エーバーバッハ (ドイツ語 ご : Eberbach , ドイツ語 ご 発音 はつおん : [ˈeːbɐbax] [2] ) は、ドイツ連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく バーデン=ヴュルテンベルク州 しゅう ライン=ネッカー郡 ぐん に属 ぞく し、ハイデルベルク の東 ひがし 33kmに位置 いち する都市 とし である。
エーバーバッハは、ネッカー 渓谷 けいこく が広 ひろ がった部分 ぶぶん 、標高 ひょうこう 626mのオーデンヴァルト最高峰 さいこうほう カッツェンブッケル山 さん の麓 ふもと に位置 いち する。この都市 とし は、ネッカータール=オーデンヴァルト自然 しぜん 公園 こうえん に属 ぞく し、古城 こじょう 街道 かいどう 沿 そ いに位置 いち している。
エーバーバッハ市 し には、ネッカーヴィンマースバッハ、ブロムバッハ、フリードリヒスドルフ、リンダッハ、ロッケナウ、イーゲルスバッハ、ガイミューレ、ウンターディールバッハ、バーディシュ・シェレンバッハ、プロイタースバッハの各 かく 市区 しく が属 ぞく す。
中核 ちゅうかく 地区 ちく および大 だい 部分 ぶぶん の市区 しく がネッカー川 がわ の北側 きたがわ に分布 ぶんぷ する。ネッカーヴィンマースバッハ区 く (以前 いぜん は単 たん にヴィンマースバッハという地名 ちめい であったが、ヴァルトヴィンマースバッハ(ロプバッハの地区 ちく )と区別 くべつ するために現在 げんざい の名 な になった)、ロッケナウ区 く およびプロイタースバッハ区 く は、ネッカー川 がわ の南側 みなみがわ 、いわゆる小 しょう オーデンヴァルト に位置 いち する。ネッカーヴィンマースバッハ区 く は、中核 ちゅうかく 地区 ちく とネッカー川 がわ を挟 はさ んで真向 まむ かいにあり、1899年 ねん にネッカー川 がわ をまたいで両 りょう 地区 ちく を結 むす ぶ橋 はし が建設 けんせつ され、これにより、元々 もともと 高台 たかだい にあった歴史 れきし 的 てき 中核 ちゅうかく 地区 ちく は事実 じじつ 上 じょう 、その重要 じゅうよう 性 せい を喪失 そうしつ した。
イーゲルスバッハにはヘッセン州 しゅう との州 しゅう 境 さかい が通 かよ っている。その北東 ほくとう 側 がわ がエーバーバッハに属 ぞく す「バーデンのイーゲルスバッハ」であり、南西 なんせい 側 がわ の「ヘッセンのイーゲルスバッハ」はヘッセン州 しゅう のヒルシュホルン に属 ぞく す。同様 どうよう の状況 じょうきょう は、シェレンバッハ地区 ちく にもあり、その大 だい 部分 ぶぶん はヘッセン州 しゅう のヘッセネック に属 ぞく する。
エーバーバッハの領主 りょうしゅ 貴族 きぞく 家 か は、1196年 ねん に初 はじ めて記録 きろく されている。中世 ちゅうせい 盛期 せいき にはすでにヴォルムス司教 しきょう 領 りょう のエーバーバッハ城 じょう が築 きず かれていた。この城 しろ は1227年 ねん に初 はじ めて記録 きろく されており、ハインリヒ7世 せい の時 とき にシュタウフェン家 か のレーエン とされている。この村 むら の都市 とし への昇格 しょうかく は、おそらく彼 かれ の時代 じだい に遡 さかのぼ る。1235年 ねん に城 しろ は帝国 ていこく 直轄 ちょっかつ の城 しろ となった。1321年 ねん に城 しろ の近 ちか くの都市 とし について初 はじ めて記録 きろく が遺 のこ されている。1330年 ねん に城 しろ と都市 とし はライン宮中 きゅうちゅう 伯 はく に質入 しちい れされた。