(Translated by https://www.hiragana.jp/)
青い影 - Wikipedia コンテンツにスキップ

あおかげ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
あおかげ
プロコル・ハルムシングル
Bめん ライム・ストリート・ブルース
リリース
規格きかく 7インチ・シングル
録音ろくおん ロンドンオリンピック・スタジオ(1967ねん4がつ
ジャンル プログレッシブ・ロックサイケデリック・ロック
時間じかん
レーベル デラム・レコード
作詞さくし作曲さっきょく キース・リードゲイリー・ブルッカーマシュー・フィッシャー
プロデュース デニー・コーデル
チャート最高さいこう順位じゅんい
プロコル・ハルム シングル 年表ねんぴょう
あおかげ
(1967ねん5がつ
ホンバーグ
(1967ねん9がつ
テンプレートを表示ひょうじ

あおかげ」(あおいかげ、原題げんだいA Whiter Shade of Pale)は、イギリスロック・バンドプロコル・ハルムが1967ねん発表はっぴょうしたデビューきょく

ぜんえいシングルチャートで6しゅう連続れんぞくで1記録きろくした。ローリング・ストーンのえらぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版ねんばん)では57にランクされた[7]。イギリスのBBCラジオ22009ねん発表はっぴょうした「過去かこ75ねんUKでもっともプレイされたきょくトップ10」ではだい1えらばれている[8]

概要がいよう[編集へんしゅう]

キース・リード作詞さくしし、ゲイリー・ブルッカー作曲さっきょくした。しかし、後述こうじゅつのとおり法廷ほうてい闘争とうそうひろげられ、現在げんざい当時とうじのメンバーのマシュー・フィッシャー作曲さっきょくしゃとしてクレジットされている。

フィッシャーのオルガンによるイントロダクションと、バッハの『管弦楽かんげんがく組曲くみきょくだい3ばんG線上せんじょうのアリア」』との近似きんじせいはこれまでにたびたび指摘してきされている[9]パーシー・スレッジの「おとこおんなあいするとき」(1966ねん)の影響えいきょうけているともわれている[10]

レコーディングは1967ねん4がつロンドンオリンピック・スタジオおこなわれた。当時とうじプロコル・ハルムにはまだ固定こていされたドラマーがいなかったため、ジャズ・ドラマーのビル・エイデンがセッションに参加さんかした。2テイクで録音ろくおん終了しゅうりょうし、オーバーダビングは一切いっさいされなかった[11]長調ちょうちょう楽曲がっきょくである[12]数日すうじつ、グループはボビー・ハリソンあたらしくドラマーとしてむかれ、アドヴィジョン・スタジオでふたたびレコーディングにむが、このときのテイクは結局けっきょく採用さいようされなかった。「あおかげ」のほかに「ライム・ストリート・ブルース」が録音ろくおんされた[13]

際立きわだってこえるシンバルのおとのせいで、プロデューサーのデニー・コーデルはラジオでかけたときに問題もんだいになるかもしれないとかんがえた。そのためアセテートばんひそかに海賊かいぞく放送ほうそうラジオ・ロンドンおくった。ディスクジョッキーはきょくをかけながら「これはとてつもないヒットになるだろう」とい、コーデルを安心あんしんさせた[14]。リスナーは熱狂ねっきょうし、ラジオ・ロンドンはデラム・レコードにはやくシングルをすようはたらきかけた[15]

1967ねん5月12にち、シングルAめんとして発売はつばい[1]。Bめんは「ライム・ストリート・ブルース」[16]。2週間しゅうかんで40まんまいちかくをげた。ぜんえいシングルチャートで6しゅう連続れんぞく1記録きろく同年どうねん7がつ29にちから8がつ5にちにかけてビルボード・Hot 100で2しゅう連続れんぞく5記録きろくした[3][4]。そのほか、西にしドイツ、フランス、イタリア、オランダ、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、みなみアフリカにおいて1記録きろくした。

同年どうねん9がつ米国べいこくでファースト・アルバム『Procol Harum』が発売はつばいされる。「あおかげ」は米国べいこくばんには収録しゅうろくされたが、それより3かげつの12月に発売はつばいされたイギリスばんには収録しゅうろくされなかった。シングルBめん「ライム・ストリート・ブルース」は結局けっきょくどのオリジナル・アルバムにも収録しゅうろくされなかった。

2015ねん6がつ、ファースト・アルバムの2まいぐみのデラックス・エディションが発売はつばい。「あおかげ」はオリジナル・バージョンのほか、2つのべつバージョンが収録しゅうろくされた。「Extended early version - March 1967」というタイトルのバージョンと、「BBC "Easybeat" session - June 14, 1967」というタイトルのバージョンが収録しゅうろくされた[17][18]。そして「ライム・ストリート・ブルース」がめでたく収録しゅうろくされた。

なお、邦題ほうだいは「あおかげ」となっているが、原題げんだいの「shade」は「かげ」ではなく「色合いろあい、色調しきちょう」という意味いみであり、原題げんだいやくすと「蒼白そうはくな」「しろちか色調しきちょう」といった意味いみになる。

