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クリーム (バンド)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリーム
ひだりよりジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、エリック・クラプトン
基本きほん情報じょうほう
原語げんごめい Cream
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル
活動かつどう期間きかん
レーベル
きゅうメンバー

クリームCream)は、イングランド出身しゅっしんスリーピースロックバンド。1966ねんすで成功せいこうおさめていたバンドで活動かつどうしていたジャック・ブルースエリック・クラプトンジンジャー・ベイカー結成けっせいした、ロックかいはつスーパーグループの1つである[7][8][9]。1968ねん解散かいさんしたが、わずか2ねんはん活動かつどう世界せかい席巻せっけんして後続こうぞくのミュージシャンに多大ただい影響えいきょうあたえた。

世界せかいでのアルバムそう売上うりあげは3500まんまい以上いじょうおよ[10]、 『クリームの素晴すばらしき世界せかい』(1967ねん)は世界せかいはつのプラチナ認定にんていけた2まいぐみのアルバムとなった[11][12]

VH1100 Greatest Artists of Hard Rockだい16、「ローリング・ストーンのえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100くみのアーティスト」においてだい66えらばれた[13]

概要がいよう

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彼等かれらはスタジオではブルースポップサイケデリア融合ゆうごうさせたサウンドを展開てんかいした[2]一方いっぽうステージでは、ジャズやブルースの即興そっきょう演奏えんそう(インプロビゼーション)をロックに導入どうにゅうした先駆せんくしゃとしてスタジオ録音ろくおんではすうふん程度ていどだったきょくを10ふん以上いじょうかけて演奏えんそうワウなど当時とうじ最新さいしん機材きざい駆使くししてだい音量おんりょうのエレクトリックサウンドを披露ひろうしたこととわせて、ジミ・ヘンドリックスとも1960年代ねんだいハードロック源流げんりゅうをなして、どうジャンルの基礎きそつくげたとひょうされている[14]

楽曲がっきょくには「クロスロード」や「スプーンフル」などの伝統でんとうてきなブルースを基本きほんとしたもの、「わるほししたに」などのモダンなブルース、さらにエキセントリックな「ストレンジ・ブルー」「英雄えいゆうユリシーズ」「いやなやつ」などがある。ヒットきょくとしては「アイ・フィール・フリー」(UK, #11)、[12] 「サンシャイン・ラブ」(US, #5)、[15]「ホワイト・ルーム」(US, #6),[15]「クロスロード」(US, #28)、[15] 「バッジ」などがげられる。ブルースがいて[注釈ちゅうしゃく 1]リード・ボーカルをったきょくおおかったが、ライブ・アルバムにあきらかなように、彼等かれらまった対等たいとう高度こうど演奏えんそうりょく駆使くしして火花ひばならしながら強烈きょうれつなアドリブをひろげ、だれ一人ひとりがリーダーシップをって牽引けんいんすることはなかった。アメリカのレコード会社かいしゃ彼等かれらをクラプトンとそのバックバンドとしてすことを提案ていあんしたが、勿論もちろん拒否きょひされた。

彼等かれら音楽おんがくせい演奏えんそうスタイルは、レッド・ツェッペリン代表だいひょうされる後続こうぞくのブリティッシュ・ハードロック・バンド、マウンテングランド・ファンク・レイルロードなどのアメリカン・ハードロック・バンド[16]、、オールマン・ブラザーズ・バンドグレイトフル・デッドフィッシュなどのジャムバンドラッシュなどのプログレッシブ・ロックバンドにも影響えいきょうあたえた[17]

ちなみにベイカーは、音楽おんがくのインタビューで「クリームがロックだったこといちもない。あれはインプロヴィゼーションだ」[18]「レッド・ツェッペリンもヘヴィ・メタルもきらいだ。きょだいアンプの爆音ばくおん苦痛くつうたまらなかったからだ」と、後続こうぞくのバンドやミュージシャンに影響えいきょうあたえたヘヴィサウンドに嫌悪けんおかんしめした[19]

メンバー

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経歴けいれき

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ジンジャー・ベイカーが、ヤードバーズ注目ちゅうもくされ脱退だったいホワイト・ブルース名門めいもんジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ在籍ざいせきしていたエリック・クラプトンをバンドにさそう。クラプトンは、当時とうじマンフレッド・マンにいたジャック・ブルースをベーシストにするならば、という条件じょうけんす。ベイカーはブルースと非常ひじょうなかわるかったがこの条件じょうけんみ、1966ねんにデビューするはこびとなる。

結成けっせい

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1966ねんの7がつ、クラプトンはすでにヤードバーズとジョン・メイオール&ブルースブレイカーズでの活動かつどうによって、イギリスでだいいちきゅうのブルースギタリストとしての評判ひょうばんていた[2]。 しかしクラプトンは、メイオール・バンドの環境かんきょう窮屈きゅうくつかんじ、あたらしいバンドで演奏えんそうすることをもとめていた。