1361年 ねん には庇護 ひご 権 けん もライン宮中 きゅうちゅう 伯 はく 家 か のものとなり、16世紀 せいき になるまでにプファルツ選 せん 帝 みかど 侯 こう はこの帝国 ていこく 都市 とし を獲得 かくとく していた。1360年 ねん 以降 いこう エーバーバッハにツェント(十 じゅう 分 ぶん の一 いち 税 ぜい 徴収 ちょうしゅう 役場 やくば )があったことが証明 しょうめい されており、この都市 とし の市長 しちょう はプファルツ選 せん 帝 みかど 侯 こう の酒蔵 さかぐら 管理 かんり 局 きょく の官吏 かんり であった。1402年 ねん 以後 いご 、城 しろ はハンス・フォン・ヒルシュホルンによって取 と り壊 こわ された。
1528年 ねん から1555年 ねん の間 あいだ に、ハイデルベルクでペスト が猛威 もうい を振 ふ るったため、ハイデルベルク大学 だいがく は何 なん 度 ど もエーバーバッハに避難 ひなん している。プファルツ選 せん 帝 みかど 侯 こう 領 りょう の一部 いちぶ として16世紀 せいき に宗教 しゅうきょう 改革 かいかく がなされ、17世紀 せいき に反 はん 宗教 しゅうきょう 改革 かいかく の影響 えいきょう により信仰 しんこう の分裂 ぶんれつ 状態 じょうたい となった。三 さん 十 じゅう 年 ねん 戦争 せんそう では、わずかな被害 ひがい を受 う けただけであったが、それでももちろん住民 じゅうみん は被害 ひがい を受 う け、深刻 しんこく な貧困 ひんこん に苦 くる しめられた。住民 じゅうみん は林業 りんぎょう 、木材 もくざい 加工 かこう 業 ぎょう 、漁業 ぎょぎょう 、水運 すいうん 業 ぎょう に携 たずさ わるようになった。
エーバーバッハは、1803年 ねん にライニンゲン侯 ほう 領 りょう となった。1806年 ねん にバーデン大公 たいこう 領 りょう となり、それから1924年 ねん まではベツィルクスアムト(地方 ちほう 行政 ぎょうせい 区分 くぶん )の所在地 しょざいち であった。1838年 ねん から郵便 ゆうびん 局 きょく が、1841年 ねん からベツィルクの営林署 えいりんしょ が、1857年 ねん からは区 く 裁判所 さいばんしょ が置 お かれた。19世紀 せいき のネッカー渓谷 けいこく は経済 けいざい 発展 はってん の第 だい 1段階 だんかい にあった。1849年 ねん にネッカータール街道 かいどう が整備 せいび され、1879年 ねん にネッカータール鉄道 てつどう が開通 かいつう し、同 おな じ頃 ごろ にネッカー川 がわ に鎖 くさり 牽引 けんいん 式 しき 航行 こうこう 施設 しせつ が設 もう けられた。エーバーバッハのネッカー橋 きょう は1900年 ねん に完成 かんせい した。この都市 とし の人口 じんこう は、1800年 ねん に2,400人 にん であったが、1900年 ねん 頃 ごろ には6,000人 にん にまで増加 ぞうか した。1899年 ねん にネッカーヴィンマースバッハが、1925年 ねん にはイーゲルスバッハのバーデン側 がわ が合併 がっぺい している。
ネッカー川 がわ の運河 うんが 化 か の動 うご きを承 う け、1930年 ねん 頃 ごろ に堰 せき が設 もう けられ、貨物 かもつ の積 つ み降 お ろし用 よう 港湾 こうわん 施設 しせつ が建設 けんせつ された。1935年 ねん にはマンハイム とハイルブロン の間 あいだ に11の堰 せき が完成 かんせい し、ネッカー川 がわ の水上 すいじょう 交通 こうつう は発展 はってん した。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん では、旧 きゅう 市街 しがい 部分 ぶぶん が空爆 くうばく によって破壊 はかい され、ネッカー橋 きょう も爆破 ばくは された。