オスカー・シュムスキー

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オスカー・シュムスキー
生誕せいたん (1917-03-23) 1917ねん3月23にち
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくフィラデルフィア
死没しぼつ (2000-07-24) 2000ねん7がつ24にち(83さいぼつ
学歴がくれき カーティス音楽おんがくいん
ジャンル クラシック音楽おんがく
職業しょくぎょう ヴァイオリニスト
担当たんとう楽器がっき ヴァイオリン
公式こうしきサイト 公式こうしきHP

オスカー・シュムスキーOscar Shumsky, 1917ねん3月23にち - 2000ねん7がつ24にち)は、フィラデルフィアまれのアメリカひとヴァイオリニスト[1]両親りょうしん亡命ぼうめいロシアひと

経歴けいれき[編集へんしゅう]

3さいからヴァイオリンまなはじめ、7さいフィラデルフィア管弦楽かんげんがくだん共演きょうえんして公式こうしきデビューしたさい指揮しきしゃストコフスキーをして「いまだかつてない神童しんどう」とわしめた。フリッツ・クライスラー注目ちゅうもくあつめて、カーティス音楽おんがくいん晩年ばんねんレオポルト・アウアーまなぶ。独立どくりつしてからは、ソリストとしてではなく、むしろ教育きょういく活動かつどう室内楽しつないがくアンサンブルでの演奏えんそう指揮しきなど、よりひろ音楽おんがく経験けいけんかさねることに専念せんねんした。とりわけ、ウィリアム・プリムローズジョーゼフ・ギンゴールドらとともに、プリムローズ弦楽げんがくよん重奏じゅうそうだん結成けっせいしたことでられる。

1978ねんになってようやく教育きょういく活動かつどうから退しりぞき、録音ろくおん活動かつどう独演どくえん専念せんねんするようになった。晩年ばんねんになってからのソロ活動かつどう中心ちゅうしんであり、しかも国外こくがいおもイギリス)のマイナー・レーベルにおいて、自分じぶん納得なっとくできる録音ろくおんのみをのこ方針ほうしんをとったことから、その名声めいせいにもかかわらずのこされた録音ろくおんけっしておおくない。

しかし、グレン・グールド共演きょうえんしたりヒンデミットエルネスト・ブロッホ作品さくひん録音ろくおんしたほか、1980年代ねんだい初頭しょとうに、デジタル録音ろくおん方式ほうしきでははじめてイザイの≪伴奏ばんそうヴァイオリン・ソナタ≫を全曲ぜんきょく録音ろくおんするなど、アウアー門下もんかほかのヴァイオリニストにはられないレパートリーや音楽おんがくてき趣味しゅみをのぞかせた。

スタンダードなところでは、いわゆるドイツ3だいB(バッハベートーヴェンブラームス)の協奏曲きょうそうきょくのほか、モーツァルト協奏曲きょうそうきょくしゅうソナタしゅうグラズノフ協奏曲きょうそうきょく、バッハの≪伴奏ばんそうヴァイオリンのためのソナタとパルティータ≫、グリーグのソナタ、ブラームスのハンガリー舞曲ぶきょくしゅうヨーゼフ・ヨアヒム編曲へんきょく)、クライスラー小品しょうひんしゅう得意とくいとした。ピエール・ロード作品さくひん録音ろくおんもある。

息子むすこエリックもヴァイオリニスト

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Oscar Shumsky, shumskymusic.com. 2020ねん9がつ9にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]