1966ねんに、クラプトンは当時とうじグレアム・ボンド・オーガニゼーション[注釈ちゅうしゃく 2]以下いか「GBO」とりゃく)のバンド・マスターだったベイカーと出会であう。ベイカーのバンドにはジャック・ブルースがベース、ハーモニカとピアノ担当たんとうディック・ヘクストール=スミスらをようし、バンドは高度こうど演奏えんそうりょく評価ひょうかされていたがベイカーもまたGBOに息苦いきぐるしくかんじていた。たか人気にんきから看板かんばんやくでボーカル、オルガン担当たんとうグレアム・ボンド薬物やくぶつ中毒ちゅうどくおちいりその精神せいしん不安定ふあんてい人間にんげん関係かんけいにうんざりし[注釈ちゅうしゃく 3]、ボンドのかんするバンドの実態じったい統率とうそつくずれつつあった。「ジンジャーのことはずっときだった」とクラプトンはう。「ジンジャーは、ぼくがジョン・メイオールと一緒いっしょ演奏えんそうするのをかんた。ライブののちかれのローバーでロンドンまでおくってくれた。かれくるま運転うんてんには感動かんどうした。かれあたらしいバンドをはじめたいとぼくっていて、ぼくおなじことをずっとかんがえていた」[20]。 その2にん私的してきおとわせの機会きかいかさたがいの演奏えんそう技術ぎじゅつ感銘かんめいけ、ベイカーのほうからクラプトンを、まだ名前なまえのないあたらしいグループにさそうことになった。クラプトンは即座そくざれるが、ジャック・ブルースをベースとしてむかえることが条件じょうけんだった[12]。クラプトンによると、ベイカーはその提案ていあんおどろくあまり、くるまをぶつけそうになったという[21]じつは、クラプトンはボーカルにスティーヴ・ウィンウッドむかえたいというねがいもあったそうだ。

クラプトンは1966ねん3がつ短期間たんきかんブルースブレイカーズでプレイしていたころに、ジャック・ブルース(ベース・ギター、ボーカル担当たんとう)とったことがあった[12]どう時期じき2人ふたりはアメリカに本社ほんしゃがあるエレクトラ・レコードがイギリス進出しんしゅつたしその記念きねん一環いっかんとして制作せいさくしたえいべいバンドのセッション・オムニバス・アルバム『ホワッツ・シェイキン』に参加さんかしている。おもてジャケットにはカーマ・スートラ・レコード専属せんぞく人気にんきバンドラヴィン・スプーンフル[注釈ちゅうしゃく 4]というエレクトラ社外しゃがいのバンドが掲載けいさいされていた。移籍いせきではなくこの記念きねんアルバムのためにわざわざ限定げんてい契約けいやくわす気合きあいのれようで、支社ししゃ開設かいせつ準備じゅんびとアルバムのイギリス・サイドのプロデュースを担当たんとうしたアメリカじんジョー・ボイド本社ほんしゃ対抗たいこうして大胆だいたん奇策きさくてた。これがセッション・バンドのザ・パワーハウス で、クラプトンにスペンサー・デイヴィス・グループからスティーヴ・ウィンウッド、ピート・ヨークマンフレッド・マンポール・ジョーンズとブルースという若手わかてでは実力じつりょく人気にんきともにトップのミュージシャンの集結しゅうけつはイギリスにおいて新興しんこうエレクトラレーベルの宣伝せんでん話題わだいづくりに成功せいこうした。クラプトンはこのセッション参加さんか共演きょうえんからブルースのボーカルと楽器がっき演奏えんそう腕前うでまえ感動かんどうし、かれ継続けいぞくてき活動かつどうしたいとおもったのであった。

クラプトンはらなかったのだが、ブルースはボンドのバンドに所属しょぞくしていたものの、ベイカーとは非常ひじょうなかわるいことで有名ゆうめいであった[22]両人りょうにん素晴すばらしいジャズ・ミュージシャンであり、おたがいのスキルを尊敬そんけいしてはいたが、GBOというバンドでは2人ふたりのエゴをさえむにはちいさすぎた。ボンドの人気にんきからバンド活動かつどうつづけることは出来できたが、内情ないじょうかんしては徐々じょじょ目立めだはじめたボンドの奇行きこう無気力むきりょくくわえ、ブルースとベイカーの険悪けんあく関係かんけいからステージじょうでは演奏えんそう放棄ほうきしてケンカをはじめたり、一方いっぽう楽器がっきをサボるほどであった[22]。ベイカーがブルースにクビを宣告せんこくしたのちもブルースはライブにあらわつづけた。最終さいしゅうてきには、ブルースはベイカーにナイフでおどされるまでバンドからはなれなかった。