演奏えんそうしゃ[編集へんしゅう]

プロモーション・フィルム[編集へんしゅう]

撮影さつえいのウィットリー・コートの遺跡いせき。(1937ねん一部いちぶ火災かさい全焼ぜんしょう)

最初さいしょの「あおかげ」のプロモーション・クリップは、イングランド・ウスターシャーしゅうウィットリー・コート英語えいごばん遺跡いせき撮影さつえいされた[20]。ヒットシングルで演奏えんそうした5にんのミュージシャンのうちの4にん、ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー、デイヴィッド・ナイツレイ・ロイヤー出演しゅつえんし、演奏えんそう遺跡いせきあるいてまわっている。ドラマーだけがビデオの記録きろくのこっていない。初期しょきのバンドメンバー、ボビー・ハリソンはスタジオ・ミュージシャンのビル・エイデンのドラムを彷彿ほうふつさせる。このフィルムは、ベトナム戦争せんそうニュース映画えいが映像えいぞう挿入そうにゅうしたピーター・クリフトン英語えいごばん監督かんとく指揮しきし、BBCのテレビ番組ばんぐみトップ・オブ・ザ・ポップス」で放送ほうそう禁止きんしとなった[21][22]

プロコル・ハルムはその、「Scopitone英語えいごばん技術ぎじゅつ使用しようして、もうひとつのプロモーション・クリップを制作せいさくした。このフィルムには演奏えんそうシーンはなく、野外やがいでのシーンのみである[23]。この時点じてんで、ロビン・トロワーB.J.ウィルソン英語えいごばんはバンドのロイヤーとハリソンをえたので、5にんのミュージシャンのうち3にんだけが録音ろくおん参加さんかしている。2004ねんにリリースされた「トップ・オブ・ザ・ポップス40周年しゅうねん記念きねん1964-2004」のDVDでは、このきょくは1967ねん代表だいひょうしている。

ジョエル・ガレン英語えいごばんのDeja-View・ミュージックビデオシリーズの一部いちぶとして撮影さつえいされたフィルムもある[24]元々もともと、1985ねん後半こうはんから1986ねんにかけて様々さまざまなネットワークじょう放送ほうそうされていたこのビデオはハリー・ディーン・スタントンバーニー・トゥパン英語えいごばん出演しゅつえんしているが、バンドのメンバーはげられていない。VH1クラシック英語えいごばん放映ほうえいされ、最近さいきんはオンラインで登場とうじょうしている。

あおかげ」をめぐ裁判さいばん[編集へんしゅう]

2005ねんマシュー・フィッシャーが「あおかげ」の著作ちょさくけんめぐってゲイリーとキースを相手あいて訴訟そしょうこした[25]。 フィッシャーは「オルガン・ソロをいただけでなく、ゲイリー・ブルッカーによるオリジナルのコードに重要じゅうよう改変かいへんくわえ、2ふん36秒間びょうかんわたり、オルガンで貢献こうけんしている」と主張しゅちょうし、このきょく作曲さっきょくしゃとしての印税いんぜいをメンバーに要求ようきゅうした。一方いっぽう、ブルッカーは「『あおかげ』はフィッシャーがプロコル・ハルム加入かにゅうするまえつくられていて、フィッシャーはアレンジしただけだ」と主張しゅちょうしている。2006ねん12月20にち現地げんち時間じかん)、高等法院こうとうほういんはフィッシャーのうったえを原則げんそくとしてみとめ、40パーセントの著作ちょさくけんみとめる判決はんけつをいいわたした[26]。ブルッカーは判決はんけつ不服ふふくとして控訴こうそした。

2008ねん4がつ3にち控訴こうそいんは2006ねん判決はんけつ一部いちぶくつがえし、「あおかげ」におけるマシューの作曲さっきょくしゃとしてのクレジットみとめつつも、それにともな印税いんぜい一切いっさいフィッシャーにははいらないとした[27]。だが、2009ねん7がつ30にち貴族きぞくいんは2008ねん控訴こうそしん判決はんけつくつがえし、フィッシャーのいいぶんみとめる最終さいしゅう判決はんけつくだした[28][29]。これによって長期間ちょうきかんわた法廷ほうてい闘争とうそう終止符しゅうしふたれた。

カバー・バージョン[編集へんしゅう]

あおかげ
アニー・レノックスシングル
初出しょしゅつアルバム『メドゥーサ
Bめん ヘブン
リリース
時間じかん
レーベル アリスタ・レコード
作詞さくし作曲さっきょく Keith Reidゲイリー・ブルッカーマシュー・フィッシャー
プロデュース Stephen Lipson
チャート最高さいこう順位じゅんい
アニー・レノックス シングル 年表ねんぴょう
ノー・モア “アイ・ラヴ・ユーズ”
(1995ねん)
あおかげ
(1995ねん)
ウェイティング・イン・ヴェイン
(1995ねん)
テンプレートを表示ひょうじ

