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サイード・モラエイ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得かくとくメダル

サイード・モラエイ
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
柔道じゅうどう
オリンピック
ぎん 2020 東京とうきょう 81kgきゅう
世界せかい選手権せんしゅけん
きむ 2018 バクー 81kgきゅう
どう 2017 ブダペスト 81kgきゅう
ワールドマスターズ
ぎん 2022 エルサレム 81kgきゅう
グランドスラム
きむ 2018 デュッセルドルフ 81kgきゅう
きむ 2022 バクー 81kgきゅう
ぎん 2017 バクー 81kgきゅう
ぎん 2021 テルアビブ 81kgきゅう
ぎん 2022 ブダペスト 81kgきゅう
ぎん 2023 アンタルヤ 81kgきゅう
どう 2017 アブダビ 81kgきゅう
どう 2018 エカテリンブルグ 81kgきゅう
どう 2019 パリ 81kgきゅう
どう 2020 ブダペスト 81kgきゅう

サイード・モラエイ(Saeid Mollaei, ペルシア: سعید ملایی‎, モンゴル: Саид Моллаи, 1992ねん1がつ5にち - )は、アゼルバイジャン柔道じゅうどうイラン出身しゅっしん階級かいきゅうは81kgきゅう[1]身長しんちょう176cm。

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

7さいときレスリングはじめて、19さいとき柔道じゅうどう転向てんこうしたという[2]。2011ねんアジアジュニア73kgきゅうで3になるが、世界せかいジュニアでは7わった[1]。その階級かいきゅうを81kgきゅうげて一定いってい活躍かつやくしめすも、2016ねんリオデジャネイロオリンピックでは初戦しょせんこん大会たいかい優勝ゆうしょうしたロシアのハサン・ハルムルザエフ指導しどう3でやぶれた[1][3]

2017ねんにはイスラム諸国しょこく連帯れんたい競技きょうぎ大会たいかい優勝ゆうしょうするが、グランドスラム・バクーアジア選手権せんしゅけんでは2にとどまった。世界せかい選手権せんしゅけんでは準決勝じゅんけっしょうでイタリアのマッテオ・マルコンチーニやぶれるが、3決定けっていせん地元じもとハンガリーのチョクニャイ・ラスローに一本いっぽんちして3になった[1][4]

2018ねんアジア大会たいかいでは決勝けっしょうでカザフスタンのディダル・ハムザ対戦たいせんすると、わざありを先取せんしゅしながら終了しゅうりょう同時どうじ逆転ぎゃくてん反則はんそくけをきっして2わった[5]アゼルバイジャンバクー開催かいさいされた世界せかい選手権せんしゅけんでは、決勝けっしょう日本にっぽん藤原ふじわらたかし太郎たろうごうわざやぶって、2003ねん世界せかい選手権せんしゅけん66kgきゅうせいしたアラシュ・ミレスマイリ以来いらい15ねんぶりにイランの選手せんしゅ優勝ゆうしょうすることになった[2][6]

つづグランドスラム・アブダビでは準決勝じゅんけっしょうでベルギーのマティアス・カス対戦たいせんするも、開始かいし早々そうそうひだり足首あしくびくじいたとして棄権きけんけになった。しかし、IJFからは今回こんかいいちけん決勝けっしょうでイスラエルのサギ・ムキとの対戦たいせんけるための虚偽きょぎ申告しんこくだと判断はんだんされることはなかった[7][8]。なお、2018ねんには世界せかいランキング年間ねんかん1となった[9]

2019ねんグランドスラム・パリでは準々じゅんじゅん決勝けっしょう世界せかいランキング209ぎないカザフスタンのラスラン・ムサエフに開始かいし早々そうそう一本いっぽん背負投せおいなげやぶれたが、つづ準決勝じゅんけっしょうでムキと対戦たいせんすることをけるための意図いとてき敗戦はいせんだったとのうたがいがもたれている。モラエイはそのの3決定けっていせんリオデジャネイロオリンピック優勝ゆうしょうしたハルムルザエフをしょうそとかりやぶった直後ちょくごみぎひざ負傷ふしょうしたというアピールをして医務いむしつかったため、こん大会たいかいで2になったムキが表彰台ひょうしょうだい姿すがたあらわすことはなかった。