この橋 はし は、1946年 ねん 5月にはすでに、ネッカー川 がわ 最初 さいしょ の橋 はし として再建 さいけん されている。1959年 ねん にネッカー川 かわ 沿 ぞ いのバイパスが建設 けんせつ された。1973年 ねん 1月 がつ 1日 にち にリンダッハとフリードリヒスドルフが合併 がっぺい し、12月31日 にち にプロイタースバッハが合併 がっぺい した。ブロムバッハとロッケナウは1975年 ねん にこれに続 つづ いた。
市区 しく はおおむね市 し の歴史 れきし と同 おな じ経緯 けいい をたどった。中世 ちゅうせい にはすでにその記録 きろく があり、14世紀 せいき にプファルツ選 せん 帝 みかど 侯 こう 領 りょう になり、1803年 ねん 以後 いご バーデン大公 たいこう 領 りょう となった。そこで大 おお きな村 むら の場合 ばあい には独立 どくりつ した自治体 じちたい となったのであった。
エーバーバッハの町 まち 役場 やくば
エーバーバッハの市議会 しぎかい は、2004年 ねん 6月 がつ 13日 にち の選挙 せんきょ で選出 せんしゅつ された22人 にん の議員 ぎいん からなる。
市長 しちょう は、任期 にんき 8年間 ねんかん で、直接 ちょくせつ 選挙 せんきょ によって選出 せんしゅつ される。2013年 ねん 1月 がつ 1日 にち から無所属 むしょぞく のペーター・ライヒェルトがこの職 しょく に就 つ いている[3] 。ライヒェルトは2012年 ねん 10月 がつ 21日 にち の選挙 せんきょ で過半数 かはんすう の 64.2 % の票 ひょう を獲得 かくとく した[4] 。
銀 ぎん (白 しろ )地 ち 、やや低 ひく い位置 いち に青 あお い波 なみ 帯 たい があり、その上 うえ にゆっくりと歩 あゆ む黒 くろ いイノシシ。イノシシ (=Eber) + 小川 おがわ (=Bach) の村 むら の名前 なまえ に因 ちな んだ紋章 もんしょう である。旗 はた は、青 あお - 白 しろ (青 あお - 銀 ぎん )である。帝国 ていこく 都市 とし であったため、元々 もともと は帝国 ていこく 鷲 わし の紋章 もんしょう が使 つか われていた。帝国 ていこく 鷲 わし は、たとえば1909年 ねん の写真 しゃしん ではオベーレン・トア(上 うえ の門 もん )近 ちか くの市 し 壁 かべ などに見 み られ、また、紋章 もんしょう を刻 きざ んだ石 いし が市立 しりつ 博物館 はくぶつかん に収 おさ められている。現在 げんざい の紋章 もんしょう は1387年 ねん の印章 いんしょう に用 もち いられているが、イノシシの外観 がいかん などは、1976年 ねん に制定 せいてい された現在 げんざい ものと明 あき らかに違 ちが っている。[5]
エーバーバッハは、マンハイムからプラハ までを結 むす ぶ古城 こじょう 街道 かいどう 沿 そ いに位置 いち している。古城 こじょう 街道 かいどう のネッカー渓谷 けいこく 部分 ぶぶん は、特 とく に多 おお くの古城 こじょう や見所 みどころ が存在 そんざい する。
ローゼン塔 とう