備考びこう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 45cat - Procol Harum - A Whiter Shade Of Pale / Lime Street Blues - Deram - UK - DM 126
  2. ^ ChartArchive - Procol Harum
  3. ^ a b The Hot 100 - Week of July 29, 1967”. Billboard. 2022ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  4. ^ a b The Hot 100 - Week of August 5, 1967”. Billboard. 2022ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ “Hits of the World”. Billboard: 63. (30 September 1967). https://books.google.com/books?id=WygEAAAAMBAJ&dq=a+whiter+shade+of+pale+procol+germany++billboard&pg=PA63 2022ねん3がつ24にち閲覧えつらん. 
  6. ^ dutchcharts.nl - Procol Harum - A Whiter Shade Of Pale
  7. ^ Procol Harum, 'Whiter Shade of Pale' | 500 Greatest Songs of All Time | Rolling Stone
  8. ^ 過去かこ75ねん、UKでもっともプレイされたきょくトップ10(BARKS)
  9. ^ Maconie, Stuart (2014). The People's Songs: The Story of Modern Britain in 50 Records. Ebury Press. p. 82. ISBN 978-0091933807. https://books.google.com/books?id=_q4rAwAAQBAJ&pg=PA82 
  10. ^ Holm-Hudson, Kevin (2008). Genesis and The Lamb Lies Down on Broadway. Ashgate Publishing. p. 78. ISBN 978-0-7546-6147-4. https://books.google.com/books?id=CpfMOEIZag4C&q=A+Whiter+Shade+of+Pale+when+a+man+loves+a+woman&pg=PA77 2009ねん12月8にち閲覧えつらん 
  11. ^ Johansen 2000, p. 68.
  12. ^ A Whiter Shade of Pale”. Musicnotes.com (2009ねん9がつ14にち). 2021ねん6がつ2にち閲覧えつらん
  13. ^ Johansen 2000, p. 68–69.
  14. ^ Johansen 2000, p. 70.
  15. ^ Gray, Marcus (2017ねん6がつ8にち). “Procol Harum: The ultimate tale of A Whiter Shade of Pale”. Loudersound. 2022ねん3がつ14にち閲覧えつらん
  16. ^ Procol Harum - Topic. “Lime Street Blues (2009 Remaster - Mono)”. YouTube. 2022ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  17. ^ Procol Harum (2017ねん12月31にち). “A Whiter Shade of Pale (Extended early version - March 1967)”. YouTUbe. 2023ねん10がつ15にち閲覧えつらん
  18. ^ Procol Harum (2017ねん12月31にち). “A Whiter Shade of Pale (BBC "Easybeat" session, June 1967)”. YouTUbe. 2023ねん10がつ15にち閲覧えつらん
  19. ^ You’ve Turned A Whiter Shade Of Pale!”. This Day In Music. 2022ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  20. ^ Hereford and Worcester - Places - Witley court”. BBC (2008ねん7がつ14にち). 2018ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  21. ^ Robinson, Alan (November–December 2009). “Procol Harum”. Shindig!. 
  22. ^ PROCOL HARUM - A Whiter Shade Of Pale - promo film #1(Official Video)
  23. ^ PROCOL HARUM - A Whiter Shade Of Pale - promo film #2(Official Video)
  24. ^ Noel Holston (1985ねん12月12にち). “Deja View Looks Into The '60s”. Orlando Sentinel. 2018ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  25. ^ A Whiter Shade of Pale authorship lawsuit”. 2018ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  26. ^ BBC NEWS | Entertainment | Organist wins Procol Harum battle
  27. ^ Judgment in the AWSoP lawsuit appeal, 4 April 2008”. Procolharum.com. 2018ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  28. ^ “Victory for Whiter Shade organist”. BBC. (2009ねん7がつ30にち). オリジナルの2009ねん7がつ31にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090731222200/http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/8176352.stm 2018ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん 
  29. ^ Judgments – Fisher (Original Respondent and Cross-appellant) v Brooker and others (Original Appellants and Cross-respondents)” (2009ねん7がつ30にち). 2018ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  30. ^ King Curtis & The Kingpins - A Whiter Shade Of Pale / I Heard It Thru The Grapevine (Vinyl) at Discogs
  31. ^ 日産にっさんミュージアム シルビア おもなCMきょく
  32. ^ 「CM音楽おんがくからえた『時代じだいおと』」『朝日新聞あさひしんぶん』1988ねん10がつ29にち東京とうきょう夕刊ゆうかん、7ぺーじ
  33. ^ a b c プロコル・ハルムの名曲めいきょくあおかげ」にまつわるいくつかの逸話いつわ TAP the POP(2017ねん5がつ12にちづけ)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

先代せんだい
ザ・トレメローズ
「サイレンス・イズ・ゴールデン」
ぜんえいシングルチャート 1
1967ねん6月8にち - 7がつ12にち(6しゅう
次代じだい
ビートルズ
あいこそはすべて