この一連いちれん事態じたいにIJF会長かいちょうであるマリウス・ビゼールTwitterうえで、選手せんしゅがいかにしてやぶれたかを説明せつめいするのは容易よういなことではないので、注意深ちゅういぶかくこのケースを分析ぶんせきして、この問題もんだいただしい解決かいけつ方法ほうほう見出みいだすようにつとめるとべた。その一方いっぽうで、選手せんしゅのぞみとくに方針ほうしん齟齬そごたす場合ばあい自身じしん家族かぞく立場たちば考慮こうりょすればモラエイがくに方針ほうしんそむくのはほとんど不可能ふかのうだとの見解けんかいしめした[10]

グランプリ・フフホトでは決勝けっしょう藤原ふじわら背負投せおいなげやぶって優勝ゆうしょうしたが、グランプリ・ザグレブでは準決勝じゅんけっしょうでカナダのアントワーヌ・ヴァロア=フォルティエわざありでやぶれて3わった[1]前年ぜんねんの2がつ以来いらい世界せかいランク1維持いじしており、東京とうきょう開催かいさいされる世界せかい選手権せんしゅけん出場しゅつじょう予定よていだったものの、イスラエルの選手せんしゅ対戦たいせんする可能かのうせいすくなからずあることから、イスラエル選手せんしゅとの対戦たいせん容認ようにんしないイラン政府せいふ政策せいさくしたがわざるを出場しゅつじょうしないともほうじられたが、結果けっかとして参加さんかすることになった[11][12]

その世界せかい選手権せんしゅけんではムキが決勝けっしょうめた直後ちょくご準決勝じゅんけっしょうでカスにGSはいってからうでくじけじゅうかたやぶれた。イスラエル柔道じゅうどう連盟れんめい会長かいちょうモシェ・ポンテは、モラエイはムキとの対戦たいせんけるためにわざとけるよう強要きょうようされたとべた[13]。3決定けっていせんでもジョージアのルカ・マイスラゼあいわざやぶれて5わり[12]表彰台ひょうしょうだいでイスラエルのムキとならびたなかった。

そのIJF会長かいちょうのビゼールは、イランがわがモラエイ本人ほんにん家族かぞくたいして試合しあい棄権きけんするよう圧力あつりょくをかけたことをあきらかにして、イランがわ対応たいおうきびしく批判ひはんした。モラエイ本人ほんにん大会たいかい、イランオリンピック委員いいんかい会長かいちょうのサイド・レザ・サレヒ・アミリとスポーツ大臣だいじんのダバル・ザニから試合しあいちゅう棄権きけん強要きょうようされたことをあきらかにした。「家族かぞくわたしなにこるかをおそれている」「わたし最後さいごまでたたかいたいが、くにゆるさない。たすけが必要ひつようだ」ともうったえた。

IJFにすくいをもとめたモラエイはビザを所有しょゆうしているドイツに滞在たいざいしていることから、ビゼールはモラエイを難民なんみん選手せんしゅだん一員いちいんとして東京とうきょうオリンピック出場しゅつじょうさせたい意向いこうしめした。なお、モラエイ本人ほんにんはドイツに難民なんみん申請しんせいするつもりはなく、東京とうきょうオリンピックには難民なんみん選手せんしゅだんでなくオリンピックした中立ちゅうりつ立場たちばでの参加さんか希望きぼうするとかたった。その滞在たいざいしているドイツの当局とうきょくから正式せいしき難民なんみん認定にんていけることになった。また、ビゼールはこのけんでイラン柔道じゅうどう連盟れんめい処分しょぶんする可能かのうせい示唆しさすると、つづいて正式せいしき資格しかく停止ていし処分しょぶんくだした[14][15][16][17][18][18][19][20][21]

11月のグランドスラム・大阪おおさかには難民なんみん選手せんしゅだん一員いちいんとしてIJF名義めいぎでの出場しゅつじょうとなったが、準々じゅんじゅん決勝けっしょう藤原ふじわらささえつりこみあしやぶれると、敗者はいしゃ復活ふっかつせんでもオランダのフランク・デ・ウィット内股うちまたやぶれて7わった[22][23]

12月からはモンゴルに国籍こくせき変更へんこうして、オリンピック代表だいひょうねらうことになった[24][25]。モンゴル代表だいひょうとしてはじめての大会たいかい出場しゅつじょうとなったワールドマスターズでは2回戦かいせんでイタリアのクリスティアン・パルラティやぶれた[26]