大 だい 部分 ぶぶん が歩行 ほこう 者 しゃ 専用 せんよう 区域 くいき となっている旧 きゅう 市街 しがい には、中世 ちゅうせい の防衛 ぼうえい 施設 しせつ であった4つの塔 とう が保存 ほぞん されている。プルファー塔 とう (火薬 かやく 塔 とう )は15世紀 せいき に2棟 むね の建物 たてもの からなる隅 すみ 櫓 ろ として建設 けんせつ された。13世紀 せいき に建設 けんせつ された中世 ちゅうせい の市 し 壁 かべ の角 かく を防衛 ぼうえい する施設 しせつ であり、市 し 壁 かべ の西端 せいたん に建設 けんせつ された。この塔 とう の時計 とけい は、1766年 ねん にエーバーバッハの時計 とけい 職人 しょくにん ヤーコプ・ブラウンによって製作 せいさく された。ブラウアー・フート(警察 けいさつ 帽 ぼう )は、その名 な の由来 ゆらい となった特徴 とくちょう 的 てき な形 かたち の青 あお く鈍 にぶ く輝 かがや くスレート 屋根 やね が特徴 とくちょう で、旧 きゅう 市街 しがい の南端 なんたん に位置 いち する塔 とう である。旧 きゅう 市街 しがい の北端 ほくたん にあたるリンデン広場 ひろば に面 めん する、14世紀 せいき に建 た てられたハスペル塔 とう (ウインチ塔 とう )は、一時期 いちじき 、1階 かい が塗 ぬ り固 がた められてしまい、上 うえ 階 かい から出入 でい りするためのウインチ が設 もう けられていた。現在 げんざい 、この塔 とう の中 なか にはブリキ人形 にんぎょう の博物館 はくぶつかん が入 はい っている。ローゼン塔 とう (バラ塔 とう )は、エーバーバッハで唯一 ゆいいつ の円筒 えんとう 形 がた の塔 とう であり、最 もっと も古 ふる い塔 とう である。この塔 とう の壁 かべ は、2mの厚 あつ さがあり、おそらくは13世紀 せいき 初 はじ めの都市 とし 防衛 ぼうえい 施設 しせつ 造営 ぞうえい 初期 しょき に建造 けんぞう されたものと考 かんが えられている。元々 もともと はロスブロンナー塔 とう (馬 うま の井戸 いど の塔 とう )と呼 よ ばれていた。この他 ほか の市 し 壁 かべ 関連 かんれん 施設 しせつ の遺構 いこう としては、ローマ時代 じだい 後期 こうき のベッテンドルフシュ門 もん がある。
プルファー塔 とう
ブラウアー・フート
ハスペル塔 とう とシュポールシェ・ハウス
ヴァインブレンナー様式 ようしき の旧 きゅう 市役所 しやくしょ
マルクト広場 ひろば に面 めん した1823年 ねん 建造 けんぞう の旧 きゅう 市庁舎 しちょうしゃ はヴァインブレンナー様式 ようしき (バーデン古典 こてん 主義 しゅぎ 様式 ようしき )の最 もっと も見事 みごと な作品 さくひん に数 かぞ えられる。建設 けんせつ 者 しゃ は、フリードリヒ・ヴァインブレンナー の最 もっと も優秀 ゆうしゅう な弟子 でし であったヨハン・ティーリーであった。歴史 れきし 的 てき な旧 きゅう 市場 いちば に面 めん したこの建物 たてもの は現在 げんざい 博物館 はくぶつかん として使用 しよう されている。この建物 たてもの は、この場所 ばしょ に建 た てられた3代目 だいめ の市庁舎 しちょうしゃ である。最初 さいしょ の建物 たてもの は1480年 ねん に取 と り壊 こわ された。その次 つぎ の建物 たてもの は1814年 ねん まで使 つか われたが老朽 ろうきゅう 化 か により解体 かいたい され、その後 ご に現在 げんざい の建物 たてもの が建設 けんせつ された。マルクト広場 ひろば に面 めん した建築 けんちく アンサンブルは、その他 た の歴史 れきし 的 てき 建造 けんぞう 物 ぶつ によって補完 ほかん される。歴史 れきし 的 てき な「ホテル・カルプフェン」は、その市場 いちば 沿 ぞ いのファサードに人物 じんぶつ や市 し の歴史 れきし の情景 じょうけい を描 えが いたスグラフィット技法 ぎほう の壁 かべ 絵 え が描 えが かれている。古 ふる いこの地方 ちほう の伝統 でんとう 的 てき な図柄 ずがら のスグラフィット画 が は、レストラン「クラベンシュタイン」にも見 み られる。
