キング・カーティス

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キング・カーティス
基本きほん情報じょうほう
生誕せいたん (1934-02-07) 1934ねん2がつ7にち
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくフォートワース
死没しぼつ (1971-08-13) 1971ねん8がつ13にち(37さいぼつ
担当たんとう楽器がっき サックス
共同きょうどう作業さぎょうしゃ ザ・キングピンズ

キング・カーティスKing Curtis, 本名ほんみょうCurtis Ousley 1934ねん2がつ7にち-1971ねん8がつ13にち)は、アメリカフォートワース出身しゅっしんのR&Bサクソフォーン奏者そうしゃ。1950ねん後半こうはんから活躍かつやくし、独特どくとく音色ねいろとジャンルのわくにとらわれない幅広はばひろ音楽おんがくせいから、くなったのちたか人気にんきほこっている。2000ねんにはロックの殿堂でんどうのサイドマン部門ぶもんりをたした[1]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

10さいのときに、ルイ・ジョーダン演奏えんそうき、サックスをはじめる。10代後半こうはんからニューヨークでスタジオミュージシャンとしての活動かつどう開始かいしし、すうおおくのセッションに参加さんかする。そのなか当時とうじ人気にんきあつめたドゥーワップグループ「コースターズ」のセッションで披露ひろうしたユニークなサウンドが評判ひょうばんび、ヒットきょくである「ヤキティ・ヤク」から、「ヤキティ・サックス」をばれ、たか人気にんきほこった。

1959ねんよりソロ活動かつどう開始かいしし、1962ねん発表はっぴょうした「Soul Twist」は『ビルボード』のポップ・チャートで17[2]、R&Bシングル・チャートで1記録きろく[3]。そのも1964ねんには「ソウル・セレナーデ」がポップ・チャートで51[2]、R&Bチャートで20[3]たっするなど順調じゅんちょう活躍かつやくつづけ、1965ねんにメジャー・レーベルのアトランティック専属せんぞく契約けいやくむすび、1967ねんには「Memphis Soul Stew」(ポップ33[2]/R&B6[3])、「Ode to Billie Joe」(ポップ28[2]/R&B6[3])などのヒットさくおくんだ。ソロアーティストとして活動かつどうする一方いっぽう並行へいこうして、サム・ムーア、アルバート・キングアレサ・フランクリンなどアトランティック所属しょぞくアーティストのセッションや音楽おんがく監督かんとく、プロデュースをおこない、アトランティックの音楽おんがくせいおおきな貢献こうけんたした。

1969ねん発表はっぴょうした「孤独こどくかげ[4]が、だい12かいグラミーしょうにおいて、最優秀さいゆうしゅうリズム・アンド・ブルース・インストゥルメンタル・パフォーマンスしょう受賞じゅしょうした。

1971ねん3がつビル・グレアム企画きかくによって、ライブ・アルバム製作せいさくね、サンフランシスコフィルモア・ウェスト開催かいさいされたアレサ・フランクリンのコンサートに自身じしんのバンド、キングピンズで参加さんか前座ぜんざとフランクリンのバック・バンドの両方りょうほうつとめ、この公演こうえん模様もよう同年どうねんのうちに、フランクリン名義めいぎの『アレサ・ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト』、カーティス名義めいぎの『ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト』といったアルバムとして発表はっぴょうされた[5]。また、1971ねん7がつにはジョン・レノンのアルバム『イマジン』のためのセッションにまねかれ、「イッツ・ソー・ハード」と「兵隊へいたいにはなりたくない」の2きょくでサックス・ソロをオーバー・ダビングした[6]

しかし、1971ねん8がつ新品しんぴんまどようエアコンをかついでの帰宅きたく、ニューヨークの自宅じたくアパートメントまえにて麻薬まやく中毒ちゅうどくしゃ口論こうろんになり、ナイフでされ、そのまま搬送はんそうさき病院びょういん死亡しぼうした。

音楽おんがくせい[編集へんしゅう]

サックス奏者そうしゃとしては、唯一ゆいいつ無比むひ音色ねいろち、その力強ちからづよふかみのある演奏えんそうトム・スコットデイヴィッド・サンボーンといったサックス奏者そうしゃはじめ、ジョン・レノンやギタリストのデレク・トラックスなど人種じんしゅかべえ、おおくのミュージシャンにあいされている。

また、毎回まいかいがけた楽曲がっきょくがヒットチャートの上位じょういにランクインさせるほどすぐれた作曲さっきょくであった一方いっぽうで、アレンジャーとしても卓越たくえつした才能さいのうほこり、ライブやレコーディングにおいては、オリジナルきょくくわえ、レッド・ツェッペリンの「むねいっぱいのあい」やプロコル・ハルムの「あおかげ」など、白人はくじんそうのロックミュージックから、スティーヴィー・ワンダーバティ・マイルスなど当時とうじ新進しんしん気鋭きえい黒人こくじん音楽家おんがくか楽曲がっきょくれるなど、幅広はばひろく、柔軟じゅうなん音楽おんがくせいしめした。

内容ないようについても、エレキギターを全面ぜんめんてきし、はげしいギターソロやリフをむロックりの要素ようそに、ドラムとエレキベースの複雑ふくざつシンコペーションポリリズム楽曲がっきょくにテンポをつけるなど、当時とうじ隆盛りゅうせいであったファンク要素ようそれ、これまでのR&Bにはない力強ちからづよ斬新ざんしんなアレンジをおこなった。

こうしたかれ音楽おんがくせいは、アトランティック音楽おんがくせいおおきく寄与きよしただけでなく、1960年代ねんだい後半こうはんから1970年代ねんだいまでのニューソウルのながれやその発展はってんしたフュージョンにもおおきな影響えいきょうあたえた。

また、人材じんざい育成いくせいにもすぐれた手腕しゅわん発揮はっきし、かれ自身じしんのバンド、キングピンズからは、ジェリー・ジェモットバーナード・パーディコーネル・デュプリーチャック・レイニージミ・ヘンドリックスなど、1960〜70年代ねんだい活躍かつやくしたすぐれたミュージシャンを輩出はいしゅつ。また、当時とうじ無名むめいであったダニー・ハサウェイ発掘はっくつし、プロデビューの機会きかいつくったことでもられる。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ King Curtis”. Rock & Roll Hall of Fame. 2018ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d King Curtis Chart History - Hot 100”. Billboard. 2018ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d King Curtis Chart History - Hot R&B/Hip Hop Songs”. Billboard. 2018ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ 45cat - King Curtis And The Kingpins - Games People Play / Foot Pattin', Part II - Atco - USA - 45-6664
  5. ^ Legendary Live Fillmore West Albums Recorded in 1971 by Aretha Franklin”. Goldmine Magazine. F+W (2010ねん4がつ21にち). 2018ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  6. ^ Imagine (album) - Page 2”. The Beatles Bible. 2018ねん8がつ26にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]