マルシュ (ライン=ネッカーぐん)

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紋章もんしょう 地図ちず
ぐん位置いち
基本きほん情報じょうほう
連邦れんぽうしゅう: バーデン=ヴュルテンベルクしゅう
行政ぎょうせい管区かんく: カールスルーエ行政ぎょうせい管区かんく
ぐん: ライン=ネッカーぐん
市町村しちょうそん連合体れんごうたい: ラウエンベルク自治体じちたい行政ぎょうせい連合れんごう
緯度いど経度けいど: 北緯ほくい4914ふん47びょう 東経とうけい0840ふん59びょう / 北緯ほくい49.24639 東経とうけい8.68306 / 49.24639; 8.68306座標ざひょう: 北緯ほくい4914ふん47びょう 東経とうけい0840ふん59びょう / 北緯ほくい49.24639 東経とうけい8.68306 / 49.24639; 8.68306
標高ひょうこう: 海抜かいばつ 171 m
面積めんせき: 6.77 km2
人口じんこう:

3,491にん(2021ねん12月31にち現在げんざい[1]

人口じんこう密度みつど: 516 にん/km2
郵便ゆうびん番号ばんごう: 69254
市外しがい局番きょくばん: 07253
ナンバープレート: HD
自治体じちたいコード:

08 2 26 046

行政ぎょうせい庁舎ちょうしゃ住所じゅうしょ: Kirchberg 10
69254 Malsch
ウェブサイト: malsch-weinort.de
首長しゅちょう: ジビレ・ヴュルフェル (Sibylle Würfel)
ぐんない位置いち
地図ちず
地図

マルシュ (ドイツ: Malsch) は、ドイツ連邦れんぽう共和きょうわこくバーデン=ヴュルテンベルクしゅうライン=ネッカーぐんぞく町村ちょうそん以下いかほんこうでは便宜上べんぎじょうまち」と記述きじゅつする)。

地理ちり[編集へんしゅう]

マルシュは、ヴィースロッホみなみクライヒガウ北西ほくせいかく、すなわちオーバーライン地溝ちこうたいえん位置いちし、ライン=ネッカー大都市だいとしけんふくまれる。標高ひょうこう246mのレッツェンベルクのふもとにあたる。

さかいせっする市町村しちょうそんは、きたから時計とけいまわりにラウエンベルクミュールハウゼンバート・シェーンボルンザンクト・レオン=ロートである。

歴史れきし[編集へんしゅう]

マルシュは、ロルシュ文書ぶんしょふくまれる783ねん贈与ぞうよ証明しょうめいしょはじめて記録きろくされている。976ねん皇帝こうていオットー2せいベネディクトかいのモースバッハ修道院しゅうどういんをマルシュをふくむ23のむらとともにヴォルムス司教しきょうあたえた。1302ねんにこのむらシュパイアー司教しきょう本部ほんぶ贈与ぞうよされた。ここではローテンベルク管区かんくぞくしたが、この管区かんく1463ねんから1505ねんまでプファルツせんみかどこう担保たんぽとしてされた。1525ねん4がつ20日はつか、レッツェンベルクさん農民のうみん参集さんしゅうしたことで、シュパイアー司教しきょうりょうにおけるドイツ農民のうみん戦争せんそう火蓋ひぶたった。この暴動ぼうどう鎮圧ちんあつされると、マルシュは破壊はかいされた。

さんじゅうねん戦争せんそうでは、1622ねんティリーはくはこのむらちした。戦争せんそうわったとき、マルシュには住民じゅうみんがいなくなり、人口じんこう戦争せんそう開始かいしのわずか5%にまで減少げんしょうしていた。プファルツ継承けいしょう戦争せんそうでは、プファルツせんみかどこうりょうではないにもかかわらず、1689ねん1693ねんにフランスぐん攻撃こうげきされた。

フランス革命かくめいによる変革へんかく1803ねんにマルシュはバーデンりょうとなり、500ねん以上いじょうおよぶシュパイアー司教しきょうりょう時代じだいわった。マルシェンベルクの領域りょういき現在げんざいラウエンベルク一部いちぶ)は1824ねん分離ぶんりされた。バーデン大公たいこうカール義兄ぎけいたるロシア皇帝こうていアレクサンドル1せい1818ねんにマルシュをおとずれている。

1870ねんからヴァイマル共和きょうわせい終焉しゅうえん1933ねんまで中央ちゅうおうとうがマルシュにおける最大さいだい政党せいとうであった。このまちは、だい世界せかい大戦たいせんきゅうドイツりょうひがしプロイセンシレジア、チェコりょうであったズデーテン地方ちほうなどから追放ついほうされた人々ひとびとを350人受ひとうれた。マルシュはあたらしく創設そうせつされたバーデン=ヴュルテンベルクしゅう一員いちいんとなった。

マルシュの人口推移
マルシュの人口じんこう推移すいい

宗教しゅうきょう[編集へんしゅう]

ながあいだシュパイアー司教しきょう本部ほんぶりょうであっただけにマルシュの住民じゅうみんおもカトリック信者しんじゃである。だい世界せかい大戦たいせん難民なんみんれによっても、宗教しゅうきょう分布ぶんぷはほとんどわらなかった。

ユダヤじんは18世紀せいきはじごろからマルシュに定住ていじゅうしていた。ユダヤじん比率ひりつ最高さいこうたっした1875ねんには7.5%であった。その都市としへの流出りゅうしゅつこった。1834ねん建設けんせつされたシナゴーグは1938ねん焼失しょうしつした。

行政ぎょうせい[編集へんしゅう]