最 もっと も古 ふる い石造 せきぞう 建築 けんちく は、プルファー塔 とう の近 ちか くにあるタールハイムシェ・ハウスである。この建物 たてもの は、かつてはプファルツ選 せん 帝 みかど 侯 こう の地区 ちく の酒蔵 さかぐら であった建物 たてもの で、後 のち にライニンゲン侯 こう の狩 か りの城 しろ となり、その後 ご 市役所 しやくしょ として用 もち いられた。現在 げんざい はネッカータール=オーデンヴァルト自然 しぜん 公園 こうえん のインフォメーションセンターとなっている。
1836年 ねん 建造 けんぞう のプロテスタントのミヒャエル教会 きょうかい は、遅 おそ くとも15世紀 せいき にはマリア礼拝 れいはい 堂 どう が建 た っていた場所 ばしょ に建設 けんせつ された。カトリック教区 きょうく 教会 きょうかい 聖 せい ヨハネス・ネポムク教会 きょうかい は、1884年 ねん から1887年 ねん にイタリア・ルネサンス様式 ようしき で建設 けんせつ された2つの塔 とう を持 も つ3層 そう の建築 けんちく である。
ホテル・カルプフェン
プロテスタント教会 きょうかい
聖 せい ヨハネス・ネポムク教会 きょうかい
歴史 れきし 的 てき 木組 きぐ み建築 けんちく
この街 まち には、歴史 れきし 的 てき 木組 きぐ み建築 けんちく も多 おお く遺 のこ されている。装飾 そうしょく 性 せい の高 たか い建築 けんちく として、16世紀 せいき 初 はじ めのエーバーバッハ・ホーフ(旧 きゅう 皇帝 こうてい の市城 いちしろ )、すなわちベッテンドルフシェス門 もん を持 も つベッテンドルフシェス・ハウスやその向 む かいに建 た つヴェッカーシェス・ハウスがある。旧 きゅう 浴場 よくじょう は交差 こうさ ヴォールト をもつ中世 ちゅうせい の浴場 よくじょう に遡 さかのぼ る建築 けんちく で、ハスペル塔 とう に隣接 りんせつ するシュポールシェ・ハウスは、装飾 そうしょく 性 せい の高 たか い張 は り出 だ し部 ぶ で知 し られている。
ベッテンドルフシェス・ハウス
ヴェッカーシェス・ハウス
旧 きゅう 浴場 よくじょう
エーバーバッハ城 じょう 趾(ミッテルブルク)
町中 まちなか 様々 さまざま な場所 ばしょ で、歴史 れきし 的 てき なあるいは近代 きんだい 的 てき な泉 いずみ を見 み ることができる。新 あたら しい市庁舎 しちょうしゃ 前 まえ の「村 むら の泉 いずみ 」や「選 せん 帝 みかど 侯 こう の泉 いずみ 」、タールハイムシェ・ハウスに近 ちか い「ネッカー川 がわ の漁師 りょうし の泉 いずみ 」などがある。市庁舎 しちょうしゃ の近 ちか くには、重要 じゅうよう な歴史 れきし 的 てき 記念 きねん 碑 ひ である1870年 ねん から71年 ねん の戦争 せんそう 記念 きねん 碑 ひ がある。ネッカー川 がわ の散歩道 さんぽみち には、この他 ほか にも記念 きねん 碑 ひ がある。
市 し の高台 たかだい 、オーデンヴァルトに連 つら なる丘 おか の上 うえ に遺 のこ るエーバーバッハ城 じょう 趾は、重要 じゅうよう な中世 ちゅうせい の城塞 じょうさい 跡 あと である。この城 しろ は、1403年 ねん にはすでに破壊 はかい されており、20世紀 せいき になって再 ふたた び発掘 はっくつ された。3つの部分 ぶぶん (フォルダーブルク、ミッテルブルク、ヒンターブルク)からなる大 おお きな城塞 じょうさい であった。
イノシシの泉 いずみ
漁師 りょうし の泉 いずみ
戦争 せんそう 記念 きねん 碑 ひ
ロッケナウ区 く の町 まち 役場 やくば
