカイブ。
外部 リンク[編集 ]
- エム ナマエ
公式 サイト - エム ナマエ
氏 の『やさしさの世界 』 全盲 の画家 ・エムナマエさんインタビュー - YouTube -日 仏 共同 テレビ局 France10