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クリストフォルス (対立たいりつ教皇きょうこう)

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クリストフォルス(Christophorus, なま没年ぼつねんしょう)は、903ねん10月から904ねん1がつまでローマ教皇きょうこうくらいにいた人物じんぶつである。20世紀せいき前半ぜんはんまでの近代きんだいおおくの教皇きょうこうのリストでは正当せいとう教皇きょうこうであるとされているが、かれ教会きょうかいほうしたがわない方法ほうほう教皇きょうこうたとかんがえられるようになり、『教皇きょうこうちょう年鑑ねんかん』(Annuario Pontificio)の教皇きょうこう一覧いちらんからは除外じょがいされた。現在げんざいでは、カトリック教会きょうかいでは対立たいりつ教皇きょうこうであったとかんがえられている。

人生じんせい統治とうち

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クリストフォルスの人生じんせいについては、信頼しんらいできる一貫いっかんした情報じょうほうげんがなく、ほとんどわかっていない。ローマ出身しゅっしんで、ちち名前なまえはレオであったとしんじられている。教皇きょうこうになったときは、せいダマススという名前なまえ枢機卿すうききょうであった。前任ぜんにんレオ5せいは、903ねん10がつごろ廃位はいいし、投獄とうごくされた。レオ5せい獄死ごくしし、クリストフォルスはその教皇きょうこうになったとかんがえられている。しかし、ナポリのAuxiliusは、教皇きょうこうセルギウス3せいがレオ5せいとクリストフォルスを殺害さつがいしたとしるしている。11世紀せいきのギリシアの文書ぶんしょでは[1]、クリストフォルスは聖霊せいれいが"ちち"からしょうじるとべた最初さいしょ教皇きょうこうであるとしている。しかしその文書ぶんしょは、クリストフォルスはこの告白こくはくをコンスタンディヌーポリそう主教しゅきょうのセルギウスにかたったとかれているが、当時とうじニコラオス1せいがコンスタンディヌーポリそう主教しゅきょうにあった。

失脚しっきゃく

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クリストフォルスは、セルギウス3せい教皇きょうこうわれた。Hermannus Contractusは、クリストフォルスは修道しゅうどうそうとしてその生涯しょうがいえたと主張しゅちょうしている[2]。しかし、歴史れきしVulgariusは、クリストフォルスは監獄かんごく絞殺こうさつされたとしるしている[3]

正統せいとうせい

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教皇きょうこうについた経緯けいいにかかわらず、クリストフォルスを正統せいとう教皇きょうこうみとめるものもいる。かれ名前なまえは20世紀せいき初頭しょとうまでの主要しゅよう教皇きょうこう一覧いちらんおおくに掲載けいさいされていた[4]かれのポートレートやフレスコ教皇きょうこうならんでローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラだい聖堂せいどうやピサ郊外こうがいサン・ピエロ・ア・グラード聖堂せいどうかざられている。さらにかれは、後継こうけいしゃたちによっても認知にんちされている。たとえば、フランスのコルビー修道院しゅうどういん特権とっけんみとめるにたって、レオ9せいがベネディクトとクリストフォルスの先立さきだ許諾きょだくについて言及げんきゅうしている[5]。この特権とっけんは、クリストフォルスの事績じせき現在げんざいのこっている唯一ゆいいつのものである[6]。しかし、20世紀せいき以降いこうかれ正統せいとう教皇きょうこうとはみとめられなくなり、教皇きょうこう年鑑ねんかん収録しゅうろくローマ教皇きょうこう一覧いちらんからも名前なまえ消去しょうきょされることとなった。

出典しゅってん

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  1. ^ Mon. Graca ad Photium pertinent., p. 160, ed. Hergenrother, Ratisbon, 1869.
  2. ^ Chronicle of Hermannus Contractus, ad an. 904.
  3. ^ Ernst Dummler, Auxilius und Vulgarius (Leipzig, 1866), 160, 135.
  4. ^ Liber Pontificalis, II, ed. Duchesne; Watterich, Pontificum Romanorum Vitae, I; and Origines de l'Eglise romaine, I, par les membres de la communaute de Solesmes, Paris, 1836.
  5. ^ Philipp Jaffe, Regesta RR. Pont., I, n. 4212.
  6. ^ ibid., 3532, 2d ed.

外部がいぶリンク

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