中核 ちゅうかく 地区 ちく 以外 いがい の地区 ちく でも、それぞれいくつかの建築 けんちく や村 むら の歴史 れきし の記念 きねん 碑 ひ が見 み られる。ネッカーヴィンマースバッハ区 く では、旧 きゅう 中心 ちゅうしん 地 ち にカッコウ の泉 いずみ がある。ロッケナウ区 く にはシュトルツェネック城 じょう 趾、戦争 せんそう 記念 きねん 碑 ひ を持 も つ1894年 ねん の建造 けんぞう の旧 きゅう 町 まち 役場 やくば 兼 けん 学校 がっこう がある。この地区 ちく の教会 きょうかい は、近代 きんだい 的 てき な機能 きのう 建築 けんちく である。リンダッハ区 く にも古 ふる い町 まち 役場 やくば がある。プロイタースバッハの旧 きゅう 町 まち 役場 やくば は住宅 じゅうたく として用 もち いられており、鐘 かね 塔 とう やセイレーン 像 ぞう が見 み られる。プロイタースバッハの教会 きょうかい は新 あたら しい建物 たてもの である。
シュトルツェネック城 じょう 趾
ロッケナウ区 く の教会 きょうかい
リンダッハ区 く の旧 きゅう 町 まち 役場 やくば
シュタイゲ区 く の200m高台 たかだい のエーバーバッハ市 し の森 もり に、樹 き 高 だか 60メートルを超 こ える巨大 きょだい なベイマツ (Pseudotsuga menziesii )がある。ドイツ国内 こくない で最 もっと も高 たか い木 き されていたこともあったが、[6]
2008年 ねん の測定 そくてい によると61.60メートルで、フライブルク のベイマツ(63.33メートル)の方 ほう がわずかに高 たか かった。[7]
エーバーバッハ最高 さいこう 地点 ちてん のオールスベルクは、海抜 かいばつ 229mである。
エーバーバッハには多 おお くの博物館 はくぶつかん がある。
エーバーバッハ市立 しりつ 郷土 きょうど 博物館 はくぶつかん
樽 たる 造 づく り博物館 はくぶつかん
ブリキ人形 にんぎょう キャビネット
年中 ねんじゅう 行事 ぎょうじ [ 編集 へんしゅう ]
エーバーバッハでは以下 いか の年中 ねんじゅう 行事 ぎょうじ がある。
リンゴの日 ひ (10月 がつ 中旬 ちゅうじゅん )
ラムソン 祭 まつり (3月 がつ 中旬 ちゅうじゅん から4月 がつ 中旬 ちゅうじゅん 、ラムソンは植物 しょくぶつ の名 な Allium ursinum 参照 さんしょう )
春 はる 祭 まつ り(5月 がつ 中旬 ちゅうじゅん )
カッコウ市 し : エーバーバッハのカッコウ市 し は、8月 がつ 最終 さいしゅう 週 しゅう の週末 しゅうまつ に開催 かいさい される民俗 みんぞく 祭 さい である。名前 なまえ は、あるエーバーバッハの人 ひと が、当時 とうじ はまだ独立 どくりつ した自治体 じちたい であったネッカー川 がわ の川 かわ 向 む かいにあるネッカーヴィンマースバッハ村 むら の食堂 しょくどう で、ハトの代 か わりにカッコウの料理 りょうり を出 だ されて食 た べたという、この地 ち に伝 つた わる伝承 でんしょう に因 ちな んだものである。カッコウ市 し は、現在 げんざい 、ネッカーヴィンマースバッハの、スポーツ施設 しせつ 「イン・デア・アウ」やシュヴァンハイマー通 どお り、ベック通 どお り、ネッカー橋 きょう 付近 ふきん で開催 かいさい される。
経済 けいざい と社会 しゃかい 資本 しほん [ 編集 へんしゅう ]
エーバーバッハ駅 えき