2020ねん3がつにはIOCから正式せいしきにモンゴル国籍こくせきへの変更へんこう承認しょうにんされたことにより、モンゴル代表だいひょうでオリンピックに出場しゅつじょうすることが可能かのうとなった[27]

2021ねん2がつにはグランドスラム・テルアビブ出場しゅつじょうするためイスラエルのテルアビブ出向でむくと、ベングリオン空港くうこうでポンテの歓待かんたいけた。イラン出身しゅっしんのスポーツ選手せんしゅがイスラエルの大会たいかい参加さんかするのは1979ねんイラン革命かくめい以来いらいはじめてのこととなった。このさいにモラエイは、「スポーツと政治せいじべつだ。わたしはスポーツマン。政治せいじ問題もんだいけっして関係かんけいない」とかたると、IJFは「しん友好ゆうこうをもたらし、はしとなった」と賞賛しょうさん、イスラエルのマスコミも「歴史れきしてき偉業いぎょう」と形容けいようした。その一方いっぽうで、イラン柔道じゅうどう連盟れんめい会長かいちょうのミレスマイリはモラエイを利己りこてきおろかなアスリートだと非難ひなんした。試合しあいでは友人ゆうじん世界せかいチャンピオンであるムキが2回戦かいせんやぶれたため対戦たいせんはならず、決勝けっしょうでウズベキスタンのシャロフィディン・ボルタボエフにやぶれて2わった[28][29][30]

6月の世界せかい選手権せんしゅけんでは準々じゅんじゅん決勝けっしょうでボルタボエフにやぶれると、敗者はいしゃ復活ふっかつせんでも藤原ふじわらやぶれて7わったが、3回戦かいせんでイスラエルの選手せんしゅ対戦たいせんして一本いっぽんちした[31][32]つづいて7がつ日本武道館にほんぶどうかん開催かいさいされた東京とうきょうオリンピックでは準々じゅんじゅん決勝けっしょうでジョージアのタト・グリガラシビリあいわざ逆転ぎゃくてんちするなどしてがると、決勝けっしょうでは日本にっぽん永瀬ながせたかぶんまわしわざありでやぶれるも2となりぎんメダルを獲得かくとくした。なお、準決勝じゅんけっしょう対戦たいせんする可能かのうせいがあったムキは3回戦かいせん敗退はいたいしたため、またも対戦たいせんすることはなかった[33]

モンゴル柔道じゅうどう連盟れんめいとの契約けいやくれたため、2022ねんからは本人ほんにんつよ希望きぼうでアゼルバイジャン代表だいひょうとして国際こくさい大会たいかい出場しゅつじょうすることがまった[34]。アゼルバイジャン代表だいひょうとしてはつ国際こくさい大会たいかい出場しゅつじょうとなった7がつグランドスラム・ブダペストでは、3回戦かいせんでかつて政治せいじてき理由りゆうから対戦たいせんできなかったムキとはつ対戦たいせん機会きかいると、くずし袈裟けさかた勝利しょうりした。しかし、その決勝けっしょうではブラジルのギリェルメ・シュミットに反則はんそくけをきっして2にとどまった[35][36]。12月にエルサレム開催かいさいされたワールドマスターズでは決勝けっしょうでグリガラシビリにわざありでやぶれて2にとどまった[37]。2023ねん10がつにIOCによりアゼルバイジャンへの国籍こくせき変更へんこう正式せいしきみとめられた[38]

IJF世界せかいランキングは4351ポイント獲得かくとくで8(24/1/29現在げんざい[39][40]