マルシュのまち役場やくば

議会ぎかい[編集へんしゅう]

マルシュの議会ぎかいは14議席ぎせきからなる。これに議長ぎちょうつとめる首長しゅちょうくわわる。

紋章もんしょう[編集へんしゅう]

図柄ずがら: 青地あおじ赤地あかじ分割ぶんかつかってひだり紋章もんしょうはしからはしまでのぎんじゅう半分はんぶんかってみぎぎんむらのマーク(θしーたがたのマーク、ゼスター)

この紋章もんしょうは1900ねんにゲネラルランデスアルヒーフ(文書ぶんしょかん)に認可にんかされた。穀物こくもつ意味いみするむらのマークは、1771ねん印章いんしょうにすでに登場とうじょうする。半分はんぶんかくされた十字じゅうじはシュパイアー司教しきょう紋章もんしょうである。

はたは、あか - あおで、1935ねんにはすでにもちいられていたことがかっている。[2]

友好ゆうこう都市とし[編集へんしゅう]

文化ぶんか見所みどころ[編集へんしゅう]

レッツェンベルクの巡礼じゅんれい礼拝れいはいどう

教会きょうかい[編集へんしゅう]

1972ねんにバロック教会きょうかいひじりユリアナ教会きょうかい外壁がいへきいたるまで焼失しょうしつした。じゅうよん聖人せいじんぞうオルガン説教せっきょうだんわき祭壇さいだんバロック様式ようしきによるイエス洗礼せんれい破壊はかいされた。せいしつだけが無傷むきずのこされた。教会きょうかいは1974ねんまでに再建さいけんされた。[3]

1902ねん建設けんせつされたレッツェンベルクの巡礼じゅんれい礼拝れいはいどうへは、としに2かいだい規模きぼせいヴェンデリヌスの巡礼じゅんれいおこなわれる。はる巡礼じゅんれいは5月のだい1日曜日にちようびあき巡礼じゅんれいは9月のだい3日曜にちようおこなわれる。2つの巡礼じゅんれいあいだ火曜日かようび夕方ゆうがたに、巡礼じゅんれい礼拝れいはいどう聖餐せいさんしき開催かいさいされる。毎年まいとし9がつ最終さいしゅう日曜日にちようびにはうま巡礼じゅんれいおこなわれる。この巡礼じゅんれいひと動物どうぶつ敬虔けいけんいのりでわる。

スポーツ[編集へんしゅう]

マルシュには以下いかのスポーツ施設しせつ・スポーツクラブがある。

  • スイミング・プール
  • 4レーンのボウリング施設しせつがあるレープラントハレ
  • むら南部なんぶにあるグライダー飛行場ひこうじょう
  • 体操たいそう・スポーツクラブ「ゲルマニア」
  • クラフトスポーツクラブ
  • Freunde des Ringkampfsports in Malsch e.V.(マルシュ・レスリング愛好あいこうかい
  • スポーツ・ダイビングクラブ「マジック・オクトパス」
  • マルシュ・ブーレクラブ

経済けいざい社会しゃかい資本しほん[編集へんしゅう]

ブドウはたけおもとするかつての農村のうそんは、現在げんざいでも農業のうぎょうさかんである。標高ひょうこう248mのレッツェンベルクのみなみ斜面しゃめんひがししたその支脈しみゃくには120 haのブドウはたけひろがり、おもミュラー・トゥルガウたねピノ・ブランたねルーレンダーたねピノ・ノワールたね栽培さいばいされている。

工場こうじょう企業きぎょう町内ちょうないにあるのだが、おおくの住民じゅうみん職場しょくば近隣きんりんヴァルドルフ、ヴィースロッホ、バート・シェーンボルンクローナウにある。

交通こうつう[編集へんしゅう]

マルシュは、連邦れんぽうどうB3号線ごうせんちかくに位置いちしている。この道路どうろ使つかうと3km以内いないアウトバーンA6号線ごうせんたっする。バーデン本線ほんせんのロート=マルシュえきはラインネッカーSバーン接続せつぞくしている。マルシュはライン=ネッカー交通こうつう連盟れんめいのサービス提供ていきょう地域ちいきふくまれる。

引用いんよう[編集へんしゅう]

  1. ^ Statistisches Landesamt Baden-Württemberg – Bevölkerung nach Nationalität und Geschlecht am 31. Dezember 2021 (CSV-Datei)
  2. ^ Herwig John, Gabriele Wüst: Wappenbuch Rhein-Neckar-Kreis. Ubstadt-Weiher 1996, ISBN 3-929366-27-4, S. 78
  3. ^ St. Juliana

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Staatl. Archivverwaltung Baden-Württemberg in Verbindung mit d. Städten u.d. Landkreisen Heidelberg u. Mannheim (Hg.): Die Stadt- und die Landkreise Heidelberg und Mannheim: Amtliche Kreisbeschreibung.
    • Bd 1: Allgemeiner Teil. Karlsruhe 1966
    • Bd 2: Die Stadt Heidelberg und die Gemeinden des Landkreises Heidelberg. Karlsruhe 1968
  • Alfons Stegmüller, Dionys Wipfler: 1200 Jahre Malsch: 783-1983. Malsch 1983
  • Horst Hill, Alfons Stegmüller, Dionys Wipfler: Kirchenführer der Pfarrkirche St. Juliana und der Wallfahrtskapelle. Saarbrücken 2000

これらの文献ぶんけんは、翻訳ほんやくもとのドイツばん参考さんこう文献ぶんけんであり、日本語にほんごばん作成さくせいさい直接ちょくせつ参照さんしょうしてはおりません。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]