ラインネッカーSバーン S1系統 けいとう およびS2系統 けいとう の列車 れっしゃ が30分 ふん ごとにネッカータール鉄道 てつどう の路線 ろせん をモースバッハ /オスターブルケン 方面 ほうめん あるいはハイデルベルク /マンハイム 方面 ほうめん へ発着 はっちゃく する。エーバーバッハ駅 えき の他 ほか にリンダハ区 く にも駅 えき がある。また、RE として、2時 じ 間 あいだ 毎 ごと に、マンハイム - ハイルブロン間 あいだ を折 お り返 かえ し運行 うんこう している。ダルムシュタット 、フランクフルト・アム・マイン へは、2時 じ 間 あいだ 毎 ごと にシュタットエクスプレスが、オーデンヴァルト鉄道 てつどう 路線 ろせん を走 はし っている。
エーバーバッハは、他 た の同 おな じ規模 きぼ の都市 とし とは対照 たいしょう 的 てき にただ固有 こゆう の運輸 うんゆ 企業 きぎょう が運営 うんえい している。総 そう 保有 ほゆう 車両 しゃりょう 数 すう には全 ぜん 6台 だい のバスが含 ふく まれる。営業 えいぎょう 時刻 じこく は5:10から19:30、本線 ほんせん (レディヒスベルク - エーバーバッハ北 きた )は30分 ふん ごと、支線 しせん では不定期 ふていき な間隔 かんかく で運行 うんこう している。土曜日 どようび の運行 うんこう 時間 じかん は6:30から14:50である。カッコウ市 し の日 ひ は、夜 よる 遅 おそ くまで特別 とくべつ 便 びん が運行 うんこう される。
市 し バスは、以下 いか の路線 ろせん を運営 うんえい している。
801系統 けいとう 、807系統 けいとう : 駅 えき - レディヒスベルク
802系統 けいとう 、802a系統 けいとう 、809系統 けいとう : 駅 えき - エーバーバッハ北 きた
803系統 けいとう : 駅 えき - ロッケナウ
804系統 けいとう : 駅 えき - イーゲルスバッハ
805系統 けいとう : 駅 えき - ホルダーグルント
806系統 けいとう : ヒルシュホルン - ブロムバッハ(この路線 ろせん はヘックマン社 しゃ が運営 うんえい している)
これらの他 ほか にVRN(ライン=ネッカー交通 こうつう 連盟 れんめい )、RMV(ライン=マイン交通 こうつう 連盟 れんめい )が、いくつかの地域 ちいき バス路線 ろせん が運行 うんこう されている。
エーバーバッハは、連邦 れんぽう 道 どう B37号線 ごうせん とB45号線 ごうせん の交差点 こうさてん に面 めん している。
エーバーバッハはゼラチン製造 せいぞう 業者 ぎょうしゃ GELITA AG、織機 しょっき メーカー Dilo、医薬品 いやくひん 業 ぎょう R.P Scherer、ボート製造 せいぞう 業 ぎょう Empacher、食品 しょくひん 業者 ぎょうしゃ 用 よう 包装 ほうそう 機械 きかい 製造 せいぞう 業 ぎょう Siebeck GmbH、自動 じどう 券売 けんばい 機 き 製造 せいぞう 業 ぎょう Krauth Technology、ネッカー電話 でんわ グループ、およびデザイン家具 かぐ 製造 せいぞう Ronald-Schmitt-Tischeといった企業 きぎょう が本社 ほんしゃ を置 お いている。
ロッケナウ発電 はつでん 所 しょ のNeckar AG社 しゃ はネッカー川 がわ の全 ぜん 27基 き の水力 すいりょく 発電 はつでん 所 しょ 堰 せき を遠隔 えんかく 操作 そうさ する。
Eberbacher Zeitung は、Südwest-Presseに基 もと づく地方 ちほう 日刊 にっかん 紙 し である。
Rhein-Neckar-Zeitung は、エーバーバッハ固有 こゆう の地方 ちほう 版 ばん を作製 さくせい している。また、エーバーバッハとその周辺 しゅうへん 地方 ちほう 向 む けのローカル紙 し Eberbacher Nachrichten を出版 しゅっぱん している。