おも戦績せんせき

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73kgきゅうでの戦績せんせき

81kgきゅうでの戦績せんせき

出典しゅってん[1]、JudoInside.com)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f profile
  2. ^ a b 藤原ふじわらやぶったモラエイ、はは母国ぼこく歓喜かんききんメダルをれてうれしい」/柔道じゅうどう サンケイスポーツ 2018ねん9がつ24にち
  3. ^ Judo Olympic Games 2016
  4. ^ 2017 Suzuki World Judo Championships 2017, Budapest
  5. ^ 18th Asian Games 2018
  6. ^ World Judo Championships 2018
  7. ^ In first, Israeli anthem plays in Abu Dhabi after judo gold
  8. ^ New Grand Prix for Tel Aviv signed on #WorldJudoDay
  9. ^ Major changes in the World Ranking if bonus beckons
  10. ^ Judo: la troublante défaite d’un judoka iranien au tournoi de Paris
  11. ^ Sports drama: Iranian athletes withdraw from World Championships
  12. ^ a b World Judo Championships 2019
  13. ^ “Israel says Iran forced its judoka to throw semifinal to avoid facing Sagi Muki”. (2019ねん8がつ29にち). https://www.timesofisrael.com/israeli-judo-chief-iranian-forced-to-throw-semifinal-to-avoid-facing-sagi-muki/ 2019ねん8がつ29にち閲覧えつらん 
  14. ^ イラン、イスラエルとの試合しあい棄権きけん強要きょうようか 世界せかい柔道じゅうどう代表だいひょう 朝日新聞あさひしんぶん 2019ねん8がつ30にち
  15. ^ 国際こくさいやわられん会長かいちょう、イラン連盟れんめい処分しょぶん示唆しさ政府せいふからの棄権きけん圧力あつりょく 時事通信じじつうしん 2019ねん9がつ2にち
  16. ^ 柔道じゅうどうイラン代表だいひょうたす必要ひつよう」 連盟れんめい棄権きけん圧力あつりょく選手せんしゅ動画どうが公開こうかい 静岡しずおか新聞しんぶん 2019ねん9がつ2にち
  17. ^ くにから試合しあい放棄ほうき圧力あつりょくけたイランの柔道じゅうどう選手せんしゅ国際こくさい連盟れんめい支援しえん約束やくそく
  18. ^ a b THE TRUE STORY OF A FIGHT FOR LIFE
  19. ^ Judo champion Muki to 'Post': I want to compete against Iranian, hug him
  20. ^ イラン柔道じゅうどうれん資格しかく停止ていし処分しょぶん選手せんしゅ棄権きけんするよう圧力あつりょく AFP 2019ねん10がつ23にち
  21. ^ 柔道じゅうどうイラン選手せんしゅ難民なんみん認定にんてい「とてもしあわせ」 ぜん世界せかい王者おうじゃ渡航とこうさきどく サンケイスポーツ 2019ねん11月5にち
  22. ^ モラエイ、東京とうきょう五輪ごりんさい出発しゅっぱつ 柔道じゅうどうグランドスラム大阪おおさか 時事通信じじつうしん 2019ねん11月23にち
  23. ^ 柔道じゅうどうグランドスラム大阪おおさか2019
  24. ^ 柔道じゅうどう、イラン選手せんしゅにモンゴル国籍こくせき 棄権きけん圧力あつりょく難民なんみん認定にんてい 47NEWS 2019ねん12月3にち
  25. ^ Saeid Mollaei gets Mongolian passport
  26. ^ もと世界せかい王者おうじゃモラエイ、新天地しんてんちデビューも初戦しょせん敗退はいたい モンゴル代表だいひょう柔道じゅうどう サンケイスポーツ 2019ねん12月13にち
  27. ^ IOC、モラエイのモンゴル国籍こくせき承認しょうにん 時事通信じじつうしん 2020ねん3がつ4にち
  28. ^ 「スポーツと政治せいじべつ」 もとイランの柔道じゅうどう信念しんねんつらぬきイスラエルで勇姿ゆうし 時事通信じじつうしん 2021ねん2がつ23にち
  29. ^ SAEID MOLLAEI ARRIVES IN ISRAEL FOR GRAND SLAM TEL AVIV
  30. ^ Iranian judoka Saeid Mollaei set to compete in Israel
  31. ^ 歴史れきしてきいちせんもとイラン代表だいひょうがイスラエル選手せんしゅ勝利しょうり 試合しあい後手ごてべる 日刊にっかんスポーツ 2021ねん6がつ10日とおか
  32. ^ World Judo Championships Hungary 2021
  33. ^ Olympic Games Tokyo 2020
  34. ^ European Judo Championships Saeid Mollaei will fight for Azerbaijan
  35. ^ The Fight For Freedom
  36. ^ Budapest Grand Slam 2022
  37. ^ Jerusalem Masters 2022
  38. ^ モラエイが国籍こくせきさい変更へんこう、IOCが承認しょうにん 柔道じゅうどう男子だんしもと世界せかい王者おうじゃ - サンスポ サンケイスポーツ 2023ねん10がつ13にち
  39. ^ World ranking list
  40. ^ Saeid MOLLAEI / IJF.org

外部がいぶリンク

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