にもかかわらずベイカーは、メンバーそれぞれがきょくう、協力きょうりょくてきなバンドになることをおもえがいていた。バンドは「クリーム」と名付なづけられた。クラプトンとブルース、ベイカーは、すでにブリティッシュ・ミュージック・シーンにおけるブルースやジャズのミュージシャンのあいだで「cream of the crop(りすぐりのもの)」となされていたからである。クリームに決定けっていするまえには、「Sweet 'n' Sour Rock 'n' Roll(甘酸あまずっぱいロックンロール)」という名前なまえ検討けんとうされていた。3にんなかで、イギリスのなかではクラプトンがもっとも評判ひょうばんていたが、かれはアメリカではられていなかった。「フォー・ユア・ラヴ」がBillboard Hot 100にチャートインするまえに、ヤードバーズを脱退だったいしていたからだ[2]

クリームの非公式ひこうしきなデビューは、1966ねん7がつ29にちマンチェスターのライブハウス「Twisted Wheel」でのギグ[23]正式せいしきなデビューは、2にちウィンザー開催かいさいされた『だい6かいナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバル』だった[12][24]結成けっせいあいだもない彼等かれらにはオリジナルきょくすくなかったが、ブルースのカバーのねつこもった演奏えんそうひろげてだい観衆かんしゅう震撼しんかんさせ、こう反響はんきょうた。10月には、ロンドンたばかりのジミ・ヘンドリックスが、かねてからあこがれていたクラプトンとの共演きょうえん熱望ねつぼうして[12]もとアニマルズのベーシストで当時とうじヘンドリックスのマネージャーだったチャス・チャンドラーによって彼等かれら紹介しょうかいされた[12]。ヘンドリックスは彼等かれらのステージに登場とうじょうして「キリング・フロア」のジャムに参加さんかし、クラプトンはかれすさまじい演奏えんそう衝撃しょうげきけてきそうになっていたという。

えいべいミュージシャンの交流こうりゅうから彼等かれらのステージにはPAアンプ・スピーカー林立りんりつした。結成けっせい初期しょきのうちに、ブルースがリード・ボーカルをることがまった。クラプトンはうたうことをずかしがって[25]、たまにブルースのボーカルにコーラスをける程度ていどだったが、やがて「フォー・アンティル・レイト」[26]、「ストレンジ・ブルー[27]、「クロスロード」[28]、「バッジ」[29]などのおもだったきょくで、リード・ボーカルをるようになった。

『フレッシュ・クリーム』

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クリームのデビューアルバム『フレッシュ・クリーム』は、1966ねん録音ろくおん発表はっぴょうされ、イギリスのチャートで6、アメリカのチャートで39記録きろくした[30]収録しゅうろくきょくは「フォー・アンティル・レイト」、「ローリン・アンド・タンブリン」(マディ・ウォーターズきょく)、「スプーンフル」(ウィリー・ディクスン作曲さっきょくハウリン・ウルフ録音ろくおん)、「アイム・ソー・グラッド」、「ねことリス」など、おもにブルースのカバーだった[31]にはブルースが友人ゆうじん作詞さくしピート・ブラウンきょうさくした「アイ・フィール・フリー[注釈ちゅうしゃく 5]やベイカーさくの「いやなやつ[注釈ちゅうしゃく 6]などがある。

初期しょき彼等かれらおおくのきょく演奏えんそうするタイトなバンドで、「N.S.U.」や「スウィート・ワイン」「いやなやつ」などすべては5ふん程度ていどにまとめられた。しかしわずか2かげつには、セットリストはみじかくなり、わりにかくきょく演奏えんそう時間じかんがぐっとながくなった。

『カラフル・クリーム』 『クリームの素晴すばらしき世界せかい

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グリニッジ・ヴィレッジ拠点きょてんにして、ヤングブラッズなど様々さまざまなミュージシャンやバンドのアレンジャー音楽おんがくプロデューサーつとめていたフェリックス・パパラルディが、トム・ダウドによってプロデューサーに招聘しょうへいされた[32]

パパラルディは1967ねんの「ストレンジ・ブルー」のスタジオ録音ろくおん皮切かわきりに、プロデュースだけでなくアレンジとキーボードやヴィオラなど様々さまざま楽器がっき演奏えんそうにもたずさわった[33][34]

解散かいさんと『グッバイ・クリーム』

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活動かつどう末期まっき - オランダTV出演しゅつえん(1968ねん1がつ

結成けっせいより彼等かれらかかえていた根源こんげんてき問題もんだいは、ついに彼等かれら解散かいさんみちびいた。ブルースとベイカーの対立たいりつはバンドに緊張きんちょうをもたらした。クラプトンもまた、メンバーがたがいの意見いけん十分じゅうぶんかないとかんじていた。かれは「クリームがコンサートで演奏えんそうしているとき、自分じぶん演奏えんそうめてもベイカーもブルースもづかない」とかた[22]後期こうきのコンサートはメンバーの見栄みえいだけになっていたとした[35]