Eberbach-Channel、Cityweb-Eberbachは、エーバーバッハおよび周辺 しゅうへん 地域 ちいき のオンライン情報 じょうほう サイトである。
広告 こうこく 収入 しゅうにゅう で賄 まかな われている週刊 しゅうかん のフリーペーパーもある。
ホーエンシュタウフェン・ギムナジウム のほか、基礎 きそ 課程 かてい 学校 がっこう 、本 ほん 課程 かてい 学校 がっこう 、実業 じつぎょう 学校 がっこう 、養護 ようご 学校 がっこう などがある。
医療 いりょう 保健 ほけん 施設 しせつ [ 編集 へんしゅう ]
ライン・ネッカー保健 ほけん センターの病院 びょういん
ルドルフ・エップの作品 さくひん 『子 こ どもに服 ふく を着 き せる母 はは 』
青池 あおいけ 保子 やすこ - 日本 にっぽん の漫画 まんが 家 か 。著作 ちょさく 『エロイカより愛 あい をこめて 』にエーベルバッハの名 な を持 も つメインキャラクターを登場 とうじょう させた経緯 けいい から、市 し を訪 おとず れる日本人 にっぽんじん 観光 かんこう 客 きゃく が急増 きゅうぞう した。この功績 こうせき によって名誉 めいよ 賞 しょう の称号 しょうごう と市 し のシンボルであるイノシシの彫像 ちょうぞう を送 おく られている。
エーバーバッハの歴史 れきし
Band 1: Hansmartin Schwarzmeier: Bis zur Einführung der Reformation 1556 . ISBN 3-7995-4084-9
Band 2: A. Cser, R. Vetter, H. Joho: Vom 16. Jahrhundert bis in die Gegenwart . ISBN 3-7995-4085-7
Georg Bungenstab (Hrsg.): Wälder im Odenwald - Wald für die Odenwälder. Dokumente aus 150 Jahren Eberbacher Forstgeschichte . Staatliches Forstamt Eberbach, Eberbach 1999
Joachim Viebig: Die Forstmeister in Eberbach. Ein Lebens- und Berufsbild der leitenden Forstbeamten in Eberbach in Band 76 der Schriftenreihe der Landesforstverwaltung Baden-Württemberg . Landesforstverwaltung Baden-Württemberg, Stuttgart 1994, S. 333-352
Roland Vetter: Das Alte Badhaus zu Eberbach. Von der spätmittelalterlichen Badstube zum Hotel-Restaurant . Edition Guderjahn, Heidelberg 1990. ISBN 978-3-924973-12-4
John Gustav Weiss: Geschichte der Stadt Eberbach am Neckar . Verlag Wieprecht, Eberbach 1900
これらの文献 ぶんけん は、翻訳 ほんやく 元 もと であるドイツ語 ご 版 ばん の参考 さんこう 文献 ぶんけん であり、日本語 にほんご 版 ばん 作製 さくせい に際 さい し直接 ちょくせつ 参照 さんしょう してはおりません。
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