彼等かれらは1968ねん5がつのアメリカツアーちゅうに、解散かいさん決断けつだんした[36]。7月、アメリカでの解散かいさんツアーとロンドンでの2かいのコンサートを最後さいご解散かいさんすることが公式こうしき発表はっぴょうされた。彼等かれらは11月4にちロードアイランドでのコンサートでアメリカツアーをえ、11月25にちと26にちにロンドンで最後さいごのイギリス公演こうえんおこなった[36]

解散かいさん

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クラプトンとベイカーはただちにスティーヴ・ウィンウッド[注釈ちゅうしゃく 7]もとスペンサー・デイヴィス・グループトラフィック)、リック・グレッチ(もとファミリー)とブラインド・フェイス結成けっせい解散かいさん、クラプトンは即興そっきょう演奏えんそうがよりすくない音楽おんがくもとめて、デラニー&ボニーとの共演きょうえんデレク・アンド・ザ・ドミノス結成けっせいてソロ活動かつどうかじっていった。だがかれ薬物やくぶつさけにおぼれ、1976ねんには「キープ・ブリテン・ホワイト」という白人はくじん主義しゅぎてき発言はつげんくわえ、レイシストのイーノック・パウエルを支持しじする発言はつげんおこなってきびしい批判ひはんけた。

ベイカーはブラインド・フェイスをもとにジャズ・フュージョンのアンサンブルであるジンジャー・ベイカーズ・エアフォース結成けっせいした。メンバーにはウィンウッド(ボーカル)、グレッチ(ベース)、グレアム・ボンド(サックス)、デニー・レイン[注釈ちゅうしゃく 8](ギター)などがいた。

ブルースは、1969ねんにパパラルディのプロデュースによるアルバム『ソングス・フォー・ア・テイラー』を発表はっぴょう。その様々さまざまなソロ活動かつどう成功せいこうをおさめた。

さい結成けっせい

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「ロックの殿堂でんどうりで集結しゅうけつしたメンバー (1993ねん)

1993ねんロックの殿堂でんどうりをたし(プレゼンターはZZトップ)、そのかぎりのさい結成けっせいで「サンシャイン・ラヴ」と「クロスロード」「わるほししたに」の3きょく演奏えんそうされた。

2005ねん5月にも、解散かいさんまえ最後さいごのライヴをおこなったロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、10月にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、さい結成けっせいライブがおこなわれた。

2014ねんにブルースが71さいで、2019ねんにはベイカーが80さいくなり、現在げんざいメンバーで生存せいぞんしているのはクラプトンただ1人ひとりとなった。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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ライヴ・アルバム

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 作詞さくしはピート・ブラウン。
  2. ^ 日本語にほんご表記ひょうきについてGrahamはグレアムかグラハム、Organisationはオーガニゼーションかオーガナイセションの2とおりある。
  3. ^ キーフ・ハートリー聴取ちょうしゅをもとに構成こうせいした「ブリックヤード・ブルース」(Keef Hartley/Ian Southworth共著きょうちょ中山なかやま義雄よしおやく)でベイカーらが脱退だったいした1967ねんごろ共演きょうえんしたジョン・ハイズマン(ヘクストール=スミスとコロシアム結成けっせい)は「兼業けんぎょうからプロミュージシャン一本いっぽん生活せいかつするきっかけをグレアム・ボンドからもらったがギャラ分配ぶんぱい不透明ふとうめいであるときはボンド本人ほんにん負債ふさい返済へんさい優先ゆうせんされ支払しはらいがく、ボンドのままさで演奏えんそう活動かつどう左右さゆうされサボタージュをすうこし対応たいおうわれたり演奏えんそう技術ぎじゅつ上達じょうたつのぞめない状況じょうきょうからのバンドへ移籍いせきかんがえ、ひいてはコロシアムを結成けっせいするきっかけになった(要約ようやく略記りゃっき)」とボンドとの関係かんけいをコメントし、金銭きんせん(ギャラ)問題もんだい推測すいそくされる。
  4. ^ イギリスはパイ・レコードからカーマ・スートラUKで販売はんばいされた。
  5. ^ アメリカばんにのみ収録しゅうろく。イギリスではヒット・シングルだがアルバム収録しゅうろく
  6. ^ ロックのドラム・ソロとしてはもっと初期しょき作品さくひん
  7. ^ クラプトンは以前いぜんよりクリームにウィンウッドをみ、ブルースとベイカーの緩衝かんしょうざいになってもらおうとこころみていた。
  8. ^ もとムーディ・ブルースで、のちウイングス加入かにゅう

出典しゅってん

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引用いんよう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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